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黒猫4★
しおりを挟む大家からの了承を得、絨毯をめくるとすっかり色褪せた畳が出てきた。
その畳を上げると、下は板張りだ。
砂埃がひどいので、皆口元にタオルを巻いた。
板は素手では剥がせないので、大家にバールを借りてきた。バキバキと音を立てて、豪快に剥がしていく。
「こんなに壊しちゃって大丈夫なの……?」
大智が不安そうに見ている。
「母がいなくなれば取り壊す予定らしいので、お気になさらずとも大丈夫です」
剥がした板を脇に避けながら、秋山が答える。
バールがあるとはいえ、年季の入った板はかなり脆く、簡単に剥がれていく。
剥がしては砂埃が落ち着くのを待ち、中を確認する。手当たり次第に剥がしているので、必要以上に壊している気もする。
新しい板にバールを差し込み、梃子の原理で板を持ち上げた時だった。
「っ!」
部屋に漂っていた臭いを、もっとより凝縮し濃厚にしたような香りが鼻をついた。
健だけではない、大智と秋山も手で鼻と口を押さえている。
「剥がすぞ。少し下がって」
大智と秋山を手で制し、健はバールに体重をかけた。
バキバキッという音と、突如入り込んだ光に驚いた多くの羽虫が一気に飛び立つ。
狭い部屋で行き場のない羽虫達は、窓から玄関からと徐々に飛び去っていった。
「あ……」
大智が目を見開いた。
板の下に残ったものは、悪臭を放つ根源である、獣の死体だ。
横たわる体は、毛に覆われてわかりにくいが、虫に食われて腐り落ちている。
首には、色がくすんで千切れそうなほどボロボロになった、赤いリボンがついている。
「俺が視てたのはこいつだ」
健は口元のタオルをきつめに巻き直し、獣の死体に手を合わせる。
軍手やゴム手袋があればよかったのだが、あいにく手に入らなかったので、素手で獣の首からリボンを外した。
リボンを首から引き抜く際、あるはずの重みが感じられず、すんなり引き抜けた。もう、肉はほとんど残っていないようだ。
健はリボンを伸ばし、端から端へ目を走らせた。くすんではいるが、残っている。
「秋山さん、これを」
リボンを秋山に手渡し、見てほしいと促す。
秋山は、獣の死体から外れたリボンに抵抗があったようだが、リボンを見てハッとした表情をした。
横から覗いた大智も同様に。
リボンには、かすれた文字で『ゆきこ』と書かれていた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「ありがとうございました」
深々と頭を下げた秋山は、リボンを大事そうに握りしめた。
まだ病院の面会時間に間に合うので、見舞いに行くとのことだ。
秋山の顔は安堵と疲れで、さらに眉が下がり情けないものになっていた。
だが、本人は清々しいのだと言った。
破壊した家のこと、獣の死体のこと、すべて任せろと言うので秋山に任せることとなった。
以上で、健と大智の仕事は完了したことになる。
今回は一楓とのやりとりがほとんどなかった為、解決後に事後報告となった。
文句を言われるかと思ったが、なんだかしんみりと話を聞いていた。
『猫ちゃん……』
猫が好きらしい。
『でも、健くんよく分かったね。最初の情報には違和感しかなかったけど、女性って言われてたから、まさか猫だなんて』
一楓の言う通りで、先入観とは簡単には曲げられないものだ。
今回、健が気づくことができたのも黒猫本人のおかげだろう。
もしかしたら、あの黒猫は秋山の母親の死期を悟っていたのかもしれない。
自分の死が近いのも分かっていて、死にどころに、あの場所を選んだのか?
それとも、ただの偶然なのだろうか。
健が黙り込むと、一楓は『終わったことよ』と言った。
そうなのだ、これ以上考えても、もうどうにもなることはない。
『2人ともありがとね』
一楓の労いに、大智は満足そうににんまりと笑った。
目の下のクマはより濃くなっている。
健も瞼が重かったが、秋山のように、気持ちは晴れていた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
2ヶ月ほど経った頃、別件で一楓に呼び出された時に秋山の話を聞いた。
一楓に連絡があったらしい。
リボンを片手に健達と別れた後、母親を見舞うとちょうど目を覚ましていた。
虚空を見つめて「ゆきちゃん、ゆきちゃん」と呟く母親に、秋山は「見つけたよ」とリボンを見せた。
母親は秋山を見た。それからリボンを。
リボンに手を伸ばしてきたので、秋山はそれを母親に持たせた。
「あ、ああ、ゆきちゃん、どこに行っていたの。もう離さないからね。ずっと一緒だからね」
母親はリボンを撫でながら抱きしめた。まるで、そこに黒猫がいるかのように。
痩けた頰に笑くぼを浮かべ、穏やかに微笑んでいた。
そんな母親の表情を、秋山は久しぶりに見たのだった。
「母さん……」
母親はリボンを撫でながら、秋山を見た。
「おや、お前、帰ってきていたのかい?」
母親はここで、初めて秋山を認識した。
驚いて目を丸くしたと思ったら、潰れるほど細めて笑うのだった。
「お腹、空いてないかい?」
それは学生時代、部活を終えて家に帰ると毎回掛けてくれる言葉だった。
秋山はベッドの傍で、背中を丸めて泣き崩れた。
その背中を、骨と皮のようなしわくちゃな母親の手が撫でる。
「仕方のない子だねぇ」と、秋山が泣き止むまで、いつまでも撫で続けた。
その夜、母親は息を引き取った。
リボンと、どこに隠し持っていたのか、幼い秋山と母親が一緒に写っている写真を胸に抱いていた。
満足そうに、安らかに眠ったような綺麗な死に顔だった。
遺体はその形のまま、リボンと写真を抱かせたまま火葬してもらった。
「やっと一緒になれたね」
火葬してお骨になった黒猫の骨壷と、母親の骨壷を並べた。
線香に火をつけて手を合わせる。
「にゃあ」
嬉しそうに黒猫が鳴いたが、その声は秋山に届くことはなかった。
ゴロゴロと喉を鳴らして頬を秋山に擦り付け、満足した黒猫は光の中へと消えていった。
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