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◆どんな君でも(side 未来)
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里桜ちゃんと初めて会ったのは、幼稚園年中の四歳の時だった。父が企画したキャンプで、僕たちは出会った。
僕と里桜ちゃんはその日のうちにすぐに打ち解け、すっかり仲良くなった。
二泊三日のキャンプ中、僕たちはいつも一緒だった。草の上をふたりで転げまわり、花を愛でてきれいな石を集め、チョウチョやダンゴ虫をつついて笑い合った。
里桜ちゃんと僕は同じ年度の生まれだったけれど、四月生まれというのもあってか彼女は僕より体も大きくて、言動もしっかりしていた。
『ミィちゃん、危ないからダメだよ』
『やぁだ、おっきいわんわんと遊ぶ』
キャンプ最終日のその日。
僕は木に繋がれて置き去りにされた大型犬に興味を引かれ、里桜ちゃんの手を振り払って、その犬に走り寄っていった。ところが、僕がまさに頭を撫でようかという瞬間、これまで体を丸めて大人しくしていた犬は、激しく吼えながら両前足を振り上げた。
『ミィちゃんをいじめちゃめーっ!』
里桜ちゃんが大きな声を上げながら駆けてきたと思ったら、両手を伸ばし、横から僕を突き飛ばした。
気付いた時には、僕は地面に尻もちをついていた。見上げた視界に、僕を守るように犬との間に立ちはだかる里桜ちゃんの背中が飛び込んだ。
体を震わせながら、それでも一歩も引こうとしない里桜ちゃんの姿を目にし、僕は火がついたように泣きだした。すぐに大人たちが集まってきて、犬も飼い主にたしなめられて大人しくなった。僕たちにも、怪我はなかった。
大人たちは、激しく泣きじゃくる僕を『怖かったね』『驚いたね』となぐさめてくれたけれど、それらの言葉は僕にとってなぐさめとはならなかった。
僕が泣き止まずにいたのは怖かったからじゃなかった。ならば、僕はどうしてあんなに泣いていたのか?
当時の僕は、その感情を表す言葉を持ち得なかった。だけど、今ならば分かる。
あの時、僕は悔しかったんだ。
仲良しの里桜ちゃんに体を張って守ってもらうしかできなかった自分が不甲斐なくて、悔しかった。同時に、子供ながらに『今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ』と、漠然と考えていたのだ。
そうして八年の月日を経て再会した里桜ちゃんは、とびきりキュートで可愛らしい女の子になっていた。太陽みたいな明るい笑顔は、当時と同じまばゆさで僕の目を釘付けにした。
里桜ちゃん自身は体形のことを悩みに思っていたようだが、それを補ってあまりあるくらい彼女には人を明るくする魅力があった。
僕が彼女の魅力を語る上で、その体形はまったく問題にならなかった。ただし、里桜ちゃんが体形のせいで自分に自信が持てずにいるのなら、力になりたいと思った。
当時の『今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ』という思いは、月日を経ても色あせない。むしろ、ひとつ屋根の下で暮らす中で、彼女の存在感は日ごとに大きくなっていた。
――ねぇ、里桜ちゃん。あれから八年が経って、僕はちゃんと君に相応しい強い男になれているだろうか?
***
懐かしい夢の世界から、段々と意識が浮上する。
「……ん? 朝か」
幾度かまばたきをして、ゆっくりとまぶたを開く。窓の方に目線を向けると、薄く開けていたカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
夏の盛りを過ぎて九月に入っても暑さに陰りはみえず、今朝も強い太陽の光が目にしみるようだ。だけど、あの太陽に負けないくらい、僕の前に立ちはだかった幼い少女はまぶしかった。
そして十三歳になった今の里桜ちゃんは、僕の目にもっともっとまぶしい。
夏用の掛布団をめくって半身を起こしながら、頭の中で五歳と今のふたつの笑顔が重なる。
里桜ちゃんの弾けるような笑顔も、真っ直ぐで優しい心も、当時と同じ。だけど八年の時を経た今、僕の心が同じじゃない。
大人っぽくなった彼女が、恥じらうような表情や仕草を見せる時、僕の胸はトクンと高鳴る。もっと色んな表情を見たくて、もっと近くで彼女を感じたくてたまらなくなる。
こんなふうに、僕が寝ても覚めても里桜ちゃんのことばかり考えているだなんて、きっと彼女は想像もしないだろう。……いや、もしかすると感じ始めているのかもしれない。
「だって昨日、里桜ちゃんは明らかに僕を意識していた……」
僕は昨日の夜のジョギングでのひと幕に思いをはせた。
昨日のジョギングは里桜ちゃんのお父さんも一緒だった。いつも通り里桜ちゃんを真ん中にしてジョギングコースを走っていたが、彼女は不自然なほどお父さんにばかり話しかけ、意識的に僕との間にスペースを取ろうとしていた。
彼女の態度に不安が募った。僕は行動を急ぎすぎたのだろうか。あるいは、他になにか不快な言動をしてしまったのか……。そんなマイナス思考を巡らせながら走っていた僕だったが、向かいからやって来た人を避けるのに里桜ちゃんと腕が触れてしまった時、大仰なくらい肩を跳ねさせて顔を真っ赤にする姿を見て確信した。
……里桜ちゃんの態度は、照れや恥ずかしさから。彼女は僕のことを男として意識し、距離の取り方や接し方に戸惑っているのだ。
気づいてしまえば、嬉しさが込み上げた。里桜ちゃんのよそよそしい態度も、もう、悲しいとは思わなかった。
意識が今に戻る。
……誰にもやらない。里桜ちゃんは、僕のものだ。
再会した日、里桜ちゃんは少し自信なさげだった。その彼女がダイエットを始め、減ってゆく体重と反比例するように、自信と輝きを取り戻してきていた。
ところが昨日、学校から帰宅した彼女はひどく追い詰めらていた。一カ月間、一回も手をかけようとしなかったお菓子の棚にはじめて手を伸ばしたことからも、彼女の落ち込みの大きさが知れた。
ちなみに、僕は初日に里桜ちゃんのお母さんに相談し、棚の中のお菓子を全て撤去していた。代わりに手製のヘルシーなお菓子を用意したのは、好きな時に食べてガス抜きをしてもらえればいいと考えていたからだ。
結局、里桜ちゃんは僕の予想をいい意味で裏切り、一度も棚を開けることはなかったのだが。
……昨日、彼女をあんなに追い詰めるだけのなにがあったのか。そして、誰が彼女をああも傷つけたのか。
彼女を傷つける奴は許さない。彼女の見た目で態度を変えるような奴だって信用はできない。
「今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ」
ベッドを下りるとカーテンを引き開け、まぶしい朝日に向かって当時より温度を高くした思いを声にした。
僕と里桜ちゃんはその日のうちにすぐに打ち解け、すっかり仲良くなった。
二泊三日のキャンプ中、僕たちはいつも一緒だった。草の上をふたりで転げまわり、花を愛でてきれいな石を集め、チョウチョやダンゴ虫をつついて笑い合った。
里桜ちゃんと僕は同じ年度の生まれだったけれど、四月生まれというのもあってか彼女は僕より体も大きくて、言動もしっかりしていた。
『ミィちゃん、危ないからダメだよ』
『やぁだ、おっきいわんわんと遊ぶ』
キャンプ最終日のその日。
僕は木に繋がれて置き去りにされた大型犬に興味を引かれ、里桜ちゃんの手を振り払って、その犬に走り寄っていった。ところが、僕がまさに頭を撫でようかという瞬間、これまで体を丸めて大人しくしていた犬は、激しく吼えながら両前足を振り上げた。
『ミィちゃんをいじめちゃめーっ!』
里桜ちゃんが大きな声を上げながら駆けてきたと思ったら、両手を伸ばし、横から僕を突き飛ばした。
気付いた時には、僕は地面に尻もちをついていた。見上げた視界に、僕を守るように犬との間に立ちはだかる里桜ちゃんの背中が飛び込んだ。
体を震わせながら、それでも一歩も引こうとしない里桜ちゃんの姿を目にし、僕は火がついたように泣きだした。すぐに大人たちが集まってきて、犬も飼い主にたしなめられて大人しくなった。僕たちにも、怪我はなかった。
大人たちは、激しく泣きじゃくる僕を『怖かったね』『驚いたね』となぐさめてくれたけれど、それらの言葉は僕にとってなぐさめとはならなかった。
僕が泣き止まずにいたのは怖かったからじゃなかった。ならば、僕はどうしてあんなに泣いていたのか?
当時の僕は、その感情を表す言葉を持ち得なかった。だけど、今ならば分かる。
あの時、僕は悔しかったんだ。
仲良しの里桜ちゃんに体を張って守ってもらうしかできなかった自分が不甲斐なくて、悔しかった。同時に、子供ながらに『今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ』と、漠然と考えていたのだ。
そうして八年の月日を経て再会した里桜ちゃんは、とびきりキュートで可愛らしい女の子になっていた。太陽みたいな明るい笑顔は、当時と同じまばゆさで僕の目を釘付けにした。
里桜ちゃん自身は体形のことを悩みに思っていたようだが、それを補ってあまりあるくらい彼女には人を明るくする魅力があった。
僕が彼女の魅力を語る上で、その体形はまったく問題にならなかった。ただし、里桜ちゃんが体形のせいで自分に自信が持てずにいるのなら、力になりたいと思った。
当時の『今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ』という思いは、月日を経ても色あせない。むしろ、ひとつ屋根の下で暮らす中で、彼女の存在感は日ごとに大きくなっていた。
――ねぇ、里桜ちゃん。あれから八年が経って、僕はちゃんと君に相応しい強い男になれているだろうか?
***
懐かしい夢の世界から、段々と意識が浮上する。
「……ん? 朝か」
幾度かまばたきをして、ゆっくりとまぶたを開く。窓の方に目線を向けると、薄く開けていたカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
夏の盛りを過ぎて九月に入っても暑さに陰りはみえず、今朝も強い太陽の光が目にしみるようだ。だけど、あの太陽に負けないくらい、僕の前に立ちはだかった幼い少女はまぶしかった。
そして十三歳になった今の里桜ちゃんは、僕の目にもっともっとまぶしい。
夏用の掛布団をめくって半身を起こしながら、頭の中で五歳と今のふたつの笑顔が重なる。
里桜ちゃんの弾けるような笑顔も、真っ直ぐで優しい心も、当時と同じ。だけど八年の時を経た今、僕の心が同じじゃない。
大人っぽくなった彼女が、恥じらうような表情や仕草を見せる時、僕の胸はトクンと高鳴る。もっと色んな表情を見たくて、もっと近くで彼女を感じたくてたまらなくなる。
こんなふうに、僕が寝ても覚めても里桜ちゃんのことばかり考えているだなんて、きっと彼女は想像もしないだろう。……いや、もしかすると感じ始めているのかもしれない。
「だって昨日、里桜ちゃんは明らかに僕を意識していた……」
僕は昨日の夜のジョギングでのひと幕に思いをはせた。
昨日のジョギングは里桜ちゃんのお父さんも一緒だった。いつも通り里桜ちゃんを真ん中にしてジョギングコースを走っていたが、彼女は不自然なほどお父さんにばかり話しかけ、意識的に僕との間にスペースを取ろうとしていた。
彼女の態度に不安が募った。僕は行動を急ぎすぎたのだろうか。あるいは、他になにか不快な言動をしてしまったのか……。そんなマイナス思考を巡らせながら走っていた僕だったが、向かいからやって来た人を避けるのに里桜ちゃんと腕が触れてしまった時、大仰なくらい肩を跳ねさせて顔を真っ赤にする姿を見て確信した。
……里桜ちゃんの態度は、照れや恥ずかしさから。彼女は僕のことを男として意識し、距離の取り方や接し方に戸惑っているのだ。
気づいてしまえば、嬉しさが込み上げた。里桜ちゃんのよそよそしい態度も、もう、悲しいとは思わなかった。
意識が今に戻る。
……誰にもやらない。里桜ちゃんは、僕のものだ。
再会した日、里桜ちゃんは少し自信なさげだった。その彼女がダイエットを始め、減ってゆく体重と反比例するように、自信と輝きを取り戻してきていた。
ところが昨日、学校から帰宅した彼女はひどく追い詰めらていた。一カ月間、一回も手をかけようとしなかったお菓子の棚にはじめて手を伸ばしたことからも、彼女の落ち込みの大きさが知れた。
ちなみに、僕は初日に里桜ちゃんのお母さんに相談し、棚の中のお菓子を全て撤去していた。代わりに手製のヘルシーなお菓子を用意したのは、好きな時に食べてガス抜きをしてもらえればいいと考えていたからだ。
結局、里桜ちゃんは僕の予想をいい意味で裏切り、一度も棚を開けることはなかったのだが。
……昨日、彼女をあんなに追い詰めるだけのなにがあったのか。そして、誰が彼女をああも傷つけたのか。
彼女を傷つける奴は許さない。彼女の見た目で態度を変えるような奴だって信用はできない。
「今度は僕が里桜ちゃんを守るんだ」
ベッドを下りるとカーテンを引き開け、まぶしい朝日に向かって当時より温度を高くした思いを声にした。
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