浄霊屋

猫じゃらし

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嫗6

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 老婆は健がどこへ行くにも、昔のようについて歩いた。
 家の中でも、外でも。その姿は保護者そのものだ。
 健が何をしようが口を出さずに見守っている。たまに「あらあら」と口元を手で押さえて笑うのも変わらなかった。


「ねぇ大智ちゃん、大学での健ちゃんはどう?」


 昔と違うのは、健と老婆の会話に大智が参加していることだ。
 健が自分のことを話さないので、何かと大智から聞き出そうとしている。

「友達はできた? ガールフレンドもできたかしら?」

「友達はできましたよ。ガールフレンドは……いい感じの子はいますよ」

「まぁ~」

 老婆は自分で聞いておきながら、頬を染めてはにかんだ。

「いい感じの子って、誰」

 健が大智を見ると、白い目を向けられた。
 老婆はそのやり取りで何かを察し、「鈍いけど、悪い子じゃないのよ」と謎のフォローを入れた。

 そんな他愛もないやりとりを、健と老婆は楽しんだ。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 成人式まであと2日というところで、祖父が退院した。
 顔を見に祖父母の家に行くと、長い入院生活が終わって清々した、と祖父は笑った。

「お昼は出前でもとる?」

 祖父母宅には昔馴染みの店の、出前用のメニューが置いてあった。
 母はそれを手に取る。

「あなた達はそれでもいいけど、お父さんは病み上がりだから作るわ。お腹がびっくりしちゃう」

 祖母の言うあなた達とは、健と母と父だ。
 祖父は嬉しそうに出前のメニューに手を伸ばしていたが、祖母を見て引っ込めた。

「じゃあ私も手伝うわ。何を作る?」

「今ある材料で全員分作るなら……」

 祖母と母は話しながら台所へ移動していった。

「残念でしたね、お義父さん」

「んん……今は仕方ない」

 残された父と祖父がそんなやりとりをする。
 健はその会話に加わることなく、さして興味もないがテレビを眺めていた。
 健がいるということはもちろん老婆もくっついてきており、退院したことで嬉しそうな祖父を見てこれまた嬉しそうにしていた。

「——あ、ちょっと失礼。電話が」

 父はスマホを手に取ると、居間を出た。
 声を潜めているようだが、かすかに電話のやりとりが聞こえる。
 口調からして、おそらく仕事関係。


「成人式はもう少しだったな」

 話し相手のいなくなった祖父は、テレビを眺めているだけの孫を次の話し相手に選んだ。
 いや、最初から健と話したかったのかもしれない。
 いくら孫といえど、もう20歳の大人で口数が少なく素っ気ないのが健だ。
 話しかける話題を探していたのかもしれない。

「そう。明後日」

「明後日か。それまでに退院できてよかった」

「うん」

 退院できてよかった。おめでとう。すごく心配した。
 どれか1つでも言えたら、祖父はもっと喜んだだろうに。
 返事1つして何も話さない健をよそに、祖父はテレビの横の棚に目を向けた。
 棚には写真が飾られている。
 特に多いのは、もちろん健の写真だった。

「早いなぁ……」

 祖父のつぶやきには、感慨深さがあった。
 祖父は何を思っているのだろう。
 健の成長を一瞬の出来事のように感じたのか。
 それとも、自分の人生を振り返ってそう感じたのか。
 どちらとも取れるのは、老婆によって祖父の人生を垣間見たからかもしれない。

「なぁ、じいちゃん」

「ん?」

 祖父は幼い健の写真を見ていた。

「あー……夢で、見たんだけどさ。女の人が出てきて」

「夢?」

 突然の脈絡のない話に、祖父は眉を寄せて健を見た。

「そう、夢で。目がくりっとして、外はねのショートカットの女の人がさ」

「うん」

「じいちゃんは長生きしないとダメだって、伝えるように言われたんだ」

「そんなこと、誰が……」

 祖父の顔がハッとなった。
 思い当たる女性がいたことに気づいたようだった。
 寄っていた眉は下がり、情けない表情をした。

「……そうか。そうだな。長生きしなくちゃな」

「ん。当たり前だろ」

 ずっ、と祖父は鼻水をすすった。
 涙は流れてこなかったが、目が赤くなっていた。
 声も少し、震えていた。

「トイレ行ってくる」

 健は立ち上がると居間を出た。
 柄にもなく、下手な演技をしたせいでどっと疲れた。
 きっと老婆は笑うだろう。

 しかし、隣にいたはずの老婆は、健についてきていなかった。
 引き返してそっと居間を覗く。
 祖父の隣に老婆が寄り添っている。
 小さな手が、優しく祖父の背中をなでていた。

 最後に少しくらい、あってもいいだろう。
 お互いがお互いを想い合う時間が。
 姿が見えずとも、その気持ちはきっと相手に伝わる。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 澄んだ青空の、高く遠くに太陽は昇る。
 雲がちらほらと見え、そのおかげでいつもより気温が高く寒さが和らいだ。
 まるで、新成人を歓迎するかのような日和だった。

 会場には着物姿の若者が溢れかえっている。
 粛々と式典は執り行われたが、皆そわそわとしており内容など気にもしていない。
 それなのに終了が述べられると、長かったとばかりに体を伸ばす者が多くいた。

「たっけるー!」

 離れた席に座っていた大智が、健を見つけるやいなや大きく手を振り近寄ってきた。

「見て見て健、俺の袴姿! かわいくない?」

「はぁ」

 見知った顔が多い中で、大智はいつも通りに振る舞うので注目の的だ。
 くすくすと笑い声が聞こえる。

 そんなことも気にせず、大智はくるんと回転して見せた。
 アイボリー系の羽織だと思ったら、薄いピンクに見える。
 袴はグレーのストライプが裾から上に向けて薄くグラデーションしていた。
 そして、どうやらまたパーマをかけたらしい。
 ふわふわと流れる髪を、ピンでいくつか押さえていた。

「ピンクかよ……」

「ライトピンク! 一目惚れしたんだ~」

「お前はどこに向かってるんだ」

「何言ってんの。最近の流行りでしょ」

 周りを見回せば、男の着物だけでも色とりどりで個性的なものが目立つ。
 むしろ、大智の着物は色が女性寄りなだけで地味な方かもしれない。
 赤や青の原色には負ける。

「健はさ、ネイビー? てっきり黒かと思ってた」

 大智がまじまじと健の着物を見た。

「紺桔梗」

「こんききょう……?」

「母さんが勝手に選んだ」

 みんなオシャレなものを着るんだから、健も少しは気を遣いなさい! とは母の言葉だ。
 健は一般的な黒で良かったのだが、老婆も隣で頷いたため渋々受け入れたのだった。
 おそらく、このネイビーでも母はかなり健に譲って選んだのだろう。

「健は黒でも似合うけど、そっちのほうが似合ってると思う。おばさんさすがだね」

「……俺はどっちでもいい」

「そんなこと言って。健、すげぇかっこいいよ。あとで写真撮らせてね」

 返事をする間もなく、大智は先ほどとは違う同級生に声をかけられ話し込んでしまった。


 周りは皆、久しぶりの再会に喜び会話を楽しんでいる。
 その当時は仲の良くなかった相手とも挨拶を交わし、そこから友達の輪を広げていく。
 賑やかな場に、ぽつんと取り残されたようだ。
 大勢集まれば孤立しているのが自分だけでなくとも、そう感じてしまう。

「健ちゃん」

 この日も変わらず隣にいる老婆は、そんな健を心配そうに見ていた。

「大丈夫。いつものことだから」

 健の返事に、老婆はますます悲しい顔になった。
 いつものことだから大丈夫、というのは本当のことだ。
 幽霊が視えていたことに加えて、周りに馴染むにはめんどくさい性格だ。
 そんなやつのそばに寄ってくる物好きなどわずかなのだ。
 だから、何も気にしていない。それが普通だったから。

 ただ、少し違うのは。

「大学でさ、友達ができたんだ。だからなんか……つまんないな、と思って」

 周りの輪に入れないことに、悲しさや寂しさはない。
 でも、今ここにあいつらがいれば。少しは楽しめたのだろうか、とは思う。
 上京して老婆から離れた2年の間に、そのくらいの変化はあった。

「いいお友達に巡り会えたのね」

 老婆は微笑んだ。
 安堵とともに、あたたかな光が纏う。
 式典が終わった頃から、老婆にうっすらと光が射すようになっていた。
 今もまた、それが濃くなったように見える。

 もうそろそろなのだ。

「外に出ようか」

 こんなところでは見送れない。
 色鮮やかな着物がごった返す中を、誰にも気づかれることなく健は抜け出した。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 歩道には、溶けずに踏み固められた雪が残る。
 草履に足袋、雪道を歩くには向かないが気にせず歩いた。
 足先がかじかんだ。久しぶりに霜焼けになりそうだ。

 老婆は何を言うこともなく、健についてくる。
 老婆にもわかっているのだろう。
 この時間があとわずかなことを。


 式場のそばには小さな公園があった。
 そこは健が幼い頃によく遊んだ公園だ。
 大きな遊具がなければ、人気もない。
 そこよりも少し歩いたところに、大きな公園があるためだ。

 だが、春になると少しだけ人が立ち寄ることもあった。
 立派な桜の木が1本だけあるのだ。
 それ以外は、本当に人気のない静かな公園だ。


「懐かしいな」

 この公園に来るのも何年振りだろうか。
 人気がないのをいいことに通っていた。
 ここなら、誰も気にすることなく老婆と話せたから。

「ここに来て、また健ちゃんとおしゃべりできるなんてね」

 老婆は健から離れて、公園を見渡す。
 少ない遊具がすべて撤去され、残っているであろう砂場は雪に埋もれていた。
 時代のせいだろう。
 管理の行き届かない小さな公園に、遊具は必要ない。

「ここでたくさん遊んだものね」

「人が来ないから、ちょうどよかったんだ」

 老婆が立つ、そこにはかつてブランコがあった。
 2つあるブランコに、1つは健が、もう1つは老婆が腰掛けていた。

「たくさんおしゃべりしたわね」

「あの時の俺は、思ったままを口に出してたから」

 老婆は小さな公園の中をゆっくりと移動しては立ち止まり、あの頃を振り返った。
 老婆にとって思い出となっているように、健にとってもあの楽しい時間はしっかりと覚えている。

「たくさんかけっこもした」

「ばあちゃんはずるいよ。くっついてるだけなのに、ゴール直前で前に出るんだから」

「砂遊びもしたし」

「ばあちゃん埋めて遊んだっけ」

「鉄棒もした」

「下から覗くのはやめてくれよ」

「帰りが遅くなって怒られて」

「そう、俺だけな」

「泣きながら寝た」

「うるさいな」

 しゃくりあげて布団にこもる健に、寝付くまでずっとよしよしと声を掛けてくれた。
 触られた感覚はなかったけれど、リズムをとってトントンと叩いてくれていたこともあった。

「男の子らしい、やんちゃな子だったわ」

 老婆は目を細めた。

「テストを隠したり、女の子にちょっかいをかけたり、お母さんに生意気なことも言ってた」

「それは思い出さなくていいよ……」

 健にはただ恥ずかしいだけの話も、老婆には微笑ましいことなのだろう。
 ふふっ、といたずらに笑う老婆は楽しげで、寂しげに見えた。

「健ちゃんが心配でくっついていたけど、いつしか私が楽しくて仕方なくなってしまったのね」

 桜の木の前で立ち止まった老婆は、今は蕾すら付けない枯れ枝を見上げた。

「あなたの成長を見ることが、楽しみになってしまった」

 老婆はそれを心苦しく思いながらも、ずっと健を見守ってくれていたのだ。
 幽霊が視えるという特異体質だったため、尚の事心配をさせてしまった。
 それは健自身の問題であり、老婆は気にすることではないというのに。

「俺は、ばあちゃんがいてくれてよかったよ」

 健を振り返った老婆は小さく「ありがとう」と言った。
 老婆の目尻に雫が溢れる。
 それを隠すように、老婆はまた桜の木を見上げた。

 健は少し戸惑ったが、声をかける。

「ねぇ、ばあちゃん。最後に俺のお願いきいて」

「なぁに、健ちゃん」

 老婆は振り返らずに優しく答える。
 着物の袖で涙を拭っていた。

「俺と写真を撮ってほしいんだ」

「写真?」

 健を見た老婆の鼻の頭は赤らんでいた。
 写真嫌いの健からの申し出に、小首を傾げた。

「俺、ばあちゃんのこと探して写真を全部見たんだ。でも、ばあちゃんは写ってなかった」

「ああ、そうね。和夫さん達に見つかって、心配をかけたくなかったから。私のことも、健ちゃんのことも」

「だから姿も変えてんの?」

「そうね。それに……もし生きていれば、この姿であなたの隣にいられたんだもの」

 健の胸が押しつぶされそうになった。
 喉の奥がきゅうっとなり、苦しい。
 いつも穏やかで優しく微笑む、隣にいた老婆。
 その姿には、ちゃんと老婆の想いが込められていた。

「……一緒に写真撮ろう。今度はちゃんと隣に写ってよ」

 目頭が熱く、堪えられそうになかった。
 スマホを取るために老婆から顔をそらして下を向くと、一雫が足元に落ちた。
 雪の上に小さな穴があいた。

「あらあら」

 困ったように言う老婆だが、また鼻の頭を赤くしている。
 健につられるように瞳に涙が溜まっていった。
 ふふ、と小さく笑う。

「お互いにひどい写真になりそうね」

「……俺しか見ないからいいよ」

 桜の木をバックに健は立った。
 スマホのカメラを起動し、インカメラにして自らの顔を写した。
 老婆は健の肩に手をのせて、寄り添うように画面に入り込む。

「もう少し、桜の木を入れられる?」

「できるけど、葉っぱもないし殺風景だよ」

「いいの」

 疑問に思いつつ、健はスマホを持つ手を伸ばして背後に桜の木の枝が入るようにする。
 桜が咲いていたら、泣き顔だろうとそれなりに見られる写真になったかもしれない。
 スマホの画面には健と老婆、その後ろに桜の枯れ枝が入り、青空が写っている。

「ねぇ、健ちゃん」

「何?」

「大きくなったわね」

「……撮るよ」

 カシャ、と機械音がする。
 ボタンを押したのは1度だけだ。
 健は撮った写真を確認するために、フォルダを開いた。
 そこには、消えることなくちゃんと写っている老婆の写真があった。
 桜の枯れ枝は青空に伸び、光の粒を纏って輝いている。
 老婆が纏っていたのと同じ光。
 まるで、桜の花が咲き誇ったかのように綺麗に写っていた。

「これ、ばあちゃんが……」

 やったのか? 言いかけて、止まる。
 隣を見るとすでに老婆はいなくなっていた。
 音もなく、気配もなく、最初から何もいなかったように。
 老婆は光の粒となって、空へと消えたあとだった。

「……なんか言ってから行ってよ、ばあちゃん」

 泣き顔でぎこちない顔の健。
 泣き顔なのに幸せそうに微笑む老婆。
 最初で最後の、2人だけの写真に涙が落ちた。




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