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第1章『始まりの村と魔法の薬』編
第29話 脱出/Hopeless Shadow
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おぞましい白い影の大群が一斉にこちらへ向かってくる。
そのどれもがエレリアのような白いフードを目深にかぶっているせいで、肝心の表情は読み取れない。ただ、彼らからは異常な程の怒りと絶望の感情が肌身に伝わってくる。
彼らは何者なのか。生物なのか、はたまた幽霊なのか。今の段階ではまだこれらのことは分からないが、エレリアたちに対して激しい敵意を向けているのは確かだ。それならば、やるべきことはただ一つ。
真っ向から、対立し合うだけだ。それが駄目なら、あとは逃げるのみ。
「いくぞ!」
自ら自発的に闘志を燃やし、エレリアは向かってくる白い影と戦うために意識を集中させる。
森で魔獣と戦ったあの日以来の久々の感覚。全身の血が次第に激しく温度を上げ、それに伴い先程まで恐怖で凍えていた感情も、殲滅すべき敵を前にして焦げ付くほど熱くなってくる。
そして、意識が完全に戦闘モードに突入したエレリアは間髪入れず持っていた剣を天高く掲げ、聖なる月の光を刃に充填した。さらにそれだけではなく、そこへ追い打ちをかけるように自身の魔力も注ぎ込んでいく。
すると、月光とエレリアの魔力を最大限に蓄積した剣の刃はついに、秘めていた真の力を解放。なんと神々しい光と共に眩い虹色に輝き出したのだ。
その輝きは、真夜中の常闇を切り裂き、闇に包まれていた村を真昼の如く聖なる光で温かく包み込んだ。
「す、すげぇ……。俺の剣に、こ、こんな力があったなんて……」
その人智を超えた圧倒的な光景を目前に、もともとの剣の所持者であるソウヤはただあっけなく口を開いて呆然とするよりほかなかった。そして、それは白い影のみならず、なんとエレリアも同様だった。
予想だにしない事態にエレリアも心の中では、剣の刃に魔力を吸い取られ続けここからどうすればいいのかと焦っていた反面、このままこの絶大な力を以てすれば敵を一掃できると、強い勝利を確信していた。
そして、ついに状況は動き出す。
「うりゃあああああ!!!」
覚悟を決めたエレリアはそのまま虹色に光り輝くエネルギーを刃から切り離し、向かってくる敵に向かって一心不乱に振り切った。
言葉では形容できないほどの絶大な威力が、巨大な波動となって白い影を喰らう。
そして次の瞬間、鼓膜を突き破るほどの大爆音が周辺の海ごと村を轟かし、エレリアたちの意識をも吹き飛ばした。
しばらくしてエレリアは、あまりの衝撃で無意識に閉じていた目をゆっくり開いてみた。
一体あれからどうなったのだろうか。開いていくまぶたの隙間へ夜の光が入り込んでくる。
そして、目に飛び込んできた光景を前にエレリアは思わず息を飲んでしまった。
なんと目前には、無惨に荒れ果てた焼け野原が広がっていたのだ。確かに先程まで存在してたはずの枯れ木や村の廃墟は跡形もなく消し飛び、村の風景は一面の荒野と化していた。
あの日、森で魔獣の群れを退けた時もその剣の威力にエレリアは愕然としていたが、あれはまだ最小限に抑えられた力に過ぎなかったことが、今の一撃で分かった。月のエネルギーと魔力を最大限に溜め込んだ先の衝撃こそが、この剣の真なる力だったのだ。
この時、初めてエレリアは自身が持っている剣に恐怖の念を覚えた。使い方を誤れば、街一つ消し飛ばしてしまうかもしれない。そう考えると、急に恐ろしく感じてきた。
ただ、幸いなことにあの白い影の姿も見当たらなかった。どうやらあの想像を絶する一撃を前に、むなしく剣の錆になったようだ。
「ふぅ、良かった……」
ひとたび安堵した瞬間、エレリアはよろよろと地面に倒れ込むように身体がグラついた。
「おい! しっかりしろ!」
すんでのタイミングでソウヤが彼女の身体を支えた。
「リアちゃん!?」
月光草の刈り取り作業を行っていたはずのミサも作業の手を止め、急いでこちらへ駆け寄ってきた。よく見ると、エレリアの背後、つまり剣の衝撃を受けていない場所は以前と変わらない村の風景だった。故に、肝心の月光草もなんとか無事のようだった。
「二人とも、だ、大丈夫だよ……。ちょっと、やりすぎちゃったかもしれないけど」
そう言って、エレリアは自身の力で立ち上がろうとした。しかし、なぜか全身にうまく力が入らない。
先程の一撃に、自身の魔力をすべて使い果たしてしまったからだろうか。ふと冷静になってみると、不思議な倦怠感が身体中に満ちているのをエレリアは感じた。
「どうやらその様子じゃ、ろくに歩けそうにもねぇな」
ぐったりと苦しそうな表情を見せるエレリアを支えたまま、ソウヤは呆れたようにため息を吐いた。
「しゃーない。ミサ、お前は早いとこ月光草を採取しろ。仕事が終わったら、さっさとこの村から退散するぞ」
「でも、リアちゃんは歩けないんだよね?」
「エレリアは……、俺がおんぶしてやる!」
「ええっ!? い、いいよ、そんなの! 自分で歩けるから」
ソウヤの提案に、エレリアが誰よりも早く拒否の意を示した。
「おいおい、急になんだよ。あん時は大人しく俺におんぶされてただろが」
「あれはソウヤが勝手にやったんでしょ!」
確かに、初めてエレリアがソウヤに連れられて村の海に行った日の帰りは、彼におんぶされたこともあったが、あれは不本意ながら仕方なく受けたことだ。エレリアの意思ではない。
何よりエレリアは、おんぶされた時に自身の胸が彼の背中に当たってしまうという事実が最も嫌だった。
それに子供ではあるまいし、この歳になっておんぶされるなど、エレリアのプライドが許さなかった。もし相手が同性のミサなら少しは気分も変わったかもしれないが。
「ほら、遠慮なんかしないで……」
「ほんとに大丈夫! 私一人で立てるから……」
エレリアは顔を赤らめながらも必死に自力で立とうとするが、自身の意思に反して身体は少しも動いてくれない。
「くっ……!」
いくらあがこうと覆すことのできない現状に、エレリアは悔しそうに下唇を噛み締めた。魔力という存在が、この世界においていかに人の活動の活力になっているということが、これでよく分かった。
「おい、エレリア! 早くここから出ねぇと、またアイツらが湧いてくるかもしれねぇんだぞ! 強がってる場合かよ」
いつまでもしつこく意地を張り続けているエレリアを、ついにソウヤが激しく咎め始めた。
しかし、それでもエレリアは一向に態度を変えようとせず、彼の叱責から不機嫌そうに顔をそむけた。
そんな彼女の様子を見て、ソウヤは湧いてくる小さな苛立ちをこらえつつ、ある一つの事を決めた。
「よしっ、ミサ! 手伝え!」
「えっ、手伝えって……」
「エレリアを無理矢理おんぶさせるんだよ。そうでもしねぇと、先に進まねぇだろ」
「わ、分かった!」
ソウヤからの提案に、ミサは少し戸惑いつつも、慌てて首を縦に振った。
「ちょっと、何するの! 二人とも!」
「ごめん、リアちゃん!」
魔力を使い果たし動けなくなっているエレリアの両脇からミサが申し訳なさそうに彼女を抱え込み、背を向けたソウヤが腰を低く下ろしエレリアを受け入れる体勢を作る。
「嫌だよ! おんぶなんか!」
「ほら、ミサ早く!」
「ほんとにごめん、リアちゃん!!」
激しく嫌がるエレリアの意思に反して、ミサは彼女を彼の背中に預ける。
そして、ソウヤはエレリアをしっかりと背中で支えると、さっと立ち上がった。
「うぅ……」
「やっと大人しくなったか、ったく!」
為すすべもなく彼に背負われてしまい、エレリアは無念の意をため息として弱々しく吐き出した。
もちろん元気があれば、今すぐにでも抵抗して飛び退きたいところだが、魔力が枯渇している今の身体では暴れることはおろか、自身の指先さえもうまく動かすことができない。
窮地を救ったというのに、まさかこのような醜態を晒すことにはなってしまうとは。そう考えれば考えるほど、エレリアは情けない気持ちになってきた。
「よっしゃ、ミサ急ぐぞ!」
「うん!」
ミサは力強くうなずき、急いで作業現場に戻った。
「ソウヤ……。私にこんな恥ずかしい格好させておいて、家に帰ったらタダじゃおかないから……」
「怖ぇよ、エレリア! てかおまえ、そんなキャラだったか!?」
耳元でエレリアが怨念ダダ漏れの震える声で呟き、ソウヤは思わず背筋を震わせた。
すると、その時だった。
フフフフ……
いきなりソウヤの耳に、不気味に微笑む何者かの声が届いたのだ。それも女性の声だ。
しかし、この時のソウヤは耳元でエレリアが声を漏らしたのだと、そう思い込んでしまっていた。
「おい、今度はどうしたんだぁ? さっきの一撃で、とうとう頭までおかしくならやがったか」
「何、急に? この状況で私をからかうソウヤの頭ほうこそおかしくなったんじゃない?」
「はぁ……? なんだと……」
挑発的なエレリアの発言に、ソウヤが怒りをあらわにしようとした次の瞬間、
フフフフフ……
またしても、冷ややかな女性の笑い声がどこからか聞こえてきた。
「ちょっと待て。今の声だ。おまえ、今さっき笑ったか!?」
「だから、こんな状況で笑ってなんかいないって……!」
「じゃあ、今の笑い声は誰なんだよ……」
先ほどまで謎の声の主だと疑っていたエレリア本人から自分は違うと否定され、ソウヤは困惑と共に恐怖の感情に包まれた。
では、今の笑い声は誰なのだ。
明らかに人の声ではある。ただ、誰なのか分からない。
こうしてソウヤが正体不明の囁きに息を押し殺していると、いきなり邪悪な霧が立ち込めると同時に辺りの空気が一気に冷たくなり始めた。それは、瞬く間にエレリアたちを包み込み、無数の不気味な笑い声があちこちから流れてくる。
「おい! なんなんだよ!」
「ソウくん! 怖い!」
エレリアを背負ったソウヤはミサのもとへ駆け寄り、立ち込める邪悪な霧の中で3人は固く身を寄せ合う。突如襲ってきた異常事態にエレリアは今すぐにでも剣を握って立ち向かってやりたい気分だったが、自由に身体を動かせない以上ソウヤの背中でただ息を呑んで様子を伺うこと以外に今やれる術はなかった。
エレリアたちを取り囲む静寂の濃霧はどんどん無情に空気を凍らせていき、恐怖で震える吐息が白くなっていることに3人は気づいた。
「このままじゃ、ヤベェ……」
明らかにこれは何者からかの先制攻撃に違いない。だが、肝心の相手がどこにも見当たらない。
そしてジリジリと迫る命の危機にソウヤの流した冷や汗が村の黒い大地に滴った瞬間、ついに見えざる敵がその目の前に正体を表した。
地面から静かに湧き出てくる白い影。それは、この村に来てからエレリアたちを追いかけ回して来たあの忌まわしき存在だった。
漆黒の大地に芽吹いた白い影たちは頭部を怪しく震わしたかと思うと、間髪入れず十字架型の真っ赤な短剣を取り出し、無言のまま3人にゆっくりと薄気味悪く近寄ってくる。
「くそっ、こいつら……。やっぱり俺たちを殺す気なんだ!」
「もう、なんなの!? この村は!!」
焦りと混乱に満ちたソウヤとミサの声が錯綜する。
ここに来る前、鍛冶屋のダンテがエレリアに忠告して来たように、やはりこの村には気安く立ち入っていい場所ではなかった。
この村は何者かによって呪われていた。その証拠がこの白い影の存在だ。意思を宿しているのかさえも不明な謎の白い影は殺気と憎悪を瞳に宿し、決して動きは速くはないが、着実にエレリアたちの息の根を止めるべく、距離を詰めてきていた。
エレリアは最後の力を先ほど使い果たしてしまい、もう戦線に出ることはできそうにない。
「こうなったら、もうこれしかねぇ!」
またしても窮地に追いやられ、ソウヤは声高らかに叫んだ。
「ミサ! 目的の月光草は取れたんだろうな!」
「い、一応は……! 本来ならまだ月のしずくに浸す作業があるけど、そんなの後でやる!」
「分かった! よしっ、それじゃあ、行くか!」
「行くかって……、これからどうするつもりなの!?」
「俺がこのエクスカリバーを使って時間を稼ぐから、その隙にお前はエレリアを背負って先に逃げろ!」
「でも、ソウくんは……! 」
「時間がねぇんだ! あくしろ!」
「う、うん!」
すべて言い終わる前にソウヤに強く遮られ、ミサはこれ以上言い返すことはせず、彼の命令に従うことにした。
背負っていたリュックごと荷物を急いで投げ捨て、必要最低限の道具をミサは腰に下げていた小さな袋に詰め込む。
そして、ソウヤから動けなくなったエレリアを受け取り、背負おうとした。
「うぅ、お、重いかも……」
「ミサ、ごめん……!」
ソウヤからエレリアを背中で受け入れた瞬間、彼女の体重に耐えきれずミサは思わずバランスを崩してしまった。鍛冶屋で修行してるだけあって屈強な肉体を持っているソウヤに比べて、非力な少女のミサはそもそも特別な筋力はあまり持っていない。それに、ミサとエレリアの体格はほとんど同じ。ひと回り背丈が大きいソウヤのように軽々と持ち上げられなくて当然だ。
この時エレリアはこれまでにない罪悪感を胸に、ミサにどんな顔をしていいか分からなかった。そして、必死に自分を持ち上げようとしている彼女の姿を見て、何もできない自分自身を呪ってやりたかった。
ただ、それでもミサは死力を尽くすかの如く顔を真っ赤にして、なんとかエレリアを背負ってみせた。
「リアちゃんは、何も気にしなくていいからねっ……」
心優しきミサは苦しそうに表情を歪ませながらも気を利かしてエレリアに言葉をかけるが、返ってエレリアにとってはその気遣いが逆に心苦しかった。しかし、それと同時にここまで自分を思いやってくれるミサには感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
「よしっ、行けっ! ミサ!」
「分かった!」
こうして、ミサはエレリアを背負って邪悪な霧の向こうへ歩き出した。
そのどれもがエレリアのような白いフードを目深にかぶっているせいで、肝心の表情は読み取れない。ただ、彼らからは異常な程の怒りと絶望の感情が肌身に伝わってくる。
彼らは何者なのか。生物なのか、はたまた幽霊なのか。今の段階ではまだこれらのことは分からないが、エレリアたちに対して激しい敵意を向けているのは確かだ。それならば、やるべきことはただ一つ。
真っ向から、対立し合うだけだ。それが駄目なら、あとは逃げるのみ。
「いくぞ!」
自ら自発的に闘志を燃やし、エレリアは向かってくる白い影と戦うために意識を集中させる。
森で魔獣と戦ったあの日以来の久々の感覚。全身の血が次第に激しく温度を上げ、それに伴い先程まで恐怖で凍えていた感情も、殲滅すべき敵を前にして焦げ付くほど熱くなってくる。
そして、意識が完全に戦闘モードに突入したエレリアは間髪入れず持っていた剣を天高く掲げ、聖なる月の光を刃に充填した。さらにそれだけではなく、そこへ追い打ちをかけるように自身の魔力も注ぎ込んでいく。
すると、月光とエレリアの魔力を最大限に蓄積した剣の刃はついに、秘めていた真の力を解放。なんと神々しい光と共に眩い虹色に輝き出したのだ。
その輝きは、真夜中の常闇を切り裂き、闇に包まれていた村を真昼の如く聖なる光で温かく包み込んだ。
「す、すげぇ……。俺の剣に、こ、こんな力があったなんて……」
その人智を超えた圧倒的な光景を目前に、もともとの剣の所持者であるソウヤはただあっけなく口を開いて呆然とするよりほかなかった。そして、それは白い影のみならず、なんとエレリアも同様だった。
予想だにしない事態にエレリアも心の中では、剣の刃に魔力を吸い取られ続けここからどうすればいいのかと焦っていた反面、このままこの絶大な力を以てすれば敵を一掃できると、強い勝利を確信していた。
そして、ついに状況は動き出す。
「うりゃあああああ!!!」
覚悟を決めたエレリアはそのまま虹色に光り輝くエネルギーを刃から切り離し、向かってくる敵に向かって一心不乱に振り切った。
言葉では形容できないほどの絶大な威力が、巨大な波動となって白い影を喰らう。
そして次の瞬間、鼓膜を突き破るほどの大爆音が周辺の海ごと村を轟かし、エレリアたちの意識をも吹き飛ばした。
しばらくしてエレリアは、あまりの衝撃で無意識に閉じていた目をゆっくり開いてみた。
一体あれからどうなったのだろうか。開いていくまぶたの隙間へ夜の光が入り込んでくる。
そして、目に飛び込んできた光景を前にエレリアは思わず息を飲んでしまった。
なんと目前には、無惨に荒れ果てた焼け野原が広がっていたのだ。確かに先程まで存在してたはずの枯れ木や村の廃墟は跡形もなく消し飛び、村の風景は一面の荒野と化していた。
あの日、森で魔獣の群れを退けた時もその剣の威力にエレリアは愕然としていたが、あれはまだ最小限に抑えられた力に過ぎなかったことが、今の一撃で分かった。月のエネルギーと魔力を最大限に溜め込んだ先の衝撃こそが、この剣の真なる力だったのだ。
この時、初めてエレリアは自身が持っている剣に恐怖の念を覚えた。使い方を誤れば、街一つ消し飛ばしてしまうかもしれない。そう考えると、急に恐ろしく感じてきた。
ただ、幸いなことにあの白い影の姿も見当たらなかった。どうやらあの想像を絶する一撃を前に、むなしく剣の錆になったようだ。
「ふぅ、良かった……」
ひとたび安堵した瞬間、エレリアはよろよろと地面に倒れ込むように身体がグラついた。
「おい! しっかりしろ!」
すんでのタイミングでソウヤが彼女の身体を支えた。
「リアちゃん!?」
月光草の刈り取り作業を行っていたはずのミサも作業の手を止め、急いでこちらへ駆け寄ってきた。よく見ると、エレリアの背後、つまり剣の衝撃を受けていない場所は以前と変わらない村の風景だった。故に、肝心の月光草もなんとか無事のようだった。
「二人とも、だ、大丈夫だよ……。ちょっと、やりすぎちゃったかもしれないけど」
そう言って、エレリアは自身の力で立ち上がろうとした。しかし、なぜか全身にうまく力が入らない。
先程の一撃に、自身の魔力をすべて使い果たしてしまったからだろうか。ふと冷静になってみると、不思議な倦怠感が身体中に満ちているのをエレリアは感じた。
「どうやらその様子じゃ、ろくに歩けそうにもねぇな」
ぐったりと苦しそうな表情を見せるエレリアを支えたまま、ソウヤは呆れたようにため息を吐いた。
「しゃーない。ミサ、お前は早いとこ月光草を採取しろ。仕事が終わったら、さっさとこの村から退散するぞ」
「でも、リアちゃんは歩けないんだよね?」
「エレリアは……、俺がおんぶしてやる!」
「ええっ!? い、いいよ、そんなの! 自分で歩けるから」
ソウヤの提案に、エレリアが誰よりも早く拒否の意を示した。
「おいおい、急になんだよ。あん時は大人しく俺におんぶされてただろが」
「あれはソウヤが勝手にやったんでしょ!」
確かに、初めてエレリアがソウヤに連れられて村の海に行った日の帰りは、彼におんぶされたこともあったが、あれは不本意ながら仕方なく受けたことだ。エレリアの意思ではない。
何よりエレリアは、おんぶされた時に自身の胸が彼の背中に当たってしまうという事実が最も嫌だった。
それに子供ではあるまいし、この歳になっておんぶされるなど、エレリアのプライドが許さなかった。もし相手が同性のミサなら少しは気分も変わったかもしれないが。
「ほら、遠慮なんかしないで……」
「ほんとに大丈夫! 私一人で立てるから……」
エレリアは顔を赤らめながらも必死に自力で立とうとするが、自身の意思に反して身体は少しも動いてくれない。
「くっ……!」
いくらあがこうと覆すことのできない現状に、エレリアは悔しそうに下唇を噛み締めた。魔力という存在が、この世界においていかに人の活動の活力になっているということが、これでよく分かった。
「おい、エレリア! 早くここから出ねぇと、またアイツらが湧いてくるかもしれねぇんだぞ! 強がってる場合かよ」
いつまでもしつこく意地を張り続けているエレリアを、ついにソウヤが激しく咎め始めた。
しかし、それでもエレリアは一向に態度を変えようとせず、彼の叱責から不機嫌そうに顔をそむけた。
そんな彼女の様子を見て、ソウヤは湧いてくる小さな苛立ちをこらえつつ、ある一つの事を決めた。
「よしっ、ミサ! 手伝え!」
「えっ、手伝えって……」
「エレリアを無理矢理おんぶさせるんだよ。そうでもしねぇと、先に進まねぇだろ」
「わ、分かった!」
ソウヤからの提案に、ミサは少し戸惑いつつも、慌てて首を縦に振った。
「ちょっと、何するの! 二人とも!」
「ごめん、リアちゃん!」
魔力を使い果たし動けなくなっているエレリアの両脇からミサが申し訳なさそうに彼女を抱え込み、背を向けたソウヤが腰を低く下ろしエレリアを受け入れる体勢を作る。
「嫌だよ! おんぶなんか!」
「ほら、ミサ早く!」
「ほんとにごめん、リアちゃん!!」
激しく嫌がるエレリアの意思に反して、ミサは彼女を彼の背中に預ける。
そして、ソウヤはエレリアをしっかりと背中で支えると、さっと立ち上がった。
「うぅ……」
「やっと大人しくなったか、ったく!」
為すすべもなく彼に背負われてしまい、エレリアは無念の意をため息として弱々しく吐き出した。
もちろん元気があれば、今すぐにでも抵抗して飛び退きたいところだが、魔力が枯渇している今の身体では暴れることはおろか、自身の指先さえもうまく動かすことができない。
窮地を救ったというのに、まさかこのような醜態を晒すことにはなってしまうとは。そう考えれば考えるほど、エレリアは情けない気持ちになってきた。
「よっしゃ、ミサ急ぐぞ!」
「うん!」
ミサは力強くうなずき、急いで作業現場に戻った。
「ソウヤ……。私にこんな恥ずかしい格好させておいて、家に帰ったらタダじゃおかないから……」
「怖ぇよ、エレリア! てかおまえ、そんなキャラだったか!?」
耳元でエレリアが怨念ダダ漏れの震える声で呟き、ソウヤは思わず背筋を震わせた。
すると、その時だった。
フフフフ……
いきなりソウヤの耳に、不気味に微笑む何者かの声が届いたのだ。それも女性の声だ。
しかし、この時のソウヤは耳元でエレリアが声を漏らしたのだと、そう思い込んでしまっていた。
「おい、今度はどうしたんだぁ? さっきの一撃で、とうとう頭までおかしくならやがったか」
「何、急に? この状況で私をからかうソウヤの頭ほうこそおかしくなったんじゃない?」
「はぁ……? なんだと……」
挑発的なエレリアの発言に、ソウヤが怒りをあらわにしようとした次の瞬間、
フフフフフ……
またしても、冷ややかな女性の笑い声がどこからか聞こえてきた。
「ちょっと待て。今の声だ。おまえ、今さっき笑ったか!?」
「だから、こんな状況で笑ってなんかいないって……!」
「じゃあ、今の笑い声は誰なんだよ……」
先ほどまで謎の声の主だと疑っていたエレリア本人から自分は違うと否定され、ソウヤは困惑と共に恐怖の感情に包まれた。
では、今の笑い声は誰なのだ。
明らかに人の声ではある。ただ、誰なのか分からない。
こうしてソウヤが正体不明の囁きに息を押し殺していると、いきなり邪悪な霧が立ち込めると同時に辺りの空気が一気に冷たくなり始めた。それは、瞬く間にエレリアたちを包み込み、無数の不気味な笑い声があちこちから流れてくる。
「おい! なんなんだよ!」
「ソウくん! 怖い!」
エレリアを背負ったソウヤはミサのもとへ駆け寄り、立ち込める邪悪な霧の中で3人は固く身を寄せ合う。突如襲ってきた異常事態にエレリアは今すぐにでも剣を握って立ち向かってやりたい気分だったが、自由に身体を動かせない以上ソウヤの背中でただ息を呑んで様子を伺うこと以外に今やれる術はなかった。
エレリアたちを取り囲む静寂の濃霧はどんどん無情に空気を凍らせていき、恐怖で震える吐息が白くなっていることに3人は気づいた。
「このままじゃ、ヤベェ……」
明らかにこれは何者からかの先制攻撃に違いない。だが、肝心の相手がどこにも見当たらない。
そしてジリジリと迫る命の危機にソウヤの流した冷や汗が村の黒い大地に滴った瞬間、ついに見えざる敵がその目の前に正体を表した。
地面から静かに湧き出てくる白い影。それは、この村に来てからエレリアたちを追いかけ回して来たあの忌まわしき存在だった。
漆黒の大地に芽吹いた白い影たちは頭部を怪しく震わしたかと思うと、間髪入れず十字架型の真っ赤な短剣を取り出し、無言のまま3人にゆっくりと薄気味悪く近寄ってくる。
「くそっ、こいつら……。やっぱり俺たちを殺す気なんだ!」
「もう、なんなの!? この村は!!」
焦りと混乱に満ちたソウヤとミサの声が錯綜する。
ここに来る前、鍛冶屋のダンテがエレリアに忠告して来たように、やはりこの村には気安く立ち入っていい場所ではなかった。
この村は何者かによって呪われていた。その証拠がこの白い影の存在だ。意思を宿しているのかさえも不明な謎の白い影は殺気と憎悪を瞳に宿し、決して動きは速くはないが、着実にエレリアたちの息の根を止めるべく、距離を詰めてきていた。
エレリアは最後の力を先ほど使い果たしてしまい、もう戦線に出ることはできそうにない。
「こうなったら、もうこれしかねぇ!」
またしても窮地に追いやられ、ソウヤは声高らかに叫んだ。
「ミサ! 目的の月光草は取れたんだろうな!」
「い、一応は……! 本来ならまだ月のしずくに浸す作業があるけど、そんなの後でやる!」
「分かった! よしっ、それじゃあ、行くか!」
「行くかって……、これからどうするつもりなの!?」
「俺がこのエクスカリバーを使って時間を稼ぐから、その隙にお前はエレリアを背負って先に逃げろ!」
「でも、ソウくんは……! 」
「時間がねぇんだ! あくしろ!」
「う、うん!」
すべて言い終わる前にソウヤに強く遮られ、ミサはこれ以上言い返すことはせず、彼の命令に従うことにした。
背負っていたリュックごと荷物を急いで投げ捨て、必要最低限の道具をミサは腰に下げていた小さな袋に詰め込む。
そして、ソウヤから動けなくなったエレリアを受け取り、背負おうとした。
「うぅ、お、重いかも……」
「ミサ、ごめん……!」
ソウヤからエレリアを背中で受け入れた瞬間、彼女の体重に耐えきれずミサは思わずバランスを崩してしまった。鍛冶屋で修行してるだけあって屈強な肉体を持っているソウヤに比べて、非力な少女のミサはそもそも特別な筋力はあまり持っていない。それに、ミサとエレリアの体格はほとんど同じ。ひと回り背丈が大きいソウヤのように軽々と持ち上げられなくて当然だ。
この時エレリアはこれまでにない罪悪感を胸に、ミサにどんな顔をしていいか分からなかった。そして、必死に自分を持ち上げようとしている彼女の姿を見て、何もできない自分自身を呪ってやりたかった。
ただ、それでもミサは死力を尽くすかの如く顔を真っ赤にして、なんとかエレリアを背負ってみせた。
「リアちゃんは、何も気にしなくていいからねっ……」
心優しきミサは苦しそうに表情を歪ませながらも気を利かしてエレリアに言葉をかけるが、返ってエレリアにとってはその気遣いが逆に心苦しかった。しかし、それと同時にここまで自分を思いやってくれるミサには感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
「よしっ、行けっ! ミサ!」
「分かった!」
こうして、ミサはエレリアを背負って邪悪な霧の向こうへ歩き出した。
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