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廃校7★
しおりを挟む霊体になってしまうと、時間感覚も狂うのかもしれない。
女性の話を聞きながら、健はそう思った。
「彼がいなくなって、私も縛られていたものから解放されたようです」
『それなら、早く身体に戻りなさい』
「いいえ、まだです」
一楓にばっさりと返す女性。
「まだ、理緒ちゃんに会えていません」
女性は頑なに首を横に振る。
だが、少女に会おうにも、話を聞いている限り2年半ほどが経過している。
少女はもう然るべきところへ渡っているかもしれない。
それと、1つ懸念があった。
「いつまでも戻らないでいると、身体が死んでしまうんじゃないか?」
女性の身体には今、魂がない状態のはずだ。
それを延命措置で生かしてるのではないか?
健はそれが気がかりで仕方ない。
2年半も意識が戻らなければ、そろそろ、と中止されてしまう可能性がある。
「たとえそうだとしても、私は理緒ちゃんと話がしたい。だって、私だけのうのうと生きてるなんて、おかしいでしょう? 恨まれても仕方ないでしょう?」
女性は歯噛みした。
悔しそうな、悲しそうな、そんな表情を浮かべて。
『なぜ恨まれると思うの?』
「だって、助けてあげられなかったから……」
一楓は忌々しげにため息をついた。
『あなたは十分、理緒ちゃんの助けになっていたわ。理緒ちゃんが今、どこにいるか教えてあげましょうか?』
女性は目を見開いた。
ふらふらと大智に近寄り、スマホに縋るように顔を近づけた。
『あなたの病室よ。ずっとあなたの側にいる。ずっと、あなたの帰りを待ってる』
「まさか……」
『早く戻りなさい』
ピシャリと言う。
女性は呆然としながらも、健達に頭を下げて姿を消した。
まるで何事もなかったかのように、余韻も残さずその姿は消えた。
『生きているのに戻りたくないだなんて、そんな贅沢、絶対に許さないわ』
一楓の小さな呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「っは~~~~」と、長く息を吐いたのは大智だった。
他の皆も気の抜けた顔をして、へたり込んでいる。
「なんだかすごい体験をした……」
「本当よね……」
省吾と結菜はごく自然に背中合わせで座り込んでいた。
その様子を、さくらは微笑ましく見ている。
『みんな、お疲れ様。これに懲りたら、肝試しなんて軽率なことはしないように!』
じゃ、と通話を切ろうとする一楓に、健は慌ててお礼を述べる。
はいはーい、と軽く流されて通話は切れた。
「ここにはもう何もいない。帰ろう」
健が歩き出すと、皆急いで立ち上がり足早に玄関へと向かった。
ジャリジャリと砂を巻き込んで、引き戸はすんなりと開いた。
軽やかな足取りで我先にと外へ出て行く。
「あー、空気が気持ちいい」
結菜が深呼吸している。
校舎内のこもった中にいたので、夜の少し湿った感じが心地よい。
「あの、仁科君」
さくらが健の裾をつまんでいた。
「助けてくれて、ありがとう」
続けて、省吾と結菜も。
「健、ありがとな」
「仁科君がいなかったらやばかったね! ありがとう」
健はぽりぽりと首の後ろを掻いた。
こんなに感謝されたことは今までにあっただろうか?
「ど、どういたしまして」
語尾がだんだんと小さくなったのは見逃してほしい。
頰が熱い気がする。きっと疲れが出てるんだ、そう思いたい。
大智がその様子をにこやかに眺めていたことに、健は気づいていない。
健が少しでも仲良くなれたらと、いつもより黙って見守っていたことも。
「えー、じゃない。付き合え」
健の霊感のことも、一楓の元でのバイトのこともあらかたばれて、説明した後。
解散しようという流れになった時だった。
「車は2台で、来た時も俺と大智で乗ってたんだから問題ないだろ。3人は帰ってもらって、大智はちょっと俺に付き合え」
「どこ行くのぉ」
不満げな大智。
それを見る3人の目は、少し好奇心が混じっていた。
「あっち」
健は顎をしゃくって見せた。
方角は、今出てきたばかりの校舎だ。
3人は興が冷めたどころか、大智に哀れみの目を向けていた。
大智は「げっ」と声に漏らしていた。
「違う、校舎裏の墓地だ」
健は訂正するが、4人の反応は変わらなかった。
「とにかく行くぞ、大智」
諦めたように項垂れる大智の肩に、省吾が手を置いた。
結菜とさくらがそれぞれに励ましの言葉を送っている。
まったく、と健は思う。俺だって行きたくて行くわけじゃない。
3人とはそこで別れ、健と大智は墓地へと向かった。
「墓地に何の用があるの?」
渋々と歩く大智からは、これみよがしなため息が止まらない。
「例の男、話聞きたいなと思って」
例の男とは、女性を轢いてしまった上に亡くなってしまった、鏡に執着していた男のことだ。
なんとなく気になることがある。
墓地に入ると、健は男の影を探す。
それほど広くないのですぐ見つかりそうだと思ったが、そこかしこに動く影がいるのでなかなかに気が散る。
「そういや大智、男の姿視えてたか?」
「うっすら影みたいなのが視えてたかな~。でも、それより嫌な感じがするほうが強かったかな」
本来、霊感がない人でも、 そういう現象に触れていくと感が研ぎ澄まされて視えるようになると聞いたことがある。
健や一楓のように、霊感の強い人の側にいてもそうなるという。
もしかしたら、大智もそのうち視えるようになるのでは?
……あまり考えたくない。騒いでうるさそうだ。
「あっ」
「なに、見つけた?」
「見つけた」
男は1つの墓碑の前にいた。
お盆が明けてだいぶ経ってはいるが、仏花は枯れることなく残っていた。まめに交換されているようだ。
供物台には白い紙のようなものが置いてあり、男はそれを見ていた。
「絵……?」
男は後ろから覗き込む健に気づき、振り返った。
「君はさっきの……」
腰をゆっくりと折り曲げ、男はまた頭を下げた。
「君と、友人達には怖い思いをさせて大変申し訳なかった。あんなことをしたかったわけじゃないんだが、なぜか閉じ込めてしまった。すまない」
「誰も怪我はしなかったし、あなたも呑まれかけてた。まぁ大目に見ますよ」
男から感じていた禍々しいものは、一切なくなっていた。
「ありがとう。あの鏡をどうにかしてくれたことも」
男は再び紙を見た。
紙には、絵の具でカラフルに人が描かれていた。拙い文字で『おとうさん』と書かれている。
「息子が描いてくれたんです。すごいなぁ、文字が書けるようになってる。絵も上手だなぁ」
目を細め、口元をほころばせた。
愛おしそうに指で絵をなぞる。
「あれからどのくらい経ったんだろうか。納骨されて『息子は任せて、大丈夫だから』と、妻が言ってくれたので、後ろ髪引かれながらもここに来ようとしたんです。そうしたら、学校から出られなくなってしまって」
「……2年半ほどです」
「そうか、息子はもう小学生になっているのか」
ランドセル、一緒に選びたかったな。と言う男の頰を涙が伝う。
死んでも尚、成長を見守りたいと思うのは親であれば当たり前のことだろう。
いつか自分の手を離れるとしても、もう少し、ほんの少しだけ、と愛でていたいのは誰しもがそうだ。
2年半、それは男にとって大きすぎる空白の時間だったに違いない。
「お見苦しくてすみません。君のおかげで、これからまた息子に会えるというのに」
涙を拭うと、照れ臭そうに頰を掻いた。
話しても大丈夫だろうか。
男の様子を伺っていた健が切り出す。
「1つ、聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「俺達といた少女に、あなたは心当たりがありますか?」
「………」
穏やかな表情が一変し、真顔になる。
やはり、この男はあの少女、いや、女性のことを認識していたようだ。
「なぜあの女性を脅かしていたのですか?」
「………」
男は空を見上げた。
夜空は暗く深く、雲はひとつもない。星の輝きは小さく遠くにある。
「あの女性のことを、君は聞いているか?」
「はい」
健は短く答える。
ふぅ、と男は一呼吸する。
「あの女性は、まだ死んでいないはずなんだ。魂だけここにあるような、そんな気がしたんだ。なぜ学校にいるのかはわからないが、あそこにいてはいけないと思った。早く出ていくように仕向けていたんだが、やり方が悪かったな……」
「……そうでしたか」
「あの女性には償っても償いきれないことをしてしまった。私と同じところに来てはいけない。どうにか、生きてほしいと思ったんだ」
ん? と、健は首を傾げた。
「女性は、あなたには恨まれても仕方ないと言っていましたが」
男も首を傾げる。
「恨まれることはあっても、恨むことはないでしょう。私の過失で事故を起こしてしまったのだから」
ああ、なるほど。健は思った。
「お互いに自分のせいだと思っているようです」
「まさか、あの女性は何も悪くない。それより、女性の魂は学校から出ていきましたか?」
「身体には戻ったようです」
「そうか」
よかった、と言う声は震えていた。
しかし、戻ったようだが、どうなっているかはわからない。
わざわざ言う必要もないだろうと、健はそれ以上は黙ることにした。
男は憑き物が落ちたかのようにすっきりとしたようだった。
もう健がしてやれることはない。
あとは家族が、きちんと供養し導くだろう。
「では、これで」
男は、息子の絵を眺めながら姿を消した。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
それから数ヶ月後、大智に呼び出された健はいつもの居酒屋に向かっていた。
人でごった返した電車を降り、改札を出て人の波に呑まれていく。
大きな交差点を真ん中ほどまで歩いた時、なんとなく見覚えのある顔を見つけた。
健の記憶には、血色の悪い青白い顔しかなかったので、きちんと化粧をされ髪を上げていたその女性は、ぱっと見では気づくのは難しい。
もしかしたら他人の空似かもしれない。
「先生ー!」
その女性に2人の少女が駆け寄った。
女性は嬉しそうに目を細め、少女達を迎えた。
「先生何してるのぉ?」
「彼氏とデート!?」
きゃっきゃと盛り上がる姿は、人の波に消えていく。
横断歩道の信号も点滅し始めたので、健は急いで渡りきる。
あの女性だったのかもしれない。
あの女性じゃないかもしれない。
でも、あの女性だったのなら、それに越したことはない。
そうだったらいいな、と健は思うのだった。
「彼氏じゃないけど、運命の人見つけたかも」
ふふっ、と唇に人差し指を当てた女性は、交差点を振り返った。
軽やかになった足取りで先を急ぐ健を、姿が見えなくなるまで、いつまでも見ていた。
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