ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第23話 治癒/Ominous

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 ミサが後ろを振り返ると、そこには苦しそうに地面に倒れ、もがいているエレリアの姿があった。
「うぅ…」
 よく見れば、エレリアの体からは魔力に似たオーラのような気体が漏れ出しており、今にも消えてしまいそうな雰囲気に包まれていた。
「おい、…何がどうなってんだよ!?」
 突如もがき苦しみだしたエレリア。
 そんな異様な光景を前に、ソウヤはわなわなと震えただ立ち尽くすしか方法が無かった。
 すると、事態を察知したミサは脇目も振らず苦しむエレリアの側へ駆け寄った。
「うわっ、ひどい熱…」
 ミサがエレリアの頬に手を触ると、エレリアは苦しそうに表情を歪めた。
 なぜ、急に苦しみだし、ここまで身体が異常に熱くなっているのか。何か深刻な病に冒されない限り、ここまで状態が悪化することはないはずだ。
 この村の呪いなのか。はたまた、夢魔からの警告なのか。
 とにもかくにも、一刻を争う緊急事態だ。能天気に原因を推理している余裕はない。
「そうだ!ソウくん、治療用のポーションを!!」
「お、おう!」
 ミサに促され、ソウヤはあらかじめ携帯していた治療用ポーションを慌てて取り出した。
 妖艶に瓶の中で揺れるピンクの液体。
 一見怪しげに見えるが、これでもれっきとした治療薬として服用できるポーションだ。あらゆる状態異常から回復するという効力を持ち、飲むと数秒で魔力が体全身に行き渡り効能を発揮させる。
 ミサは急いで蓋を開くと、苦しむエレリアの口に躊躇することなくポーションの液体をエレリアの喉の奥に流し込んだ。
 するとエレリアは再び苦しそうに顔を歪め、吐き出すかの如く咳き込んだ。
「ちょっと不味いかもしれないけど、頑張って飲んで!!」
 万能薬である代わりに、味の方は想像を絶するほど酷い。
 だが、これを飲まないと死んでしまうかもしれないのだ。ここはひたすら耐えて、ただ飲んでもらうしかない。
「お願い…、おばあちゃん…!リアちゃんを元気にさせて…!!」
 おばあちゃんがミサに残してくれた形見のポーションの数々。そして今、そのポーションが一つの消えそうな命の手綱を握っている。
 ポーションの効力で、エレリアの体が不思議な淡い光に包まれる。
 生きるか、死ぬか。
 後は、運命が決める。
 やれることはすべて尽くしたミサにとって、手を重ね神に祈ることが、今できる精一杯の手法だった。

「…っ!!」

 瞳を強く閉じただひたすらに強く祈りを捧げた。

 そしてしばらく経った頃、エレリアを包んでいた光が収束し始めた。とうやらポーションの治療が終わったようだ。
「どうなったんだ!?」
 いても立ってもいられず、ソウヤはエレリアの表情を確認しようと覗き込んだ。
「…」
 だが、エレリアは依然として沈黙を貫いたまま、少しも動こうとしない。それはまるで、瞳を閉じた人形のようだった。
「えっ…?嘘、だよね…?」
 ミサは一言も喋らないエレリアの様子を見て、血の気が引いてしまったようによろよろと地面にへたり込んだ。
 まさか、死んでしまった…、のではあるまい。そんな簡単に人が死ぬなんてありえない、はずだ。
 しかし事実として、ポーションを飲んでしばらく経った今でもエレリアはその口どころか、まぶたさえ開こうとしない。変わらぬ表情のまま冷たく横たわっている。
「ねぇ…、起きてよ…、リアちゃん…」
 すると、ミサは狂気に微笑を浮かべ、半狂乱になってエレリアの身体を揺すった。
「起きてってば!!!リアちゃん!!!」
 何度も、何度も、眠りから意識を呼び戻すように、強く揺さぶりをかける。
 こんな危険な場所に足を踏み入れてまで材料を採取しようと提案した自分を、ミサはこの時激しく後悔した。
 そもそも、こんな廃村に足を踏み入れたこと自体が間違っていた。
 ある男によって滅ぼされた悲劇の村、カロポタス村。この村は確実に呪われている。ミサは否応なくそう確信することができた。

「リアちゃんっ!!」

 しかし、それでも、どこか遠くに行ってしまおうとするエレリアの魂を呼び戻すように、ミサはずっと叫び続けた。
 これで喉が張り裂けても構わない。
 逆に、喉が張り裂けて彼女が目覚めてくれるなら、むしろそっちが本望だ。
 ミサはただエレリアが目を開けてくれることだけをひたすらに願い、そして、まぶたを閉じた。
「リアちゃん…」
 涙にかすれた声でミサが最後の一息をこぼしたその瞬間、事態はいきなり何の予告もなく訪れた。

「う、うーん…」

 涙で顔を濡らしているミサの目の先、そこには眠りから目覚めたように顔をしかめているエレリアの姿があった。

「はっ!?」

 そして、エレリアはふと意識を取り戻し、急いで身体を起こした。
「あれ?私は何を…」
 頭を抑えたままエレリアは曖昧に霞む記憶をおぼろげな意識で辿った。
 ミサの口ずさむ唄を聞き、それからなぜか身体が焼かれるように熱くなって…。そこからは、何も覚えていない。
 ただ、ミサの必死な叫び声だけが混濁する意識の狭間でとこからか流れて来ていたような気がする。あれは何だったのか。
 すると、エレリアの隣から誰かがすすり泣く声がおもむろに聞こえてきた。
「うっ…うっ…、良かっ…た…」
 声のする方を見ると、そこには目を赤くさせたミサが必死に涙をこらえて、こちらを見つめていた。
「ミサ…?」
「もう、心配させないでよ…!!なんか変な呪いにでもかかって、そのまま死んじゃうのかと思ったじゃん!」
 そして、何を思ったのか、ミサは感極まってそのままエレリアに飛びついてきた。思わずエレリアも目を丸くし、頬を赤らめる。
「ちょっと…!」
 突然の所作に戸惑いを隠せないエレリアに対して、ミサはもう二度とエレリアを離さまいと力強く抱きしめていく。
 そしてこの時、エレリアはこの凍えるような死の世界で初めて命の温もりを感じた。ミサの身体から肌伝いに震える紛れもない命の鼓動を感じることができた。
「まぁ、何にせよ、エレリアが生き返ってくれてほんとによかったぜ」
 見ると、ソウヤも安堵の表情をしていた。
「生き返った、って何?私、もしかして死んでたの…!?」
「あ、いや…、別にそういうわけじゃねぇんだけど…。死んだように眠ってたってのは事実だな」
 ソウヤは決まりが悪そうに視線を反らし、言葉を濁した。
 死んだように眠っていた。
 彼が口にしていた言葉は紛れもない事実のようだ。何の予兆もなくエレリアは突然意識を失い、そのまま動かなくなった。もしミサのポーションが無ければ危うく死んでしまうところだったのかもしれない。
「でも、なんでこんなことになったんだ…?」
 まず真っ先に疑うべき要因は、この村だろう。
 このカロポタス村という場所は、惨殺されたある一人の男が憎悪と魔力を糧に再び蘇り、そして彼自身の手によって滅ばされた悲劇と絶望の場所。数十年前の出来事とは言え、恐らくこの地にはまだあの時の呪いの魔力が消えずに、濃いシミとして残っているのだろう。
 きっとここに来るまでにエレリアは運悪くその村の呪いにかかってしまった。こう考えると、自然と辻褄が合う。
「もしかしたら、ミサの歌があまりにも下手すぎて、体がおかしくなったのかもな」
「ひどい!そんなに私の唄って下手だったの!?」
 ソウヤの余計な口出しに、さすがのミサも無視することができず、エレリアを抱擁していたその手を緩め、すかさず彼に反論の意を唱えた。
 その時、エレリアはあるもう一つのある要因を悟り、その恐ろしさに一人背筋を震わせた。
「ミサの、唄…?」
 彼女の唄を聞いてから、自身の身体に異変が起こり始めた。だとすると、原因はあの時ミサが口にした唄にあるのだろうか。
 では、彼女は一体何の唄を唄っていたというのか。
 再びエレリアの脳内に、ミサのほのかで淡い歌声がおぼろげに再生される。
 しかし、見知らぬ言語で彼女は口ずさんでいたため、肝心の歌詞の真意が分からない。
 この時エレリアは、ミサが口にした唄と自分の関係性について頭がいっぱいだった。
 あの時の彼女の唄がもしエレリアを消そうとするための何かの呪いの唄だとしたら。だが、そうだとしたら、その理由が分からない。なぜ、自分は消されなければならないのか。なにより、なぜ、自分だけでソウヤは何ともないのか。
 謎は深まるばかりだが、なにしろ自分の素性が詳しく分からない以上、深く考えを追求することができない。
 ただ、あの唄はエレリアの魂を浄化させんと牙を向いてきた。
 彼女の歌声にはなんら罪はない。あの唄自体に何かあるのだ。
 すると、ふいにミサが二人にある一つの提案を口にした。

「ねぇ、もう帰らない?」

 彼女の発言にエレリアとソウヤが驚きの顔を見せた。 
 対してミサは真剣な眼差しのまま、その続きを語る。
「リアちゃんがあんなことになっちゃって、この村やっぱり危ないよ。だからさ、もう探索はやめて帰らない?」
「でも、月光草はどうするんだ?あれが無いとポーション作れないんだろ?」
「うん、それもそうなんだけど…。でも、私たちの命に代えてまで探索する必要はないよ。もしここで何か危険なことが起きて死んじゃったりでもしたら、逆に元も子もないし…」
 ソウヤの言葉にミサが不安そうに表情を曇らせる。
 すると突然、その気を切り裂くようにエレリアが大声を張り上げた。
「心配ないよ、ミサ!」
 今度はミサが驚いて目を丸くする。
「リア、ちゃん…?」
「確かに私たちが死んじゃったらそこでおしまいだけど、私たちには救うべき命が他にあるんでしょ?」
 王国から課せられた責任感に駆られるがまま口走ってしまったが、何よりエレリア自分のせいでミサに迷惑をかけるのが一番耐え難いことだった。
「私はもう大丈夫だから!」
 説得させるようにエレリアはミサに言い聞かせる。
「うーん、でも…」
 しかし、それでもミサはまだ判断を決めかねているようだった。ただ、それも無理もない話だろう。
 こんな、ただでさえ逃げ出したくなるほどの恐怖に満たされた危険な場所で、仲間が危うく死にかけたのだ。できることなら、エレリアだって今すぐコックル村に帰りたかった。
 たが、自分たちには王国の命を預かっている。自分たちにしか救えない命がある。
 なら、こんな所で立ち止まっていてはいられない。ポーションの材料も着々と集まってきているのだ。ここまで来たのなら運命を信じて進んでいくしかない。
「…うん、分かった。行こう!」
 エレリアの説得を受け入れたのか、ミサは確かな決意をその目に宿して顔を上げた。
 その言葉に、エレリアも顔をほころばせる。
「だけど、月光草が手に入ったらすぐ帰ろうね!もうこんな場所二度と来たくない!」
「んじゃ、そうと決まれば、さっそく出発しますか!」
 するとソウヤが自ら場をしきり、二人に促しの言葉をかけた。
 そして、エレリアたちは夜の闇に沈むカロポタス村の奥地へ、満月の夜にしか咲かない月光草を求めゆっくりと歩を進めて行った。



 しばらく歩き続けること数分。
 エレリアたちは真の目的地である、月光草が生えているとされる場所へ着実に近づいていた。
 ミサが自作の地図に目を通し、周囲の風景と地図の情報を照らし合わせる。
「うーん、どこだろう。多分、この辺にあると思うんだけどなぁ…」
「ところで一つ気になったんだけどよ、ミサ。おまえが探してる月光草が生えてるとこって、一体どんなとこなんだ?その辺に何本も生えてるってわけじゃねえのか?」
「えっとね、この地図によると、まだこの村に住んでた時におばあちゃんが作った畑に生えてるみたいで。でも、もしかしたら、この村の惨劇の時に無くなってる可能性もあるかも」
「ん?ちょっと待て。ってことは…、今もまだ月光草がこの村に生えてるっていう確証はあるのか?」
 何気なくソウヤが尋ねると、ふいにミサの表情が怪しげに曇り、固く口を閉ざしてしまった。
 そして少し間を開けた後、弱々しく、
「いや、…ない」
 と、バツが悪そうに呟いた。
 その瞬間、ソウヤはもちろん、耳だけで二人の会話を聞いていたエレリアも思わず我が耳を疑い驚愕の意をあげた。
「えぇ!?」
 てっきりミサのことだから、確実に月光草が生えてることを前提で、それでここに探索しに行くことを提案したのかとエレリアは思い込んでいた。
 しかし、ミサはかつての月光草の生息地を頼りにここに来ただけで、現在の生息状況は何も把握していないと言ったのだ。
「じゃあ、もしかしたら、月光草は無いかもしれねぇってことなのか?!」
「う、うん…。まぁ、そうなるのかな…?」
 ミサはソウヤからの指摘を誤魔化すように、渇いた笑みをこぼした。
「冗談じゃねぇ!!何のためにここまで命の危険を冒してきたと思ってるんだよ!!」
 あまりにいい加減なミサの考えに、ついに耐えられなくなったソウヤが声を荒げた。
「しょ、しょうがないじゃん!ここで、しかもう月光草は手に入らないんだから!それに、もしかしたら本当に月光草が生えてるかもしれないんだよ?」
「それもそうだけどさぁ…」
 ミサの言い分に、どうも納得できていない顔をしているソウヤ。
 そんな彼を置いていくようにミサはどんどん歩を進めて行く。
「とにかく、目的地ももうすぐそこなんだからさ。話はその後にしようよ」
 ソウヤから強く責められ、少しご立腹気味な様子のミサ。
 そんな彼女を見てエレリアが先行きに不安を感じていると、ふいに遠くから視線を感じた。
「…誰!?」
 本能の意に駆られるまま、反射的にエレリアは後ろを振り返った。しかし、そこにはこちらへ手招きするように風に揺れている木々があるだけ。
 当然だ。この村には自分たち以外誰もいないはず。そもそも、視線を感じることなどありえないはずなのだ。
「…」
 では、この不吉な胸騒ぎは何なのだろうか。
 嫌に騒ぐ気持ちの正体も分からぬまま、エレリアは先に進んで行くミサについていくように、その後を追っていった。

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