浄霊屋

猫じゃらし

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嫗3

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 窓の外はひらひらと灰雪が舞い始めている。
 昼間だというのに薄暗く、気温も低い。雪の粒が大きいので、短時間でかなり積もりそうだ。
 雪の降る日は晴れた日よりも暖かく感じるが、健も大智もまだ体が慣れていない。

 暖かいファミレスに入り込んだものの、コートを脱げずにいた。

「で?」

 適当に定食を注文して店員が離れてから、健は大智を見た。

「え? なに?」

 大智はきょとんとする。

「お前、いつから視える・・・んだよ」

 含みを持たせて大智に投げかける。
 いきなり切り出されて戸惑う大智をじっとりと半眼で睨みつけると、健から放たれる怒りのオーラに大智は気圧されて体を引いた。

「い、いや、視えるってほどじゃ……」

「はっきり言え。いつからだ」

「うぅ……」

 大智は無意識のうちに居住まいを正し、目線をあてもなく右へ左へと動かした。

「いつからかっていうのは……あそこになんかいたかも、今見られてたかも、そういうはっきりしないものの繰り返しだったから。昨日の夜、家で見た影が初めてだよ。あんなにはっきりしたの」

「いつを境にそうなったのかも、わからないのか?」

「うーーーん……」

 大智は考え込んだ。
 健としてはその答えはわかっているのだが、大智がそのきっかけ・・・に少しでも心当たりがあるのか確認したかった。

 大智から返事がこないうちに、注文したものが運ばれて目の前に並べられた。


「姉ちゃんの……神社に行った日、かなぁ」


 店員が離れると、大智は目の前にある料理を見つめながらつぶやいた。
 思ったとおりのことに、健は大きくため息をついた。料理から立ち上る湯気が揺れる。

「健、何か知ってるの? あの日、俺が倒れてから何があったの?」

「……」

 健は黙った。大智には言わないと、一楓と約束していたのだ。



 神社の後日、大智が新しいスマホを購入したというので部屋にお邪魔し、一楓と連絡をとった。ちなみにスマホ代は一楓がもってくれたらしい。

 通話が開始されるや否や、一楓は開口一番に『うちの狐達が、ごめん!』と謝った。
 大智は謝罪の理由がわからず「なんのこと?」と言ったが、そのタイミングでドアチャイムが鳴り大智はその場を離れた。

「大智は、取り憑かれたことをわかってません」

 健は受け取ったスマホに、小声で話しかけた。

『そう……。狐達が取り憑いて何をしたのかわからないけど、何かおかしなことがあったらすぐに教えて。それと、大智にはこのことは黙っておいて』

「わかりました。狐は力を引き出すとか、後継ぎとか言っていましたがそれは……」

 部屋の扉がパタンと音を立てた。
 顔を上げると、郵便物を持った大智が戻ってきていた。

 一楓と健はそれ以上の話を続けられず、その後も話せていない。
 大智に連絡先を聞くも、なぜか頑なに拒否された。



「……」

 とは言え、早いうちに一楓に会っておかなければならない。

「一楓さんはいつなら会える?」

「俺の質問は無視?」

 唇を尖らせ、むっとした顔が目に入った。

「それは……一楓さんがいるところで話そう」

「大事な話なの?」

「おそらく。でも、俺もよくわかっていないんだ」

 それは本当だった。
 大智が狐に取り憑かれ、今こうして幽霊が視えるようになった。
 狐の言う、力を引き出すというのがこのことならば『後継ぎを選ぶ』というのは、一体?
 文字通り、あの神社を継ぐ者を探しているのか。

 箸すら持たない健をよそに、大智はすでに食事を始めていた。

「なぁ大智」

「なに?」

 大智は汁椀を持つと、口元へ近づけた。

「一楓さんの神社で、後継ぎがどうとか聞いたことあるか?」

 ごく、と大きく飲み下した音が聞こえた。
 汁椀を下げた大智の表情はどこか冷たく、そっけないものだった。
 しかし、すぐに作られた微笑に変わる。

「ううん、知らない」

「……そうか」

 見たことのない表情だった。
 それ以上踏み込めず、健はそれだけ返して目をそらした。
 お互いに言葉を発することなく、湯気の消えた食事に手をつけ始める。
 大智といて、めずらしく味気のない食事だった。




 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎




 外に出ると、重たく舞っていた雪の粒はもう空から落ちてくることはなかった。
 新しく積もった白い絨毯を踏みしめながら、大智と並んで歩く。
 ぎこちない2人の間に、キュ、キュ、と踏み潰された雪が鳴る。

「健はこのあと、おじいちゃんのお見舞いだっけ」

「ああ」

 大通りを外れ、車通りの少ない裏通りを歩いていた。
 主要の道じゃないので除雪が甘く、気をつけないと雪に足が埋まってしまう。

「そういえばさ、あのおばあちゃんって健にくっついてるわけじゃないんだね」

 あのおばあちゃんとは、老婆のことだ。

 昨夜も大智と部屋にこもってからは姿を見せることはなかった。
 家を出る時にはいたが、今は誰についているのか。

「小さい頃は、ずっと側にいるって言ってたのにね」

「さっきみたいな話もあるし、こっちとしてはちょうどよかった」

「聞かれてまずい話だったかな?」

 大智は首を傾げたが、思い直してすぐに唸った。
 普通に考えて、幽霊が視えるだの神社の跡取りだのという話は一般的ではない。

「……ばあちゃんには言ってないんだ。俺が今、してること」

 聞かれたくなかった。
 この世をさまよう者を導く仕事。
 別に隠す必要のある話ではない。
 恐らく老婆は、健の身を案じて気をつけなさいと言うだけだ。

 それでも健が老婆に言えずにいる理由。



 老婆を導いてあげる。



 帰省するとなった時に、そう決めていたのだ。


「言わないの?」

「言わなきゃとは思うけど、言えない」

 カン、カン、カン、と聞き慣れた音が鳴り響いた。
 黄と黒の遮断機がゆっくりと下がり、健と大智の行く手を阻む。

「そんなに思いつめてまで、おばあちゃんを導く必要ってあるの?」

 足を止めた大智は、電車がやってくる方向を見据えた。

「……大切な人がずっとこの世にとどまってたら、送ってあげようと思わないか?」

「思うよ。でも」

 線路のずっと向こうから、小さく電車の姿が見えた。
 カン、カン、とけたたましく鳴る信号音に、次第に大きく重たい音が混じる。

 大智が振り返った。


「——たぶん、俺はできない」


 轟音を立てて電車が通り過ぎた。
 突風が吹き、大智の言葉はかき消されてしまう。
 静かになった遮断機は、すぐさま道を開けた。

 風でなびいた髪を手でさっと直すと、大智は何事もなかったように線路を渡り出した。

「悪い大智、なんて言った? 聞こえなかった」

「なんでもないよ」

 眉を寄せた健に、大智はいつもの人懐っこい笑顔を向ける。

「俺、こっちだから。健はあっちでしょ?」

「あ、ああ」

「じゃあ、また明日」

 いつもと同じなのに、いつもより素っ気ない。
 少しトゲのある大智の背中を見送ると、健も大智に背を向けて歩き出した。


 はー、と長く息を吐く。
 白い息は後ろへ流され、瞬く間に消える。

 目的の病院までは歩いて30分ほどだ。
 普段なら電車を使うが、今日はやめた。
 1人で考える時間が欲しかった。

 大智のこと、狐のこと、老婆のこと。

 突き詰めていけば、謎が多いのは一楓もだ。
 散りばめられたピースは少しずつ拾っているはずなのに、うまくはまらない。
 そうしているうちに、疑問点がどこにあるのかわからなくなる。
 大智のさっきの態度もよくわからない。
 今までにあんな大智を見たことがない。

 あいつは何かを知っているのか? それでいて、なぜ隠すのか?

 はー、とまた深く息を吐いた。
 やめよう。今考えるべきなのは老婆のことだ。


 病院へと向かっているため、健は自然と大通りを歩いていた。
 人がたくさん歩く道だ。踏み固められた雪は滑らかで、足を取られれば簡単にひっくり返ってしまう。
 かかとからではなく、足裏の全面をつけて歩くとすべりにくい。
 自然と身についている歩き方だ。

 病院まで、あと半分ほどか。


 さて、今わかっている老婆のことは大まかに2つだ。

 1つ、健の本当の祖母ではない。
 物心つく頃には健の側にいたので、そもそも老婆がどこの誰なのかというのはまったくわからない。
 ばあちゃんという存在が2人いることでさえ、幼い健は疑問を持たなかった。

 2つ、健の守護霊ではない。
 これは健にとって割と衝撃的だった。
 守護霊じゃないにしろ、健に憑いていることは確実だと思っていたのだ。
 だが、そんなことはなかった。
 老婆は自由に家と外を行き来しているようで、文字通り浮遊している。

 では、あの老婆は誰で、健の家族の誰に憑いているのか?
 父と母、健だけの3人家族だ。必然的に両親のどちらかとなる。


 総合病院の入り口に立つと、靴裏の雪を落とすために泥落としマットを蹴った。
 年の瀬ということで外来は休診だ。
 人気のない、広く閑散とした空間を横切った。

 エレベーターに乗ると、一息つく。

 病院内は室温が高く、氷点下の中を歩いていた健の頭をぼーっとさせるのはいとも容易かった。
 エレベーターのわずかな揺れも心地がいい。

 大智が言っていた。
「そんなに思いつめてまで、導く必要はあるの?」

 思いつめて、か。

 ふっ、と鼻で笑ってしまった。
 確かに思いつめているのかもしれない。
 老婆を導くと決めていたのに、いざ顔を見ると気持ちが揺らいでしまう。

 健とは無関係で、本来であれば出会うことのない存在。
 でも、老婆は老婆なのだ。
 父や母、祖父に祖母、肉親ではなくても、老婆は健にとってかけがえのない存在だ。


 エレベーターが開き、健は部屋番号を確認しながら歩いた。病棟の、独特な香りがする。
 靴底がまだ濡れているのか、キュッキュッと雪が鳴るのとは違う音が響く。
 半周ほどしたところで探していた番号を見つけた。
 扉が閉まっているので、ノックをする。

「どうぞ」

 聞き慣れた女性の声。
 健が中に入ると、待ってましたと言わんばかりに相好を崩した祖母と、ベッドに横になっている祖父。
 久しぶりに会うので、健もしかめっ面が和らいだ。

 祖母はスツールを勧め、あれやこれやと食べ物や飲み物を出してくる。
 祖父はまだ体が辛いようだが、その様子を楽しげに見ていた。
 健も安堵した。何も心配することはない。そう思わせてくれる安心感があった。



 ——部屋の隅に、穏やかに微笑んでたたずむ老婆がいたとしても。



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