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トンネル1
しおりを挟む大智の運転する車は賑やかな街道を走り抜け、光源の少なくなった山道を進んでいた。
うねうねと曲がりくねった道を丁寧にハンドリングしていく。
助手席に座っている健は、素直に感心した。
「大智は運転上手いよな」
「そう? ありがと」
ふふん、と自慢げに大智はハンドルを切った。
健はどちらかといえば運転が苦手なので、乗っているだけでいいというのはありがたい。
「で、どんな依頼だっけ?」
数日前に一楓と居酒屋で会った際、改めて仕事内容を聞いたが酔っ払っていた健はほぼ覚えていない。
その時に、どんな依頼なのかという説明もあったようだがこちらも覚えていない。
「もー、本当に覚えてないの?」
眉を寄せた大智はちらりとこちらを見たが、仕方ないという感じで説明し始めた。
一楓は健と同じように、幼い頃から幽霊が視えた。
そしてこれまた同じように、彷徨う幽霊を導く力が長けていた。
違うのは、周りの環境だろう。
一楓は家が神社ということもあり、神主である父親が随分と目にかけその才能を伸ばしたようだ。
健の両親も理解はあったが、ここでは必要のない話なので割愛する。
一楓の力は神主の父親にはなかったものなので、神社の仕事とはまた別に依頼を受けていたようだ。
健のバイトはこの一楓の受けた依頼の一部を手伝ってくれ、ということらしい。
「健は昔から視えるって言ってたから、最適だと思って白羽の矢が立ったのです」
「立てたのはお前だろう」
そもそも、ただ “視える” だけの力しかなかったらどうするつもりだったんだ。
問い詰めたところで「頼まれたら断れなくて~」とか言うんだろう、このお人好しは。
巻き込まれる俺は命がいくらあっても足りん。
健はため息をついた。
大智と一緒にいるとため息をつく回数が多くなるのは気のせいか。
「依頼のほうは、トンネルに出るっていう女性の幽霊をどうにかしてくれって、そこの管理者っていう人から」
「管理者って、個人じゃないだろ?」
「さぁ、その辺は詳しく聞いてないけど。山奥の小さいトンネルだって」
「へぇ」
山奥の小さなトンネルにしろ、個人の所有物ということはありえるのだろうか。市か県の管轄か? そうであれば、依頼者は役所の人間か?
そんなところから依頼がくるなどあるのか。世間に知れたら袋叩きに合いそうなものだ。世間は役所に厳しい。
しかし、こうして依頼がくるということは一楓の功績が認められているのか、そもそも神社の知名度が高いのかもしれない。
どちらにしても情けない結果は出せないな、と健は唸った。
「そろそろ着くよ」
唸る健を訝しみながら、大智は車のスピードを落としていった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
目の前に見えたトンネルはずいぶんと古い石造りで、トンネル上部の名前が彫られているであろう部分は蔦がはびこっていた。
内部には灯りが微かに見えるが、ところどころ電灯が切れているようだ。オレンジ色の不気味な光が不規則に並んで奥へと続いている。
湿気が多いようで地面が濡れているように見えた。
『じゃあ、そのままトンネル入ってみようか』
大智のスマホから一楓が指示を出す。
今回も、この雇用主はスマホ通話で参加するらしい。
ど素人の健と大智には何をやればいいのか皆目見当もつかないので、とても心強いサポートだ。
大智はゆっくりと車を進める。
トンネル内の電灯では心許ないため、ライトは付けっぱなしにした。一応、この車は借りものなので傷でもつけたら後々厄介だ。
依頼主が小さなトンネルと言うだけあって、トンネル内部は随分と狭かった。対向車がギリギリすれ違えるといったところだ。天井も低い。
おかげで、ライトで照らされた壁が隅々まで見える。
ゴツゴツとした岩肌は、近代の立派なトンネルとはかけ離れたもので時代を感じさせた。苔のようなものまで生えている。
天井からは、時折水が滴ってきた。フロントガラスに水滴がポタリと落ちてきて、たびたび健と大智の肝を冷やした。
周囲を観察するようにゆっくりと進んでいた車は、10mほどのところで拓けた道に出た。
小さな山を1つ越えたようだ。
道の先は下り坂になっており、さらに先を眺めると民家の明かりがポツポツと見えていた。
何も出なかった、と安心した大智はつい息を吐いた。
『戻ってみようか』
間髪入れずに一楓が言う。
健は何も感じることがなかったので、次こそは、と気合を入れたが運転席の大智はがっくりとうなだれていた。
そんなに怖いのなら、こんなバイト引き受けなきゃよかったのに。と思ったところで、大智だから仕方ない。頼まれたら断れないのだから。
ならば早く終わらせようと、健は大智の背中をぱんっ! と軽く叩いた。気合を入れる意味で。
大智は心底驚いたようで、うなだれていたままの頭がハンドルにぶつかり、短くクラクションが鳴った。
さらに驚いた大智は声を上げて1人パニック状態だ。
『なにしてんの?』と一楓が呆れた声で言った。
その後、大智をなだめて落ち着かせトンネルを何度も往復したが、健は何も感じることはなかった。
時刻は午前3時をとうにまわっていた。もう1時間近くトンネルに出たり入ったりを繰り返している。
健は神経を使っていたためかなり疲労していたが、それよりも恐怖心と闘いながら運転している大智のほうが疲れ切っているようだ。
一楓は腑に落ちないといった様子で『何もいないはずないと思うんだけどなぁ』と呟いた。
「大智、ちょっと休もう」
トンネルを出たところで健が声をかけた。
一度仕切り直したほうがいい。そう思い、健は買ってあったアイスコーヒーを口に含んだ。
そういえばトンネルに着いてから一度も水分を摂っていなかった。もうぬるくなっていたが、苦味と酸味が口の中に染み渡り、少しだけ気分がスッキリとした。
大智は緑茶を飲んで大きく息をついている。
『2人とも長々とお疲れ様。4時を回ると日が昇ってきちゃうから、もう一踏ん張りお願いね』
ただ電話しているだけとはいえ、こんな時間まで付き合っている一楓も疲れただろう。
健は自分に不甲斐なさを感じていた。
やはり、そう簡単に幽霊を視る力は戻らないのだ。
湖の一件の後、日常生活において何度か影を見ることはあった。元は人であっただろう影は、健がその存在を認識すると途端に消えてしまう。
波長が合わないのだ。
合わせようとすればするほど影は見えなくなった。色濃くいたずらに手招きしているような影でさえも。
無意識でいるうちが一番存在を認識できるとは、なんとも難しい問題だった。
今回、この依頼に関しては特定の幽霊であろうことから影さえ見つけてしまえば波長が合わせやすいのでは、と少し期待していた。
予想に反し、影すら見つけられない状態だが。やはり難しい。
あまりやりたくなかったが、仕方ない。
健はあらかじめ用意していた懐中電灯を持ち、車の扉を開けて外に出た。
大智が驚いた顔をしている。
「なに? 健、どうしたの? 何する気?」
「ちょっと歩いて行ってくる。大智は待ってろ」
バンッと扉を閉めて歩き出すと、大智も慌てて車から降りてきた。
「待って待って、ちょっと待ってよ」
「大智は車で待ってろよ。怖いんだろ」
健は気を遣って言ったつもりだったが、涙目になった大智は「1人で待ってるのも怖いよ!」と怒った。
まったくその通りだ、と健は思い直したが、ついてくるほうが怖いだろうに。
『健くん、1人で行かずに私も連れていってね』
スマホが言う。
大智は「姉ちゃんまで…」と絶望的な顔をした。
しかし時間が時間なので構ってもいられない。4時まであと30分ばかりしかない。
健がトンネルに足を向けると、大智は急いで車のエンジンを切り懐中電灯を持った。
「つ、ついていくから!」
必死な大智に、スマホから押し殺した笑いが漏れた。『あ、ごめん』と謝る一楓だが笑いは収まっていない。
大智は「もー!」とか怒っているが、少し気が紛れたようだ。
気を取り直して、健はトンネルに向けて歩き出した。小声でまだ一楓とやり合っている大智も後に続く。
地面を踏みしめる度に、ジャリッジャリッと砂や小石を踏んでいる音がする。水を含んで湿った音だ。
定期的なリズムで、天井からの水滴が地面に跳ねる音も聞こえる。
そして、大智と一楓の声。すべてが狭いトンネル内で反響して不気味さを醸し出していた。
何より、壁に生えている苔だと思っていたものはすべてカビだった。
カビ臭さが充満している。車ではまったく気がつかなかった。
「臭いね」
大智が思わず漏らす。
『何が臭いの?』
「カビだよ」
『カビかぁー』と、トンネルの内部がどんな様子なのか想像したらしい一楓は苦い声を出した。
男の健や大智ですら嫌悪感を拭えないのだ、女性の一楓なら嫌悪感どころじゃ済まないだろう。
カビ臭さに気分を悪くしながらも、トンネル内を入念に見て歩いた。
車に乗っていては見つけられなかった見落としがないか、隈なく探した。
湿った地面。垂れてくる水滴。場所によっては小さな水たまりを作っていた。カビの生えた岩肌の壁。不定期に切れている電灯。ゴミの類は落ちておらず、心霊スポットにはおなじみの落書きも見当たらない。
健は首を傾げた。心霊スポットであれば、物好きな若者がたむろした跡が少なからず残っているはずなのだが。
「なぁ、一楓さん」
健は疑問を口にすることにした。
「ここは心霊スポットなのか?」
『……微妙』
一楓は困ったように答える。
というのも、依頼主が「ここの女性の幽霊をどうにかしてほしい」というばかりで他の情報がないらしい。噂が元で放置せざるを得なくなって依頼してきたわけではないようだった。
『なんかきな臭いのよね。そこに関する噂は聞かないし、依頼主も何か隠してそうだけど頑なに一点張りだし。だから自分で確かめようとしてたんだけど』
自分で赴けなくなった、と。
さすがにスマホ越しでは一楓も何も感じることができないらしく、歯がゆそうだ。
そうして歩いているうちに、だんだんとカビ臭さが薄れ湿った空気が乾いたものへと変化していった。出口が近い。
出口から見える外は先程までの真っ暗闇ではなく、日が昇りはじめているのか薄明かりが射していた。
「長かった~!」
大智が小走りで出口に向かいスニーカーの足音が響く。
ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ
コツ… …コツ… …コツ… …コツ……
「ん?」
大智の足音に混じって何か違う音が聞こえた気がする。
音は前方から、大智の後を追うように聞こえた。
健は耳を澄ませる。
コツ… …コツ… …コツ… …コツ……
確かに聞こえた。
靴底を打ち鳴らす音。女性特有のヒールのある靴の足音だ。
やっと見つけた、と健は音の鳴る方へ目を向けた。
大智の走るすぐ後ろ、赤い何かがぼやけて見える。
「あれは……」
赤いハイヒールだった。
コツ、コツ、と出口に向かって歩いてる。
足の持ち主は見えない。
大智はその音に気づくことなくトンネルを抜け出た。
そして、健を振り返って「朝になったよー!」と手を振った。
その瞬間、赤いハイヒールは忽然と姿を消してしまった。
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