浄霊屋

猫じゃらし

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狐のこと★

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 冷たい風が容赦なく吹き付ける。

 地元では雪が積もり、気温自体は比べようがないほどに低かったが、湿った空気がまだ寒さを和らげていた気がした。

 だが、上京先に戻った途端に乾燥した空気に身震いした。
 ビル風も相俟って、地元以上に寒く感じるのだ。


 冬休みもあとわずかというところで、健はいつもの居酒屋を訪れた。

 メンバーは、これまたいつも通りで大智。そして、一楓を呼び出した。

 先に席に並んで座っていた2人は、なぜか一楓だけ湯呑みを持ち、大智は何も頼んでいないようだった。


「悪い、遅れた。一楓さんお久しぶりです」


 新年の挨拶など無視した健は、上着を脱ぐとばさりと椅子に放った。
 ふんわりと舞った空気に、一楓の持つ湯飲みからほうじ茶の香りが漂う。


「久しぶりね。……夏以来、かしら?」


 依頼があれば頻繁に連絡を取り合うものの、直接会うのは半年ぶりほどだった。

 久しぶりに会った一楓は以前よりも顔色が悪く、忙しさが伺えた。


「大丈夫ですか?」


 健が気遣うと、一楓は気にしないでというように笑ってみせた。

 電話だけでは機微に気づかないものだ。
 ふと気を抜くとぼんやりしてしまうらしい一楓は、なぜかとても影が薄く見えた。


「健、何飲む?」


 大智がメニューを差し出して、気が逸れた健はメニューを見ずに「生」と一言。
 大智もそれに同意して、それぞれの食べたい物を注文すると、ひとまずはそちらに没頭することにした。




「今日って、なんの話があるの?」


 アルコールは頼まず、湯呑みを弄ぶ一楓は健と大智が落ち着いたのを見計らって声をかけた。

 一楓には呼び出した理由をまだ伝えていなかった。


「大智のこと?」


 だが、察してはいたようだ。
 健に目配せし、返事を求めたが、代わりに答えたのは大智だった。


「そう。俺のこと。なんで教えてくれなかったの?」


 大智は隣、一楓を見ずに言う。
 テーブルに並んだお皿を見つめながら、表情はなく。


「ごめんね。大智は怖がりだから、不必要に怖がらせたくなかったの」

「俺、そんなに頼りない? 姉ちゃんの力になりたいって、頑張ってるつもりだけど」


 拗ねたように、めずらしく大智が眉間に皺を寄せた。
 それがおかしかったのか、一楓は柔らかな調子で笑う。


「そんなことない。大智にはたくさん助けられてるよ。でもね、私が嫌だったの」


 大智が顔を上げて、一楓を見た。

 一楓の微笑みは優しい。それは、まるで。


「大智は、かわいい弟のようなものだから」


 まるで、姉のように。

 大智は目に見えて肩を落とし、正面を向くとビールのグラスを煽った。
 一気に飲み干してグラスを置けば、健と目が合う。
 その表情は、先ほどよりも拗ねて唇が尖っていた。

 これは、もしかして? と、鈍い健でも思わずにはいられなかった。


「で、さ」


 大智はアルコールなのか、生理的になのかわからない染まった頰で、改めて口にする。


「教えてよ。俺、大丈夫だから」


 年明け前に健と話した時よりは、気持ちに余裕があるように。
 発した声に、揺らぎはなかった。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




「順を追って話をまとめましょうか」


 提案した一楓は、まず自分から話し始めた。
 健と大智が2匹の狐と出会う、少し前。

 一楓は、狐たちとコンタクトを取っていたらしい。


「あの時はたしか、健くんが連れてきた女の子を生きてるご両親に会わせたいって言ったのよね」


 健が一楓を通さず、自ら受けた依頼だ。

 女の子の家、家族を探すため、偶然たどり着いたのは一楓の実家の神社だった。
 そこで一楓の父、神主にも協力を仰ぎ、女の子と両親を引き合わせることにした。

 そして、健が相談したのだ。
 すでに死んでしまっている女の子を、視ることのできない両親に会わせてあげられないか、と。


「うちの神社では、右近と左近……狐たちの力が一番強いから。きっとできるはずだと思って、頼んだのよ」


 対の狐は、名前を右近と左近というらしい。
 右目が赤く、よくしゃべる方が右近。
 左目が赤く、繰り返す方が左近。

 大智に取り憑いたのは、右近だった。


神使しんしとしては、とてもいい子なんだけれど……。ちょっと、ひねくれてて」


 その結果が、あの通りとなったらしい。

 とはいえ、健が思った以上のことを、狐たちは叶えてくれたのだ。神社を出ても、女の子の姿は消えることなくあったのだから。

 両親と対面することができた女の子は、手を繋いで一緒の道を歩いていった。
 恐らく、家に着く前に光となって消えただろうが、それでも。


「感謝しています。凛……女の子と両親は、最後に幸せな時間を過ごせました」


 思い出せばあたたかな気持ちになる。
 その後の狐のことがなければ、そこでハッピーエンドとなったはずだ。

 健も、一番の被害者の大智も。一楓ですら、予想外のことでしかなかった。


 女の子を見送ったあとは、先の通り。

 大智は取り憑かれ、視える体質になってしまった。
 その後の出来事をすべて一楓に話し、それが狐に関係しているのか、と問えば。


「大智はうちの血筋だし、健くんとも長いこと一緒にいるから。……もともと、素質もあったのかもしれないけれど」


 それを狐が引き出したのだろう、と一楓は言った。


「でも、過去視かぁ……」

「カコシ?」


 つぶやく一楓に、大智が首を傾げた。


「故人の遺品、もしくは関係する物を通して、その人の生前の記憶を見ることよ」

「あ、健のおばあちゃんの?」

「そう。大智がしたのは、過去視」


 健の祖父の本から出てきた、老婆の若かりし頃の写真。
 大智はそれを手に取り、知らず知らずのうちに過去視をしていたらしい。

 辛い過去ではあったが、それによって健は老婆を思い残すことなく見送ることができたのだ。


「姉ちゃんはできる? 健は?」

「俺はできない」

「私も経験ないかな」


 健と一楓が首を横に振ったことで、大智の表情は少し明るくなる。
 じゃあ、と、一楓に向けて。


「俺のこの力、姉ちゃんの役に立つ?」

「大智……」


 一楓は大きく息を吐いた。
 先ほど大智に向けた柔らかな調子とは真逆の、怒ったような、真面目なトーン。


「過去視はね、本当はできない方がいいの」

「どうして?」

「あなた、健くんのおばあさんの生前の記憶を見たんでしょ? でも、それだけだった?」

「それだけって……」

最期・・の瞬間も、見たんじゃないの?」


 大智がハッと息を呑む。
 傍観している健も、何も言えなかった。

 過去視の一番の辛さは、本人がよくわかるはずだ。


「終わりはもちろん、人による。不幸じゃないものもある。でも、終わりは終わり。生きているあなたがそれを見るのは、負担が大きすぎる」

「でも……」

「大智。私はその力を、私のために使ってほしいとは思わないわ」


 隣にいるのに、真正面から突き放すような一楓の言葉。
 大智はまた表情がなくなった。

 ぶつかり合っていた視線は大智から外し、投げやりに吐き出した。


「俺は健みたいに突出した力はない。でも、姉ちゃんの力にはなりたいんだ。……ねぇ、後継ぎの話ってなに? 神社の? それとも、姉ちゃんの仕事? 健に頼もうとしてたの?」

「それは」

「狐たちは選択肢を増やしたんでしょ? だったら、俺も候補にしてよ。俺、ちゃんと力を使いこなせるようにするから」

「違う、大智。後継ぎは右近たちが勝手に……」

「姉ちゃん。ちゃんと選んでよ」


 大智は一楓の言葉を遮ると、席を立った。
 引き止めようとする健の手を払い、いつになく厳しい目つきで。


「これからはライバルだから」


 大智らしからぬ、低い声でつぶやかれた。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 店を出て行ってしまった大智を追うこともできず、健と一楓は長いため息をこぼしていた。

 一体、何が何やら、である。


「ごめんね、健くん。仲違いさせるつもりじゃなかったんだけど」

「大丈夫ですよ。今は、一時的に頭に血がのぼってるだけだと思うんで」


 健がグラスに残ったビールを飲み下すと、一楓もとっくに冷めてしまった湯呑みを口に近づけた。

 そしてまた、ふぅ、と息をつく。


「……後継ぎの話はね、私の仕事のことなんだけど。私はあんまり、乗り気じゃなくて。見つかったら任せるけど、そうじゃないならいいかなって」

「そんなもんですか?」

「私が勝手に始めたから代々のものじゃないし、大変な仕事だしね」

「じゃあ、狐たちはなんで?」

「そうねぇ。参拝してくれるお客さんが増えて、喜んでるとか?」


 ふんわりした理由を、ふんわり冗談めかして笑う。
 でも、その冗談の後ろには暗い影が差している。

 健が笑わずにいると、一楓は困った顔をふい、と横に逸らした。


「…………きっとね。右近と左近は私に怒ってるの」

「何をですか?」

「……不甲斐なさ」


 それだけ零すと、一楓はそれ以上のことを話さなかった。

 ガヤガヤと賑わう店内に、静まり返った健と一楓の席。
 そこだけ、切り離された空間のように。


 店に走り込んできた客の頭にはうっすらと雪の粒が乗り、外はめずらしく雪が降っているのだとわかった。

 帰りの電車に影響する前に帰らないとなぁ、と頭半分で考えて。

 もう半分は、大智とのこれからをどうしようかと、考えずにはいられなかった。




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