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七五三5
しおりを挟む一楓の父である神主は、健達を不審がることなく快く迎え入れてくれた。
大きな社務所へと案内され、他の業務の邪魔にならないよう、間仕切りで区切られた一角へ通された。
そこへ過去数年分の膨大な予約帳を持ち込み、手が空いている巫女さんと神主でりんの名前を探し始めた。
健達も手伝いたかったが、部外者なので簡単に予約帳を見ることはできない。
出されたお茶を啜ってただ待つのみだ。
小一時間が経った頃、神主が一冊の予約帳を健に見せた。
健は予約帳を受け取り、神主が指差したところを読む。
「立花 凛」
その下には電話番号が記されている。
名前の上に線を引かれており、これで予約取り消しとのことだ。
「1年前か……」
「たしか、お参りの時間を過ぎても来ないんで、こちらから連絡を入れたんだ。前日に娘さん、亡くしてたんだね」
りんの名前は知らなかったが、神主の耳にもその訃報は届いていたらしい。
かわいそうになぁ、と神主は呟いた。
「立花さんの住所はわかりませんか?」
「予約の電話では住所まで聞いてないんだ」
「そうですか……」
健は肩を落とした。
いや、連絡先とフルネームがわかっただけでも大きな進展だ。
この連絡先を控えさせてもらえないだろうか。
「この方と連絡を取りたいのですが、この番号を控えてもいいですか?」
「個人情報なので、それは遠慮していただきたい。その代わりに、私が連絡しよう」
神主は、健の手から予約帳を抜き取った。
「神主である私から話をした方が、不審がられないだろう? どうだろう、健君」
「なぜ俺の名前を……」
「君のことは大智から聞いていたよ。一楓が世話になっていると。どうもありがとう」
神主が頭を下げたので、健は慌てて頭を上げてもらった。
「お世話になってるのは俺の方です。一楓さんから学ぶことは多い。非常に貴重な経験をさせてもらってます」
「そう言ってくれてありがとう。本来ならば私が娘の仕事を引き受けるべきなのに、面目無い」
以前、一楓に聞いた話だと、神主である一楓の父親にはそのような力は備わっていないとのことだった。
故に、一楓が受けている依頼を神主が引き受けることはできない。
一楓と同じく、特殊な力を持っている者でなければ。
「手伝わせてくれないか? 君にお世話になりっぱなしでは、申し訳ない」
「……お願いします」
神主の言う通り、健が直接連絡を取るよりよっぽど信憑性があるだろう。
りんの両親への言付けをこっそりと耳打ちして頼むと、神主は電話のために席を外した。
「りん、お家帰れる?」
さくらにくっついたまま、りんが健を窺った。
「帰れるよ」
健が答えると、りんの表情が少しだけ明るくなった。
神主が戻ってくるまで、わずかに時間がある。
その間に健は、大智に頼んで一楓に連絡を入れてもらった。
一楓との通話は、神主と会う前に一度切っていた。
『どうだった?』
「今、連絡を取ってもらっています。一楓さんに聞きたいことがあって連絡しました」
『何?』
「もし、霊感のない人間と幽霊を会わせたい場合、何か方法はありますか?」
『……りんちゃんと、ご両親を会わせたいってことね』
りんが首を傾げた。
幼いりんには、幽霊や人間といった存在の区別はまだよくわかっていないはずだ。
だが、他人が自分を認識しないことは気にならなくても、両親から認識されないのは辛いだろう。
「方法はありますか」
『……ないこともない。けれど、うまくいくかはわからないわよ』
「それでもいいです」
『それと、今回だけ特別ね』
「どうやるんです?」
健の言葉と同時に、ガタガタッという音が響き社務所の扉が開いた。
神主が戻ってきたようだ。
「待たせてすまないね。連絡がついたよ。30分ほどでこちらに来てくれるそうだ」
「わかりました。ありがとうございます」
それで、と一楓に質問を続けようとスマホを見ると、通話は切れていた。
「何かあれば向こうから連絡くるよ」と大智が言うので、そのままりんの両親が来るのを待つことにした。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
30分を少し越えた頃、鳥居の前に若めの夫婦、りんの両親がやってきた。まだ20代半ばほどに見える。
母親は大きな袋を持っていた。
さくら達を社務所に残し、神主と健だけで出迎えに外へ出た。
「立花さんですか?」
神主が声をかけると、父親が頷いた。
「ご足労いただき、ありがとうございます。どうぞこちらへ……」
「ここで結構です。一体どういうことなんです? 妻から聞いた話は、信じ難いものなんですが」
父親は、不信感をあらわにしている。
どういうことかと思ったら、電話でやりとりしたのは母親だと、神主が小声で教えてくれた。
「私達は娘を失ったばかりなんです。冷やかしならやめていただきたい」
だんだんと怒り始める父親の隣で、母親は俯き小さくなっていく。
大きな袋を胸の前で抱え、ぎゅっと抱きしめた。
「詳しく説明しま」
す、と言おうとした健の横を、 小さな影が通り過ぎた。
「ママぁ! パパぁ!」
りんが両親の前へと走り寄った。
抱っこをせがむように両手を広げる。母親の方へ、そして、父親の方へと。
だが、どちらも手を差し伸べない。
りんを見ることもない。
「パパ……?」
りんの表情が曇る。
「ママ……?」
母親の足にすがるように抱きつくが、母親はなんの反応も示さない。
りんは眉を八の字に下げ、歯を食いしばったかと思うと、大きな口を開けて泣き始めた。
りんの大きな泣き声は両親に届くことなく、境内に虚しく響き渡った。
——しょうがないねぇ。
りんの泣き声とは別に、どこからともなく声が響いた。
声と共に、いきなり突風が吹き、風に煽られた母親は大きな袋を手放してしまった。
舞い上がる袋の中から落ちてくるのは、鮮やかな朱色の着物だ。
着物は風に揺られ、緩やかに流れ、りんへと被さる。
白い被布、朱色の草履、小物の1つ1つを、りんは身につけていく。
驚いて涙の止まったりんは、「わぁ!」と感嘆の声を上げた。
くるくると回り、袂が揺れるのを楽しむ。草履の靴底にある鈴がチリンチリンとかわいい音を鳴らした。
そんなりんの姿を、両親は驚きの眼差しで見ていた。
「……凛!!」
父親が叫ぶ。
両親が見ていることに気づいたりんは溢れんばかりの笑顔で、父親と母親の腕の中へ飛び込んだ。
わんわんと泣く両親の腕の中で、りんは幸せそうに抱かれていた。
小さな手のひらは、父親と母親の服をぎゅっと掴んでいた。
「一件落着かな?」
いつの間にか隣に大智が立ち、りん達を眺めていた。
その隣では、さくらがハンカチで目元を押さえている。
「一件落着だな」
両親の腕の中には確かにりんがいて、今だけは存在している。
小さな頭、小さな体、小さな手足、あどけない笑顔。愛しい娘の全てが存在している。
“凛” という少女は、今だけはここに生きているのだ。
たとえ数分、数十分後に消え去ろうとも、両親の心には凛の笑顔がしっかりと残ることだろう。
「凛を、家へ連れて帰ってあげて下さい」
両親は涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔を健に向け、頷いた。
凛は嬉しそうに笑っている。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう」
凛は両の手を両親に繋がれ、慣れない草履で家への道をたどたどしく歩きだした。
両親は気づいてるだろうか?
凛の歩く道が、光り輝いていることに。
その道の先にあるのは、凛の旅立ちだと。
残された僅かな時間、少しでも長く、あの家族が一緒にいられますように。
健はそう思うのだった。
「ほっほ、これでよいのかねぇ」
「よいのかねぇ」
凛と両親の姿が見えなくなると、男とも女とも取れない声が2つ、上から降ってきた。
見上げると、鳥居の上に真っ白な狐が2匹、こちらを見下ろしていた。
「邪魔な者達は、ちょいと眠っていてもらおうか」
「眠っていてもらおうか」
2匹の狐が尻尾を振る。
すると、健の後ろで神主とさくらが気を失ったようにバタバタと倒れた。
「なにを……!?」
片方の狐が目を細め、健を見た。
2匹の白い狐は、片方が右目だけが赤く、もう片方の狐は左目だけが赤い。
右目の赤い狐が喋り、左目の赤い狐が繰り返している。
「狐……?」
健の隣で大智が呟いた。
「おや、お前は眠らぬか。面白い」
「面白い」
「力が眠っておるのか」
「眠っておるのか」
2匹の狐は大智を見て、ニヤリと口角を上げた。
「少し、いじろうか」
「いじろうか」
右目の赤い狐が鳥居を蹴り、降りてきたかと思うと、一足跳びに大智へ突進した。
大智は避ける間もなく狐にぶつかった、と思いきや、狐の姿が消えた。
健が唖然として見ていると、大智が笑う。
「ほっほ、この身体、ちょっとだけ借りるぞ」
「なっ……大智!」
健が叫ぶ。
大智は右手を口元へ持っていき、左手は右腕に添える奇妙な格好をした。
「おや、この衣服には袂がないのじゃった」
「お前、大智から出て行け!」
「ちょいと借りるだけじゃ」
大智の身体で、狐がコロコロと笑う。
手のひらから足の先まで緩慢な動作で眺めたかと思うと、ふと、何かに気づいたかのように止まった。
「なんじゃ、邪魔をするな」
何事かと健が見ていると、大智はスマホを取り出し、手のひらの上に浮かせて誰かと話し始めた。
「うるさいのう。ちょいとこやつの力を引き出しておるだけじゃ。血筋じゃろう? 何が悪い? お前の後を誰が継ぐのじゃ。こやつと、それからあやつ。選択肢は多い方が良かろう」
大智は健を見た。
「なかなか面白い。じっくりと選ばせてもらうぞ」
スマホに向けて言ったのか、健に向けて言ったのか。
狐は、大智の顔を今までに健が見たことのないほどに歪ませ、意地悪く笑った。
「ほっほ、楽しみじゃ。ではな」
狐が大智の身体から抜け、大智はガクン、と前に倒れこむ。
健はすんでのところで大智を受け止めた。
「大智!」
脱力してもたれ掛かる大智からは、規則正しい呼吸が聞こえる。
気を失っているだけのようだ。
ホッと胸を撫で下ろし、鳥居の上を見上げた。
白い狐2匹は、既にそこにはいなかった。
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