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第七章
禁書庫に隠された七年前の記憶 (6)
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雨の音が寮内からでも聞こえていた。
雨は朝よりも強く、窓ガラスを叩く音に加えて、石造りの壁を叩く音でさえ寮内に響き渡っていた。
アレフたちの証言作りのため、リィンを寮に置いて、アレフ、エトナ、マーガレットの三人は本館と寮を繋ぐ吹き抜けの廊下を歩いていた。
強い風と横殴りの雨に、一行の顔は苦り切った表情をし、マーガレットは透明の剣の本を濡らすまいと、服の中に隠しながら歩いていた。
アレフたちもマーガレットの持っている透明な剣の偽装のため、いくつかの本を服の中で隠しながら歩いていた。
本館の廊下までたどり着き、雨の猛威から逃れると、濡れた服を気にしながら、アレフたちは図書館へ向かった。
道中、アレフたちはグレイアロウズとすれ違った。
相も変わらず無愛想な顔にアレフたちは挨拶をし、特に帰ってこない返事に期待せず、ただ本だけはバレないようにそそくさと通り過ぎた。
「待て、クロウリー兄妹。ラインフォルト。随分と大事そうに服の中の物を運んでいるが、さてはまた何かしているのか」
グレイアロウズの急な呼び止めに、思わずアレフたちは十センチほど飛び上がった。
息を飲むように三人はグレイアロウズに振り向くと、「いえ、ただの教科書です。雨で濡らしたくなかったので」と返事を返した。
グレイアロウズはフッと鼻で笑うと、廊下を軽く見渡した。
「本館の窓は閉まっている。もう服の内に隠す必要もなかろう。なぜ、背中を丸めながら歩く必要がある。騎士ならば姿勢を正しく保て。特にクロウリー」
「はい」
クロウリーと呼ばれて、アレフとエトナは二人して返事をしてしまう。
二つの返事が返ってきたことに、グレイアロウズは目をぎょっとしてエトナを見たあと、「エトナ・クロウリーの事ではない」と訂正を入れた。
「アレフ・クロウリー。お前は春の学院対抗戦に出場するのだろう? なら、学院の恥にならぬようにしっかりしろ」
グレイアロウズはアレフに近づくと、アレフの肩と背中に手を当て、姿勢を真っ直ぐにさせようと力を入れた。
丸まっていたアレフの体が悲鳴を上げながら真っ直ぐになり、それと同時に、隠し持っていた教科書が床に散らばった。
アレフは無理矢理体を正され、痛みに顔をゆがめていると、グレイアロウズは散らばった教科書を一瞥しては、薬学の教科書に目が行ったのか「薬学は教科書の三十七ページの薬草を使った傷薬の作り方を頭に入れておけ。騎士になってから特に役に立つ」と言うと、その場を立ち去ってしまう。
立ち去るグレイアロウズに、アレフは舌を出し小馬鹿に見送っては教科書を拾い上げた。
「なんだか、機嫌が悪かったね」
「いつも通りだろ」
「まだ本のことは知らないのかしら」
「だとすれば、今のうちに元に戻そう」
三人は早歩きで図書室へと進んでいった。
図書室は先ほどよりも生徒が増えており、長机は大方埋まっていた。
アレフたちは禁書庫まで近づき扉を確認する。
扉はしまっているが、鍵は消え去っており、数時間前に開錠したままの状態だった。
「万が一鍵がかけられている時は、適当に本棚にしまうつもりだったけど、かかってないなら中に入っちゃおう」
アレフはそう言い、禁書庫付近に人がいないか確認すると、マーガレットにアイコンタクトを送る。
マーガレットはそれに頷くと、サッと禁書庫の扉を開けて入っていった。
マーガレットが本を戻しに行く間、アレフとエトナは扉前で待機していた。
待機中、エトナは床をきょろきょろと見渡しては何かを探していた。
アレフが「どうした?」と問いかけると、エトナは歯切れが悪そうに答えた。
「実はさっき、落し物をしちゃったの」
「えっ」
「落とし物というのはこれの事ですかな」
アレフたちの前に差し出された手の上には、ピンク色のネコのキーホルダーがあった。
アレフたちは差し出した手の本人を見上げる。
アレフたちの目の前にいたのは、本を盗んだ時にすれ違ったケテルだった。
アレフとエトナは学院に入学する際に、ダァトから「落とし物には気を付けて」という占いをされたことを思い出していた。
ケテルは演技するように話し始めた。
「いやあ、禁書庫の扉付近にこれがありまして。それでどうでしょう。禁書庫の本が一冊無くなってるではありませんか。私、これはもしかしてと思いまして、このキーホルダーの持ち主と無くなった本は何かしら関係があるのではと思いまして。しばらく待っていたら、なんと! エトナ様が来られたので、私はとても驚いております!」
興奮のあまり早口で話すケテルに、アレフとエトナは引き気味になっていた。
「えっと、ケテル先生。キーホルダーを拾ってもらいありがとうございます」
エトナが手を差し出すと、ケテルは喜んでエトナの手にキーホルダーを渡した。
「ところでお二人は、禁書庫の無くなった本を返しに?」
「あー」
アレフたちは狼狽しながら顔を見合わせた。
「す、すみません。これには訳があって」
「お母さんたちのこと、知れるかなと思いまして。自然公園の事件のこととか」
アレフは咄嗟に嘘をついた。
「それで透明な剣の文献を盗んだと」
ケテルはにっこりと微笑んだ。
その表情にアレフたちは気味の悪さを感じた。
なんだか、会話がかみ合っていないような、それでいて楽しいんでいるような気がして、アレフたちは一種の気持ち悪さを感じた。
「あの本は私が書いたのですよ。どうです? 面白かったですか?」
ケテルの思わぬ発言に、アレフの表情は追いつかなかった。
エトナも訳の分からない様子だった。
「先生が書いたのですか?」
「ええ、そうです。中身は一般には公開できませんが、かの有名な透明な剣を調べ上げまして。これがもう、とにかく面白く、けれども、刺激的な内容で……」
ケテルは話に熱が入り、「あのページの……、あの言葉の……」と勝手に語り始めた。
アレフは背後にある禁書庫の扉が、軽く叩かれたことに気づいた。
マーガレットからの合図だった。
ケテルが目の前にいる今、マーガレットを禁書庫から出してはいけないと考えたアレフは、ドアをケテルにバレないように軽く叩き、合図を行った。
その一連のやり取りが終わった頃、ケテルがアレフたちに問いかけた。
「どうです? この後、私の部屋で透明な剣についてお話ししましょう。もちろん、このことは学院長には秘密にします。どうですか?」
「ええ、是非、お願いします」
思ってもみない条件を掲示されたアレフは作り笑いをし、エトナも「お願いします」と返事をした。
図書室を後にしたアレフたちは、ケテルに連れられ、戦術学の教室の教師室に案内された。
ケテルに促され、部屋の中央にある黒革のソファーに座ると、ケテルは壁際に置かれているコーヒー入りのフラスコに火をつけた。
部屋には地球儀や、知らない生き物の剝製、ぎっしり詰まった本棚に、ベッドの傍には、ローレンス学院長と握手を交わしている写真たてが立てられていた。
アレフが写真たてに注目していると、コーヒーを右手で持ってきたケテルが、アレフの目線の先の物に気づく。
「あの写真たてですか? あれはあの本を書いた時に交わした握手です。当時はまだエルトナム騎士団に所属していなくてですね。よそ者の私の取材を快く受け入れてくれたんです」
ケテルはアレフとエトナの前にコーヒーを置いた後、自分の分を用意しながら話していた。
「当時って、昔は違う騎士団に入っていたんですか?」
「そうです。私が所属していたのは、騎士マルクト……、エトナ様のお父様と同じ騎士団でして。今はもう解散しましたが」
ケテルは寂しそうに語り、自分の分のコーヒーを持って、アレフたちと対面するようにソファーに腰掛けた。
「あの、本当にマルクトという人は、私の父なんですか? 小さい時の記憶がなくて。みんなはそう言うけど、あまり実感がわかなくて。それに……」
エトナは言葉を詰まらせた。
「アレフの両親を殺したんですか?」
エトナの言葉は震えながらも芯が通っていた。
アレフはエトナの発言に目を丸くした。エトナは今なお気にしていたのだ。
「だから、エトナはクロウリー家の家族だって。エトナが気にしなくていいんだよ」
「そうですよ。エトナ様。マルクトはあなたの父であり、アレフ君のご両親を殺したのは、騎士マルクトではありませんから」
「えっ」
ケテルの言葉にアレフもエトナも驚いた。
アレフは手に持っていたコーヒーを危うくこぼすところだった。
二人の反応を見て、ケテルもきょとんとした顔をした。
アレフは持っていたコーヒーカップをティーゼルに置き、「マルクトじゃないんですか?」と問いただした。
「違います。あー、いえ、合ってますが、正しくはありません」
ケテルはコーヒーをすすると、ティーゼルにカップを戻した。
「マルクトの体を乗っ取ったヴォ―ティガーンがあなたの両親を殺したのです。ですから、マルクトに罪はないのです。ただマルクトには、悪騎士という悪評が出回ってしまったせいで、事件を起こしたということになってしまっており、ヴォ―ディガーンの名は、世間一般に伏せられてしまっています」
「つまり、七年前の事件はマルクトが起こしたのではなく、ヴォ―ディガーンが起こしたということですか?」
「その通り」
アレフとエトナは顔を見合わせた。
もしかしたら、今日ここで、マースやローレンス学院長に聞けなかった事件の真実が聞けると確信した。
「ケテル先生。その事件について、もっと知りたいです」
「そうでしょうね。では、当時のことについてお話ししましょう。話すと失った左手が痛くなりますが、まあ、お二人も被害者なわけですし、ここは教師として役目を果たすべきですかね」
ケテルは失った左手を、本当にあるかのように眺めながら話し始めた。
「当時、クロウリー夫妻は子供二人を連れてピクニックニッ出かけていました。そうです。あなた方お二人とともに。そして、そこで事件が起きました。騎士マルクト……。もとい、ヴォ―ティガーンが悪騎士たちを連れて、クロウリー夫妻を殺しに来たのです。ですが、それを見計らったように、我々エルトナム騎士団やそのほかの騎士団もその場に駆け付けたのです。彼ら悪騎士たちが来るのは分かっていたのです。アレフ君。君のお母様のおかげで」
「お母さんのおかげ?」
「そうです。あなたのお母様は、黄金級のアーティファクトの持ち主でした。リーフ先生のようにね。お母様が持っていたアーティファクトは未来を予測する能力です。それを用いて、クロウリー夫妻は自らを囮として、悪騎士たちを捕まえる作戦を立て、実行しました。ところがそうは行かなかった。なぜならその場にいたのは騎士マルクトに乗り移ったヴォ―ティガーンだったからです。マルクトが来ると勘違いをしていた私たちは、戦力を見誤りました。未来が違ったのです。ヴォ―ティガーンは冷徹、冷酷、残酷な方で、禁忌とされるアーティファクトをその場で作ったのです。近くにいた手下を使ってですね。あれには驚きました。人を爆弾にするのですから。手下は皆、喜んでいました。まさしく狂気そのものです」
ケテルの話にアレフは絶句した。
人を爆弾にしたヴォ―ティガーンも許せないが、それに賛同している悪騎士たちの思考が分からなかった。
アレフの口の中に、コーヒー以外の苦いものが口の中に広がった。
「私たちは戦いました。最初に人間爆弾が迫ってきた際には、マース先生のお兄さんが身を挺して我々を庇い、死に。次に、ミュルグレス騎士団の団長殿が、決死の覚悟で戦いに挑み、死にました」
「マースのお兄さんも……」
「ええ、事件後に彼は悔やんでましたよ。当時のマース先生はこの戦争を知ることは出来ませんでしたからね。だからこそ、生き残ったあなた方を知った時、彼は涙を流しておりましたよ」
エトナは「そうなんだ」と呟いて俯いた。
エトナがどんな表情だったのか、長い髪に隠れて、アレフはその表情を読み取ることが出来なかった。
「私の左手もその時にね」
ケテルは無くなった左手をさすりながら呟いた。
「ケテル先生。そんな危険な場所に僕たちが居たのはなんでですか? それにそんな危険な戦いなら、僕たちが生き残っているのも変です」
「さっきも言ったように、あなたたち家族はピクニックをしに行ってたんですよ。ただのピクニックです。だからあなたたちもいたのです。もちろん、あなたたちを逃がす算段も付いていました。だが、それもヴォ―ティガーンのせいで出来なくなったのです。皆さんは戦うのに必死で、誰もあなたたちを見つけられなかったのです。だから今、あなた方がいることは奇跡に等しい。あの激しい爆発の中、生きているとは誰も思っていなかったでしょうね」
ケテルは優しい顔をして話した。
アレフはケテルの話に納得するように頷いていると、エトナが「その後は?」と催促をした。
「その後は、銀の門……、この話はしなくていいでしょう。戦いはローレンス学院長が透明な剣でヴォ―ティガーンを、騎士マルクトを切りつけておしまいです」
話し終わると、ケテルはコーヒーを飲み、一息ついた。
アレフも集中して聞いていたせいか、猫背になった背中を伸ばして姿勢を正した。
エトナはコーヒーカップの中に溜まった、赤茶色の水面を見つめていた。
「当時僕らのことを、なぜみんな知らないのか、よく分かりました」
「あの時、お助けできず申し訳ありませんでした。アレフ君、エトナ様」
ケテルが頭を下げ謝罪をするが、エトナは「大丈夫ですよ」と応えた。
アレフは置かれていたコーヒーカップを持ち上げて、コーヒーをすすると、疑問に思ったことを口にした。
「そういえば、透明な剣でヴォ―ティガーンを切ったんですよね。なぜ、僕らはヴォ―ティガーンの名前を口にできるのでしょうか。切られたマルクトもそうですが」
アレフの問いかけも虚しく、部屋の扉が叩かれたことで、その話は中断された。
三人が叩かれた扉の方を振り向く。
すると、扉の向こうから「失礼する。ケテル先生」と低い男性の声が聞こえた。
「ああ、どうぞ。グレイアロウズ先生」
ケテルはにこやかに返事をする。
扉を開け、グレイアロウズが不機嫌そうな顔で部屋に入ってきた。
アレフたちは入ってきたグレイアロウズの顔を見ては小さく会釈をした。
「なんだお前たち。図書室での勉強はいいのか」
「あー、私が呼んだんですよ。図書室で戦術学の勉強をしていましたので……」
「ほう、薬学の勉強をしに行ったように見えたが……。まあいいだろう」
グレイアロウズはアレフたちを睨みつけるように見ていた。
アレフは少し居心地が悪くなり、席を立ちあがる。
少し遅れて、エトナも立ち上がる。
「ケテル先生。本日はご指導くださりありがとうございました」
「え? ああ、ええ。またいらして下さい」
アレフはケテルにそう言うと、机の上に置いてあった教科書を手に持ち、二人はそのまま、グレイアロウズの横を通り過ぎていく。
グレイアロウズはアレフたちが部屋を出て、姿が見えなくなるまでずっと睨んでいた。
その後、アレフたちが寮に戻ると、リィンとマーガレットが談話室で待っていた。
「帰りが遅いから心配したわよ」とマーガレットが珍しく心配そうな声で話していた。
その言葉を聞き、アレフが壁掛け時計に目を向けると、時刻は本を返しに行ってから三時間もの時間が経っていたのだった。
雨は朝よりも強く、窓ガラスを叩く音に加えて、石造りの壁を叩く音でさえ寮内に響き渡っていた。
アレフたちの証言作りのため、リィンを寮に置いて、アレフ、エトナ、マーガレットの三人は本館と寮を繋ぐ吹き抜けの廊下を歩いていた。
強い風と横殴りの雨に、一行の顔は苦り切った表情をし、マーガレットは透明の剣の本を濡らすまいと、服の中に隠しながら歩いていた。
アレフたちもマーガレットの持っている透明な剣の偽装のため、いくつかの本を服の中で隠しながら歩いていた。
本館の廊下までたどり着き、雨の猛威から逃れると、濡れた服を気にしながら、アレフたちは図書館へ向かった。
道中、アレフたちはグレイアロウズとすれ違った。
相も変わらず無愛想な顔にアレフたちは挨拶をし、特に帰ってこない返事に期待せず、ただ本だけはバレないようにそそくさと通り過ぎた。
「待て、クロウリー兄妹。ラインフォルト。随分と大事そうに服の中の物を運んでいるが、さてはまた何かしているのか」
グレイアロウズの急な呼び止めに、思わずアレフたちは十センチほど飛び上がった。
息を飲むように三人はグレイアロウズに振り向くと、「いえ、ただの教科書です。雨で濡らしたくなかったので」と返事を返した。
グレイアロウズはフッと鼻で笑うと、廊下を軽く見渡した。
「本館の窓は閉まっている。もう服の内に隠す必要もなかろう。なぜ、背中を丸めながら歩く必要がある。騎士ならば姿勢を正しく保て。特にクロウリー」
「はい」
クロウリーと呼ばれて、アレフとエトナは二人して返事をしてしまう。
二つの返事が返ってきたことに、グレイアロウズは目をぎょっとしてエトナを見たあと、「エトナ・クロウリーの事ではない」と訂正を入れた。
「アレフ・クロウリー。お前は春の学院対抗戦に出場するのだろう? なら、学院の恥にならぬようにしっかりしろ」
グレイアロウズはアレフに近づくと、アレフの肩と背中に手を当て、姿勢を真っ直ぐにさせようと力を入れた。
丸まっていたアレフの体が悲鳴を上げながら真っ直ぐになり、それと同時に、隠し持っていた教科書が床に散らばった。
アレフは無理矢理体を正され、痛みに顔をゆがめていると、グレイアロウズは散らばった教科書を一瞥しては、薬学の教科書に目が行ったのか「薬学は教科書の三十七ページの薬草を使った傷薬の作り方を頭に入れておけ。騎士になってから特に役に立つ」と言うと、その場を立ち去ってしまう。
立ち去るグレイアロウズに、アレフは舌を出し小馬鹿に見送っては教科書を拾い上げた。
「なんだか、機嫌が悪かったね」
「いつも通りだろ」
「まだ本のことは知らないのかしら」
「だとすれば、今のうちに元に戻そう」
三人は早歩きで図書室へと進んでいった。
図書室は先ほどよりも生徒が増えており、長机は大方埋まっていた。
アレフたちは禁書庫まで近づき扉を確認する。
扉はしまっているが、鍵は消え去っており、数時間前に開錠したままの状態だった。
「万が一鍵がかけられている時は、適当に本棚にしまうつもりだったけど、かかってないなら中に入っちゃおう」
アレフはそう言い、禁書庫付近に人がいないか確認すると、マーガレットにアイコンタクトを送る。
マーガレットはそれに頷くと、サッと禁書庫の扉を開けて入っていった。
マーガレットが本を戻しに行く間、アレフとエトナは扉前で待機していた。
待機中、エトナは床をきょろきょろと見渡しては何かを探していた。
アレフが「どうした?」と問いかけると、エトナは歯切れが悪そうに答えた。
「実はさっき、落し物をしちゃったの」
「えっ」
「落とし物というのはこれの事ですかな」
アレフたちの前に差し出された手の上には、ピンク色のネコのキーホルダーがあった。
アレフたちは差し出した手の本人を見上げる。
アレフたちの目の前にいたのは、本を盗んだ時にすれ違ったケテルだった。
アレフとエトナは学院に入学する際に、ダァトから「落とし物には気を付けて」という占いをされたことを思い出していた。
ケテルは演技するように話し始めた。
「いやあ、禁書庫の扉付近にこれがありまして。それでどうでしょう。禁書庫の本が一冊無くなってるではありませんか。私、これはもしかしてと思いまして、このキーホルダーの持ち主と無くなった本は何かしら関係があるのではと思いまして。しばらく待っていたら、なんと! エトナ様が来られたので、私はとても驚いております!」
興奮のあまり早口で話すケテルに、アレフとエトナは引き気味になっていた。
「えっと、ケテル先生。キーホルダーを拾ってもらいありがとうございます」
エトナが手を差し出すと、ケテルは喜んでエトナの手にキーホルダーを渡した。
「ところでお二人は、禁書庫の無くなった本を返しに?」
「あー」
アレフたちは狼狽しながら顔を見合わせた。
「す、すみません。これには訳があって」
「お母さんたちのこと、知れるかなと思いまして。自然公園の事件のこととか」
アレフは咄嗟に嘘をついた。
「それで透明な剣の文献を盗んだと」
ケテルはにっこりと微笑んだ。
その表情にアレフたちは気味の悪さを感じた。
なんだか、会話がかみ合っていないような、それでいて楽しいんでいるような気がして、アレフたちは一種の気持ち悪さを感じた。
「あの本は私が書いたのですよ。どうです? 面白かったですか?」
ケテルの思わぬ発言に、アレフの表情は追いつかなかった。
エトナも訳の分からない様子だった。
「先生が書いたのですか?」
「ええ、そうです。中身は一般には公開できませんが、かの有名な透明な剣を調べ上げまして。これがもう、とにかく面白く、けれども、刺激的な内容で……」
ケテルは話に熱が入り、「あのページの……、あの言葉の……」と勝手に語り始めた。
アレフは背後にある禁書庫の扉が、軽く叩かれたことに気づいた。
マーガレットからの合図だった。
ケテルが目の前にいる今、マーガレットを禁書庫から出してはいけないと考えたアレフは、ドアをケテルにバレないように軽く叩き、合図を行った。
その一連のやり取りが終わった頃、ケテルがアレフたちに問いかけた。
「どうです? この後、私の部屋で透明な剣についてお話ししましょう。もちろん、このことは学院長には秘密にします。どうですか?」
「ええ、是非、お願いします」
思ってもみない条件を掲示されたアレフは作り笑いをし、エトナも「お願いします」と返事をした。
図書室を後にしたアレフたちは、ケテルに連れられ、戦術学の教室の教師室に案内された。
ケテルに促され、部屋の中央にある黒革のソファーに座ると、ケテルは壁際に置かれているコーヒー入りのフラスコに火をつけた。
部屋には地球儀や、知らない生き物の剝製、ぎっしり詰まった本棚に、ベッドの傍には、ローレンス学院長と握手を交わしている写真たてが立てられていた。
アレフが写真たてに注目していると、コーヒーを右手で持ってきたケテルが、アレフの目線の先の物に気づく。
「あの写真たてですか? あれはあの本を書いた時に交わした握手です。当時はまだエルトナム騎士団に所属していなくてですね。よそ者の私の取材を快く受け入れてくれたんです」
ケテルはアレフとエトナの前にコーヒーを置いた後、自分の分を用意しながら話していた。
「当時って、昔は違う騎士団に入っていたんですか?」
「そうです。私が所属していたのは、騎士マルクト……、エトナ様のお父様と同じ騎士団でして。今はもう解散しましたが」
ケテルは寂しそうに語り、自分の分のコーヒーを持って、アレフたちと対面するようにソファーに腰掛けた。
「あの、本当にマルクトという人は、私の父なんですか? 小さい時の記憶がなくて。みんなはそう言うけど、あまり実感がわかなくて。それに……」
エトナは言葉を詰まらせた。
「アレフの両親を殺したんですか?」
エトナの言葉は震えながらも芯が通っていた。
アレフはエトナの発言に目を丸くした。エトナは今なお気にしていたのだ。
「だから、エトナはクロウリー家の家族だって。エトナが気にしなくていいんだよ」
「そうですよ。エトナ様。マルクトはあなたの父であり、アレフ君のご両親を殺したのは、騎士マルクトではありませんから」
「えっ」
ケテルの言葉にアレフもエトナも驚いた。
アレフは手に持っていたコーヒーを危うくこぼすところだった。
二人の反応を見て、ケテルもきょとんとした顔をした。
アレフは持っていたコーヒーカップをティーゼルに置き、「マルクトじゃないんですか?」と問いただした。
「違います。あー、いえ、合ってますが、正しくはありません」
ケテルはコーヒーをすすると、ティーゼルにカップを戻した。
「マルクトの体を乗っ取ったヴォ―ティガーンがあなたの両親を殺したのです。ですから、マルクトに罪はないのです。ただマルクトには、悪騎士という悪評が出回ってしまったせいで、事件を起こしたということになってしまっており、ヴォ―ディガーンの名は、世間一般に伏せられてしまっています」
「つまり、七年前の事件はマルクトが起こしたのではなく、ヴォ―ディガーンが起こしたということですか?」
「その通り」
アレフとエトナは顔を見合わせた。
もしかしたら、今日ここで、マースやローレンス学院長に聞けなかった事件の真実が聞けると確信した。
「ケテル先生。その事件について、もっと知りたいです」
「そうでしょうね。では、当時のことについてお話ししましょう。話すと失った左手が痛くなりますが、まあ、お二人も被害者なわけですし、ここは教師として役目を果たすべきですかね」
ケテルは失った左手を、本当にあるかのように眺めながら話し始めた。
「当時、クロウリー夫妻は子供二人を連れてピクニックニッ出かけていました。そうです。あなた方お二人とともに。そして、そこで事件が起きました。騎士マルクト……。もとい、ヴォ―ティガーンが悪騎士たちを連れて、クロウリー夫妻を殺しに来たのです。ですが、それを見計らったように、我々エルトナム騎士団やそのほかの騎士団もその場に駆け付けたのです。彼ら悪騎士たちが来るのは分かっていたのです。アレフ君。君のお母様のおかげで」
「お母さんのおかげ?」
「そうです。あなたのお母様は、黄金級のアーティファクトの持ち主でした。リーフ先生のようにね。お母様が持っていたアーティファクトは未来を予測する能力です。それを用いて、クロウリー夫妻は自らを囮として、悪騎士たちを捕まえる作戦を立て、実行しました。ところがそうは行かなかった。なぜならその場にいたのは騎士マルクトに乗り移ったヴォ―ティガーンだったからです。マルクトが来ると勘違いをしていた私たちは、戦力を見誤りました。未来が違ったのです。ヴォ―ティガーンは冷徹、冷酷、残酷な方で、禁忌とされるアーティファクトをその場で作ったのです。近くにいた手下を使ってですね。あれには驚きました。人を爆弾にするのですから。手下は皆、喜んでいました。まさしく狂気そのものです」
ケテルの話にアレフは絶句した。
人を爆弾にしたヴォ―ティガーンも許せないが、それに賛同している悪騎士たちの思考が分からなかった。
アレフの口の中に、コーヒー以外の苦いものが口の中に広がった。
「私たちは戦いました。最初に人間爆弾が迫ってきた際には、マース先生のお兄さんが身を挺して我々を庇い、死に。次に、ミュルグレス騎士団の団長殿が、決死の覚悟で戦いに挑み、死にました」
「マースのお兄さんも……」
「ええ、事件後に彼は悔やんでましたよ。当時のマース先生はこの戦争を知ることは出来ませんでしたからね。だからこそ、生き残ったあなた方を知った時、彼は涙を流しておりましたよ」
エトナは「そうなんだ」と呟いて俯いた。
エトナがどんな表情だったのか、長い髪に隠れて、アレフはその表情を読み取ることが出来なかった。
「私の左手もその時にね」
ケテルは無くなった左手をさすりながら呟いた。
「ケテル先生。そんな危険な場所に僕たちが居たのはなんでですか? それにそんな危険な戦いなら、僕たちが生き残っているのも変です」
「さっきも言ったように、あなたたち家族はピクニックをしに行ってたんですよ。ただのピクニックです。だからあなたたちもいたのです。もちろん、あなたたちを逃がす算段も付いていました。だが、それもヴォ―ティガーンのせいで出来なくなったのです。皆さんは戦うのに必死で、誰もあなたたちを見つけられなかったのです。だから今、あなた方がいることは奇跡に等しい。あの激しい爆発の中、生きているとは誰も思っていなかったでしょうね」
ケテルは優しい顔をして話した。
アレフはケテルの話に納得するように頷いていると、エトナが「その後は?」と催促をした。
「その後は、銀の門……、この話はしなくていいでしょう。戦いはローレンス学院長が透明な剣でヴォ―ティガーンを、騎士マルクトを切りつけておしまいです」
話し終わると、ケテルはコーヒーを飲み、一息ついた。
アレフも集中して聞いていたせいか、猫背になった背中を伸ばして姿勢を正した。
エトナはコーヒーカップの中に溜まった、赤茶色の水面を見つめていた。
「当時僕らのことを、なぜみんな知らないのか、よく分かりました」
「あの時、お助けできず申し訳ありませんでした。アレフ君、エトナ様」
ケテルが頭を下げ謝罪をするが、エトナは「大丈夫ですよ」と応えた。
アレフは置かれていたコーヒーカップを持ち上げて、コーヒーをすすると、疑問に思ったことを口にした。
「そういえば、透明な剣でヴォ―ティガーンを切ったんですよね。なぜ、僕らはヴォ―ティガーンの名前を口にできるのでしょうか。切られたマルクトもそうですが」
アレフの問いかけも虚しく、部屋の扉が叩かれたことで、その話は中断された。
三人が叩かれた扉の方を振り向く。
すると、扉の向こうから「失礼する。ケテル先生」と低い男性の声が聞こえた。
「ああ、どうぞ。グレイアロウズ先生」
ケテルはにこやかに返事をする。
扉を開け、グレイアロウズが不機嫌そうな顔で部屋に入ってきた。
アレフたちは入ってきたグレイアロウズの顔を見ては小さく会釈をした。
「なんだお前たち。図書室での勉強はいいのか」
「あー、私が呼んだんですよ。図書室で戦術学の勉強をしていましたので……」
「ほう、薬学の勉強をしに行ったように見えたが……。まあいいだろう」
グレイアロウズはアレフたちを睨みつけるように見ていた。
アレフは少し居心地が悪くなり、席を立ちあがる。
少し遅れて、エトナも立ち上がる。
「ケテル先生。本日はご指導くださりありがとうございました」
「え? ああ、ええ。またいらして下さい」
アレフはケテルにそう言うと、机の上に置いてあった教科書を手に持ち、二人はそのまま、グレイアロウズの横を通り過ぎていく。
グレイアロウズはアレフたちが部屋を出て、姿が見えなくなるまでずっと睨んでいた。
その後、アレフたちが寮に戻ると、リィンとマーガレットが談話室で待っていた。
「帰りが遅いから心配したわよ」とマーガレットが珍しく心配そうな声で話していた。
その言葉を聞き、アレフが壁掛け時計に目を向けると、時刻は本を返しに行ってから三時間もの時間が経っていたのだった。
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