騎士アレフと透明な剣

トウセ

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第九章

透明な剣の力 (1)

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時の流れは速いようで、エルトナム学院で過ごした期間はあっという間に、一年を過ぎようとしていた。

卒業試験まであと一週間ほどとなり、学内は普段より騒々しかった。

校庭には、決闘試験のために三年生が集まって模擬戦を行っており、図書室には沢山の生徒でごった返していた。

何処へ行こうにも人がひしめきっているため、アレフは仕方なく、赤の寮の談話室で自習することを選んだ。

「俺は卒業できればいいヤ」

ソファーに寝転びながら、リィンがつまらなそう教科書をぺらぺらとめくっていた。

同じソファーにアレフも座り、机に沢山の教科書を置いては、羽ペンを持って、今まで習った範囲の勉強をノートに書き写していた。

「そうかいそうかい。随分と余裕みたいだし、今度からは寝ていて聞いてなかった授業を教えなくていいのかな」

アレフのため息交じりの言葉に、リィンはすっと起き上がると「それとこれとは話が別ヨ。あと、アレフ。ここ教えて、ここ」

リィンは読んでいた教科書をアレフの顔に近づけると、教科書を指でトントンと叩きながら、強引にアレフに見せつけた。

アレフのため息はさらに大きくなるが、それでも、アレフがリィンを見捨てることはなく、指で差された問題に対して丁寧に教えていた。

そんなことをかれこれ十回ほど繰り返していると、女性寮の階段から、教科書をたくさん抱えたエトナが降りてきて、アレフの隣に座るや否や、「ここ分からないから、教えて」とリィンと同じ手際で、アレフの眼前に教科書を突き出した。

アレフのため息はこれまた大きくなり、偶然通りかかったガイアからは「大丈夫か?」と心配の声をかけられるほどだった。

午前中の自習が終わり、アレフとエトナとリィンは昼食のため講堂に向かった。

講堂の中はちらほらと生徒がおり、一年生の円卓にはマーガレットが両手程の大きさのはちみつパイを食べながら勉強していた。

マーガレットの勉強への熱中具合は人一倍凄いもので、羽ペンを持つ右手が忙しなく働いていた。

「マーガレット、ケテル先生やグレイアロウズ先生とは取りってもらえたの?」

熱中して勉強しているマーガレットの傍に席を取り、机下のボタンを押しては、エトナが質問を飛ばした。

「ええ、二十分かかったけど、ようやく勉強の質問が出来たわ」

「ヒュー」

リィンが煽るように口笛を吹くが、マーガレットはそんなことには全くに気にせず、勉強を続けていた。

「あなたたちもここで勉強したら? ご飯も出るから、栄養補給も出来るわよ」

マーガレットは少し楽しそうに話した。

よっぽどこの環境が良いのだろう、机の上には既に七皿ほどの大きな食器が重なっており、食器の縁には、はちみつとパイのカスが付いていた。

重ねられたお皿を見ながらアレフは引き顔で答えた。

「いや、遠慮しておくよ」

「講堂じゃ騒がしくて集中できないかしら?」

「いやそうじゃなくてね」

歯切れの悪そうに答えるアレフの目線の先には、オズボーンが他の生徒たちとともに勉強をしていた。

オズボーンがこちらに気づくと、感じの悪そうに周りの生徒たちと内緒話をし始めた。

過去にいざこざがあった三人からしてみれば、講堂はあまり居心地の良いとは言えなかった。

アレフの目線の先を知って理解をしたのか、マーガレットはそれ以上の言及はしなかった。

「俺たちは談話室で食べるよ。誘ってくれたのにごめんね」

アレフはマーガレットにそう告げると、机の下のボタンを押した。

机から出てきたのは、紙袋に包まれたハンバーガーや、炭酸飲料の入った紙コップがトレイに乗って出て来た。

アレフがそれらを持ち出すと、エトナやリィンも同じようにトレイと食べ物を手に持った。

リィンが手に持ったトレイの中を探るように見ているが、それを余所に、アレフとエトナは、マーガレットに「じゃあね」と言って、この場を立ち去ろうとした。

何を思ったのか、マーガレットは立ち上がり、教科書とはちみつパイを手に取ろうとする。

教科書を抱えたが、それだけで手一杯となったマーガレットは、机に置かれたはちみつパイを少しの間だけ凝視すると、何とも残念そうに首を横に振り、机の下のボタンを押して、はちみつパイを机の中に戻していった。

マーガレットの行動に足を止め、三人は不思議そうに見ていたが、彼女が席から立ち上がり、エトナの隣に並ぶと、アレフたちも止めていた足を動かした。

「いいの? あっちははちみつパイは出てこないよ?」

エトナは苦笑いしながらマーガレットに問いかけた。

「いいの! なんだか居心地が悪いと思っていたのよね!」

マーガレットはオズボーンを横目で見ながら、わざとらしく大きな声で言った。

オズボーンがこちらを睨みつけていたが、そんなことを気にもせず、マーガレットは清々しい顔だった。

「ところで、リィンは何やってんだ?」

「何って、探しモノ」

アレフの隣でリィンは今もなお、トレイの上を物色していた。

「探し物?」

「ウン。頭の中でビニールボールとか描いていたんだけどさ、やっぱり出てこないね。お皿とかトレイとかフォークとかは出てくるのに」

「何がしたいのさ」

アレフは呆れ顔でリィンとの会話を続けた。

アレフが思うに、どうせリィンはくだらないことを考えているのに違いなかった。

「いやー、ビニールボールとか取りだして、あいつの顔面に投げてやろうかと思って」

リィンがオズボーンの方を見て鼻で指す。

アレフの呆れ顔は治らなかったが、リィンの発言に「出来るようになったら、俺の分も用意しといて」と賛同した。

アレフは四人分の食事をトレイに乗せて廊下を歩いていた。

マーガレットが合流してから三時間ほど経った頃、誰かが「間食を食べたイ」と言い出したのだ。

それに賛同するように次々と「甘いもの食べたい」や「アレフ。ご飯取ってき」と言い出す者が増えてきた。

「間食くらいなら、一人で運んでこれるよ」と言った者は、じゃんけんをし、負けた者が運んで来るようにゲームを持ち掛けた。

結果はじゃんけんを持ち出した者の完敗だった。

じゃんけんにあいこは生まれず、代わりに憐みの声が生まれていた。

敗北者は逃げ出すように談話室から出ていき、今に至るのだった。

「いつもじゃんけん負けてる気がする」

アレフは肩を落としながら、廊下をとぼとぼ歩いていた。

トレイの上には板チョコや、紅蜂の甘露煮、はちみつパイが置いてあり、明らかに一人で食べる量でないことに、通りがかったベネットからは「君、甘党だったんだ」と言われてしまった。

通り過ぎる生徒たちに、不思議そうにじろじろと見られ、アレフの耳は真っ赤になっていた。

赤の寮に進む道に差し掛かるところで、トイレからひそひそ声が聞こえてきた。

声の主は、グレイアロウズとケテルの声だった。

この学院に来てからというもの、度々二人は衝突していることがあり、アレフも妙に気になっていた。

アレフは二人にバレないよう、近くにあった机の上の花瓶をどかし、トレイを机に乗せると、トイレの扉を少しだけ開けて、恐る恐る中を覗いた。

グレイアロウズは腕を組み、威圧的にケテルを睨みつけていた。

対してケテルは穏やかな顔でグレイアロウズを見ていた。

「それで、お前の目的は終わるのか?」

「ええ、これで元に戻せます。いやぁ、長い旅路でしたよ。フフフ……」

ケテルは口元を緩め、弾んだ声で答えた。

だが、グレイアロウズの鋭い目つきは変わらずケテルを捉えていた。

「それで、いつ頃行うのだ?」

「フフ、それがですね……」

とケテルが口を開いた時だった。

「アレフ。トイレなんか覗いて何してるんだい?」

螺旋階段がある廊下側から歩いていたリーフは、遠巻きにアレフに声をかけてきた。

「わっ!」

アレフはリーフの声に驚き、その勢いでトイレの扉を押してしまう。

扉が大きく開かれたため、アレフはグレイアロウズとケテルに見つかった。

「クロウリー! そこで何をしている!」

グレイアロウズは相当な剣幕で、アレフに怒声を浴びせながら歩き寄ってきた。

グレイアロウズの勢いにアレフはおどおどしてしまい、近寄ってくるケテルとグレイアロウズの顔を交互に見合わせてしまう。

「何を聞いていた?」

グレイアロウズはアレフの襟元を強く引っ張った。

強く引っ張るあまり首元がきつくなり、アレフは声を出すのがやっとだった。

「えっと、先生……」

「グレイアロウズ先生、そのくらいにしてください。目的の邪魔にはなりませんから」

優しく声をかけたケテルは、場に似合わないほどの笑顔だった。

アレフは二人を見て、不気味な印象を持った。

あれほど、仲の悪そうにしていた二人が、今日に限っては衝突をしていない。

とても不思議な光景で、アレフは今すぐこの場から立ち去りたかった。

「グレイアロウズ先生。今日は随分と荒れていますね」

先ほどまで遠くにいたリーフが、アレフたちの傍まで来ており、険しい顔つきでアレフの襟元を掴んでいるグレイアロウズを睨みつけていた。

「生徒に対してそのような対応は、あまりよろしくないと思いますが」

グレイアロウズはリーフに対しても睨みを利かせながら、アレフを突き飛ばすように襟元から手を離した。

「失礼したな、リーフ殿。これは私なりの教育でな。人の会話を黙って盗み聞きする者は、騎士の風上にも置けないのでな」

「そうですか。アレフは随分立派な騎士だと私は思っていますが、あなたのような偏屈から見れば、そう映らないのも無理はありませんか」

リーフにそう言われ、グレイアロウズは鼻を鳴らした。

「ところで、リーフ先生。ローレンス学院長は今、どこにいるか分かりますか?」

「ローレンス学院長ですか? それなら、ロストフォレストに行きましたよ。なんでも、するべきことがあるとかで」

「ロストフォレストですか。それは都合がいい」

ケテルがボソッと呟いた。

その言葉をリーフは聞き漏らさなかった。

「都合がいいとはどういうことです?」

「……まさか、今日か」

リーフの質問に答えるわけでもなく、グレイアロウズは何かに気づいたように、赤の寮に繋がる連絡路まで出ると、空を見上げた。

グレイアロウズが空を見上げ、呆然としている姿を不思議に思い、アレフもリーフも連絡路まで出ると、空を見上げた。

ただ一人、ケテルだけはその場に留まって不敵な笑みをしていた。
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