76 / 95
それぞれの在り方 1
しおりを挟む旅館が建ち並ぶ温泉街。
風に流れて鼻を掠める湯の匂いはそれぞれで、どの旅館にも人が絶えず出入りしている。
お盆休みのとにかく忙しいであろう繁忙期。
招かれたのは、その温泉街でも特に老舗と見て取れる大きな旅館。
通された十畳ほどの和室で、健と大智に挨拶をしたのは、年配の女将だった。
「当旅館にご足労いただき、ありがとうございます。女将の浅香と申します」
「浅香さん。あなたが依頼人ですね」
「左様でございます」
女将が顔を上げる。
人前に立ち、振る舞いに気をつけなければいけない仕事のせいか実年齢よりは恐らく若く見える。
着馴染んだ着物に、目尻に出る薄らとした笑い皺が妙に艶めかしい。が、それを隠してしまうほどの疲れ切った様子がなんとも痛ましく見えた。
今度は大智が頭を下げる。
「依頼を承りました、長谷です。こちらは仁科」
「どうも」
大智が紹介してくれたので、健は短くあいさつをする。
「この度はこのような形での依頼になり申し訳ございませんでした」
「詳しいことは伺っています。宿泊客として紛れても良かったのですが、限度がありますので……。こちらの提案を受けていただきありがとうございます」
「いいえ、こちらとしては人手は助かります。なるべく本業に差し支えないようにはさせていただきますので」
「ご配慮感謝します。でも、仕事は普通に振っていただいて大丈夫です。そのほうがスムーズに動けますから」
力仕事もお任せください、とひ弱な二の腕を叩いて見せた大智に、女将は表情を和らげた。
「滞在中はこの部屋をお使いください。仕事着は後ほどお渡しします。では、明日からよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして、健と大智の住み込みバイトが始まった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
バイトの仕事として割り振られたのは主に清掃だった。
客室清掃はもちろん、利用時間外には浴場の清掃もある。旅館内のありとあらゆる所を任され、自由に動けるようにとの女将の気遣いだ。
作務衣を着た健と大智はあらかたの業務を社員に教わり、早々に個々で動き回っていた。
そのおかげで今回の対象者を怪しまれることなく観察することができた。
「浅香ゆかり。若女将で、あの女将さんの娘だよ」
客室清掃をしながら大智が話し始める。他に従業員はいない。
健は布団から使用済みカバーをはがし、大智は忘れ物がないか確認している。
「おかしな様子になったのは半年前。ふとした時に、何かを探してさまよったり空虚に話しかけるようになったらしい」
それは、健もこの旅館に至るまでの道中で聞いていた話だ。
一楓がまず依頼を受けてその話を聞き出し、又聞きとなった健と大智で内容を整理する。
「見てる感じ、若女将としておかしなところはなかったけどな」
「そう。人目があると普通なんだって。でも、休憩や業務が終わると……」
「様子がおかしくなるのか」
「それを女将さんや他の従業員が確認してる」
そういうこともあり、今回は宿泊客を装って若女将に近づいても核心に触れることはできないのでは、と予想した。そのための住み込みバイトだ。
提案したのは一楓で、たしかにちょうどいい振る舞いができるのだが、健にはなかなかにハードルの高いことをねじ込んでくれた。
旅館といえば接客。接客といえば愛想。
運良く裏方業務に回されたが、部屋の案内や荷物持ちまで任されたら本末転倒になっていたかもしれない。
女将の配慮に心底ほっとしたのだった。
健はカバーをはがし終えた布団をたたみ、押し入れに積み上げていく。
「最初はみんな、あんなことがあった後だからって心配してたらしいよ。でもそれが続くと気味悪がられるようになる。若女将は取り憑かれた、なんて言う人まで出てきた」
大智があえて伏せて言う。
そこが重要だとわかっている健は、さらにあえて別の角度に矛盾がないか突く。
「この旅館には何かないのか?」
「調べたけど、そんな噂はなかったよ」
健が布団をすべてしまうと、今度は大智が窓を開けて畳を箒で掃いていく。真夏の熱気が一気に入り込んできた。
健はテーブルや備品の汚れを拭いた。
「だから、女将さんは不安になったんだよ。原因はそこにしか考えられないって」
「話の流れからしてもまぁ、疑うのは仕方ないけどな……。精神的なものが続いてるとは考えないんだな」
「考えるまでもなかったんじゃないかな。だって、若女将は望んだ結婚をしたわけじゃなかったから」
大智がゴミをまとめ、健が部屋の最後のチェックをして清掃は終わる。
けれど、大智との話が終わっていないので換気のために開けた窓をまだ閉めずにいた。じりじりと部屋の温度が上がり続け、汗が滲んでくる。
「政略結婚だったらしいよ。半年前に亡くなった旦那さんとは」
「政略……じゃあ、なんで連れていかれると思うんだ? なんか恨みでもあったのか」
「そこまではわからないけど。女将さんが言うには、政略結婚を持ちかけたのは旦那さんだったらしいよ。結構しつこかったって」
「しつこい……?」
つまり、それほど家と家との繋がりに利益があったということだろうか。
渋々の結婚。今の時代に、と思う。そこに怨恨が生まれてもおかしくないかもしれないが……。
だが、やっぱりそれでなぜ旦那が『連れていこう』とするのかわからない。
結婚が成立したのなら、旦那にとっては恨むことなど何もないように思える。
「若女将が結婚を受けた理由は?」
「この旅館の存続だよ。一時は危なかったらしい」
「亡くなった旦那が援助したってことか。で、旦那は何を得たんだ?」
「若女将だよ」
大智はハッキリと言った。
健は眉を寄せる。若女将を手に入れることが、旦那側になんの利益だったんだろうか。
大智とのやりとりを思い返して、わざわざ女将が言って伝えた言葉にやっと意味が繋がる。
「あぁ、しつこいって……一方的に好意を寄せてたってことか?」
「その手に鈍い健が、聡くなったね」
「うるせぇ」
健はパン、と窓を閉めた。外からの熱気が止む。
冷房のつけっぱなしだった室内にようやく冷気がまわる。
「で、女将の言い分が通るわけだが。大智は若女将のそばになんか視たか?」
そもそも、話を整理したかった一番の理由はこれだ。
大智は首を横に振った。健はやっぱりな、と息を吐いた。
「俺も旦那らしいやつは視えない。隠れてるのか、結局は若女将自身の問題なのか……」
「健は、旅館内には他に視える?」
「まぁちらちらと。でも、その中に旦那がいてもわからないな」
「若女将のそばにいないんじゃ、どんな人だったか探らないとだね」
「女将に確認しといてくれ。俺は旅館内にどんなやつがいるのか把握しとく」
「ん、わかった」
部屋の中が涼しくなり、動いていた分の汗はだいぶ引いた。
まとめたゴミを片手に持った大智が部屋の扉を開けようとしたところで、健はなんとなく疑問を口にした。
「自分が先立ったからといって、大事な人を道連れにしたいと思うもんなのかな」
大智が振り返る。見開いた瞳が、どうしてそれを聞く? と問いかけるようだった。
そしてすぐに目線を斜め下に投げる。
伏せられた瞼に、わずかに怒りが見えた。
「……中にはね、そういうやつもいるよ。すごく身勝手だし、残された方には迷惑だ」
吐き捨てて、大智は部屋を出た。
健は声をかけられなかった。
大智がなぜそんな反応をしたのか。わずかに見えた怒りは、何を意味するのか。
まるで経験したような言い方には疑問しか残らなかったが、足早に遠ざかる背中にそれを問うことはできなかった。
きっと理由を聞いても、またいつものようにはぐらかされるだけなのだろう、と。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/3/11:『まぐかっぷ』の章を追加。2025/3/18の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/10:『ころがるゆび』の章を追加。2025/3/17の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/9:『かおのなるき』の章を追加。2025/3/16の朝8時頃より公開開始予定。
2025/3/8:『いま』の章を追加。2025/3/15の朝8時頃より公開開始予定。
2025/3/7:『しんれいしゃしん』の章を追加。2025/3/14の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/6:『よふかし』の章を追加。2025/3/13の朝4時頃より公開開始予定。
2025/3/5:『つくえのしたのて』の章を追加。2025/3/12の朝4時頃より公開開始予定。

本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる