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身代わりの雛 1
しおりを挟む「この度はご足労いただき、ありがとうございます」
疲れきった顔で頭を下げたのは、この家の大黒柱である登坂 康二だ。
歳は35。奥さんと2才の娘の3人家族。場所は、都心から小一時間ほどの郊外だ。
「依頼を受けました、長谷 大智と……」
「仁科 健です」
「内容は把握していますが、もう一度詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか」
通されたリビングに、依頼主である登坂、大智、健の3人がテーブルを囲み座っている。
一楓を通して依頼内容は聞いているが、人を介して聞くのと直接聞くのとでは内容が違ってくることがある。
特に、今回のように依頼主の元へと出向く場合は。
簡略された依頼内容より、さらに詳細に聞くことができる。
「はい。ええと……依頼したのは、娘のひな人形のことなんですが。様子がおかしいんです。ひな壇から落ちていたり、腕が折れていたり……首も。それが、何度もあるんです」
「頻繁にですか?」
登坂は問いかけた大智に静かに頷く。
そして、話すのも気味が悪いというように目を伏せた。
「飾っている間、だいたいひと月ほどでしょうか。必ず一度か二度は。飾っていない間は……仕舞ってある箱の中で、同じことが起こっているようです」
「同じこと?」
「毎年、箱を開けると必ず人形が壊れています。雑に扱ってしまったかなと最初は気に留めていなかったんですが……最近、気づいたんです。箱に仕舞ってある間は、箱の中から音が聞こえるんです」
「それは……」
「ネズミだったり、虫かとも思いました。でも違うんです。いくらそっちの対策をしても、効果がないんです」
前のめりに訴える登坂は、顔色をすっかりと変えてしまっていた。
ひな人形を出しているだけの出来事なら、まだ。しかし、それが見えない所で続いているのだと気づいてしまっては……。
「今は人形だけで収まっています。でも、いつかそれが娘や妻にいくかもしれないと思うと……」
登坂はそこで言葉を切ると、ハッと振り返る。
閉め切られた戸襖。リビングにはもう一間、部屋があるようで。
息を呑んで、登坂はそこを見ていた。
「……登坂さん?」
「今、聞こえませんでしたか」
「えっ? いえ、俺には何も。健は?」
「俺も何も」
「いや、きっとまた何かが落ちたんだ。また……」
物音に神経質になっているらしい登坂は、恐々とつぶやいた。
健は立ち上がり、戸襖の前に立つと登坂に確認する。
「ひな人形はこの部屋に?」
「は、はい。桃の節句が近いので飾ってあります」
「開けても?」
「……どうぞ」
スッと襖を滑らせる。
その奥にあるのは、8畳ほどの和室。
普段はここが子供部屋になるのだろう。おもちゃ箱が並んで置いてあった。
そして、その部屋の中央。
どん、と構えて迫力のあるひな壇が、健と向き合った。
「うわぁ、すごい。立派なおひな様だね」
大智が健の肩越しに声を上げた。
健もまた、心の内では同じことを思った。
七段飾りのおひな様。
最上段は健の目線よりは少し低く、大智がちょうどくらいの高さ。
整然と並んだ人形たちが、皆こちらを見ていた。
「……落ちてるな」
ひな壇の下、畳の上。
転がる小さなものに健は近づき、拾い上げた。
楽器を持った小さな腕。
無情にも根本からぽっきりと折れていた。
健は人形をひとつひとつ確かめて、その腕の持ち主を探す。笛を持った、五人囃子の1人。
本体を手に取り、眉根を寄せた。
「……登坂さん。ひな人形は中古のものではないですよね?」
「新品です。それは、祖母が——娘からすると曽祖母ですね。お祝いにと、買ってくれたものです」
「新品。で、これですか……」
登坂は健の言わんとすることを理解して頷く。
理解のできない大智は登坂を見たが、答えは得られず。恐る恐る、といった様子で和室に入ってきた。
健の後ろから、改めてひな壇をまじまじと眺めた。
「う、わっ…………!」
健の手に持つ人形。
そして、飾られている人形。
そのどれもに、いくつもの修繕跡があった。
登坂から聞いていた「落ちていたり、折れていたり」とは違う、顔に入ったひびも1つや2つではない。
「わかっていただけたでしょうか。直しても直しても、キリがありません。不気味で仕方がないんです。私は仕事で家を空けるのでまだいいですが、妻と娘はさぞ怖かったでしょう……」
「そういえば、奥さんや娘さんは?」
大智が問うと、登坂は寂しそうに小さく笑った。
どこか困ったように、でも諦めたように。
「実家に帰ってしまいました。ひな人形を出した際に、少しケンカになりまして」
「あ、それは、すみません……」
「いえ、いいんです。それで、その……どうなんでしょう? 何かわかりますか」
そう問われた大智は瞬きをし、健に視線を送る。
健は人形を元の場所に戻すと、大智の視線に気づいて代わりに登坂に答える。
「このひな人形になんらかの問題……依頼をしてきたような理由があるなら、まだなんとも言えません」
「わからないということですか?」
「現段階では。例えば、悪さをする何かが取り憑いているとして。見ず知らずの人間がやってきてすぐに、姿を現すことはほとんどありません」
「では、どうすれば……」
「様子を見たいので、少し時間をいただけますか」
「それはもちろん構いません」
「ひとまず今日と明日。近くにホテルを取りますので、何かあったらすぐに連絡を入れてください」
大学はまだ春休みに入っていない。
登坂と、お互い都合のいい曜日に、と合わせたのが週末だった。
明日も大学は休みなので、念のために健と大智は一泊分の用意をしてきていた。
「ホテル取っちゃうね」と大智がスマホを取り出すと、登坂がそれを慌てて止める。
「あの、よろしければうちに泊まってください」
「えっ、でも。それは悪いです」
「君たちは学生さんでしょう。宿泊費がかかってしまいますし。……それに、泊まってくれたら私が心強い」
情けないですが、と登坂は続ける。
「妻も娘もいません。この家にひとりでいるのも、限界で。見ないテレビをつけて、大音量にして誤魔化しているんです」
今日は健たちが来るからテレビを消しているのだろう。そして、きっと和室の襖も閉めきって、なんとか物音が聞こえないように毎日をやり過ごしているのだろう。
登坂の疲れきった顔がそれを物語っている。
「……では、お言葉に甘えて」
「え、ちょっと健」
「正直、呼ばれてから来るんじゃ間に合わないかもしれない。それに……」
健はそこで言葉を切る。
不安げな登坂と目が合い、大智もそれに気づく。そして、頷いた。
「わかった。……登坂さん、申し訳ないのですが一泊だけお世話になります」
「はい、むしろ、ありがとうございます。今日は私も、久しぶりに気が休まりそうです」
登坂は、ほっと安堵したように顔を緩めた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
勧められた客間を断り、健と大智はひな壇のある和室を使わせてもらうことになった。
大智は嫌な顔をしたが、見張らなければいけないのはこのひな人形だ。
原因である可能性があるものは家の中にいくつかいるが、この部屋にもそのひとつがいる。
「大智はなんか視えるか?」
「うーん、ちらほら。というか、健が視えないものを俺が視えるわけないよ」
「そんなことないって」
健は用意された布団に、ごろんと横になった。
時刻は丑三つ時。眠るわけではないが、ずっとひな壇を警戒しているので疲れてしまう。
徹夜にもずいぶん慣れたもんだと、どうでもいいことを考えて少し目を閉じた。
「俺はたしかにいろんなのが視えるけど、相性はある。視えないものもいる、らしい」
「らしい、っていうのは」
「ばあちゃんに聞いた話だから。気とか、波長とか」
「へぇ~。じゃあ俺に視えて健に視えないのがいるかもしれないんだ」
「そう。だから、今後はその辺のこと擦り合わせていったほうがいい」
「おっけー。健は何が視えてる?」
大智はおそらく、今の話の流れから何の気なしに聞いたのだろう。
そして健は聞かれた通り、原因ではなさそうなものを順々に口にする。
大智も視えているだろうと、答え合わせのつもりだった。
「風呂まわりをうろついてるのが1人。トイレにもいたな。リビングの窓からも覗いてる奴がいる。それと……」
害はなさそうだが、ひとつの家に対して少し多い気がする。
曰く付きとなってしまっているひな人形が呼び寄せるのだろうか。空っぽの人形は、身体のない者の拠り所になりやすい。
そして、健が一番警戒しているのはこの部屋。
健と大智が来た時からずっといる、そいつ。
「——お前の後ろの、その首。床から生えてる」
「ぎゃっ!!」
座った体勢から器用に跳んだ大智は、寝転がる健の上に覆い被さった。
「どこ!? いつから!? 俺視えないんだけど!!」
「ぐぇっ……重、どけろっ」
起き上がった健は大智を手で押し退けるが、こういう時の大智はやたらと力が強い。
縋り付いて離れず、ぎゃーぎゃーと騒ぐ。
「うるせぇ! 迷惑になるだろ!」
「ご、ごめん。でも無理なんなの怖いんだけど!」
「あー、言わなきゃよかった。てっきり視えてるもんだと思ってたのに」
「視えてたらとっくに騒いでるよ!」
「わかったから静かにしろって! もう離れろ、首も驚いてどっかいっちまったじゃねぇか」
今度こそ、ぐいと大智を押し退ける。
しぶしぶ離れた大智は涙目で、頭から布団をかぶってしまった。
「なんで健は怖くないんだよぉ」
「俺だって最初はびっくりしたぞ。さすがに生首は」
「生首って言わないで!」
布団をかぶったまま、大智はずりずりと健に近寄る。
何がなんでもくっついていたいという魂胆に、健は渋い顔をした。
「ひっつくな」
「怖いんだもん。いいじゃん、俺と健の仲でしょ」
「腐れ縁だろ。そっちいけ。もうお前は寝ろ」
しっしっ、と手で払う。
その態度にムッとした大智は足取り荒く自分の敷かれた布団に戻り、頭すら出さずに籠城した。
その中でぼそりとつぶやく。
「俺、首とは気が合わなくてよかった」
「……あ?」
聞き捨てならず、健は布団の上から大智を踏みつけた。
すごく嫌味がこもっていた。
暗に、変なものと気が合うと言われた気がした。
「やめて!」と大智はもがくが、健は足で押さえつけて嫌味を込めて口角を上げる。
「俺と大智の仲なんだろ? お前もそのうち、気が合うようになるさ」
ゾッと顔色を変えた大智に、ふんと勝ち誇って解放してやる。
騒がしいものがようやく大人しくなった。
時刻はまだまだ夜明け前。
その後は何も起こることなく、静かに夜が明けていった。
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