ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第2章『悪夢の王国と孤独な魔法使い』編

第53話『夢うつつ/Stray Cat』part2

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 人々が完全に寝静まった深夜の宿屋。

「……!!」

 心地よい眠りの世界にいたエレリアを、突然何者かの叫び声が呼び起こした。

「……きて!」

 少女の声だ。寝ぼけ眼で開かないまぶたの向こうから、聞き慣れない少女の声がおぼろけに聞こえてくる。

「……おきて!」

 その迷惑極まりない声は一向に止むことはなく、しきりにエレリアを揺さぶりながら、何かを訴えている。

「ッ! うるさいなぁ……!」

 眠りを邪魔されたエレリアは苛立ちながら、仕方なく上半身を起こした。
 一体何の騒ぎなのだ。火事でも起こったのか。
 しかし、強制的に起こされてしまったせいで、エレリアはうまく思考が定めることができなかった。
 自分は何をして、なぜここにいたのであったか。そもそも、ここは現実の世界なのか、夢の世界なのか。

「……ほら、起きてよぉ!」

 鉛のように重い寝起きの頭を抱えるエレリア。
 初めは、ミサが起こしてきたのかと思っていた。しかし、隣を見るとなんと彼女はすやすや寝息を立てながら幸せそうに寝ていた。
 つまり、エレリアを呼び起こしたのはミサではなかったのだ。
 知らない誰かが近くにいる。
 そのまま、声のするほうへゆっくりと目を向けようとした、その時だった。

「もう! お姉ちゃんッ!!」

 すると、いきなり不意を突く平手打ちを頬に受け、ようやくエレリアの意識は完全に調子を取り戻した。
 そして、少し遅れて、先程の聞き慣れない言葉に違和感を覚え、思わず声を漏らした。

「……え? お、お姉ちゃん……?」
「あぁっ! やっと起きた!!」



 夜の静寂に満ちた小さな部屋。
 青白い月の光を受け、ぽつんと闇の中に立っていたのは見知らぬ少女だった。
 エレリアと似たようなローブを被った少女は呆れたように吐息を漏らし、凍てつくような蒼い瞳でこちらを静かに見つめていた。

「えっ……。誰?」

 エレリアは恐怖のあまり震えるばかりで、身動きがとれずにいた。
 目が覚めたら目の前に人がいたのだ。扉の鍵は閉めたはずなのに、どこから侵入してきたと言うのか。
 何より、この何の見覚えのない少女はエレリアに向かって『お姉ちゃん』と呼んできたのだ。
 状況がまったく理解できない。

「……やっぱり、何も覚えてないんだ。母様の言うとおりね」

 すると、その蒼い目の少女はベッドの上で呆然としているエレリアのそばへ歩み寄ると、覗きこむようにいきなり顔を近づけてきた。

「ほら、私よ。妹のミアよ。お姉ちゃん、ほんとに思い出せないの?」
「い、妹? ミア? えっと、ほんとに誰?」
「ありゃりゃ、こりゃダメね」

 エレリアがとぼけた反応を見せると、少女は呆れて渇いた笑みを漏らした。
 自らをエレリアの妹と称している謎の少女。しかし彼女は、身なりだけでなく、その艷やかな銀髪、顔つき、背丈、その何もかもが不思議なことにエレリアと似ていたのだ。そう、まるで二人は同じ姉妹かのように。
 ただ、一つだけ違ったのは、燃える灯火のような赤い瞳が特徴的なエレリアに対して、その少女は冷たい青い瞳をしていた。

「はぁ、恥ずかしいからあまり言いたくなかったんだけど……。これは、もうしょうがないわ」
「……?」
「……モフミ、って言っても私のこと思い出せない?」
「えぇっ!? モ、モフミ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、エレリアは驚きを隠しきれなかった。

「モフミって、あの私たちの白猫の……」
「そうよ! 私がその憐れでかわいそうな白猫よ!」

 自らをモフミと名乗る少女は、エレリアの発言を皮肉るような物言いで叫んだ。
 しかし、なぜ猫のモフミが人の姿になって、ここにいるのだ。そんなことがありえるのか。

「はるばる遠い地上の世界に来てあげたってのに、なんでこんなヒドイ目に合わなきゃならないわけ!? ほんと勘弁してほしいわ!」

 一人で、自身の境遇を嘆く少女。
 その口調から、彼女は本当にあの猫のモフミのようだった。

「でも、どうやってここに……?」
「そこから入ってきたのよ」

 エレリアの問いかけに、ふてくされ気味な少女が指差す先には、換気用に開けておいた窓があった。
 まさか、この開かれた小さな隙間から入って来たと言うのか。しかし、もし彼女が本当に猫のモフミだとしたら、不可能なことではないかもしれない。

「逆に、満月の光を浴びながら猫の姿を維持するの大変だったんだからね!」
「そ、そうなんだ」
「アソコ丸出しで歩かなきゃいけないのよ! 恥ずかしいったら、ありゃしない!」

 しかし、この少女があの猫のモフミだなんて、にわかに信じられない。だが、反対に彼女が嘘をついているようにも見えない。
 第一、嘘をつく理由なんて彼女にとって何もないだろう。

「ね、ねえ、もう一回聞くけど、あなたは本当の本当にモフミなの!?」
「そうだって何回も言ってるじゃない」
「けど、いまいち信じられないなぁ……」
「はぁ、お姉ちゃんは鈍いんだから。……ほら、これを見てよ」

 すると、少女はため息を吐くと、銀色の髪を手で振り払いながらアゴを上げて、自身の首元をエレリアに見せつけた。そして、その首元を見て、エレリアは驚愕した。
 そう、なんと彼女の首には、モフミがずっと身につけていた首輪が巻かれてあったのだ。

「こ、これって……!?」
「ほんと屈辱。なんで、この私が猫の首輪なんかはめられなくちゃならないのよ!」
「取れないの?」
「一人で取れたら苦労しないわよ! むーっ!!」

 そう言うと、少女は怒りに任せて首輪を外そうとした。だが、いくら手で引きちぎろうとしても、首輪が彼女の首から外れそうな気配はなかった。
 それでも、少女はやけになってしまったのか、首に巻き付く首輪と必死に格闘を続けていた。

「モフミ、も、もう分かったから、あんまり無理しないで」
「あぁっ、そうだ、そうだ、思い出したっ! お姉ちゃん、いい加減にそのモフミって名前で呼ぶの止めてよね! ダサすぎてたまったもんじゃない! まだ、あの男がつけたミカエルってやつの方が良かったわ!」
「えぇ……」
「私にはミアって名前があるんだから、今日からちゃんとした名前で呼んで!」

 不服そうに不機嫌な態度を取り続ける少女。
 だが、このときエレリアはついに確信した。
 彼女は本物の猫のモフミだ。現に、彼女はモフミの名付け会議の際のソウヤたちとのやり取りを口にしてたのだ。
 首輪や瞳の色からも、少女は猫のモフミが人間に化けた姿に間違いない。
 ただ、自らをミアと呼ぶ彼女は、エレリアのことを自身の姉だと口にしていた。となれば、一体彼女は何者なのか。

「あのさ、なんでモフミは……」
「ッ!!」
「……じゃなくて、ミアはなんで私のことをお姉ちゃんって呼ぶの?」
「今はそんなこと、どーでもいいの。とにかく、私は早くお姉ちゃんの持ってるアレが欲しいわけ」
「私のアレ……?」

 すると、自らをミアと呼称する少女は、再びエレリアのもとへ近寄ってきた。

「だから、アレよ。今、お姉ちゃんが着けてるやつあるでしょ? 星の首飾りよ。私はそれを手に入れるために、ここに来たのよ」
「星の、首飾り……?」
「そう。それがあれば、私はこの忌々しい猫の呪縛から解放される。諸々の詳しい話はその後ね」

 どうやらミアは、エレリアが身につけている星の首飾りというアイテムによって、猫の姿から永続的に人間の姿でいられるらしい。
 しかし、エレリアは途方に暮れていた。

「えぇっと、その……」
「何、勿体ぶってるの? 早く渡してよ、首飾り!」

 強く手を差し出し、星の首飾りを私によこせと急かすミア。
 だが、エレリアは彼女に首飾りを渡すことができなかった。渡すことができない訳があったのだ。

「あの……、なんだか、ミアにはすっごく申し訳ないんだけど」
「ん?」
「私、首飾りなんか一つも身に着けてないんだよね……」
「は……、はぁ!?!? 着けてないって……? ……ははは、お姉ちゃん、さ、さすがに冗談よねぇ!?」
「いや、ほんと……」
「ちょっと、見せてごらんなさいよっ!」

 すると、ミアはエレリアに飛びつくように、エレリアの首元を必死に探った。
 普段なら抵抗するところであるが、どこか後ろめたさのようなものを感じたエレリアは大人しくされるがままにしていた。
 そして、首飾りがないという事実を受け入れていくにつれ、次第にミアの動きは弱々しく衰えていった。

「う、嘘でしょ……。ほんとに無いじゃん……」

 目当ての物が見つからず、一気に失意に暮れるミア。
 それもそのはず、エレリアはコックル村で目覚めた時からこのかた、一度も首飾りなど身につけたことがないのだ。
 初めから、何かの間違いではないのか。

「ねぇ、お姉ちゃん! なんで無いの!? 家に置き忘れてきた!?」
「いや、だから私、首飾りなんか知らないんだって」

 いくら問い詰められたところで、無いものは無いのだ。
 しかし、いくらエレリアが説得したところで、ミアは諦めきれていない様子だった。

「そ、そんな、ちょっと待ってよ……。あれがないと、私まさか、ず、ずっと……、猫の姿のまま?! 嫌よ、そんなのッ!!」

 顔色を真っ青にして、深く頭を抱えるミア。再び猫の姿に戻らなければならないことを悟って、絶望しているらしい。
 できることなら、当然エレリアだって彼女のために何か協力してやりたかった。
 しかし、その時だった。

「ふわぁ、なんか急に眠くなってきちゃった……」

 神がこれ以上二人のやり取りを許さないかのように、いきなり強烈な睡魔がエレリアを襲ったのだ。
 まぶたが重くなっていくにつれ、意識は次第に遠のき、強制的にエレリアはまどろみの世界へ引きずりこまれていった。

「ちょっと!? お姉ちゃん!! 何、寝ようとしてるのよ! まだ、話は終わってな……」
「すぅ……」

 そして、気づいた時にはエレリアは再び深い眠りに落ちていた。
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