ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第2章『悪夢の王国と孤独な魔法使い』編

第48話『仲間/New Friends』

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 その男はどっしりと構えるかのように椅子に座り込み、時おりグビグビと酒を呑んでは、下品に口からゲップを吐き出していた。
 本当にこんな男に話しかけなければならないのか。そもそも、彼が自分たちの仲間になってくれる未来が微塵も想像つかない。
 不安になって後ろを振り返ると、やや離れた距離から「頑張れ!」と言わんばかりにミサとソウヤが視線だけで応援してくれていた。

「もう……。なんでこんなことに……」

 本当は嫌で嫌で仕方なかったが、ジャンケンというもので負けてしまったのは自分だ。
 男との距離が近づくにつれ、胸の奥にある心臓が大きくうねり、全身の筋肉が緊張という名の感情によってこわばっているのが分かった。一歩進んでいくごとに、次第に吐き出す息は震えていく。
 それでも、エレリアは自身の運命を激しく呪いながらも、喉の奥から震える声を絞り出し、ついに男との接触を試みた。

「あ、あの……」

 今にも消えうるようなエレリアの声に気づいた男は、彼女を睨みつけるや否や、酒の入った木のコップをテーブルに叩きつけるかのように置き、叫んだ。

「アァ?! なんだ、オメェは?」

 やや酔っ払い気味の男の口から放たれた鼻を突くような酒の匂いに、思わず顔をしかめてしまったエレリア。
 やっぱり、話しかけるべき相手を間違えてしまったのだと後悔するも時すでに遅し。
 男は立ちすくむエレリアに向かって鋭く目を細めた。

「俺に何の用だァ!」

 自分の何倍もの体格をほこっている男の威圧感は思った以上に大きかった。
 まさに獲物を狙う肉食動物そのもののような眼差し、殴られたらひとたまりもないであろう屈強な肉体、彼の凶悪性を象徴するかの如く鮮やかに彫られた漆黒の入れ墨。
 決して綺麗とは言えない彼から漂う清潔感も相まって、今のエレリアには言葉にならない息を吐き出すことしかできなかった。

「てか、オメェどこのギルドに入ってるヤツだ?」

 すると、男は不機嫌そうな顔つきのまま、素性の分からないエレリアの正体を探るべく問いかけた。
 突然男からギルドの所属について尋ねられたエレリア。
 だが、実際ギルドなど何にも入っていないため、何と答えたらいいか分からなかった。仮にどこにも属していないと素直に答えたところで、興味を失われ依頼を聞いてもらえない可能性だってある。
 どうすればいいのか。

「おい、テメェの耳は腐ってんのか!? どこのギルドに入ってんだって聞いてんだよッ! 答えろ!」

 戸惑っているエレリアに対し、痺れを切らした男は、机を思いっきり拳で叩き罵声を吐き散らした。
 ガヤガヤと騒々しかったギルド内の人々も、この時だけは男とエレリアに視線を向けていた。
 「早くミサたち助けに来てよ!」と心の中で泣き叫びながらも、表面上はできるだけ心中を悟られまいと平穏でいることに努め、エレリアは男に真実を話すことにした。

「えぇっと……、どこにも入ってない……」
「はァ? どこにも入ってないだと!?」

 エレリアの発言に、男は呆れた表情を見せた。

「何のギルドにも入ってねぇくせして、堂々と俺に何の用だ」

 男はますます怪訝そうな顔で、エレリアを睨みつけた。まさに、凶悪な魔獣とそれに挑む小さなウサギのような構図だ。
 だが、エレリアは男の罵声に屈することなく、小さな勇気を奮い起こして会話を続けた。

「その……、私たち仲間を探してて……」
「仲間ァ? だから、何だ? 俺に仲間になってほしいとでも言うのか?」

 吐き捨てるような男の問いかけに、エレリアは黙ったまま首を縦に振った。

「ふん。あいにくだな、俺んとこも夢魔のせいで人手が足りてねぇんだわ」

 すると、男の口から意外な言葉が返ってきた。
 なんと彼もエレリアたちと同じく人を探しているらしい。

「そうだな! だったら、話が早い。おまえも俺たちのギルドに入るか?」
「え……、あなたのギルドに……?」

 まさかの男からの逆オファーに、エレリアは戸惑いを隠せなかった。
 結果として新たな仲間を確保することに変わりはないかもしれないが、彼のギルドに入るとなったら話は違ってくる。
 あくまでエレリアたちは城の兵力を増強するべく、宰相の命令でここを訪れたのだ。彼のギルドに入ってしまえば、しばらく城に帰ることができなくなってしまうかもしれない。

「おい! どうなんだ!?」

 エレリアがしばらく呆然としていると、男から恐喝に似た叫び声が飛んてきた。

「えっと……、あなたのギルドは何をしてるところなの?」
「あぁ? んとだな、俺たちのギルドは、手工業ギルドだな。だが、それはほとんど名ばかりで、仲間たちと一緒にスラム街で新しく住居を建設したり、逆に壊れた建物とかを修理したり、わりと自由に活動してる」

 建設業を中心とした、実質的には何でも屋と言ったところだろうか。
 恐らく、彼のように屈強な肉体を誇ったガラの悪そうな男たちがたくさんいるに違いない。
 そんな環境に放り込まれたら、想像するだけで恐ろしい。彼とは育ってきた境遇が違いすぎる故、きっと彼らのギルドに入ったところで、きっといつか逃げ出すに決まっている。

「で、どうなんだ?」

 せっかちな性格なのが、男が返答を急かしてくる。
 だが、エレリアの答えは早かった。

「……いや、入らない」
「はァ?! なんだとぉ!?」

 エレリアの口から放たれた言葉に、男は失笑気味に驚愕の表情を顔に張り付かせた。

「入らないって……、おまえどっちだよ!? 仲間が欲しいんじゃなかったのか?」
「……だって、あなたみたいなムサ苦しい人たちばっかのトコなんでしょ? そんなの嫌だよ」
「テメェ!!」
「あっ……」

 その瞬間、激昂した男が蹴り飛ばしたイスが、黒い埃と共に宙に舞い上がった。
 エレリアは慌てて両手で口を塞いたが、もう遅かった。

「さっきから好き勝手喋らせておけば、チャラチャラ調子に乗りやがってッ……!! 許さねぇッ!」

 ついエレリアが漏らしてしまった失言によって、男は完全に激怒してしまっていた。目は真っ赤に血走っており、きっと全身の血は激情でグツグツと煮えたぎっているに違いない。
 男の様子を見る限り、もはやどんなに謝ろうにも手遅れそうだった。
 その時、ただならぬ事態を察知したミサたちが慌ててエレリアのもとへ駆け寄り、初めて男の前で顔を見せた。

「す、す、すみません! うちのエレリアがとんだご無礼を……!」
「アァ? おまえら仲間か!? だったら全員、皆殺しにしてやるよ!」
「ひぇえ!!」

 ソウヤは必死に頭を下げて、エレリアの代わりに全力で謝罪の限りを尽くした。だが、この期に及んで男にいくら謝ったところで、今さら言葉の浪費に過ぎなかった。
 この時、激怒している男を前にして、エレリアの右手も反射的に湧き上がる闘志で細かく震えていた。

「まずはテメェから、殺ってやるよ! 小娘!」
「いいよ、やるの?」
「ちょっと、リアちゃん!」

 男の脅迫にも怯むことなく睨み返すエレリアと、真っ青な顔でそれを引き止めようとするミサ。
 こちらには聖域という名の不思議な盾がある。コックル村でメノーが襲いかかってきた時、突然エレリアを守るかの如く現れたあの謎の光の壁のことだ。
 この事実が、エレリアを強気にさせていた。もし、聖域なるものが自分に備わってなければ、ただただ無様に男の恐喝に怯えていたかもしれない。
 だが、かつて一度メノーの狂気を経験したせいもあって、この目の前の男にはなぜか勝てそうな気がしていたのだ。
 相手はたかが人間だ。
 枯れることを知らないまま湧き続ける謎の自信と闘争心に駆られて、エレリアは持っていた剣に手を掛け、男と戦う姿勢に入った。

「へへへ……。小娘のくせに、いい度胸してるじゃねぇか……!!」

 怒りのあまり全身の血管が破裂してしまうのではないかと思うぐらい男は怒り狂い、背中に提げていた大剣を抜くと、その輝く太い刃をエレリアに見せつけた。強靭な肉体から繰り出される一撃は、きっとどんな生物も真っ二つにしてしまうだろう。
 まさに一発触発。もはや、どんな手を尽くしても男を止められそうにない。
 だが、不思議と死の恐怖はエレリアは感じなかった。
 私には聖域がある。見えない誰かが、私を守ってくれる。
 そんな、不可視の用心棒に信頼を託し、熱く燃え上がる闘志で身を引き締めると、エレリアは剣を構えた。

「死にやがれェ!!」

 そして、怒り狂うがまま男が大剣を大きく振り上げた、まさにその時だった。

「ちょ、ちょ、ちょ、君たちストッ~プ!!」

 男が最後の一振りを下ろそうとした瞬間、やけに軽やかな物言いの声が聞こえてきた。

「何!?」

 突然の乱入者に、エレリアと男が思わず動きを止めた瞬間、2人の間に謎の青年がいきなり割り込んできた。

「はい、お2人とも喧嘩はここまで!」

 軽快な物言いで、2人の争いを止めたのは謎の青年だった。真っ赤な髪色が特徴的で、スタイルもよく顔立ちも整った、爽やかな印象の青年だった。
 意外すぎる展開に、エレリアと男だけでなく、そばにいたミサとソウヤも戸惑いの表情を見せた。
 だが、誰よりも先に声を上げたのはエレリアを真っ二つに切り裂こうとした男自身だった。

「誰だ、テメ……!」
「まぁ、まぁ、そんなカッカなさらずに」

 謎の部外者によってエレリアとの争いを中断され、ますます男は苛立っていた。だが、赤髪の青年は少しも意にも介さず、どこか侮っているかのような態度で男をなだめようとしている。
 急に何なのだ。
 かつての縁か何かで助太刀してくれるならまだしも、その青年には何の見覚えもなかった。まったくの初対面だ。
 一瞬ギルドの職員かとも思ったが、服装からしてそれはなさそうだった。
 彼を信じていいのか。まず、彼は味方なのか。
 すると、またもや何者かがいきなりエレリアの背後から手を伸ばしてきた。

「えっ!?」
「もう大丈夫だよ、お嬢ちゃん」

 いきなり後ろから触れられ、エレリアは思わず反撃の体勢をとろうとした。だが、不思議なことにその伸びてきた手から悪意は感じられなかった。むしろ、エレリアを男から守るかのように、優しく包み込んでいる。
 急いで声の主を確認すると、そこには赤髪の青年と同じような身なりをした青年が2人立っていた。一方は、蒼い髪、もう一方は鮮やかな黄色い髪をしている。
 突然の乱入者に、たまらずミサは問いかけた。

「あなたたちは!?」
「安心して。僕たちは、君の味方だよ」

 蒼い髪の青年はミサを落ち着かせるために、甘い声で囁いた。
 恐らく、3人は仲間に違いなかった。彼らが身につけている服装から、彼らの帰属意識のようなものを感じる。
 だが、なぜ青年たちは助けてくれるのか。

「おい……。何のつもりだ、若造……! これは小娘と俺の問題なんだ! 邪魔すんじゃネェ……!」
「だからと言って、こんなか弱い女の子に手を出すのは、違うんじゃないのかい?」
「うるせぇ!! こいつは俺を侮辱しやがったんだ! 絶対に許さねぇ!」
「まぁ、まぁ。これで許してやってくれよ」

 すると、赤い髪の青年はどこからともなく小さな袋を取り出すと、怪しい笑みを漏らしながら男に近寄り、それをポンと手渡した。

「な!? おまえ、どういうつもりだ……!?」
「だから、これで勘弁してやれってことよ。いいでしょ?」

 青年が渡した袋、なんとその中には大量の金貨が入っていたようだった。ギルドに赴く前、ミサが同じように城で宰相から金貨を大量に貰ったが、下手するとそれ以上の量があるかもしれない。
 男は青年から手渡された大金にビビりながら、ひたすらに怒りを堪えていた。

「ちっ!!」

 そして、どこかバツが悪そうに袋を仕舞うと、嫌味を込めエレリアに唾を吐き出し、ギルドの外へ歩み去っていった。



「本当にありがとうございます!」

 あの男がギルドからいなくなった後、ミサは助けてもらった青年たちに誠心誠意の感謝の気持ちを伝えた。

「いやいや、人として当然のことをしただけさ」

 ミサから感謝の意を受けた赤い髪の青年は、へらへらと笑みをこぼしながら照れくさそうに頭をかいた。同じく、2人の青年も誇らしげな笑顔を見せている。

「悪そうな兄貴に絡まれてる君たちの姿を見かけてね。仲間たちと話して、こりゃ止めたほうがいいんじゃないかってなったわけさ」
「そうだ、エレリア。おまえ、なんであの時やけに喧嘩腰だったんだ?! いつの間にかキャラ変えたのか?」
「ふ~ん、そっか。君はエレリアちゃんって言うんだね」

 すると、ソウヤの言葉からエレリアの名を耳にした青年は何かエレリアの身体を品定めするかのように、まじまじと彼女を見つめた。
 怪しい眼差しを受けたエレリアは、このとき初めて青年に嫌悪感を抱いた。

「何?」
「あっ、いやいや、別に何でもないよ。気にしないで」

 冷たく突き放すような物言いのエレリアに、渇いた笑みを漏らす青年。

「あっ、そ~だ! 君たち、このあとさ時間ある?」
「はい、ありますけど……」
「それだったらさ、俺たちのアジトに来てみないかい?」
「えっ、アジト?!」

 赤髪の青年が放ったアジトという言葉を聞き、ミサは目を輝かせながら驚嘆の声を口にした。

「この近くの路地裏に俺たちだけで作り上げた秘密の拠点があるんだけど」
「えぇ、すごい!」
「男たちばかりで退屈だったから、ぜひ女の子の君たちにも来てもらいたいと思ってね」
「あの、俺は? 俺は男なんですけど……」
「もちろん! 君も男同士、僕たちと熱く語り合おうじゃないか!」

 一人だけ疎外感を感じ困り顔を見せたソウヤにも、青年は気さくに対応した。とてもフレンドリーに接してくれる青年の態度はミサたちの初対面の人間に対する不信感のようなものを払拭し、明らかに青年らとの距離も縮まっていた。
 まさに、見るに見かねた神様がエレリアたちと青年たちを出会わせたかのよう。
 次第にミサたちの青年らに対する好奇心も高まっていき、気づけば一種の絆のようなものが出来上がっていた。

「どうだい?」
「はい! ぜひ行かせていただきたいです!」

 思わぬ運命のめぐり合わせ。この出会いに感謝しつつ、ミサは青年の提案に快諾した。しかし、この中で唯一懐疑的な態度を取り続けていた人間が一人だけいた。

「ねぇ、ミサ。ほんとについて行くの?」
「今さら何言ってんの、リアちゃん! 私たちは新しい仲間を探しに来たんだよ? こんなチャンス二度とないよ」
「そりゃ、そうだけど……」

 いくら青年たちが優しくして来るからと言って、必ずしも彼らが善人だとは限らない。エレリアはそう思っていたが、そんなことに一つも疑いの余地を見出していないミサによって、エレリアの懸念は簡単に振り払われてしまった。
 すると、初対面の人物に対してまず尋ねるべきであろう事柄を、ソウヤが青年たちに聞いた。

「あの、あなたちのお名前聞いてもいいっすか?」
「俺たちはお互いニックネームで呼び合ってるんだ! ちなみに、僕はレッドで」
「俺がブルー。そんで、こっちが……」
「イエローだ! よろしく」
「なんか、どこぞのヒーローみたいになってっけど、それはあなたたちの髪の色からきてんすか?」
「あぁ、そういうことさ。分かりやすいだろ?」

 赤髪の青年がレッド、青髪がブルー、黄色い髪がイエロー。なんとも安易なニックネームだが、分りやすさという点で言えばこれ以上のものはないだろう。

「それじゃ、行こうか!」
「はい!」

 そして、半ば急かすように赤髪の青年レッドに連れられて、ミサたちは軽やかな足取りで、荒くれ者が集うギルドを後にした。

「……」

 だが、このとき憂わしげな視線でエレリアたちの様子を陰から静かに見つめていた若草色の髪の少女がいたことを、当時のエレリアたちは微塵も知る由もなかった。
 こうして、エレリアたちのもとにレッド、ブルー、イエローという名の心強い青年たちが仲間になったのだった。
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