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満たすもの 2★
しおりを挟む「健も頑張れ~」という声援に、同類相憐れむという言葉を思い出した。
健の件が前向きになれば大智も引っ張られるだろうか。そもそも大智の件が後ろ向きだったから引っ張られたような気もする。
根拠のない考えが頭をめぐり、いや、と首を横に振った。どうにも逃げ道を探しているようだ。
結局は自分次第、それも答えが決まらずのままだというのに。
大学での講義を終えて家近くの最寄駅まで帰ってきた健は、例の少年を探した。
情報が得られないならば、本人を捕まえて聞き出してしまえばいいという強引な結論を出したのだ。
大智の言う「チャンス」とやらはすっかり掴み損ねていた。
「……いないな」
けれど少年は見つからない。
日中は比較的静かな駅前通りも帰宅時間の今は人で賑わい、踏み切りを渡る足音も多い。
定時上がりのサラリーマン、買い物帰りの主婦、部活終わりの学生に、園バッグを提げた子連れのお母さん。
見渡す限り、少年の姿はないようだった。
健はくるりと行き先を変更する。
家までの道のりからは反対に、踏み切りを支点に線路沿いを歩き出した。普段は用がなく歩かない道だ。
線路を挟んで向こう側にも気を配りながら、健はしばらく夕日の落ちる中を歩いた。
そして、線路脇に小さな地蔵を見つけた。
「僕の魂ってここにありますか?」
踏み切りまで戻ってきた健の耳に届く。
雑踏の中、背後からの声に健は振り向いた。
記憶していた姿をピントの合わない少年に当てはめていると、少年は繰り返す。
「僕の魂ってここにありますか?」
「……ちょっとついてこい」
再び健は線路沿いを歩き出す。
夕日はすっかり地平線に顔を隠し、街灯がつき始めていた。
歩調を緩やかにし、律儀についてきた少年に健は問いかける。
「どうして魂を探してるんだ?」
少年はぼんやりと俯きながら、少しの無言の後に口を開いた。
「……何もないからです」
「何もないって?」
「僕に、何もないからです」
そこから少年は堰を切ったように話し出した。
健は足を止めて少年を見つめる。
「何もないんです。あんなにいっぱいあったのに、今の僕には何もないんです」
「何がないんだ?」
「わからないんです。いっぱいあったのに、あんなにいっぱいあったのに」
「いっぱいあったことはわかるのか?」
健のその言葉に少年は勢いよく顔を上げた。
目を丸くして、そして一気に萎んだ。
「それも、わからない……」
ぽろぽろと涙を流し始めた少年は、決して簡単に泣くような子には見えなかった。
健は密かにため息を吐く。泣き出してしまった本人を前に、強引に話を進めていいものか悩む。
「いっぱいあったと思ったんだ……でも、もうわからない……思い出そうとすると雲を掴むように消えていくんだ……」
「何も思い出せないってことか?」
ふるふると、少年は首を振る。
健から外された目線は再び地面に向いた。
「……僕は、自ら命を断ちました」
離れた踏み切りから警報音が鳴り響く。
じきにやってくる轟音に備えて健は何も返さなかった。その瞬間に少年の言葉が聞こえなくなるのは困るからだ。
だが、少年もわかっているようで、電車が過ぎ去るのを待っているようだった。
走行音が通り抜けて、少年は再び口を開いた。
「電車に飛び込んだんです。その前はいっぱいあったのに、今は空っぽです」
「……よくわからないんだが」
「僕にもわかりません。何がいっぱいあったのか、僕はどうして自殺したのか……」
涙を拭う少年に、健は正直お手上げ状態だった。
大智がいれば上手く励まし、もっと聞き出せることも多いだろう。寄り添いから生まれる共感だってあるだろうに、健はそれが疎いのだ。
「とにかく、ついてこい」
それだけをまた少年に告げて、健は歩き出した。
少年はずっと鼻を啜りながらついてくる。健も無言で歩いた。
辺りは暗がりが広がり、すっかり夕方の姿を消してしまった。
そうして目的とした場所を目前に、少し手前で健はその場所を指し示す。
一つの街灯の下、線路脇で見つけた地蔵には人だかりができていた。
「あれはなんですか?」
「お前の方が知ってるんじゃないか?」
健が言うと、少年はじっとその人だかりを見つめた。少し距離があるのだ。
それでもわかるのは、その人だかりがスーツを着た仕事帰りらしき若者達だということ。
それぞれが花を持ち、地蔵に供えて手を合わせていた。
「あぁ、あいつらは……」
ぽつり、ぽつりと間を置いて花を供えにやってくる若者が増える。
一人増えるごとにその場は賑やかになっていき、地蔵前は花で溢れた。
お菓子やジュースもある。野球バットに、ボール、グローブ。持っていたのは一人ではなかった。
「あいつらは、仲間だったんです……」
少年は眩しそうに目を細めて言った。
集まった若者達の無邪気な笑い声を聞き、自然と少年の口元もほころぶ。
懐かしさに、そこに自分の居場所があるというように、少年の体は前に出た。
「……まだ空っぽか?」
健は一歩前に出た少年に尋ねる。
そのまま見送ってもいいが、自覚をしてほしかった。
「今は、満たされています」
少年は真っ直ぐに若者達を見つめて答えた。
「あたたかくて、いっぱいです」
「それがお前の忘れていたものだ。そのまま行ってこい」
健は少年の背中を押した。
押されたことに驚いた少年はとっさに健を見て、そして笑顔を見せた。
「ありがとう」
仲間の元へ駆け出した少年は、無邪気な笑い声の中に溶け込んでいった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「……事故か自殺か、わからないんです。だってあいつ、自殺するようなやつじゃなかったから。どんな場面でも明るく仲間を励ます、ムードメーカー的存在でした」
地蔵を一番最初に見つけた時、ちょうど花を供えに来た一人と健はすれ違った。
すれ違いざまにすべり落ちた花は健の足元へ転がり、それを拾ったのがきっかけだった。
「でも、あいつがいなくなる前、落ち込んでたのは確かでした。野球の強豪校で、あいつは期待されてて。夏の甲子園を目前に利き腕を怪我しちゃって、あいつ、本当に悔しがってたんです。うちのチームも負けちゃって、あいつがいればって……そんな空気になっちゃって」
決して責めたわけではないけれど、それを抱え込ませてしまったと。いつも通り明るく「悪いな!」と返されて終わる話だと思っていたと。
ムードメーカーな少年に、少年の悔しさを共感することなく、押し付けてしまった。
自分達が殺してしまったのではないかと、毎年謝りに来ていると言った。
「謝ったってあいつは帰ってこないけど、事故か自殺かもわからないけど、あいつは仲間だから……こんな所にひとりは、寂しすぎるから……」
年に一度、命日にみんなで集まる。
それが彼らなりの精一杯だった。何もわからない少年へ向ける、仲間としてできることだった。
話を聞き終えた健は、足早に去ろうとする背中をとっさに捕まえる。
詳細など教えられない立場で、ただこう言った。
「笑顔を見せてやった方が、その子はきっと喜ぶと思う」
帰路についた健は思い返していた。
少年が命を絶った理由。それぞれの意見を合わせてみれば、そこにあるのはおそらく「悔しさ」や「後悔」、仲間に対する「申し訳なさ」。
そして、きっと本人としても望んで電車に飛び込んだわけじゃない。
……きっと一時の、一瞬の気の迷いだったのだろう。それが不運だった。
「けれど、忘れてしまったことは不運じゃなかった」
自分の魂を探して彷徨うほどの空っぽ。
それを満たしていたのが、まさに気の迷いを起こした負の感情だろう。
忘れてしまった方が本人のためでもある。
「強い思いでも、忘れることがあるんだな……」
前回の老夫婦を思い浮かべて。
あれほど色濃く残る記憶があるかたわらで、少年の感情はすっぽりと抜け落ちていた。
何がそうさせたのだろう。元来の少年の明るさか、それとも他の何かか。
考えてもわからない。
あまり深追いはせず、人それぞれなのだなと健は思うことにした。
自宅に近づくにつれて住宅街の静けさが漂う。
街灯の切れ目、ちらりと視界の端に入りこむ存在を無意識に目が追い、頭がちくりとした。
不快な痛みを一日のうちに何度も経験して、健はつい舌打ちをする。
本当に。……――このまま、また視えなくなるのか?
誤魔化しようのない不安が襲ってくる。
小さな頃に感じていた、視えることへのアイデンティティ。今は薄れたが、けれど大智と一楓のことがある。
バイトだって。このまま辞めたいとは思わない。
なのに、その反面でそれを望む自分もいる。
必死に押し込めようとしてる考え。それは、なんて浅はかな。
……このまま視えなくなれば、さくらと距離を置かなくてもいいだなんて。
さらに大きく舌打ちをして、健は頭を掻きむしった。
明確に出てきた欲が一番嫌なところを突いてきた。
むしゃくしゃと腹の虫がおさまらなくなった健は、乱暴な足音を立てて夜風を切った。
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