浄霊屋

猫じゃらし

文字の大きさ
上 下
27 / 95

散歩3

しおりを挟む

 翌日、健と大智は約束の時間に再び病室を訪れた。
 由美が会釈をして出迎える。大智が翔太に手を振ると、翔太はニカッと笑って手を振り返した。秀太は由美に抱かれ、眠たそうな顔をこちらに向けた。

「では、行きましょうか」

 由美に促され、来た道を取って返して病院を出る。
 自宅へは車で送ってくれるらしく、大の男2人が乗り込んでも余裕のあるファミリーカーへと案内された。

「甘えてしまってすみません。言ってくれれば、こちらで車の用意もできたのに」

「お願いしてるのはこちらですから、気にしないで下さい」

 由美との会話はそれで終わり、大智は翔太と他愛のないおしゃべりを始めた。
 何年生? 2年生だよ。
 スポーツやってる? 野球やってるよ。 俺も小学生の頃やってた!
 秀太君は幼稚園児かな? 秀は、年少さんだよ。あれ、秀、寝ちゃった。
 本当だ、静かにしなきゃね。

 車に揺られて30分ほどだった頃、とあるマンションの駐車場に入り、車は止まった。
「ついたよ!」と翔太が忙しなくシートベルトをかちゃかちゃ外していると秀太も目を覚まし、不機嫌にぐずりだして由美に手を伸ばした。

「部屋は2階です」

 手慣れた様子でチャイルドシートから秀太を抱き上げた由美は、先導してエレベーターに乗り、健と大智もそれに続く。大智とずいぶんと打ち解けた翔太は、自宅に友達を呼ぶ前のように、うきうきと楽しげである。
 エレベーターを降り、扉をいくつか通り過ぎて由美は立ち止まる。

「こちらです」

 鍵を回し、ガチャリと扉を開けるとほのかに芳香剤の香りが漂った。
 翔太が靴も揃えずバタバタと部屋に入り、秀太もそれについていく。由美はため息をつきながら靴を揃え、「どうぞ」と手で合図した。

「おじゃまします」

 大智が玄関に入り、健が足を踏み入れようとした瞬間。

頰にピリつく空気を感じた。

冷たくピリピリと刺激してくる空気はだんだんと重くなり、それが敵意だと認識するまでに時間はかからなかった。

「大智、外へ出ろ!」

 刹那の出来事で、玄関から引っ張り出した大智の足元にはガラス片がいくつも散らばった。
 棚に飾ってあったボトルシップが、大智を、あるいは健をめがけて飛んできたのだ。
 無残にも割れてしまったボトルシップを、由美は目を見開いて見ていた。

「なんの音? あー! ボトルシップがー!」

 物音で玄関へ戻ってきた翔太が大きな声を出すと、膨れ上がっていた敵意がしゅるしゅると萎むように小さくなった。そのまま部屋の中へ、逃げ込むように消えていった。

「大智、大丈夫か?」

「う、うん。今の何? どういうこと?」

 由美がハッとして、翔太に近づかないようにと制止しながら声を荒げる。
 翔太は「パパのボトルシップが! 大事なやつなのに!」と騒いでいる。

「だ、大丈夫ですか? お怪我はありませんか!?」

「大丈夫です。由美さんも、大丈夫ですか?」

「私は全然……。すぐに片付けますので、離れていて下さいね」

 由美が震える手でガラス片を片付け終わると、健は大智を後ろへ下がらせ、先導して玄関の気配を伺った。
 先程までの冷たく重たい空気は一切感じられず、芳香剤と、小さな子供のいる家庭の暖かな匂いがする。

「……どう?」

 大智が背後から健を伺う。

「……何もいない」

 消えていった部屋の方の気配を探るが、特に気になるものは感じられない。
 あの気配の正体が順一だというなら、あるいは順一でなくとも。早急にどうにかすべきだ。

「こういったことは、今までにありましたか?」

 健が由美に問うと、青ざめた顔で首を横に振った。

「部屋の中を見ても?」

「は、はい……。あの、でも、危険があるのなら無理だけは……」

「わかっています。そこは分をわきまえているつもりです」

 健は部屋へ上がり、翔太と秀太を由美に預け、玄関で待ってもらうことにする。大智もそこで待機だ。

「何かあれば、由美さん達を連れてすぐ外へ出ろ」

「お、おう。気をつけろよ」

 大智の忠告を背に受け、健は気配の消えていった部屋、リビングへと踏み込む。念のため、扉は閉めず開けておく。
 リビングをぐるっと見回し、カウンターごしにキッチンも見てみるが、何もいない。
 リビングから続く畳の部屋は子供部屋のようで、勉強机や棚があり、おもちゃが転がっていた。そして、一角にくたびれた丸い座布団のような物、その横に小さなテーブルに水と干し肉のようなものが入った器。飾られた写真には白い犬が写っていた。

「…………」

 畳の部屋にも何も感じることはなく、健はリビングを出た。由美達が不安そうな面持ちで健を見る。

「何もありませんでした。他に部屋は?」

「あ、こちらに……」

 玄関からリビングへと続く廊下の途中に3つの扉があり、その1つを由美が指差す。
 扉をガチャリと開け、中を覗くと寝室に使われている部屋だった。
 並んだ布団は、起きてから整えられたものと、ぐちゃぐちゃのままのものがある。恐らく翔太だろう。
 特に何もないか、と健が扉を閉めようとすると、視界の端にちらりと何かが横切った。
 健はすぐに目で追ったが、確認することはできなかった。

「あの、何か……?」

 扉を閉めかけた健が、勢いよく扉を開いたので由美が驚いていた。

「いえ……気のせいだったようです」

 何かがいたと言えばいた、だが、いなかったと言えばいなかった。そのくらい、微妙な動きだった。
 はっきりせず、もやもやと心に残る。あれほどの気配が、どこにいったというんだ?

「そんな怖い顔しないで」

 大智が健にそっと声をかける。
 健は眉間に皺を寄せ、無意識に寝室を睨んでいた。
 ふぅ、と健は小さく息を吐いた。

「何もいません。先程感じた気配も、家の中にはありません」

「そんな、一体どういうことなんです?」

「わかりません。ですが、今、この家にいないことは確かです」

 憶測でしかないが、1つ言えるとしたら。

「恐らくですが、先程の気配は、由美さん達に危害を加えることはないと思います」

 健は言葉を選びながら、ゆっくりと自分の考えを口にする。

「最初、この家に入ろうとした時に、すごく強い気を感じました。それが、翔太君が叫んだのをきっかけに小さくなり消えました。部屋を見て回りましたが、どこにも見つからない。あれだけの気を隠しておけるとは思えないんです」

「それは、つまりどういう……?」

「その者が、順一さんだと仮定します。彼にとってここは自宅であり、テリトリーです。そこに俺達が入ってこようとしたので、追い出そうと威嚇したのかもしれません」

「それであんな事を……? そんな、まさか、あの人が……」

「あくまで仮定の話です。今までに、こういうことはなかったんですよね?」

「はい。夫が事故に遭ってから家に来たのは、義母と義父くらいです」

 由美が言い終えたのと同時に、翔太が「あっ」と思い出したように言う。

「ねぇママ、ばあちゃんが来たとき、急に具合悪くなったって言って帰ったことがあったよ」

「それはただ、体調が悪かっただけよ」

「急に具合が悪くなった、ですか。他に何か言っていましたか?」

「いえ、何も言ってなかったと思います」

 ただ、本当に体調を崩しただけなのかもしれない。あるいは、ここにいた者の気に当てられた?
 素直に答えてくれるかはわからないが、一度話を聞いてみてもいいかもしれない。

「おばあさんに話を聞くことはできますか?」

「義母にですか……。確認します」

 由美の頰がわずかに引き攣った。
 会いたくないのは当たり前だ。だが、ここは我慢してもらうしかない。
 大智も露骨に「うげっ」という顔をした。

「平日でも、休日でも、そちらの都合に合わせます。俺の連絡先を置いていきますので、確認が取れたら教えてください」

 健は由美に断りを入れ、リビングにあったメモ用紙に携帯番号を書いた。

「それから、何かあった時もすぐに連絡してください。朝でも夜でも、夜中でも。いつでも電話を取れるようにしておきます」

「わ、わかりました」

「では、今日のところはお暇します。大智、行くぞ」

「えっ、あ、うん」

 不安そうな由美の顔と、健の顔を大智は交互に見て戸惑い気味に健の後ろをついて玄関を出た。

「おじゃましました。翔太君、秀太君、またね」

「大智兄ちゃん、ばいばい」

「ばいばい」

 翔太が手を振り、秀太もつられて手を振る。
 扉を閉めて由美達が見えなくなると、健はガシガシと頭を掻きむしった。

「いいの?」

 大智が心配そうに扉を見る。

「いいのも何も、今は何もできない。あんな攻撃をまたされたら、俺には手に負えないぞ」

「そうだね……」

 マンションを出ると、日が傾きかけていた。
 由美達は、不安な夜を過ごすだろう。
 だが、健には何もできない。気休めになればと、連絡先を置いてきたくらいだ。
 一楓なら、もっと違うのだろうか。解決の糸口を容易く見つけて、あの家族を救ってあげられるのだろうか。

 俺は未熟だ。

 今はただ、次の動きを待つことしかできない。
 もどかしいが、大人しく、由美の連絡を待つことしか。



 そう思っていた次の日、健は震える声の由美から連絡を受けることになる。


しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

すべて実話

さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。 友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。 長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

本当にあった怖い話

邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。 完結としますが、体験談が追加され次第更新します。 LINEオプチャにて、体験談募集中✨ あなたの体験談、投稿してみませんか? 投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。 【邪神白猫】で検索してみてね🐱 ↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください) https://youtube.com/@yuachanRio ※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/3/9:『かおのなるき』の章を追加。2025/3/16の朝8時頃より公開開始予定。 2025/3/8:『いま』の章を追加。2025/3/15の朝8時頃より公開開始予定。 2025/3/7:『しんれいしゃしん』の章を追加。2025/3/14の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/6:『よふかし』の章を追加。2025/3/13の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/5:『つくえのしたのて』の章を追加。2025/3/12の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/4:『まよなかのでんわ』の章を追加。2025/3/11の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/3:『りんじん』の章を追加。2025/3/10の朝4時頃より公開開始予定。 2025/3/2:『はながさく』の章を追加。2025/3/9の朝8時頃より公開開始予定。

田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

菊池まりな
ホラー
田舎のお婆ちゃんから古い言い伝えを聞いたことがあるだろうか?その中から厳選してお届けしたい。

処理中です...