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隠伏する気配 5★
しおりを挟む場所は変わって坂下少年の病室。
必要最低の明かりしかない病棟内を坂下少年に先陣を切らせ、見回りの看護師をかわしてようやくたどり着いた。
見つかったらどこに突き出されるかわからない恐怖に冷や冷やと嫌な汗がたれた。
扉の隔たりを経て、ようやく安堵の息をつく。
「ふー。スリル満点だったね」
同じく息をついた大智が、どこか楽しげに言った。
「ごめん、付き合わせて。ついてきてくれてありがと」
「お礼なら、俺じゃなくて健に言ってあげて。最後まで一緒にって先に言い出したの、健だから」
坂下少年が横目でちらりと健を見た。
いまだ警戒心が拭えないらしく、複雑そうな面持ちをしている。
が、すっかりと大智に絆されていたようだ。
感謝の言葉は意外にもすんなりとその口から出てきた。
「あの、あんたも。……ありがと」
「……どういたしまして」
理由の半分は、実は好奇心だなどとは口が裂けても言えない。
やり取りを見て、大智がくすりと笑った。
「あれでも心配してるんだよ。下手くそなんだ」
「大智、余計なこと言わなくていい」
くすくすと続ける大智に、健は顔をしかめて咳払いをした。
幽体離脱している者がどうやって体に戻るのか。きっかけがあって戻るのか、体を重ねさえすれば戻れるのか。それを知りたい好奇心だった。
だが、掘り下げればその好奇心も『ちゃんと体に戻れるのか?』に繋がる。
大智はそれをわかって、笑い続けているのだ。
「やばい奴ってのも気になるしな。いろいろと考えて、だ」
健が言うと、大智は笑いを収めた。
この病室に来るまでに、というより。病院に入り浸ってからそのような存在とは、まだかち合っていないのだ。
坂下少年がやばいと言う通り、健もまた違う意味でそいつはやばいのだと考えている。
「どんな奴だ? お前は会ったことがあるのか?」
坂下少年に問う。
「2、3回だけ。最初は普通の看護師だと思ったんだけど……」
「そいつは看護師なんだな」
「そう。夜だけ、病棟内を徘徊してるんだよ。めっちゃ怖い」
「それは怖いね。ありがちな怪談話だ」
「それは違うな」
大智が坂下少年に共感したところで、健は否定した。
首を傾げた大智に、確認するように健は疑問を投げかける。
「大智。この病院で、彷徨う霊を坂下少年以外に見たか?」
「そういえば、見てないかも」
「少年、お前は? その看護師以外に、他に会ったりしたか?」
「会ってない。けど、それが何? いるのが普通なの?」
少年の考えは純粋だ。
健と大智を前にして、それが少年にとっての当たり前。
健は目を伏せて、低く答えた。
「いるのが普通なんだ。視える俺たちにとっては。特に、病院という “死” に繋がりやすい場所は」
だけど、と続ける。
「この病院は静かだ。そういった気配がまるでない。うまく隠れているのか、そもそもいないのか。……いないのだとしたら、なぜ? 徘徊する看護師は、」
何をしている?
言い終える前に、病室の扉が控えめにノックされた。
コンコン。コンコン。
わっ、と慌てふためく大智。
坂下少年に引っ張られ、みんなでベッドの陰に身を潜めた。
直後に、スッと扉が開く。
ペタペタと、サンダルの足音が近づいてきた。
ベッドの前で立ち止まり、そのまま静止。
無言で、ゆらゆらとうごめく気配を感じた。
「……?」
健と大智が顔を見合わせる。
静寂に包まれた病室内に、言い知れぬ不気味さが漂い始めた。
坂下少年がカタカタと震え出す。
「————……?」
女性の声。
ぽそりと、聞き取れないほどに小さかった。
だが、次の言葉は聞き取れた。
「お手伝いしましょうか……?」
張り詰めて、息が止まる。
生を感じない声に身の毛がよだった。
汗を垂らす大智の手をゆっくりと掴んだ。
目配せをし、取り乱すなと忠告する。
が、一瞬遅かった。
「お手伝い、しますよぉ……」
ベッドを乗り越えたそいつは、傾げる首でぎょろりと健達を見下ろしていた。
ひゅっ、と喉で変な音が鳴った。大智は絶叫し、ばたばたと立ち上がろうとしてひっくり返っている。
同じく叫び、逃げ出そうとする坂下少年を健はとっさに捕まえた。
「お前は体に戻れ!」
勢いで、ベッドの上に向けて腕を振り払った。
看護師姿のそいつはその瞬間に姿を消したが、ぞわりと鳥肌が立つ。
触れていないからこその恐怖。
捕まえた坂下少年を、坂下少年の体に押しつけた。体が重なる。
ふぅぅぅ、と体が深く息を吐いたのを確認して。
腰を抜かしている大智に肩を貸し、健は病室を飛び出した。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「坂下君はちゃんと体に戻れたみたい。うん。ありがとう、大智。健くんも、お疲れさま」
スマホに耳を当て、一楓は窓際に立った。
白み始める空を見上げ、ふふっと笑いを漏らす。
「大智の絶叫、ちょっとした騒ぎになってたよ。見つからなくてよかったね。……あぁ、うん。それは大丈夫。害はないから」
一楓がちらりと振り返る。
窓際から離れ、ベッドを挟んだ向かい側。
佇む年配看護師は、不機嫌そうな顔をして腕を組んでいた。
「本当に。害のない人よ。ちょっとね、仕事熱心なだけ。健くんにもそう伝えて」
一言二言。
心配そうな大智に「大丈夫」と伝え、通話を切った。
白髪まじりの看護師が、待ってましたと口を開く。
「まったく、若造共」
「優秀でしょ? 私の弟子達」
看護師は大げさに「やれやれ」という仕草をした。
にこやかな一楓を見て、ため息をつく。
「……仕事ぶりはまぁまぁ。でも、私を見て逃げるんじゃまだまだ」
「それは師長が怖いから~」
「何が怖いって! 私は手伝おうかと言っただけだよ!」
「あの健くんまで逃げちゃうなんて。ふふっ」
「失礼な子達だよ。心配して声をかけたのに」
ふんっ、と。
看護師はまた腕を組んだ。
一楓はくすくすと笑う。
「師長の心配は伝わりにくいね」
「報われなくて悲しいよ、私は」
「私は師長が頑張ってるのをよく知ってるわ。おかげで、この病院はとても静かで居心地がいいもの」
自分に害になるものがいなくて、と。
看護師の顔がようやく緩んだ。
腰に手を当てて眉を下げた看護師は、本来の世話好きな表情に戻った。
「未練残して病院を彷徨ってる患者さんは、私がみーんな送ってやってるからね」
「逃げてるとも言うけどね」
「ちゃんと優しくやってるよ! 失礼ね!」
看護師はカラカラと笑う。
つられて一楓も笑い、射しこむ光に再び空を見上げた。
夜明けだ。
「……ねぇ、師長。あなたがいなくなっても、この病院は大丈夫だってわかったでしょう? そろそろ、考えない?」
「私は私のタイミングで行くよ。ちょっとの未練も残したくないからね」
「未練なんてないくせに」
呆れて言う一楓に、看護師は一楓よりも呆れた顔をして見せた。
ベッドに眠るその子の頭を、我が子のように優しく撫でる。
「あんたのこと。いつまでもふらふらとしてないで、はっきりなさい」
「わぁ。辛口」
「当たり前でしょう。私は見届けるまで、残りますからね」
「また、何かあったらよろしく」
それだけ言い残し、看護師は姿を消した。
病室には規則的な機械音だけが響く。
「……私は、もうちょっと。あの子達を見ていたいから」
だんだん眩く、受ける日差しが暖かい。
目を細めた一楓は顔を背け、窓際から離れた。
床頭台に置かれた花瓶に目が止まり、あっ、と思い出す。
「大智にお花のお礼言うの、忘れちゃった」
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