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◆ダイエットは二人三脚+α
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ダイエットの意思が固まると、私と未来君は机に向かい、ノートに具体的な計画を書き出していった。
「期間は父と母がクルーズ旅行から戻るまでの一年。ひと月○キロの減量を目標として、……うん。途中の停滞時期を考慮しても、一年あれば無理なく達成できそうだ。来年の二学期には、きっと別人のようになってる」
「うん」
私はスラスラとペンを走らせる未来君を頼もしい思いで見つめていた。
「三度の食事の献立は僕がカロリー計算をして考えるね。もちろん調理も僕が中心になる」
「私だけダイエット食かぁ」
「違うよ。ひとりだけ別メニューじゃ、モチベーションが続かない。家族全員で、同じ物を食べるんだ」
私がしょんぼりと漏らしたら、未来君が即座に否定した。
「え!? そうなの?」
「ああ、そうさ。それから、ダイエット食だなんて思えないくらい美味しいのを作るから楽しみにしておいて。……とはいえ、一家全員分の調理を僕が全部ひとりで担うのは正直難しい。申し訳ないけど、里桜ちゃんのお母さんにも協力をお願い――」
「喜んで協力させてもらうわ!」
未来君の言葉を割り、廊下から上がった声に驚いて振り返る。
「ママ!」
薄く開いたままの扉の向こうに、ママの姿が見えた。
「ごめんなさい。盗み聞きする気はなかったんだけど、通りがかったら『カロリー計算』や『ダイエット食』って単語が聞こえてきたものだから」
私と未来君の視線を受けて、ママはちょっとバツが悪そうに言った。
「……ママ。私、未来君にサポートしてもらってダイエットを始めることにしたの。聞いての通り、食事の献立も未来君が考えてくれることになって、ママにも食事作りとかで協力して欲しい」
「もちろんよ! 里桜ちゃんがこんなにやる気になっているんだもの、ママも張り切って手伝うわ!」
私が廊下で所在なさげに佇むママに駆け寄っていって伝えると、ママは嬉しそうに私の手を取って答えた。
握った手を解いたママは、今度は隣の未来君に目線を移した。
「未来君、これまで私が何度言っても里桜は絶対に腰を上げなかったのよ。料理はもちろん、必要な食材の買い出しとか、他にもなんでも言ってちょうだい。私も全面的に協力させてもらうわ。里桜のこと、どうかよろしくお願いします」
ママは興奮冷めやらぬ様子で口早に告げ、未来君に頭を下げた。
「里桜ちゃんのお母さんにそう言っていただけると、すごく心強いです」
「おいおい、みんな。僕のことを忘れてもらっちゃ困るよ」
え! この声!?
「パパ!」
振り返れば、案の定、扉の前にパパの姿があった。パパは私たちの元にやって来ると、未来君の手元のノートにチラリと目線を向けた。
「僕も全力で協力させてもらうよ。もちろん、料理だって……」
「いえ。料理は未来君と私で間に合ってるわ。こういうのは無理をせず適材適所でいきましょう」
パパが切り出した料理の手伝いの申し出に、ママがピシャリと待ったをかける。家事育児にと協力的なパパだけど、なぜか料理の腕は壊滅的なのだ。
「そうかい。……よし、それじゃあパパは運動に付き合うぞ」
パパはちょっと残念そうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直しノートの運動について書かれた箇所を指差した。
「この、夜のジョギングを一緒に走らせてくれ」
「いいですね! 運動も食事も皆で一緒なら、きっと無理なく楽しく続けられます」
未来君が即座に賛同し、私も頷いて同意する。
「うん。みんなが一緒だと、私も頑張れそう」
……厳密には、『みんなが一緒だと、逃げ場がないから頑張るしかなさそう』なのだが、この際それは言いっこなしだ。むしろ、頑張るしかない逃げ場のない状況は、意思の弱い私がダイエットするにはもってこいの状況だ。
「里桜ちゃんのダイエット大作戦、一致団結して頑張ろうじゃないか」
パパが嬉しそうに頬を緩め、ノートを指していた右手をスッと前に差し出す。
「いいわね! ママも頑張るわ!」
ママがすぐに反応し、パパの手の上に右手を重ねる。その上に未来君が手を重ね、最後に私が手をのせる。
「僕も全力でサポートします。全員で里桜ちゃんと一緒に頑張りましょう」
「……私、今度こそ痩せてみせる。みんな、よろしくお願いします!」
「「「「オー!」」」」
四人は円陣を組み、一致団結してダイエットへの思いをひとつにした。
円陣を解くと、未来君が腕を伸ばし、自然な動作で私の肩をポンッと叩く。触れ合ったのはほんの一瞬で、未来君はすぐに手を離したけれど、肩に残る温もりと感触は消えなかった。
肩だけじゃなく全身がなんだかそわそわして、こそばゆい思いがした。
「と、ところで! ダイエットはいつからするの?」
「「「もちろん今日から!」」」
私が落ち着かなさを誤魔化すように問えば、未来君だけじゃなく全員がクワッと牙剥いて声を揃えた。
「……ぅううっっ。みんなして、そんなに、すごまなくたっていいじゃない。私はただ、今からじゃダイエット用のお昼ご飯の準備が間に合わないんじゃないかって、心配になっただけなのに」
……そう。だからパーッと出前でも取ってダイエット前の最後の晩餐、ならぬ、最後の昼餐をやっちゃったりしないかな~って、ほんのちょっと思っただけ。ついでにお茶請けに出されて残してしまったタルトも、食べ収めしておいた方がいいんじゃないかって、気になっただけだ。
「あらあら。里桜ちゃんは、お昼の準備を心配してくれたのね。ごめんなさい、ママが悪かったわ。泣かないでちょうだい」
「パパもキツイ言い方をしてごめんよ」
私の態度にコロッと騙されふたりは、揃って謝ってくれた。
「ううん、ママ、パパ。ふたりは悪くないよ」
……そう。悪いのはダイエットを決意した側から邪な心を抱き、あまつさえそれを匂わせてしまった私だ。
ふたりに優しく慰められていると、隣から未来君が私にやわらかな眼差しを向けてきた。……やだ。未来君まで謝ってくれちゃうの? ちょっと申し訳ない思いで、未来君が話し出すのを待った。
「里桜ちゃん、ご飯の支度が間に合わないのにかこつけて、最後に食べ収めをしようとか考えていないよね?」
ギクッ。
「も、もちろんだよ!」
「そうだよね、まさかダイエットを決意した直後に、里桜ちゃんがそんなことを考えたりするわけがないよね。いつも考えすぎちゃうのが僕の悪い癖なんだ。疑っちゃってごめん」
私が若干裏返った声で返すと、未来君はすまなそうに眉根を寄せて謝罪する。
「やだ、全然気にしてないから大丈夫だよ!」
私は必死になって、両手をブンブンと前で振る。考えすぎどころか、その予想はしっかりと的中しているのだ。未来君に謝られてしまっては、あまりに居た堪れない。
「よかった。それじゃ、すぐにお昼にするから楽しみにしててね。美味しくてヘルシーな時短メニューのレパートリーもいっぱいあるんだ」
「わぁ、楽しみ」
「未来君、さっそくお昼の支度から手伝わせてちょうだい。その時短メニューってやつ、ものすごく気になるわ」
「助かります。それから、もし時短メニューに興味があるのなら、後でレシピをお教えしましょうか」
未来君とママが料理の話題で盛り上がりはじめたことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「まぁ、嬉しいわ! ぜひ、教えてちょうだい」
そのままふたりは連れ立って、一階のキッチンへと向かっていった。弾むふたりの会話は、階段から私の部屋にまでよく聞こえていた。
「分かりました。それから里桜ちゃんのお母さんにひとつお願いがあるのですが」
「あら、なにかしら? なんでも言ってちょうだい」
ふと、未来君がママにしたい『お願い』とはなんだろう?と思い、意識してそちらに耳を傾けた。
「はい。お願いしたいのは、」
――キィイイイ。――パタン。
ところが肝心のところで階段を下りきったふたりが、キッチンに入ってしまう。さらに、廊下に繋がる扉を閉められてしまい、一番知りたいろころが聞けなかった。
「ねぇ里桜ちゃん。未来君とは、うまくやっていけそうかい?」
ガックリと肩を落とす私に、パパがこんなふうに水を向けた。
「え?」
「いやね。里桜ちゃんの意見をしっかり聞かないまま、ママの強いプッシュで同居が決まってしまった感じだったろう。里桜ちゃんが我慢をしていなければいいなと思っていたんだ」
「……うん。本当を言うとね、最初は男の子との同居はちょっと不安だったの。だけど、未来君は同級生の男の子たちとは、全然違ってた。私、未来君とならきっと仲良くやっていけるよ!」
「そうか。それを聞いて、パパもひと安心だ」
パパは私の肩をポンッと叩いて笑った。
……あれ? パパに笑顔を返しながら、ふと、肩がそわそわしないことに気づく。さっき、未来君に肩を叩かれた時は、あんなに落ち着かなかったのに。
未来君のする『ポンッ』だけが、私の心と体ににこれまでと違う反応を呼び起こさせる。
……どうしてだろう? なんで未来君だけ、違うんだろう。
「ところで里桜ちゃん、急にダイエットを決意したのはどういった心境の変化だい? これまでママが何度も勧めていたと思うけど、里桜ちゃんのスイッチは入らなかったからさ」
内心で首をかしげていると、パパが私に尋ねてきた。
「うーんとね……」
ママはよく『里桜ちゃんは、痩せたら絶対に可愛くなるわよ』と、私にダイエットを持ち掛けてきた。だけど、未来君は『太っていてもいい』と言ってくれた。その上で、体形が私の心に及ぼす影響に触れ、ダイエットを勧めてくれたのだ。
それが理屈じゃなく、胸に響いた。はじめて、自分の意思で痩せたいと思わせたのだ。
「内緒」
大好きなパパには、これまでずっと隠さずに胸の内を明かしてきた。私が初めて口にした『内緒』に、パパは少し驚いたように目を見開いた。
「そうか。ずっと小さなお姫さまだとばかり思っていたけれど、里桜ちゃんは大人の階段を上り始めているんだね。……嬉しいような、寂しいような、……うーん。でもやっぱり、まだしばらくはパパだけのお姫さまでいて欲しいよ」
パパは後半、百面相をしながらなにやらモゴモゴと呟いていた。
「パパ? よく聞こえないよ」
「……うん、聞こえなくていいんだ。とにかく、今回はパパも本気だよ。残業は極力抑えて、夜のジョギングを日課にするからね」
「わぁ。仕事の鬼のパパの口から残業をセーブするなんて台詞が聞けるとは思わなかった。私もパパと一緒に走れるの、すごく楽しみ!」
「里桜ちゃん! パパ! ご飯だわよー!」
パパとおしゃべりしていたら、階段の下からママに呼ばれた。いくら時短メニューとはいえ、もう準備できてしまったとは驚きだ。
「「はーい!」」
私とパパは揃って返事をし、並んで部屋を飛び出した。
ダイニングの扉を開けた瞬間、食欲をそそる香辛料の香りがふわりと漂ってきた。
「なんだろう!? すっごくおいしそうな匂いがする!」
「ガパオ風プレートだよ。スパイスがたっぷりで代謝もアップ、さらには夏バテ予防にも最適なんだ。同じくショウガを利かせたワカメスープもあるからね」
クンッと鼻をヒクつかせる私を、未来君がにこやかにテーブルに促す。
わくわくでテーブルに向かうと、ひき肉の炒めと目玉焼きがのったご飯、たっぷりの温野菜サラダにワカメとゴマがたっぷり浮かんだスープが温かな湯気をあげていた。
「すごーい! レストランのお料理みたい!」
目の前の色鮮やかな料理は、見た目にも楽しくて心が弾む。
「それはよかった。味の方も自信作だから、食べてみて」
「うんっ!」
全員がテーブルに着き、揃って「いただきます」をすると、私はさっそくスプーンでひき肉の炒めをひと掬いして頬張る。
含んだ瞬間、口の中に香辛料の刺激と風味が複雑に折り重なって押し寄せた。さらに噛めば噛むほど味が出て、飲み込んだ後にまでスパイシーな後味が残って尾を引いた。
「なにこれ、すごく美味しい! こんな料理がササッと作れちゃうなんて、未来君すごすぎるよ!」
「気に入ってもらえたみたいでよかった」
キラキラと尊敬の眼差しを向ける私に、未来君はちょっと照れくさそうに微笑んだ。
「ちなみに里桜ちゃん、今度からできるだけサラダとかの野菜類から食べ始めるといいよ。血糖値の上昇が抑えられるんだ」
「へー、そうなんだ。分かった、次から……っと、今からでもサラダからにするね!」
ガパオ風プレートに伸ばしかけたスプーンを置き、フォークに持ちかえてサラダに狙いを定めた。未来君はちょっと驚いたように目を見張り、すぐにふわりと口元を綻ばせた。
本音を言えば野菜はそんなに好きではないし、食事は好きな物から食べていくタイプだが、ダイエットの効率に言及されてしまっては仕方ない。それに今後は、おかわりができない状況なのだから、好物を後に回すのも悪くない。
「うん、こりゃ美味い! ママ、これはぜひ未来君からレシピをもらって、我が家の定番にしてくれ」
向かいからパパもガパオ風プレートに感嘆の声を上げる。
「それなら大丈夫よ! 一緒に作ってるうちに、レシピは覚えちゃったわ!」
「おっ、さすがだねママ!」
「さすがなのは未来君のレシピよ。こんなに美味しいのに、作り方は驚くくらいシンプルなの。ビックリしちゃったわ。それに未来君ったら包丁遣いもプロ級なのよ。ママすっかり完敗だわ」
「流石にほめすぎです。里桜ちゃんのお母さんのフライパン捌きには敵いません」
盛り上がるママと未来君を横目に、胸にキリリとした痛みを感じた。
……未来君はすごいなぁ。
一カ月という短期のサマースクールとは言え、ひとりで海外に留学する行動力と多方面に豊富な知識を持っていて、さらに趣味の料理の腕はプロ級で、とても私と同い年とは思えなかった。
立派すぎる未来君を前にして、私はひとり置いてけぼりになってしまったみたいな心細さを覚えていた。
ため息を押し殺し、お星さまの形をした切り口が可愛いオクラをフォークに刺して口に運ぶ。
「ん!? このドレッシング、初めてじゃない? オレガノとローズマリーかな? すっきりしたハーブの風味が、夏野菜にすごく合ってる! どこのやつ?」
ひと口食べて、私は目を丸くした。先に感じた心細さは一瞬で消え、舌に心地よい酸味と香味のバランスのとりこになった。
「未来君のお手製よ。オリーブオイルに刻みニンニクやハーブなんかを加えてパパッと作っちゃうんだから、ほんとにプロ級よ」
ママがすかさず寄越した答えに納得する。なるほど、作りたてだからこんなにフレッシュなんだ。
「そっか、これも未来君のお手製なんだ。買ったやつよりずっと美味しいよ。……それにしても、ハーブってこんなに素材の味を引き出せるんだね」
「僕はスーパーに並んでる主だったやつしか使いこなせないけど、ハーブはハマると本当に奥が深いよ」
未来君の言葉に頷いて返しながら、器の下に溜まったドレッシングをたっぷり付けてヤングコーンを食べる。味に特段の思い入れはないけれど、ちっちゃなトウモロコシの見た目はオクラ同様、密かなお気に入りだった。
すると、シャクシャクと歯切れのよい食感とともにヤングコーンの瑞々しい甘さが弾け、オリーブオイルベースのドレッシングと口内で絡み合う。最後はふわりとハーブの上品な風味を残し、口の中から消えていった。
え!? ヤングコーンってこんなに美味しかったっけ!?
……ううん、オクラとヤングコーンだけじゃない。このドレッシングによって、これまであまり好きではなかった野菜たちまで全部、まるで別物のように美味しく感じられた。私はペロリと温野菜サラダを完食し、これまた頬っぺたが落っこちそうなワカメスープとガパオ風プレートを完食した。
スパイスやハーブが多用され、味に変化がつくことで、食後にしっかり満足感が得られていた。
「あー、美味しかったぁ! ……だけど、なんだろう?」
私は空っぽになったお皿を見つめ、コテンと首を捻った。
「どうかした?」
「最初は味にばかり気を取られてたけど、ひき肉の食感が面白かったなって。ちゃんとお肉っぽさはあるんだけど、噛みごたえがプリプリというか、ちょっと不思議な感じ」
「よく分かったね。種明かしをすると、細かく刻んだ白コンニャクを入れていたんだ」
「そうだったんだ! なにか入れてるんだろうな、とは思ってたけどコンニャクだったんだね。コンニャクって超優秀!」
私はお肉が大好きだけど、お肉顔負けでこんなに美味しいのなら、コンニャクで全然オッケーだ! まったくガッカリなんてしない。
「よく炒って水分を飛ばしているから、みんな意外と気づかないんだ。ドレッシングのハーブを言い当てた時も思ったけど、里桜ちゃんは感覚が鋭いね」
「え?」
「シソ科のすっきりした系統のハーブって結構種類があるから。オレガノとローズマリーを、よく言い当てたなって」
「えー、そうかな。鼻に抜けていく感じですぐ分かると思うんだけどな」
未来君と私のこの話題に、向かいのパパが反応した。
「そういえば、里桜ちゃんは子供の時から物の味をよく分かっていたっけな」
「そうそう。昔から隠し味に入れた調味料を言いあてられて驚いたことが何度もあるわ。大食らいなのに舌は繊細って、不思議に思ってたのよ」
パパが思い出すように言うと、即座にママも同意する。
……正直、ママの『大食らいなのに~』の部分は余計だが。
「すごいな、里桜ちゃんにこんな特技があったなんて驚いた」
未来君からの賛辞に、私は思わず目をパチパチとさせた。
「こんなの、特技って言える?」
「もちろん!」
おそるおそる尋ねたら、未来君は力強く答えた。
「そ、そっか」
これまで面と向かって認められたり、褒められたりした経験はあまりなかった。気恥ずかしくなって、未来君の眼差しから逃げるように俯いた。
その後は全員で「ごちそうさま」をして、この話題はこれっきりで終わりになった。
「未来君、後片付けはこっちでやるからいいのよ。うちに着いてすぐ、息つく間もなく悪かったわね。荷解きをして、少しゆっくりしてちょうだい」
未来君がお皿を纏めようとするのを制し、ママが声をかけた。
「ありがとうございます。それじゃ、今日はお言葉に甘えさせてもらって、部屋を整えてきます。これだけキッチンに運んでおきますね」
未来君はそう言って手早く自分の分のお皿を重ねると、キッチンのシンクに置く。そのままダイニングの扉から出て行こうとして、思い出したように私を振り返った。
「そうだ、里桜ちゃん。夕食には約束してたヘルシーなデザートも付けるから、楽しみにしてて。その後はお父さんも一緒に、ジョギングに行こう」
「うん」
未来君は言い残し、軽快に階段を上っていった。
「……ママ、私、お皿洗いを手伝うよ!」
未来君が出て行くとすぐ、私は席を立ち残るお皿を纏め始めた。これまでは、食べたら食べっ放しが当たり前。自分のお皿をキッチンに持っていったことなどなかった。
不思議なことに、そんな以前の当たり前が、今はもう当たり前とは思えなかった。
「パパも、自分のお皿を運ぶくらいはさせてくれ」
パパも自分の食器を重ね始める。家事には協力的なパパだけど、主体となって動くのはやっぱりママ。普段の食事では、食べたらそのまま席を立つことがほとんどだった。
そのパパも、明らかに未来君の影響を受けているようだ。
「あら、ふたりともすっかり未来君に感化されちゃって。ふふふっ、未来君との同居でまさかこんなに嬉しい変化が起ころうなんて考えてもみなかったわ。これからも、その調子でお願いね」
ママにチクりと言われ、私とパパは顔を見合わせて苦く笑った。
だけどママに言われずとも、未来君との同居によって訪れた変化は、私自身が誰よりも感じていた。
それは、あれだけ腰が重かったダイエットを決意したことだけじゃない。
……私、もっとちゃんとしよう。
自分のこと、目の前のこと、人任せにせずやれることからやっていこう。胸にはそんな前向きな思いがいっぱいだった。
「期間は父と母がクルーズ旅行から戻るまでの一年。ひと月○キロの減量を目標として、……うん。途中の停滞時期を考慮しても、一年あれば無理なく達成できそうだ。来年の二学期には、きっと別人のようになってる」
「うん」
私はスラスラとペンを走らせる未来君を頼もしい思いで見つめていた。
「三度の食事の献立は僕がカロリー計算をして考えるね。もちろん調理も僕が中心になる」
「私だけダイエット食かぁ」
「違うよ。ひとりだけ別メニューじゃ、モチベーションが続かない。家族全員で、同じ物を食べるんだ」
私がしょんぼりと漏らしたら、未来君が即座に否定した。
「え!? そうなの?」
「ああ、そうさ。それから、ダイエット食だなんて思えないくらい美味しいのを作るから楽しみにしておいて。……とはいえ、一家全員分の調理を僕が全部ひとりで担うのは正直難しい。申し訳ないけど、里桜ちゃんのお母さんにも協力をお願い――」
「喜んで協力させてもらうわ!」
未来君の言葉を割り、廊下から上がった声に驚いて振り返る。
「ママ!」
薄く開いたままの扉の向こうに、ママの姿が見えた。
「ごめんなさい。盗み聞きする気はなかったんだけど、通りがかったら『カロリー計算』や『ダイエット食』って単語が聞こえてきたものだから」
私と未来君の視線を受けて、ママはちょっとバツが悪そうに言った。
「……ママ。私、未来君にサポートしてもらってダイエットを始めることにしたの。聞いての通り、食事の献立も未来君が考えてくれることになって、ママにも食事作りとかで協力して欲しい」
「もちろんよ! 里桜ちゃんがこんなにやる気になっているんだもの、ママも張り切って手伝うわ!」
私が廊下で所在なさげに佇むママに駆け寄っていって伝えると、ママは嬉しそうに私の手を取って答えた。
握った手を解いたママは、今度は隣の未来君に目線を移した。
「未来君、これまで私が何度言っても里桜は絶対に腰を上げなかったのよ。料理はもちろん、必要な食材の買い出しとか、他にもなんでも言ってちょうだい。私も全面的に協力させてもらうわ。里桜のこと、どうかよろしくお願いします」
ママは興奮冷めやらぬ様子で口早に告げ、未来君に頭を下げた。
「里桜ちゃんのお母さんにそう言っていただけると、すごく心強いです」
「おいおい、みんな。僕のことを忘れてもらっちゃ困るよ」
え! この声!?
「パパ!」
振り返れば、案の定、扉の前にパパの姿があった。パパは私たちの元にやって来ると、未来君の手元のノートにチラリと目線を向けた。
「僕も全力で協力させてもらうよ。もちろん、料理だって……」
「いえ。料理は未来君と私で間に合ってるわ。こういうのは無理をせず適材適所でいきましょう」
パパが切り出した料理の手伝いの申し出に、ママがピシャリと待ったをかける。家事育児にと協力的なパパだけど、なぜか料理の腕は壊滅的なのだ。
「そうかい。……よし、それじゃあパパは運動に付き合うぞ」
パパはちょっと残念そうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直しノートの運動について書かれた箇所を指差した。
「この、夜のジョギングを一緒に走らせてくれ」
「いいですね! 運動も食事も皆で一緒なら、きっと無理なく楽しく続けられます」
未来君が即座に賛同し、私も頷いて同意する。
「うん。みんなが一緒だと、私も頑張れそう」
……厳密には、『みんなが一緒だと、逃げ場がないから頑張るしかなさそう』なのだが、この際それは言いっこなしだ。むしろ、頑張るしかない逃げ場のない状況は、意思の弱い私がダイエットするにはもってこいの状況だ。
「里桜ちゃんのダイエット大作戦、一致団結して頑張ろうじゃないか」
パパが嬉しそうに頬を緩め、ノートを指していた右手をスッと前に差し出す。
「いいわね! ママも頑張るわ!」
ママがすぐに反応し、パパの手の上に右手を重ねる。その上に未来君が手を重ね、最後に私が手をのせる。
「僕も全力でサポートします。全員で里桜ちゃんと一緒に頑張りましょう」
「……私、今度こそ痩せてみせる。みんな、よろしくお願いします!」
「「「「オー!」」」」
四人は円陣を組み、一致団結してダイエットへの思いをひとつにした。
円陣を解くと、未来君が腕を伸ばし、自然な動作で私の肩をポンッと叩く。触れ合ったのはほんの一瞬で、未来君はすぐに手を離したけれど、肩に残る温もりと感触は消えなかった。
肩だけじゃなく全身がなんだかそわそわして、こそばゆい思いがした。
「と、ところで! ダイエットはいつからするの?」
「「「もちろん今日から!」」」
私が落ち着かなさを誤魔化すように問えば、未来君だけじゃなく全員がクワッと牙剥いて声を揃えた。
「……ぅううっっ。みんなして、そんなに、すごまなくたっていいじゃない。私はただ、今からじゃダイエット用のお昼ご飯の準備が間に合わないんじゃないかって、心配になっただけなのに」
……そう。だからパーッと出前でも取ってダイエット前の最後の晩餐、ならぬ、最後の昼餐をやっちゃったりしないかな~って、ほんのちょっと思っただけ。ついでにお茶請けに出されて残してしまったタルトも、食べ収めしておいた方がいいんじゃないかって、気になっただけだ。
「あらあら。里桜ちゃんは、お昼の準備を心配してくれたのね。ごめんなさい、ママが悪かったわ。泣かないでちょうだい」
「パパもキツイ言い方をしてごめんよ」
私の態度にコロッと騙されふたりは、揃って謝ってくれた。
「ううん、ママ、パパ。ふたりは悪くないよ」
……そう。悪いのはダイエットを決意した側から邪な心を抱き、あまつさえそれを匂わせてしまった私だ。
ふたりに優しく慰められていると、隣から未来君が私にやわらかな眼差しを向けてきた。……やだ。未来君まで謝ってくれちゃうの? ちょっと申し訳ない思いで、未来君が話し出すのを待った。
「里桜ちゃん、ご飯の支度が間に合わないのにかこつけて、最後に食べ収めをしようとか考えていないよね?」
ギクッ。
「も、もちろんだよ!」
「そうだよね、まさかダイエットを決意した直後に、里桜ちゃんがそんなことを考えたりするわけがないよね。いつも考えすぎちゃうのが僕の悪い癖なんだ。疑っちゃってごめん」
私が若干裏返った声で返すと、未来君はすまなそうに眉根を寄せて謝罪する。
「やだ、全然気にしてないから大丈夫だよ!」
私は必死になって、両手をブンブンと前で振る。考えすぎどころか、その予想はしっかりと的中しているのだ。未来君に謝られてしまっては、あまりに居た堪れない。
「よかった。それじゃ、すぐにお昼にするから楽しみにしててね。美味しくてヘルシーな時短メニューのレパートリーもいっぱいあるんだ」
「わぁ、楽しみ」
「未来君、さっそくお昼の支度から手伝わせてちょうだい。その時短メニューってやつ、ものすごく気になるわ」
「助かります。それから、もし時短メニューに興味があるのなら、後でレシピをお教えしましょうか」
未来君とママが料理の話題で盛り上がりはじめたことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「まぁ、嬉しいわ! ぜひ、教えてちょうだい」
そのままふたりは連れ立って、一階のキッチンへと向かっていった。弾むふたりの会話は、階段から私の部屋にまでよく聞こえていた。
「分かりました。それから里桜ちゃんのお母さんにひとつお願いがあるのですが」
「あら、なにかしら? なんでも言ってちょうだい」
ふと、未来君がママにしたい『お願い』とはなんだろう?と思い、意識してそちらに耳を傾けた。
「はい。お願いしたいのは、」
――キィイイイ。――パタン。
ところが肝心のところで階段を下りきったふたりが、キッチンに入ってしまう。さらに、廊下に繋がる扉を閉められてしまい、一番知りたいろころが聞けなかった。
「ねぇ里桜ちゃん。未来君とは、うまくやっていけそうかい?」
ガックリと肩を落とす私に、パパがこんなふうに水を向けた。
「え?」
「いやね。里桜ちゃんの意見をしっかり聞かないまま、ママの強いプッシュで同居が決まってしまった感じだったろう。里桜ちゃんが我慢をしていなければいいなと思っていたんだ」
「……うん。本当を言うとね、最初は男の子との同居はちょっと不安だったの。だけど、未来君は同級生の男の子たちとは、全然違ってた。私、未来君とならきっと仲良くやっていけるよ!」
「そうか。それを聞いて、パパもひと安心だ」
パパは私の肩をポンッと叩いて笑った。
……あれ? パパに笑顔を返しながら、ふと、肩がそわそわしないことに気づく。さっき、未来君に肩を叩かれた時は、あんなに落ち着かなかったのに。
未来君のする『ポンッ』だけが、私の心と体ににこれまでと違う反応を呼び起こさせる。
……どうしてだろう? なんで未来君だけ、違うんだろう。
「ところで里桜ちゃん、急にダイエットを決意したのはどういった心境の変化だい? これまでママが何度も勧めていたと思うけど、里桜ちゃんのスイッチは入らなかったからさ」
内心で首をかしげていると、パパが私に尋ねてきた。
「うーんとね……」
ママはよく『里桜ちゃんは、痩せたら絶対に可愛くなるわよ』と、私にダイエットを持ち掛けてきた。だけど、未来君は『太っていてもいい』と言ってくれた。その上で、体形が私の心に及ぼす影響に触れ、ダイエットを勧めてくれたのだ。
それが理屈じゃなく、胸に響いた。はじめて、自分の意思で痩せたいと思わせたのだ。
「内緒」
大好きなパパには、これまでずっと隠さずに胸の内を明かしてきた。私が初めて口にした『内緒』に、パパは少し驚いたように目を見開いた。
「そうか。ずっと小さなお姫さまだとばかり思っていたけれど、里桜ちゃんは大人の階段を上り始めているんだね。……嬉しいような、寂しいような、……うーん。でもやっぱり、まだしばらくはパパだけのお姫さまでいて欲しいよ」
パパは後半、百面相をしながらなにやらモゴモゴと呟いていた。
「パパ? よく聞こえないよ」
「……うん、聞こえなくていいんだ。とにかく、今回はパパも本気だよ。残業は極力抑えて、夜のジョギングを日課にするからね」
「わぁ。仕事の鬼のパパの口から残業をセーブするなんて台詞が聞けるとは思わなかった。私もパパと一緒に走れるの、すごく楽しみ!」
「里桜ちゃん! パパ! ご飯だわよー!」
パパとおしゃべりしていたら、階段の下からママに呼ばれた。いくら時短メニューとはいえ、もう準備できてしまったとは驚きだ。
「「はーい!」」
私とパパは揃って返事をし、並んで部屋を飛び出した。
ダイニングの扉を開けた瞬間、食欲をそそる香辛料の香りがふわりと漂ってきた。
「なんだろう!? すっごくおいしそうな匂いがする!」
「ガパオ風プレートだよ。スパイスがたっぷりで代謝もアップ、さらには夏バテ予防にも最適なんだ。同じくショウガを利かせたワカメスープもあるからね」
クンッと鼻をヒクつかせる私を、未来君がにこやかにテーブルに促す。
わくわくでテーブルに向かうと、ひき肉の炒めと目玉焼きがのったご飯、たっぷりの温野菜サラダにワカメとゴマがたっぷり浮かんだスープが温かな湯気をあげていた。
「すごーい! レストランのお料理みたい!」
目の前の色鮮やかな料理は、見た目にも楽しくて心が弾む。
「それはよかった。味の方も自信作だから、食べてみて」
「うんっ!」
全員がテーブルに着き、揃って「いただきます」をすると、私はさっそくスプーンでひき肉の炒めをひと掬いして頬張る。
含んだ瞬間、口の中に香辛料の刺激と風味が複雑に折り重なって押し寄せた。さらに噛めば噛むほど味が出て、飲み込んだ後にまでスパイシーな後味が残って尾を引いた。
「なにこれ、すごく美味しい! こんな料理がササッと作れちゃうなんて、未来君すごすぎるよ!」
「気に入ってもらえたみたいでよかった」
キラキラと尊敬の眼差しを向ける私に、未来君はちょっと照れくさそうに微笑んだ。
「ちなみに里桜ちゃん、今度からできるだけサラダとかの野菜類から食べ始めるといいよ。血糖値の上昇が抑えられるんだ」
「へー、そうなんだ。分かった、次から……っと、今からでもサラダからにするね!」
ガパオ風プレートに伸ばしかけたスプーンを置き、フォークに持ちかえてサラダに狙いを定めた。未来君はちょっと驚いたように目を見張り、すぐにふわりと口元を綻ばせた。
本音を言えば野菜はそんなに好きではないし、食事は好きな物から食べていくタイプだが、ダイエットの効率に言及されてしまっては仕方ない。それに今後は、おかわりができない状況なのだから、好物を後に回すのも悪くない。
「うん、こりゃ美味い! ママ、これはぜひ未来君からレシピをもらって、我が家の定番にしてくれ」
向かいからパパもガパオ風プレートに感嘆の声を上げる。
「それなら大丈夫よ! 一緒に作ってるうちに、レシピは覚えちゃったわ!」
「おっ、さすがだねママ!」
「さすがなのは未来君のレシピよ。こんなに美味しいのに、作り方は驚くくらいシンプルなの。ビックリしちゃったわ。それに未来君ったら包丁遣いもプロ級なのよ。ママすっかり完敗だわ」
「流石にほめすぎです。里桜ちゃんのお母さんのフライパン捌きには敵いません」
盛り上がるママと未来君を横目に、胸にキリリとした痛みを感じた。
……未来君はすごいなぁ。
一カ月という短期のサマースクールとは言え、ひとりで海外に留学する行動力と多方面に豊富な知識を持っていて、さらに趣味の料理の腕はプロ級で、とても私と同い年とは思えなかった。
立派すぎる未来君を前にして、私はひとり置いてけぼりになってしまったみたいな心細さを覚えていた。
ため息を押し殺し、お星さまの形をした切り口が可愛いオクラをフォークに刺して口に運ぶ。
「ん!? このドレッシング、初めてじゃない? オレガノとローズマリーかな? すっきりしたハーブの風味が、夏野菜にすごく合ってる! どこのやつ?」
ひと口食べて、私は目を丸くした。先に感じた心細さは一瞬で消え、舌に心地よい酸味と香味のバランスのとりこになった。
「未来君のお手製よ。オリーブオイルに刻みニンニクやハーブなんかを加えてパパッと作っちゃうんだから、ほんとにプロ級よ」
ママがすかさず寄越した答えに納得する。なるほど、作りたてだからこんなにフレッシュなんだ。
「そっか、これも未来君のお手製なんだ。買ったやつよりずっと美味しいよ。……それにしても、ハーブってこんなに素材の味を引き出せるんだね」
「僕はスーパーに並んでる主だったやつしか使いこなせないけど、ハーブはハマると本当に奥が深いよ」
未来君の言葉に頷いて返しながら、器の下に溜まったドレッシングをたっぷり付けてヤングコーンを食べる。味に特段の思い入れはないけれど、ちっちゃなトウモロコシの見た目はオクラ同様、密かなお気に入りだった。
すると、シャクシャクと歯切れのよい食感とともにヤングコーンの瑞々しい甘さが弾け、オリーブオイルベースのドレッシングと口内で絡み合う。最後はふわりとハーブの上品な風味を残し、口の中から消えていった。
え!? ヤングコーンってこんなに美味しかったっけ!?
……ううん、オクラとヤングコーンだけじゃない。このドレッシングによって、これまであまり好きではなかった野菜たちまで全部、まるで別物のように美味しく感じられた。私はペロリと温野菜サラダを完食し、これまた頬っぺたが落っこちそうなワカメスープとガパオ風プレートを完食した。
スパイスやハーブが多用され、味に変化がつくことで、食後にしっかり満足感が得られていた。
「あー、美味しかったぁ! ……だけど、なんだろう?」
私は空っぽになったお皿を見つめ、コテンと首を捻った。
「どうかした?」
「最初は味にばかり気を取られてたけど、ひき肉の食感が面白かったなって。ちゃんとお肉っぽさはあるんだけど、噛みごたえがプリプリというか、ちょっと不思議な感じ」
「よく分かったね。種明かしをすると、細かく刻んだ白コンニャクを入れていたんだ」
「そうだったんだ! なにか入れてるんだろうな、とは思ってたけどコンニャクだったんだね。コンニャクって超優秀!」
私はお肉が大好きだけど、お肉顔負けでこんなに美味しいのなら、コンニャクで全然オッケーだ! まったくガッカリなんてしない。
「よく炒って水分を飛ばしているから、みんな意外と気づかないんだ。ドレッシングのハーブを言い当てた時も思ったけど、里桜ちゃんは感覚が鋭いね」
「え?」
「シソ科のすっきりした系統のハーブって結構種類があるから。オレガノとローズマリーを、よく言い当てたなって」
「えー、そうかな。鼻に抜けていく感じですぐ分かると思うんだけどな」
未来君と私のこの話題に、向かいのパパが反応した。
「そういえば、里桜ちゃんは子供の時から物の味をよく分かっていたっけな」
「そうそう。昔から隠し味に入れた調味料を言いあてられて驚いたことが何度もあるわ。大食らいなのに舌は繊細って、不思議に思ってたのよ」
パパが思い出すように言うと、即座にママも同意する。
……正直、ママの『大食らいなのに~』の部分は余計だが。
「すごいな、里桜ちゃんにこんな特技があったなんて驚いた」
未来君からの賛辞に、私は思わず目をパチパチとさせた。
「こんなの、特技って言える?」
「もちろん!」
おそるおそる尋ねたら、未来君は力強く答えた。
「そ、そっか」
これまで面と向かって認められたり、褒められたりした経験はあまりなかった。気恥ずかしくなって、未来君の眼差しから逃げるように俯いた。
その後は全員で「ごちそうさま」をして、この話題はこれっきりで終わりになった。
「未来君、後片付けはこっちでやるからいいのよ。うちに着いてすぐ、息つく間もなく悪かったわね。荷解きをして、少しゆっくりしてちょうだい」
未来君がお皿を纏めようとするのを制し、ママが声をかけた。
「ありがとうございます。それじゃ、今日はお言葉に甘えさせてもらって、部屋を整えてきます。これだけキッチンに運んでおきますね」
未来君はそう言って手早く自分の分のお皿を重ねると、キッチンのシンクに置く。そのままダイニングの扉から出て行こうとして、思い出したように私を振り返った。
「そうだ、里桜ちゃん。夕食には約束してたヘルシーなデザートも付けるから、楽しみにしてて。その後はお父さんも一緒に、ジョギングに行こう」
「うん」
未来君は言い残し、軽快に階段を上っていった。
「……ママ、私、お皿洗いを手伝うよ!」
未来君が出て行くとすぐ、私は席を立ち残るお皿を纏め始めた。これまでは、食べたら食べっ放しが当たり前。自分のお皿をキッチンに持っていったことなどなかった。
不思議なことに、そんな以前の当たり前が、今はもう当たり前とは思えなかった。
「パパも、自分のお皿を運ぶくらいはさせてくれ」
パパも自分の食器を重ね始める。家事には協力的なパパだけど、主体となって動くのはやっぱりママ。普段の食事では、食べたらそのまま席を立つことがほとんどだった。
そのパパも、明らかに未来君の影響を受けているようだ。
「あら、ふたりともすっかり未来君に感化されちゃって。ふふふっ、未来君との同居でまさかこんなに嬉しい変化が起ころうなんて考えてもみなかったわ。これからも、その調子でお願いね」
ママにチクりと言われ、私とパパは顔を見合わせて苦く笑った。
だけどママに言われずとも、未来君との同居によって訪れた変化は、私自身が誰よりも感じていた。
それは、あれだけ腰が重かったダイエットを決意したことだけじゃない。
……私、もっとちゃんとしよう。
自分のこと、目の前のこと、人任せにせずやれることからやっていこう。胸にはそんな前向きな思いがいっぱいだった。
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