86 / 95
遠ざかる距離 1
しおりを挟むざぁっと、朝から雨が降っている。
午後の講義を終える頃には、雨脚はさらに強くなっていた。
講堂は人の多さでじめっと蒸し暑いが、扉が開けばひんやりと心地よい風が流れ込んでくる。
そのまま外に出れば肌寒く感じそうな冷たさだ。
弱まらない雨は、夏の暑さをあっという間に追いやってしまったらしい。
「健くん、ちょっといい?」
講堂を出ようとした所で声をかけてきたのは、夏休みより欠かさず連絡を取り合うようになっていた、さくらだった。
仲のいい友人である木原結菜も一緒にいた。
「何?」
「今日ってもう終わりだよね?」
「今日受ける講義はこれで終わり」
「このあとって時間ある?」
「あー……」
健は返事を濁した。
何かの誘いだろうか。そうであれば考えたいが、さくらの後ろには結菜がいる。結菜がいるということは、さくらと二人での誘いじゃないだろう。
そうなると、守らなければいけない優先順位がある。
意図が読めず、かと言ってどんな用事かも聞けず。いつからこんな損得勘定をするようになったんだろうな、と思っていると。
「乃井ちゃーん。健の先約は、俺」
後ろから、いきなり腕を組まれた。
「残念でした~」
からかうように、大智が意地悪い声を出している。
「大智はいつも健くんと一緒にいるでしょ。今日は譲って!」
「だめだめ。これから健の家に行くんだから」
「バイトなの?」
「違うよ。遊びに行くだけ」
「じゃあ譲ってよ~!」
同じくらいの背丈同士で言い合うのを見下ろしながら、健は大智の腕から逃れる。
そのまま数歩後ろに下がった。やいのやいの、そこに巻き込まれたくはなかった。
すると、さくらの後ろにいた結菜が静かに健の隣に移動してきた。
目線は言い合いをしている二人に向けたまま、話しかけた相手は健だった。
「ごめんね、仁科君。用があるのは私なんだ」
「え? そうなのか」
意外な指名に驚いた。
結菜とは廃校での一件以来の付き合いではあるが、なんとなく、さくらや彼氏である中村省吾を間に介すことが多く一対一で話す機会が少なかった。
別に二人だと気まずいということはなく、ただ本当になんとなくそうだったのだ。
「実はね、見てほしい写真があって」
「写真?」
「うん。夏休みに家族で撮ったものなんだけど、なんか、その……よくわからないものが写ってて」
健はすぐにピンときた。結菜が健に用とは、深く考えずともわかることだった。
ただ、と健は思う。
「俺、たぶん写ってるものは視えるけど、それが何かは分からないと思うぞ」
「そうなの?」
「そういう写真は意識して視たことがないんだ。なんていうか、写真自体を今まで避けてきたから」
「そうなんだ……」
「まぁ、今は避けてるわけじゃないから別に気にしないけど。それでもいいか?」
結菜は少し考えて「……うん、お願いしたい」と答えた。
降り頻る雨の中を四人で移動した。
話が話なだけに大学や人目のあるところは、と大智が気を遣い、さくらがそれに同調した。
結菜は気にしていないようだったが、二人に圧されて頷くと、なぜか行き先は健の家になっていた。
やいやい言い合う中で、健の知らぬうちに『みんなで』行こうと勝手に決められていたらしい。
自室の玄関の鍵を開けたところで、健は「あっ」と思い出す。
「俺んち、コップとかないけど」
振り返ってみれば、さくらと結菜は自らの飲み物は持参していると言う。
大智は頻繁に来ては勝手をしているのでコップの対象外だったが、やけに自慢気な顔をした。
「俺のはあるよ!」
「お前は勝手に置いていくんだろ」
玄関を開けて入ると、慣れたように次に続く大智。
所定の場所にさっさと荷物を置き、ベッドに腰掛けたかと思うとそのまま後ろに倒れた。くつろぎすぎだ。
対して初めてやってきた、さくらと結菜。
一人暮らしのワンルームは大人が四人も入れば手狭だ。きょろきょろと物珍しげにされては気にならないはずもなく、ちょっと気恥ずかしい。
大智がベッドの上からのんびりと声をかけた。
「何もない部屋でしょ~。まぁ気にせず適当に荷物置いて」
誰が言ってるんだと思いつつ、健は荷物を置いて一旦部屋を出る。
すると、健の行動を予測した大智はすかさず起き上がった。
「俺のスウェットも洗っといて!」
「どこにあんだよ」
「洗濯機に入れてあるよ」
部屋を出てすぐのバスルームに置いてある洗濯機を見れば、たしかにスウェットが入っていた。
健は自身の洗濯物も入れてスイッチを押す。
三人のいる部屋からは「大智と健くんって本当に付き合ってないよね?」とさくらの声が聞こえた。大智は「さぁ?」といたずらな返事をする。
健は眉間に皺を寄せてため息をつくと、部屋に戻った。
「まぁでも、お泊まりセットは完備してるよ」
そう言う大智の頭を手のひらで引っ叩く。
「完備、じゃねぇよ。来るたびに物置いてくんじゃねぇ」
「そんなこと言って。ちゃんとしまってくれてるくせに」
「散らかすなって言ってんだよ」
健の部屋は必要最低限の家具しか置かず、色も統一して整然としていた。殺風景といえば殺風景だが、散らからぬようそれを保っていたのだ。
それが、大智が来るようになってからやたら物が増えた。
「来るたびに散らかしてくんじゃねぇ」
椅子に腰を下ろすと、さくらの「私もそのタイプかもしれない……」という小さな告白が聞こえた。
大智には微塵も反省の色が見えなかった。
「……――それで、写真って?」
不要な話は置いておいて、健は本題に入る。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/3/15:『きんこ』の章を追加。2025/3/22の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/14:『かげぼうし』の章を追加。2025/3/21の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/13:『かゆみ』の章を追加。2025/3/20の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/12:『あくむをみるへや』の章を追加。2025/3/19の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/11:『まぐかっぷ』の章を追加。2025/3/18の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/10:『ころがるゆび』の章を追加。2025/3/17の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/9:『かおのなるき』の章を追加。2025/3/16の朝8時頃より公開開始予定。
『怪蒐師』――不気味な雇い主。おぞましいアルバイト現場。だが本当に怖いのは――
うろこ道
ホラー
第8回ホラー・ミステリー小説大賞にエントリーしています。
面白いと思っていただけたらご投票をお待ちしております!
『階段をのぼるだけで一万円』
大学二年生の間宮は、同じ学部にも関わらず一度も話したことすらない三ツ橋に怪しげなアルバイトを紹介される。
三ツ橋に連れて行かれたテナントビルの事務所で出迎えたのは、イスルギと名乗る男だった。
男は言った。
ーー君の「階段をのぼるという体験」を買いたいんだ。
ーーもちろん、ただの階段じゃない。
イスルギは怪異の体験を売り買いする奇妙な男だった。
《目次》
第一話「十三階段」
第二話「忌み地」
第三話「凶宅」
第四話「呪詛箱」
第五話「肉人さん」
第六話「悪夢」
最終話「触穢」
※他サイトでも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる