浄霊屋

猫じゃらし

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遠ざかる距離 2★

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 結菜は下ろしたバッグから無地の封筒を取り出すと、中から写真を抜き出した。
 健に渡す前にじっと写真を見つめる。やがて眉を寄せた。諦めたように小さく息を吐いて、その写真を差し出す。
 健は写真を受け取ると、たくさんの人が写る中に違和感を探した。

「家族写真?」

 横から大智がのぞき込む。
 写真には二間続きほどの和室に一枚板テーブルを囲む大人数が写っていた。
 大人と子供の数が同じくらい。テーブルの真ん中には一番の年配者である老夫婦が笑顔を見せている。

「夏に田舎のおじいちゃんの家で親戚が集まったんだ。その時の写真」

 この写真の中での『子供』の位置付けは結菜の年齢から一番小さくて小学生らしい。
 久々に会ったのか、小学生同士は写真など気にすることなく立ち上がっていた。それを咎めているらしい両親も目線はカメラに向いておらず、酒の入った赤ら顔の男性らも手酌をしていたりする。
 まさに自由。集合写真というよりは、ただその光景を記念に残したような写真だった。

 ざっくりと写真の全容を理解したところで、健はある一点に集中する。

「……ここ。なんかいるな」

 とん、と指差す。
 赤ら顔で手酌をしている男性の一人だ。
 下半身のある部分が綺麗さっぱり消えており、畳や後ろの人が透けてしまっていた。

 そして健には、そこにさらにもやがかかって視えていた。
 目を凝らして見つけられた形を記憶して、ようやく人間の姿を認識する。
 ピントの合わないようなもどかしさに眉間に皺が寄る。

「本当だ。足元に被ってるね」

 大智が同意した。
 見にくかったのか、健の手から写真を取ってしまった。ベッドの上であぐらをかき、写真を目線の高さにしてまじまじと眺めている。

「何が写ってるか視えるか?」

「うん。健は視えない?」

「いや、すっげぇぼやけてて……視えるけど疲れる」

「ふぅん? なんか、悪いものじゃなさそうだね」

 そうなのか、と思い健もベッドに移動した。
 目線の高さに持ち上げられた写真を大智と同じようにしてもう一度視る。
 けれど、やはり何度もぼやけてしまう。「うーん」と唸る大智は、写真から何かを感じ取っているようだった。

「勘、なんだけどさ。守護霊とかなんじゃない?」

 写真を下ろした大智は健に「まだ視る?」と聞くが、健は首を横に振った。これ以上視ても疲れるだけだと思ったからだ。
 結菜は大智に尋ねる。

「なんでそう思うの?」

「体の一部が消えるのは、守護霊とかご先祖様が警告してるってよく言うじゃん? それなんじゃないかな」

「じゃ、じゃあ、写ってるのは守護霊なのかな?」

「んー……たぶんとしか言えないけど」

 大智は写真を結菜に見せ、男性の消えた部分を指差した。

「白髪混じりのショートカットの女性。前髪はセンター分けしてる。細いフレームの眼鏡をかけてて、度が強そうだね。あとは――……あ、眉尻に大きなホクロがある。だよね、健」

「あぁ」

 結菜が大きく目を見開く。
 開いた口からは「え……」と漏れた。

「この男の人に似てるね。親族なんじゃないかな、って思ったんだ」

 大智が言い終えて、結菜は小刻みに何度も頷いた。

「それ、お父さんの方のおばあちゃんだ。私がちっちゃい頃に亡くなっちゃったからあんまり知らないけど、顔は写真でよく見てた」

「それならやっぱり、気をつけなさいってことなんだと思うよ。俺は元の顔を知らないけど、心配してるように視えるから」

 大智から写真を返された結菜は、はー……と嘆息した。
 写真に目線を落としたままで口を開く。

「実はね、この下半身が消えてるのは私のお父さんなの。お盆休みが終わって仕事が始まってから事故に遭っちゃって、結構ひどい骨折で。今、入院してるんだ」

「そっか……。それを予知していたのかもね」

「うん、きっとそうだよね。この写真のせいなのかなって心配してたんだけど、そういうことだったんだね」

 不安のなくなった結菜は笑顔を見せた。
 健と大智にお礼を言うと、写真を丁寧に封筒にしまう。思わず心霊写真となってしまったが、離れて住む祖父母に送ってあげようと現像したものだったらしい。
 問題はないが、念のためにその写真だけは結菜の手元に置くという。

「ねぇ、ところで」

 バッグを傍に置いた結菜は、ベッドに座る大智を見た。

「大智も視える人だったの? 私てっきり、視えない怖がりだと思ってた」

「……あれ? 言ってなかったっけ?」

 一瞬の間を置いて、大智は平然と答える。
 怖がりの部分は否定しなかった。

「去年の冬前だったかな。視えるようになっちゃったんだよね」

「えっ、結構前じゃん。さくらは知ってたの?」

「うん。私はたまたま」

「俺、てっきり乃井ちゃんから聞いてるかと思ってた」

「聞いてないよー」

 話の中心となってしまったさくらは、困ったように笑った。ぱちりと健と目が合う。
 さくらからは誰にも言うなと止めていたのは健だ。なんとなく申し訳なく、口の中で「悪い」とつぶやいた。

「大智、いきなり視えるようになったの? それとも徐々に?」

「俺はきっかけがあったから、いきなりかな」

「そうなんだー。じゃあ仁科君とは関係ないんだね」

「どういうこと?」

 大智が意味を図りかねて問う。
 健もふいに名前を出されたが、大智同様に答えが出なかった。

「ほら、霊感が強い人の側にいると感化? 霊感がうつる? みたいに言うじゃん。それって本当なのかなって思って」

「あぁ、それは……」

 大智はどう返すべきかと考えているようだった。
 きっかけは確かにあったが、それがなかったら今も視えていないかというと、わからない。
 はっきりと答えの出ない話だった。

 結菜に悪気はなく、ただの好奇心らしい。
 見かねたさくらがやんわりと止めるが、理由をわかっていない。
 おかしな空気になってしまったので、健が口を開いた。

「俺の側にいて霊感がうつるかっていうのは、正直わからない。そういう潜在的なものは人それぞれだし、これといった研究結果が出されているものじゃない。けれど、ないとは言い切れない」

 健は一旦言葉を区切る。
 その続きは言うべきか迷った。けれど、言わなければとも思った。

 人の集まった狭い室内には、外の雨音だけが響いている。回したはずの洗濯機すらその時ばかりは音を立てなかった。

 伏せた目線を上げ、健は結菜だけを見た。

「思うことがあるなら、俺とは距離をおいた方がいい。……さくらも」

 最後に小さく付け加えた。
 だが、健はさくらのことを見ることはできなかった。向けられる視線をかわすことで精一杯だった。

 窓に打ちつけられる雨音が強くなった気がした。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 何とも言えぬ雰囲気が続き、その後はすぐに解散となった。
 結菜は「興味本位だった」と謝ってきたが、別に謝られることじゃない。大智のことがあってから懸念はあったし、さくらは巻き込むなと狐には釘を刺していた。
 健を友人として見てくれるさくらや結菜、そして省吾。その居場所に嬉しさを覚え、線引きをしなかった健の落ち度だ。

 だから、改めて関係を考えるべきだと思った。

 一向に雨の止まぬ中を駅まで送る。
 大智もコンビニに行くと一緒に出てきていた。四人もいるのに口数は少なく、聞こえてくるのは傘の上を弾む雨粒の音。
 ほんの十分ほどを長く感じながら、ただ駅へと歩いた。

 改札を通る前に結菜はもう一度謝ってきた。

「無神経で本当にごめんね」

「いいって。別に謝られることじゃないから」

 そう言ってしまえば、結菜はもう何も言えない。
 「じゃあ」と、そこからは見送ることなく駅を出た。
 駅前の信号を渡ったところのコンビニへ大智が足を向けた。

「健くん、待って!」

 靴裏で水を弾きながら、さくらが呼び止める。
 振り返った健は足を止めたが、歩行者信号が点滅して大智は足を早めた。

「健、先行ってるよ」

「わかった」

 離れていく水音と、近寄ってくる水音。
 駆け寄ってきたさくらの傘は勢いあまり、健の傘とぶつかった。

「どうした?」

 健は傘を少し離す。

「あのね、言っておかなくちゃと思って……」

「うん」

「健くんは健くんだから、どんなことがあっても距離を置くとか考えられなくて」

 はぁ、とさくらは息を切らす。
 駆け寄ってきた息切れというよりも、気持ちの落ち着かなさが出ているようだ。

「健くんがどう思っても、私はずっと側にいたいと思ってて」

「……うん」

「もし、私が健くんや大智と同じになっても、私は構わないと思ってて……」

「……なんで?」

「え?」

「なんで構わない? 構うだろ、そんなの」

 口調が強くなった自覚はある。
 さくらの瞳が微かに揺れた。
 けれど、健は気にしていられなかった。

「人生が変わるんだ。人と違うっていうことは、さくらの今後を大きく変えるんだぞ。簡単に言うな」

「で、でも」

「そうまでして、俺の側にいたいなんて言うな」

「……でも」

 さくらの声が震える。
 目尻に溜まる雨粒ではない雫に、健はぐっと胸が詰まる。距離を置いた方がいいと言ってからずっと目を逸らしていた。
 ようやく合わせた今、罪悪感でどうしようもなくなっている。


「私は、健くんが好きなんだよ……」


 一瞬の静寂。
 かぁっと耳が熱くなった。真っ直ぐ見つめてくる瞳に、健は耐えられずに思いきりまた目をそらした。
 これが少し前、例えば昨日や今日の朝だったら、どんなに高揚しただろうかと。早まる鼓動に、冷静に息を吐く。
 応えるべきではないと、期待以上に諦めている自分がいる。

「俺は、そういうのは望んでない」

 すぅ、とさくらの頬に雫が流れた。
 それと同時に走り去られてしまう。
 驚き、無意識に伸ばした手は空を掴み、そして力無く落ちた。
 傘を持つ手にも力が入らず、気づけば雨に濡れていた。


 背後で歩行者信号が青を告げる。
 しばらく雨に打たれていた健は踵を返すと、すぐに点滅し始めた信号に背中を押されて横断歩道を渡る。
 眩しいコンビニの灯りに誘われるように店内へと入った。

「えっ、なんで濡れてるの。傘は?」

 すでに買い物を終えて待っていたらしい大智が、ずぶ濡れの健にぎょっとした。

「距離が……」

「え? 距離?」

 ぽたぽたと、雨水が前髪を滴る。
 畳んだ傘を見下ろした健は、今は何にもぶつからないその傘に、さくらの涙を思い出す。

 近づいたと思ったら、急に遠くなった。……いや、遠ざけた。
 あんなことを言わせたいわけじゃなかった。それでいいわけがなかった。

 空を掴んだ手に、覚えのある温もりを捕まえなくてよかったと、自らに言い聞かせる。
 胸がずっと苦しいのは後悔だと知りながら、それでもただ言い聞かせ続けるしかなかった。

 傘と傘がぶつかる、それ以上は、近づきすぎだったのだ。




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