ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第38話 聖域/Veil

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「では、二人揃って闇の果てへ消し去ってあげショウ!!!! ミゼルアァァ!!」
 ついに、メノーが究極の闇の魔法ミゼルアを唱えてしまった。
「駄目ッ!!! やめてぇぇぇぇえッ!!!」
 エレリアを救うため、死にものぐるいで駆け寄るミサが泣き叫ぶ。
 しかし、ミサの絶叫も虚しく、無情な闇の太陽は村長をかばうエレリアごとその存在を消し飛ばした。
「ぁあ……ッ!!??」
 闇の異次元空間がエレリアたちを飲み込んだ直後、一瞬だけ静寂に包まれたかと思うや否や、絶大な衝撃波によって辺りを荒れ狂う吹雪が吹き荒れた。その無慈悲な暴風の威力は想像を絶するもので、ミサはエレリアの手を掴むこともできず、成すすべもなく吹き飛ばされてしまった。
 こうして、狂気の男メノーによる、村長の贖罪の儀が最悪の形で果たされた。それも、無関係のはずの少女エレリアを道連れにして。

 気づくと、凍てつく風の暴力は収まっており、広場は不気味なほど静まり返っていた。
「ぅぅ……」
 苦しそうに頭を押さえて、ミサはおぼろげながらも意識を取り戻した。
 なぜか周囲はむせ返るような冷たい濃霧に包まれており、凍える素肌を自ら抱きしめるように温め、まず先に自身の命を繋ぎ止める。
「リ、リアちゃんは……?」
 そして、震える白い吐息を漏らしながら、ミサはかすむ視界の中よろよろと立ち上がった。どうやら先程の衝撃で全身が負傷しているようで、鈍い痛みが箇所に響く。
 だがそれでも、彼女が無事に生きていることだけを願って、おもむろにエレリアの姿を探し始めた。
 冷たい霧が立ち込め、ほぼ何も見えない。
「ど、こ……? リアちゃん……?」
 あまりの極寒に、口から吐き出す声すらも簡単に凍りついてしまいそうだ。息を吸い込む度に冷気が体内に流れ込み、肺が焼けつくように痛む。
 まさか、こんな形でエレリアとの別れが訪れてしまうとは、誰が予想できただろう。目の前でエレリアが闇に飲まれていく衝撃的な光景が無意識にミサの脳裏を横切る。認めたくない。いや、エレリアともう二度と会えないなんて、そんなの絶対認めない。
 ミサはボロ布のような微かな奇跡を信じて、傷ついた足取りのまま必死にエレリアを探し求めた。
「……っ!!」
 すると、次第に晴れていく霧の中、その曖昧な隙間から揺らめく人影を見つけた。
「リアちゃん……!?」
 拭えない絶望から一変して歓喜に包まれたミサは、負傷した右足を引きずって急いで駆け寄ろうとする。
「ぁぁ……!?」
 しかしその瞬間、ミサは再び失意の底に叩きつけられることになった。
 そう、霧の向こうに揺らぐ人影、それはエレリアではなくあの忌まわしき男メノーだったのだ。彼はエレリアたちの立っていた場所を細い目で見つめ、満足そうに微笑んでいた。
「安易に喋りすぎてしまったことが運の尽きでしたネ、ウィリアムサン。しかし、罪なき麗しき少女もろとも散っていってしまわれるトハまぁ、ナント愚かな男なのでショウか……」
「あぁ……、そんな……」
 メノーの呟きに、耐え難い不変の現実を突きつけられたミサは崩れ落ちるように地に両膝をついた。
 そして、絶望に打ちひしがれるミサを目の端で捉えたメノーは、怪しい薄笑いを浮かべたまま語りかけるようにして再び呟いた。
「じきにこの霧も晴れ、次第に真実がワタシたちの前に現れるハズデス。アナタもその目で受け入れるがいいでショウ。崇高なる彼女の死を」
「嫌だよ……そんなの……」
 地にひれ伏したまま、ミサはこらえきれず両目から涙を流してしまった。
 ようやく出会えた、心から愛することのできる大切な存在なのだ。何者にも代えることができない、親愛なる友であり、同時にかけがえのない家族の一員なのだ。
 ミサの生きていく理由、それがエレリアだった。
 エレリアを失ったという事実に押し潰され、ミサはそのまま自分も死んでしまいそうなほどの悲しみの激痛に苦しんでいた。それは、もはや自身の片腕を切り落とされた時の痛みと同じ程のものだった。
 これから、どうやって生きていけば良いのか。いや、エレリアがいなくなってしまったこの世界で生きていく意味などあるのか。
 王国のポーションなど、今はそれどころではない
 ただエレリアが帰ってきてほしい。願いが叶うなら、どんな辛い運命が待ち受けていようと構わない。
 ミサはありったけの悲しみで傷ついた胸を押さえて、その悲しいを叫んだ
「リアちァァァァァァァァァアんッ!!!!」
 痛ましい少女の悲痛な絶叫が天に響き渡る。
 これでエレリアが姿を見せてくれるならと、ミサは叫んでみた。だが変わらず自身の赤く腫れ上がった目に映るのは、忌まわしい男メノーと次第に晴れていく霧だけだ。
 すると、その時だった。
 メノーの闇の魔法によって存在を消し飛ばされたエレリアと村長がかつて立っていた場所に、不意に何者かの気配を感じた。
「……ッ!?」
 あまりに予想外の状況に、ミサだけでなくメノーも声にならない驚愕で目を丸くした。今、確実に誰かがいた。幻か?
 そして、薄れていく霧からついに姿を表そうとする謎の人影に二人は我が目を疑った。
 冷たい空気が漂う中、呆然と立ち尽くす二つの影。
 それはなんと、まさしくエレリアと村長そのものだったのだ。

「リアちゃん!?!?」
 思いもよらない光景に、エレリアの生存を望んでいたはずのミサすらも思わず困惑してしまっていた。
 そして一方で、死んだはすのエレリアと村長が呆然と立ち尽くす姿を目にして、メノーもミサと同じく動揺を隠せていない傍ら、その怒りの感情を激しく吐き出した。
「な、なぜダぁ……!? ナ、なぜオレのミゼルアを喰らっていながら、平然と生きてイルんだッ!? アリエナイッ!!!!!!」
 どうやら、メノーは儀式を果たせなかったという事実に怒り狂っているようだった。
 だが、エレリア自身もなぜ自分が生きていられているのか分からなかった。メノーの放った強大な闇の衝撃波に飲まれる寸前に目を閉じ、次にまぶたを開いた時、辺りは凍える空気に包まれていた。そして、今に至る。不思議なことに傷の一つも身体に刻まれていない。まったくの無傷だ。
 この時のエレリアの瞳には、拍子抜けしているミサと、なぜか激情に震えているメノーの姿があった。
「そこのコムスメ……。ナニヲシタァ……!!」
 すると紳士的で冷徹な態度から一変して、メノーは自身の赤い歯を激しく噛み締めて、殺意を宿した瞳でエレリアを睨みつけた。
 しかし、エレリア自身もこの状況に困惑している内の一人だ。故に、メノーの質問には答えられず、口を紡いでしまった。
 すると、わざとらしくメノーは咳き込み、口を開いた。
「……ホホホ、ソウデスカ。こうなってしまってハ、話は別デスネェ……。ワタシとしたことが贖罪の儀を果たすことができず少々不本意ではありマスが、ココは少し予定を変更シテ……」
 そして、静かに微笑を浮かべると、
「そこのコムスメッ!! オマエから先に、このオレが直々にぶちコロしてヤロウッ!!!」
 と、鬼気迫る血相で、その歪んだ怒りを吐き散らした。
「……っ!?」
 いきなり態度を豹変させたメノーの脅威にエレリアが怯んだ瞬間、奴はなんと瞬く間に目前まで距離を詰めてきた。両手には禍々しい巨大な鎌が握られている。その不吉な輝きを目にし、今度こそエレリアは死を覚悟すると共に、胸の奥底で再び何か熱いものを感じた。
「死ネェッ!!!!!」
 怒り狂ったメノーが死の大鎌をエレリアめがけて勢いよく振り下ろす。この距離からなら、確実に首を切り飛ばされてしまうだろう。
 だが、今さら攻撃を避ける余裕はおろか、身を守る手段も何もない。
 ここでエレリアは最後の手段として、彼を拒むように両手を前に突き出し、そして叫んだ。
「嫌だッ!!!」
 すると、その瞬間、鼓膜を鋭く突き抜ける硬い衝撃音が鳴り響いた。
 何が起きたのか。
「えっ!?」
 目を見張るエレリアの目前、そこにはなんとどこからともなく現れた光の壁があった。それは、まるでエレリアを外部の敵から守るかのように包み込み、なんとメノーの一撃を軽々と受け止めていたのだ。
「何ダ、コレはッ!?!?」
 突如として現れた謎のバリアに自身の攻撃を阻まれ、メノーも思わず驚愕をあらわにした。だが力は少しも緩めることなく、エレリアを守るバリアごと彼女を切り裂いてしまおうと、メノーは渾身の力を両腕に込める。
「グヌヌヌッ……!!!!!」
 光の壁に突き刺さる鎌が次第に禍々しい魔力を宿し、その恐ろしい殺意と共に威力を上げていく。
 だがいくら奴が死力を尽くそうが、バリアを粉砕することはおろか、小さな亀裂すら入らない。
 それどころか、包まれた光の壁の内部はまるで母親の腹の中にいるような、温かい平穏に満ちていた。
「何これ……」
 壁一枚を隔てて今にも殺されようとされているにも関わらず、エレリアは光の中で母からの慈愛に似た神秘的な温もりに恍惚していた。
 激しく明滅する壁の向こうで、必死にエレリアを殺しにかかる恐ろしい形相のメノーが見える。だが、それすらもこの光の中にいると他人事のように思えてしまう。
 一体何なのだ、この輝きは。自分が発しているのか。だが、何の自覚もない。
「……ッ!? 待テ!! この輝きは……!!? マサカ、聖域!?」
 すると、何か違和感に気づいたメノーがいきなり手を緩めた。
「ナ、ナゼ、オマエが聖域の加護を受けているノダ……?」
 不可解な言葉を呟いたメノーが眉をひそめたままゆっくり鎌を引っ込めると、同時に光の壁も役目を果たし終えたかのように静かに消えていってしまった。
「ぁぁ……」
 恐るべき脅威から自分を守ってくれていた光の壁が消え去り、メノーと二人きりになってしまったエレリアは恐怖で震え上がった。そして、なんとかしてあのバリアを再び出そうとエレリアは慌てて手に力を込めたが、なぜか自らの意思であのバリアを張ることができない。
「なんでっ!? さっきは出てきたのに……!!」
 極度の焦燥感に駆られるがまま、エレリアは光の壁を出そうと、指の先まで力を込めて両手を何度も突き出す。だが、なぜか都合よくあの聖なる障壁は姿を表してくれない。このままでは、また殺されてしまう。
 そうしてエレリアが必死に自分自身の潜在能力を引き出そうと努力していると、突然メノーが叫んだ。
「……ソウカッ!! ソウイウことカ!!」
「……!?」
 不意を突くような彼の叫び声に、肩を震わせ怯えるエレリア。
 すると興奮状態から冷めたのか、歓喜に包まれた様子のメノーが再び口の端を歪め、常時の冷血な声色で呟いた。
「ホホホ、たった今すべての謎が解けマシタ……」
 彼は何やら微笑を浮かべたまま、怪しげに目を細めている。そんな彼のもくろみを見透かすことができず、エレリアは冷や汗を流した。
 そして、もったいぶるように間を空けると、メノーはゆっくりと腰を折り、一回り小さいエレリアを覗き込むように呟いた。
「やっと見つけましたヨ……。長らく行方をくらましていた、神の片割れの娘。アナタのことデスよネェ? ……ペトラサン」
「……ぇ?」
 この時、エレリアは彼の発言の真意をすぐに掴むことができなかった。
「アァ、ワタシとしたことが、なぜ気づかなかったんでショウか! その純白の頭髪に、可憐なローブ。そして、うっすらとデスが漂ってくる聖界民の残り香。アナタこそペトラサンで間違いありまセン!」
「な……、何を言ってるんだ!」
「オォ?」
 わざとらしく首を傾げるメノーを睨みつけて、一種の怒りを胸にエレリアは彼に言いつけてやった。
「私はペトラなんかじゃない! 私の名前はエレリアだ!」
 力強くそう言い放ったエレリアだったが、内心では確信を持てずにいた。何せ、この名はミサたちと初めて会ったとき、無意識に自身の口から発せられたものだからだ。
 では、もし仮にエレリアの本当の名が『ペトラ』だったとして、なぜ彼が彼女の真の名を知っているのか。記憶を失う前、彼と関わりがあったのか。
 いや、そんなはずはない。あんな狂気に満ちた男と自分が関係あるわけがない。
「エレリア、……ですカ。ホホホ、あの方たちもなかなか粋な名をアナタにつけたものデスネ」
「あ、あの方たち……?」
 次々に彼の口から飛び出る不可解な言葉。だが、何も知らないエレリアは眉を寄せ疑問の意を吐き出すことしかできなかった。
「おやまぁ、これこれは、聖界においての記憶もすべて消えてしまったのデスか? イヤ……、この様子だと剥奪されたと言ったほうが正しいのかもしれまセンね……」
 何だが気分が悪くなってきた。今まで謎に満ちていた自分の存在が、よりにもよって彼の口から強引に明かされようしているからなのか。あるいは、自分ですら知らない自身の未知なる領域を彼によって侵されているからなのか。とにかく理由は分からないが、胸の奥から何か嫌悪感の塊のようなものがこみ上げてきそうになる。
 すると、余裕気な表情を顔に貼り付けたメノーが、静かにエレリアに歩み寄ってきた。彼から漂ってくる、むせ返るような死の匂いが鼻を刺す。
「ち、近寄るなっ……!!」
 彼が何を企んでいるか少しも分からない。
 恐怖に震えるエレリアは近づいてくるメノーから思わず後ずさっていった。だがその瞬間、背後で気絶した村長の体に気づかず、そのまま足を取られ勢いよく地面に尻もちをついてしまった。
 しかしエレリアの負傷に少しも構うことなく、不気味な薄笑いを浮かべたままメノーは彼女にゆっくり手を伸ばしてきた。
「いやはや、ソレにしても……」
「い、嫌……!!」
 手ではねのけるようにして、エレリアは激しく拒絶の意をあらわにする。
 すると、その時だった。
 あの光の壁が再びエレリアの目の前に張られ、メノーとの接触を激しく拒んだ。
「あぁ、また……!!」
 エレリアの意思に関係なく、突如としてまたあのバリアが現れたのだ。未知なる闇の脅威からエレリアを守るかの如く光り輝いている。
 しかし、メノーは少しも意に介していないようで、彼自身が聖域と呼称したドーム状のバリアの境界面を優しく手で触れると、まるで愛でるようにして撫で始めた。
「自身の追憶だけでなく、無惨にも聖翼と聖輪をも失ってしまったとは、アァ、なんと痛まシイ。……しかし、聖界民の名残でもある聖域だけは健在トハ、まぁ。なんて不安定な状態なのデショウ……」
 彼から溢れ出る底知れぬ狂気に、まるで怯えるかのように細かく震える光の壁。
 やはり、この輝きが彼の放った闇の魔法ミゼルアの衝撃から村長もろともこの身を守ってくれたようだ。その証拠に、その聖なる障壁を隔てて、彼は一切エレリアに手出しをしてこない。
「ヤハリ、母なる祝福を受けない限り、ワタシはアナタのその可憐な肌に触れることすらできないのですカ……? アァ、なんて世界は無情なんでショウ……!」
 メノーはなんとしてもエレリアに触れたい様子だが、彼女を優しく包み込む聖域が頑なに接触を許さなかった。
 本当に何なのだ、この光の壁は。頼んでもいないのにどこからともなく現れ、そして勝手に消えていく。だが、自らの意思で自由に出すことはできない。確か彼は聖域と呼んでいたが、それすらも何の心当たりもない。
 この時エレリアは、困惑の限りを極めていた。これまで自分は普通の人間だと思い込んでいたが、彼の意味深な発言とこの状況から、自分という存在がますます疑わしくなってくる。

 すると、その時だった。
 聖域の境界面を愛しそうに頬ずりをするメノーに向かって、いきなり何か薬品が入った瓶が一直線に投げつけられた。何者かによる意表をつく奇襲だ。
 だが、メノーは少しも驚くことなく、片手だけで軽々とその瓶を受け止めると、そのまま余裕げにその瓶をまじまじと観察し始めた。
「おやおや、コレは一体?」
 濃い赤色の液体に満たされた謎の瓶。
 すると、瓶が一瞬だけ輝きを放った次の瞬間、なんとそのままメノーの手の中で耳をつんざく大爆音と共に激しく爆砕した。
「うわぁっ!?」
 爆心となったメノーだけでなく、近くにいたエレリアも爆発の衝撃で吹き飛ばされそうになったが、偶然にも張られていた聖域の加護がその衝撃をすべて受け止めてくれた。
「……ホホホ、なかなかオモシロイことをしてくれますネェ」
 爆煙の中から、狂気に包まれたメノーの姿が次第に浮かび上がってくる。おそらく、あの大爆発でさえも、彼にとっては大したものではなかったようだ。
 と、その時、突如として広場に聞き慣れた少女の声が響いた。
「今すぐリアちゃんから離れろ!!」
 とっさにエレリアは声のする方へ視線を向けると、そこにはメノーを鋭く睨み今にも飛びかかっていきそうなミサの姿があった。片手には先ほどの赤い瓶が握られており、どうやら先の強襲は彼女によるものらしい。
「は、早くしないと、タダじゃ済ませないぞ……」
 彼女らしからぬ勇敢な物言いで、メノーに敵意を言い放ったミサだったが、威勢のいい声色とは裏腹に明らかにその声は細かく震えていた。しかし、それでも彼女は愛すべき仲間であるエレリアを救うため、震える足で力強く大地の上に立っていた。
「おやおや、コレはなんと勇敢な少女なのデショウ。タダ、ワタシに戦いを挑んでその後どうなるかは、あのブザマな男を見て分かったハズですよネェ? ましてや、アナタとワタシとでは、戦わずしてもう結末は見えているハズデスが」
「ぅぅ……」
 悠然と吐かれるメノーの脅迫の言葉に、思わず少し弱気な態度を覗かせてしまったミサ。
 その時、エレリアの心中に不吉な予感が過ぎった。そう、彼ならミサを殺しかねないと、本能が警鐘を鳴らしたのだ。
「や、止めろ!」
 気づけば、彼の右手には静かに魔力が込められており、どうやら奴は本気でミサを片付ける準備を始めているようだった。
 慌てたエレリアは急いで立ち上がってミサのもとへ駆け寄ろうとする。だが、最悪なことに、なんとドーム状に張られた聖域の外に出ることができなかったのだ。理由は分からないが、目の前で輝くこの光のバリアが行く手を阻み、身動きが取れなくなってしまったのだ。
「ねぇ、なんで!? 早く消えてよッ!!」
 先ほどは自然と消滅した光の壁は。しかし、いくら力を込めて叩いても、壁はビクともしない。
 一刻を争う事態だと言うのにも関わらず、平然と光り輝く謎のバリアに、エレリアは苛立ちを隠せなかった。これでは、頑丈な檻の中に閉じ込められているも同然ではないか。
 この光は味方なのか、敵なのか。逆に自由に制御できないからこそ、どんどん苛立ちが募っていく。
 だが、閉ざされた聖域の中で力一杯に抵抗するエレリアの前で、メノーの口からは意外な言葉が飛び出した。
「ホホホ、安心してクダサイ、ペトラサン。今日この場で、ウィリアムサンやカノジョを殺すつもりはありまセン。もちろん、アナタもデスが」
「えぇっ!?」
 では、なぜメノーは自身の右手に魔力を溜め込んでいるのだ。
 不穏な胸騒ぎが次第に耳障りなノイズとなり、聴覚を支配する。
「もとより、ワタシはウィリアムサンの贖罪の儀を果たしにココへ来たのデス。シカシ、このまま大人しく引き下がってしまっては、ワタシの立つ瀬がありまセン。よって……」
 その時、エレリアの恐れていたことがついに現実になった。
「この粛清の炎で、この村ごとカレの犯した罪に裁きを下すことにしまショウ!!」
 高らかにそう宣言すると、メノーは再び上空に魔力の塊を浮遊させた。しかし、それは先ほどの凍てつく闇の魔法ではなく、その逆の炎の魔法だった。
 灼熱の火球から放たれる熱波が地上に降り注ぎ、容赦なくミサたちの肌を焦がす。だが、聖域に守れたエレリアはその熱さすら何も感じなかった。
「あぁ!?」
 すると、エレリアは信じられない光景を目にしてしまった。
 そう、メノーの背後に、なんと昨晩カロポタス村で遭遇したあのシロメたちが群れをなして、メノーに自身の魔力を送っていたのだ。
 なぜ、奴らがここにいるのだ。いや違う、もしかすると奴らは初めからメノーの手下なのか。
 シロメたちはエレリアには目もくれず、一心不乱に主人であるメノーに魔力を転送し続けている。
 次第に不快な耳障りが意識をかき乱し、謎の眠気が脳内に満たされていく。
「だ、だめ……」
 このままでは、ミサもろとも村が焼き払われてしまう。
 しかし、聖域の中に閉じ込められたまま、エレリアは薄れていく意識の中、外界の惨劇を眺めていることしかできなかった。
 そして、ついにメノーが最上級の火属性魔法の名を唱えた。
「ボルゾーナッ!!!!」
 彼の絶叫と共に、天から無数の炎の雨が降り注ぐ。そしてそれは、まんべんなく地上のあちこちに着弾し、村の民家や田んぼを無情に焼き尽くした。
「や、止めて……」
 いとも容易くコックル村は目を塞ぎたくなるほどの地獄の光景に変わり果て、辺りからは人々の嘆き叫ぶ声が聞こえてきた。移ろいゆく炎は加減というものを知らず、手当り次第にその勢いを強め、一瞬で地上は火の海と化してしまった。
「ぁぁ……」
 聖域の制御システムによるものなのか、立ち続けていられる気力がどんどん奪われ、とうとうエレリアは弱々しく倒れ込んでしまった。
 薄れていく視界から意識が引き剥がされないように、エレリアは精一杯に手を伸ばす。しかし、己の意思とは裏腹にまぶたは非情に重くなっていき、もはや今見えている景色が現実のものなのか、はたまた夢のものなのか、それすらも分からなくなっていた。
「フゥ、コレくらいで、ヨロシイでショウ」
 暗黒の炎に焼かれていく村の光景を眺め満足そうに微笑むメノー。すると、彼は聖域の中で強制的に眠りにつかされているエレリアに近寄り、丁寧に一礼するとゆっくりと口を開いた。
「ソレでは、ペトラサン。また、近いうちにどこかでお会いしマスよ。ホッホッホッホッ……」
 そして、不吉な笑みをこぼしながら、ついにメノーは周囲を包む闇ごとシロメたちと共に消え去っていってしまった。
 ようやく、忌まわしき魔界からの使者メノーがいなくなった。だが、今さら奴がいなくなったところで、コックル村を包む絶望の炎は鎮まることを知らない。
「リアちゃん!!」
 すると、漆黒の煙に包まれ火の粉が盛大に舞い散る中、痛ましく肌を焦がしたミサが涙目でエレリアに駆け寄ってきた。
「お願い死なないで!!」
 そして、そのままエレリアを包み込む聖域の壁を激しく叩きつけ、泣き叫んだ。
「ミサ……」
 聖なる仕切りを隔てて、泣きわめくミサの悲痛な顔がぼんやりと見える。
 しかし、彼女の願いには答えられず、エレリアはそのまま聖域の中でとうとう静かに目を閉じ、意識を失ってしまった。
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