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モズの家 2
しおりを挟む大智を追って曲がり角を曲がると、車一台がようやく通れるほどの小道に入った。
まばらに並ぶ街灯に、建ち並ぶ家々の室内からは灯りが漏れる。
小さな子供のはしゃぎ声。
人の気配を察した小型犬の吠え声に、ニュース番組の音。
静かで暗い通りを、大智は足を止めることなく歩いていく。
まるで、以前からここを知っているかのような足取りで。
ひとつ道を間違えれば、行き止まりにもなりそうなほど入り組んでいるのに。
大智はまた角を曲がった。
もう、いくつも曲がっていた。さくらと別れた通りからはずいぶんと離れたように感じる。
そして、やっと足を止めたのはごく普通の一軒家の前だ。二階建ての白い家。
植木でぐるっと目隠しの囲いがされ、玄関横には車一台分の駐車スペース。
今は車はない。
——と、いうより。
家の中に灯りはなく、暗くてはっきりとしないが、人気がない。
留守だから? いや、違う。
健は、玄関の扉に手をかける大智に声をかけた。
「大智。何してんだ」
「…………」
ゆっくりと振り返った大智にかぶるように、少年のような影が見えた。
虚ろな瞳は、少年のものが大智にも影響している。
健は大智の腕を引いた。
急なことに大智は大きくよろけ、健に倒れ込むようにもたれた。
大智の瞳が、ハッとした。
「……あれ?」
「大丈夫か?」
「うん。……うん? ここどこ?」
「覚えてないのか?」
「覚えてな……あ、どうだろ。覚えてる気もする。なんか……」
すごく怖かった。
ぽつりとつぶやいて、大智の肩が震える。
「ひとりぼっちだったんだ。寂しくて、悲しくて……。でも……あぁ、よくわかんないや。後悔もあるのかな。なんなんだろ、この気持ち」
「大丈夫か」
「……大丈夫。よくわかんない気持ちだけど、これは俺のじゃないから。これは……あの子のだから」
大智が顔を上げる。
健も同じく、家の玄関を見た。そこに佇んでいる少年を。
まだ進学したばかりほどの、中学生。
大智よりは少し低い背丈で、眼鏡をかけた男の子。
寂しげなオーラに、貼り付けたような無表情。
健と大智を見ていたが、ふいと消えてしまった。
家の中に入ってしまったようだった。
「あの子……」
「知ってるのか?」
「墓地にいた子。いつも寂しげで、よく目が合ったんだ」
言い終えて、大智はハッと口を押さえた。
まずいことを言った。という顔から、あれ? と思い直す顔に。
表情がコロコロと変わって、どもりながら健を窺う。
「えっと、健はなんでここに……?」
「お前の様子がおかしいって連れてこられたんだ」
誰に? そんな表情の大智を無視して、健は身を震わせた。もう、寒さが限界だ。
「寒い。帰ろうぜ」
「え、ほっとくの?」
「仕事じゃないし、俺は首をつっこみたくない」
「でも……」
「大智。お前、取り憑かれたんだぞ」
健が来たことで何事もなく離れたが、あのままだとどうなっていたかわからない。
害意はなくとも、大智に取り憑いた時点で健としては敵認定だ。
これ以上、大智を近づけたくない。
「そうだよ、取り憑かれた。……だから、あの子の気持ちがわかったんだ。俺、ほっとけないよ」
「お前なぁ……」
「俺には健がいる。寂しくても悲しくても、健が励ましてくれる。だから大丈夫なんだ。でも、あの子は違う」
「…………」
「健は先に帰っていいよ。俺だけで行ってくる」
大智はそう言うと、玄関の扉に手をかけた。
ガチャリ、と重たい音。空き家にしか見えないのに、鍵はかかっていなかった。
物が何もない、殺風景な玄関。続く廊下にはひんやりとした空気が漂っているように見え、やはり空き家だと確信する。
一瞬踏みとどまった大智は、意を決して玄関へと足を踏み入れた。
そして、後に続こうとした健を阻むようにして、扉は驚くほどの早さで閉ざされた。
「大智!」
健は扉を開けようとするが、ガチャガチャと引っかかり開きそうにない。鍵をかけられた。
おそらく、それは大智ではない。
扉を拳で叩く。
「大智! 開けろ!」
静まり返った住宅地。
それを気にする余裕もなく、力いっぱい扉を叩いた。
それでも大智からの反応はない。
健は急いでリビングであろう掃き出し窓へまわった。
暗い室内。街灯からのうっすら差し込む光が、気持ちばかりにと中を照らす。
まっさらなリビング。カーテンもなく、遮るものは何もない。
それなのに、そこにいる大智は健に気づくことなく。
いくら窓を叩いて声を上げても、ちらりとも見ない。
「くそっ!」
邪魔をしているのはあの少年だ。
大智を閉じ込めて、一体何をするつもりだ。
最悪、窓を割らなければならないかもしれない。
入り込める窓を探すため、健は家の周りを走り回ることになった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
意を決して玄関に足を踏み入れた瞬間、背後でガチャリ、と重たい音が響く。
振り返れば扉が閉まっていた。大きく開いていたはずなのに、すぐに閉まってしまったことに驚いた。
「健、帰っちゃったかな……」
先に帰っていいよ、とは言ったものの。
健のことだから、心のどこかでついてきてくれると思い込んでいた。
不器用ながらに心配してくれているのは、よくわかっていたから。
「だからって、いつまでも甘えてちゃだめだよなぁ」
こんなだから、健からも一楓からも頼りにされないのだ。自分が未熟なのは、自分が一番よくわかっている。
それをどうにかしようと、きっかけは八つ当たりだったが、健から離れて墓地通いなどしていたのだ。
視えることに慣れなければ。
いつまでも怯えていては、健の足を引っ張るだけ。
「……よし」
正直、すごく怖い。
ひんやりと寒いし誰かに見られているような気もするし、膝は笑っているし。
それでも、あの少年を放っておけないと思った。
助けなくちゃと思った。だから、俺が頑張らなければ。
外から差す街灯の薄明かりだけでは何も見えない。
大智はスマホを取り出すと、ライトを付けた。
照らされた床はフローリングで、ぱっと見は綺麗に見える。
そのまま入ろうか少し迷って、靴を脱いだ。
「おじゃましまーす……」
ひとまず、手近な扉から。
ドアノブに手をかけると、カチャリ、と玄関とは真逆の軽い音が静寂の中に響いた。
家具は一切ない、だだっ広い部屋。
大きな掃き出し窓からは街灯の光がうっすら差し込み、青白く室内を照らす。
繋がってカウンターキッチンがあることから、ここはリビングかな、と当たりをつけた。
「何もないからかな。すごく広く感じる」
リビングに少年は見当たらない。
大智は一度大きく息を吐き出してから、ライトをカウンターキッチンに向けた。
そのまま、回り込む。
水気のない乾ききったシンク。
広い作業場に、ぽっかりと空いたガステーブルのスペース。
床には冷蔵庫を置いていただろう、窪んだ跡が残っていた。
「……いないか」
カウンターキッチンの奥まで入っていた大智はそこで方向転換をすると、スマホを持たない手が冷たいものに触れた。
ガステーブルのスペース。冷たいステンレスに、びくりと肩が跳ねた。
——理由はそれだけではなく。
「な、なんだ?」
大智の頭を掠めた、一瞬の映像。
自分は小さく、見上げた女性に怒鳴られていた。
「触ったらダメだと言ったでしょう!」
驚きと、怯え。それから少しの反抗心と、怒られることへの自覚。
我に返っても残るその感情は居心地が悪く、大智はなんともいえない気分になった。
これは、あの少年の記憶なのだろうか。
「あれは、お母さんなのかな」
反抗的な感情は強いが、その女性を嫌ってはいなかったようだった。
とはいえ、一瞬のことなので確信はない。
大智は逡巡する。
おそらく、あの少年の想いが強い場所に触れたら、また今のように記憶を視ることができる。
記憶を辿っていけばあの少年に近づけるはずだ。でも——。
「あの子の死因は、なんだ……?」
はっきり言ってしまうと、それが怖かった。
一瞬の記憶ならいい。それをいくつも視ることになっても、それだけなら苦ではない。
だが、どこかであの少年の死に繋がる記憶に触れてしまったら? この家のどこかに、あの少年の最期の場所があったら?
それを視るのは「負担が大きい」と一楓は言った。
頭に血が昇っていたあの時ですら否定できなかったことだ。
冷静になれば、その言葉の重みがよくわかる。
死者の記憶は、簡単に視ていいものじゃない。
「あぁ、だめだ。怖い。膝が……」
大智は震える膝に抗えず、しゃがみ込んだ。
気づかないふりをしていたが、手もずっと震えている。口から出た声も震えている。
あの少年を助けたいと思うのに、あの少年が怖くて仕方ない。
「情けない……」
力になりたいんだと、一楓に。
これからはライバルだと、健に。
俺だけで行ってくると啖呵を切って、今。
俺は、恐怖に負けてうずくまっている。
こんな俺が、あの少年を救えるわけがない。
「……健、まだ近くにいるかな」
大智は膝に力を入れ、なんとか立ち上がった。
スマホを震える指でタップして、健に電話を繋げる。プッ、プッ、プッ、と電子音の後に、コールに繋がることなく通話は切れた。
「あれ、電波悪いのかな……」
ちゃんと今までのことを謝って、許してもらって、あの少年のことを健に頼もう。
なんだかんだと言いながら、健なら絶対に助けてくれる。優しいやつだから。
大智はキッチンからリビングへ震える足で歩いた。足がもつれ、転びそうになる。
開けたままの扉に手をつき、なんとか止まると、また頭を掠める映像。
今度は一瞬ではなく、ゆったりとした流れのもの。
「これは……」
スマホで扉の縁を照らす。
木枠の縁に、鋭いもので彫ったような、削ったような落書きが、いくつもあった。
それは、2人の子供の名前。
名前の横には横線が引いてあり、数字のならびが2つ。年齢と、身長だ。
一番大きな子は、12才まであった。
「兄弟で背比べをしていたんだね。その時は、さっきの女の人……お母さんも笑っていた」
下に幼い子がいたから、あの少年は長男なのだろう。
歳が離れているようで、少年が12才と記した時、下の子は2才だった。
可愛すぎて仕方ない。そんな感情が大智の心を満たす。
少年は、弟をとても可愛がっていた。
微笑ましい少年の記憶。
あたたかく、幸せに溢れた家族の記憶。
それなのに、今の少年の感情は真逆のものだ。寂しく、悲しい。
そして、後悔。少年の中に、あのあたたかな気持ちは欠片も残っていない。
「俺、本当に情けないな」
バチン! と両頬を叩く。かなり痛い。
ジンジンと痺れる手のひらで今度は膝を叩き、無理矢理震えを止める。
「怖がるな。怖がるな。怖い目に遭ったのは、あの子だろ」
屈んだ体勢から、勢いで体を起こす。
大きく息を吐き、今度は臆することなく足を踏み出した。
リビングの扉を抜けて、廊下に。
玄関には背を向け、あらゆる所に手を触れながら、大智は再び少年を探し始めた。
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