浄霊屋

猫じゃらし

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鬼灯の道標 2★

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 次の日、行動を開始したのはお祭りが終わり間近になってからだった。
 小さく淡い電灯はほんのりと辺りを照らすが、賑わいの落ち着いた駅前は暗闇が勝っていた。
 それくらい人目を避けなければ外に出られなかったのだ。

 わずかな人の集まりから外れ、灯りの少ない暗闇に1人佇む男性がいた。
 白いTシャツは青白い月明かりを反射してぼんやりと浮き上がっているように見えた。
 駅の裏手、山を見上げる背中はよく知っている。

「——ノセ」

 呼び慣れた名前。久しぶりに口にした。
 彼はゆっくりと振り返ると、数回瞬きをして微笑んだ。
 あの頃より幾分か大人びていた。

「ハセ。久しぶり」

「うん。久しぶりね」

 数年ぶりの挨拶はぎこちなくて、どこか気まずい。
 でも、嫌な感じではない。
 早くなる鼓動は程よく緊張感を伝える。

「妹に呼ばれて来たんだろ? 悪いな、わざわざ」

「ううん。……私も来たかったから」

「……そっか。ありがとな」

 彼の笑みには憂いが含まれている。
 私の首元に手を伸ばし、そっとなぞるのは締められた痕。
 痛々しそうな顔をする彼は、やっぱりあの頃より大人びていた。

「昨日、助けてくれてありがとう」

 謝り出しそうな彼を遮り、真正面から見据えた。
 視線と視線がぶつかり合う。どきりと大きく胸が鳴った。
 向き合えば向き合うほど、私は彼のことをまだ好いてるのだと自覚した。

「……ハセが無事でよかった」

 情けなく顔を崩し、純朴さを覗かせた表情はかつての彼そのもの。
 私が好きだったあの頃のままだった。

 彼の隣に立ち、同じように山を見上げる。
 今日も中腹辺りに光が見えた。そして、そこに繋がるようにも点々と。
 あれはどこへ繋がってるのだろう。

「あそこには何があるの?」

「駅だよ。廃線になってるけどね」

「駅?」

「そう、故人を送る駅。昔は有名だったらしい」

「初めて聞いた」

「この町で故人を迎えて、お祭りでおもてなしをして、あの駅から故人を帰すんだ。だから昔はここのお盆はすごく盛り上がっていたらしいよ」

 ちら、と駅前を見た彼は「今じゃ見る影もないな」と苦笑いした。
 商品を捌くために残っていた出店も、そろそろ撤収の準備を始めている。

「ノセも行くの?」

「……うん。でも、ちょっと探し物をしてるんだ。まだ見つからない」

「探し物?」

「そう。……ねぇハセ。ハセは、来ちゃだめだよ」

「え……」

 どういう意味かと彼を見ると、彼は人差し指を口元に当てた。
 喋るなということらしい。
 そのまま黙っていると、背後から聞こえるのは数名の若い女の子の声。
 反射で振り返るとそのうちの1人が駆け寄ってきたので、私は首を隠した。

「こんばんは。昨日はありがとうございました」

「あ、こんばんは」

 誰かと思えば彼の妹だった。
 お祭りも終わり、門限もあるので友人達と帰るところだという。
 私を見つけてわざわざ挨拶をしに来てくれたのだ。

「あの、これ……。私が持ってるより、ハセさんが持ってくれたほうが兄が喜ぶと思うので」

「何?」

 手のひらに収まるほどの小さな包みは軽く、薄い。

「もしご迷惑でなければ、ですけど」

 包みを開けば見慣れた物が出てきた。
 私も持っているけど、これは彼のものだ。
 薄れた印字はしっかりと彼の名前を記していた。

「……ありがとう。大事にするね」

 彼の妹はホッとしたように笑顔を見せ、大きくお辞儀をして友人達の元へ戻っていった。
 その背中を見送って、隣を見ればもう彼はいない。
 お日様のような匂いだけが残り、風に流されていった。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 時刻は0時を過ぎ、お盆は終わりを告げた。
 風に揺れる木々のさざめき、優雅に響く虫の鳴き声、小動物の活動する物音。
 月明かりの下、やっとたどり着いた山の中腹。
 小さな電灯がいくつも飾られ、柔らかな光に浮き出された件の駅。


「……来ちゃだめって言ったのに」


 ところどころが崩れ、今にも崩壊しそうな駅のホーム。
 ペンキの色など一切残っていない、ささくれだった木のベンチに彼はいた。

「だって、ホオズキが道を照らしてたの。導かれたのよ」

 彼は「バカなことを言うな」というように眉を寄せて眉間に皺をつくった。
 私の言った意味はわかるが、信じられないようだ。


 山を登ってくる際に気づいた、道を照らす電灯の違和感。
 ただの小さな電球だと思っていたのだが、面白い笠をつけていた。

「なるほど、ホオズキ祭」

 ホオズキの葉脈だけを残し、中に電球を入れたホオズキランプが正体だった。
 白い網目の笠は一つ一つが不規則に歪な形だが、それが逆に良い。

 ホオズキは仏花として飾るのが一般的だ。
 形が提灯に似ていることから、故人が帰ってくる道標としての理由を持つ。

 お祭りの会場にこれを飾ることで、故人を迎えていたということだ。


 そして、かつて・・・はそこから山の駅への帰り道も示していたのだろう。

「そんなはずない。ここ数年、この駅にも山道にも灯りはつけていないんだ」

「……だから、導かれたのよ」

 山道の入り口には『立ち入り禁止』の看板があったし、途中には崩落の跡もあった。
 祭りが廃れたのではなく、自然災害によって自粛されているのだ。
 それでもホオズキの提灯が照らした道は、私だけが通ることを許された道。

「探してるのって、これでしょ?」

 彼に渡したのは、彼の妹に渡されたもの。
 印字の薄くなった彼のICカードだ。

「それ、どこで……」

「妹さんが持ってたよ」

「なんだよ、あいつが持ってたのか……」

 大きく息を吐いた彼は脱力して、ベンチにもたれた。

「そんなに大事にしてくれてると思わなかった」

 日常使いのICカードなのでそもそも大切に持っているものだが、それだけではなくて。
 カードの思い出も、私達の思い出も、彼はずっと大事にしてくれていた。

「……なんか聞いた?」

「うん。私を呼んだ理由」

「なんて?」

「スマホのデータ」

 それだけ言うと、彼は頬を染めて気まずそうに口籠った。
 両手で顔を覆い、勘弁してくれ…とつぶやいた。

「私の写真、たくさん残ってたって」

「やめて……」

「メールも」

「ほんと、やめて……」

「着信履歴まで残すのはどうなの?」

「ごめん、ほんとごめん……」

「いつまでも残してちゃだめでしょ」

「未練しかなかったもので……」

 まだ顔を覆ってる彼の両手をどかす。
 ひんやりと氷のように冷たい手は、昔の彼とは違うことを明確に伝えてくる。
 胸が締め付けられて、苦しくてしょうがない。
 私を見上げる、頬を染める彼は本当はここにはいないのだ。


「なんで死んじゃったの……」


 すがりついた彼の体は冷たくて、まるで雪に触れているかのように脆い。
 あんなに力強く頼もしかった腕は、今では少し力を入れて触れれば掻き消えてしまいそうで。
 彼の存在そのものが、ホオズキランプの光のように淡い。

「ごめんな……」

 それでも、私を受け入れてくれる胸は変わらず広くて、安心感があって。
 お日様のような優しい匂いがするのは、昔のままだと思い出した。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 柱には亀裂が入り、天井が落ちかけている。
 ホームの一部は老朽化で崩れ、線路は背の高い草で埋もれていた。
 そんな朽ちた駅をほんのりと照らすいくつものホオズキの提灯。

 風がそよげば草木が揺れ、葉のぶつかり合う音が流れていく。
 虫の音を聞きながら話すのは、彼との思い出のことばかり。
 他愛もなく、なのにくすぐったくて、お互いに自然と笑みが溢れた。


 そうして楽しい時間を過ごせば、夏の短い夜などあっという間に明けていくもので。


 気の早い小鳥が鳴き出せば、彼との別れがもうじきなのだと気付かされる。
 笑いながらしゃべる彼の手をぎゅっと掴めば、彼もそれに応えてくれた。

「……どうした?」

「もうちょっとだなと、思って……」

 顔を伏せる私の頭をポンポンと撫でて、彼は「そうだね」と言った。

 夜が明ければ彼は消える。
 送り盆も過ぎて、今ここに残っているのがそもそも問題なのだが、それに対しては何も言いたくなかった。
 彼は導かれて消える。それが当たり前で、正しいことなのに。
 寂しさや悲しみを隠すことができなかった。

「ね、ハセ。俺のICカード持っててよ」

 俯いたままの私に彼が言う。

「俺とハセの思い出。残せるの、これくらいしかないから」

 私の手にICカードを握らせて、彼は手を離した。
 小さくて、薄っぺらくて、なのに彼よりしっかりと存在している。
 思い出の詰まったICカードは確かに一度譲り受けたが、彼を目の前にしてしまうとやっぱり必要なくて。

「形見なんかいらない、ちゃんと私にノセを残してよ……」

 伝う涙を隠す余裕などなかった。
 思うままに伝えれば、彼も情けなく顔を崩した。
 彼の両手が私の顔を包み込み、そのまま引き寄せられる。

 冷たくて、実体のないキス。

 彼を忘れないように。
 しっかりと刻み込むように。
 何度も何度も唇を合わせた。
 飽きるほどに貪って、冷たい彼の中に熱を求めて探した。



 空が白み始めた。
 彼の腕の中で、たった一時の幸せを噛みしめる。
 ぎゅっと締め付けられる力強さ、彼の魂の重さ。どちらも、脆くて危うい。

 だんだんと、薄くなっていく。

 手放したくないと、彼の背中に腕を回してしがみついた。
 私の首筋に埋もれた彼の口から、ふっと笑った息が漏れた。

「ハセを連れていってしまいたい。悪い奴だな、俺」

 耳元で囁かれる低い声にぞわっと鳥肌が立った。
 彼の背から頭へと腕を移動し、今度は頭に抱きつく。
 彼の耳元へ囁き返した。

「私も、つれていってほしい」

 治まらない鳥肌は嬉しさのあまりだ。
 誰がなんと言おうと、今私達は幸せの絶頂にいる。
 この後、数秒で絶望に変わろうとも。
 彼が愛しくて、縋っていたくて。

「ハセ、大好きだよ」

 薄れゆく彼からの最後の口づけを受けて、私も答えた。

「私も、大好き」



 木々の間から朝陽が差し込んだ。
 小鳥達はさえずり、朝の爽やかな風が夜の闇を払っていく。

 ホオズキの提灯から灯りが1つ、また1つと消える。
 彼の姿はとっくに私の腕の中にはなくて、お日様の匂いだけ残した。
 寂しさや悲しさはない。
 ぼんやりとした頭で、確認した。

 最後のホオズキの灯りが消えた。



 闇の中、点々と続いていくホオズキの提灯は1つの道を示している。
 ただそれに従えばいいだけ。
 手の中に、小さくて薄っぺらい確かな感触を残して。

 私は、彼のもとへ堕ちていく。




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