ペトリの夢と猫の塔

雨乃さかな

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第1章『始まりの村と魔法の薬』編

第5話 悲劇/Tragedy tale

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「我々コックル村民は、風来の旅人エレリアの定住を…」
 ついに、エレリアの運命が決まる瞬間がやってきた。
 緊張の空気が張り詰め、静まりかえる会場。
 その静寂の中でエレリアは自身の心臓が激しく唸っていることに気づいた。意識的に冷静でいるように努めていたものの、やはり意図せず身体は緊張で震えていた。
 次の村長の一言ですべてが決まる。
 村長はこれから示す討議の結果を強調するためにも、わざと発言の最後に沈黙を置いているようだった。
 しかし、その沈黙がエレリアにはやけに長く感じられた。
 実際には数秒程度のものだったかのかもしれない。だが、気が張っているエレリアにとっては、まるでその瞬間はスローモーションの如くゆっくり進んで行っているように感じた。
 その悠々と過ぎ去っていこうとしている一瞬に、エレリアはただ彼の言葉を待ち続けていた。それ以外は何もいらない。
 耳を彼の方へ傾け、意識を研ぎ澄ませる。
 そして、ついに彼が閉じていた目を開き、口を開いた。


「…承認する」


 村長が決議の結末を言い放った。
「…」
 その瞬間、村人たちは黙ったままだった。
 村長の決断に異を唱える者が一人ぐらい現れるかと思っていたがそのような人物は意外にどこにも見当たらず、みな静かに彼の発言の意味を受け止めている最中だった。
 そして数秒経った後、遅れてところどころから拍手が湧き始めた。
 止まっていた時間が再び動きだす。
 エレリアも徐々に事態を飲み込み、体の中で張り詰めていた空気を外へ吐き出した。
 会場を見ると、みな賛成の拍手を送り続けていた。そこには今までの拒絶的な態度は見当たらず、むしろ歓迎するような温かみが存在していた。
 正直エレリアがこの極度の人見知りの村人達がこのように友好的な態度を目の当たりしたのは、この時が初めてだった。
 あれだけ自分を拒み続けていた村人が、今自分を迎えいれてくれた。彼ら一人一人の真意の程までは伺えないが、エレリアはただ純粋に嬉しかった。
 これで、ミサと一緒に暮らしていける。
 そうしてふとミサの様子を見ると、彼女は喜びでまたしても涙を目に浮かべていた。
「よかったね、リアちゃん…」
「うん」
 ミサが震える声で呟く。
 今回の結果はエレリア自身とても嬉しいが、一番喜びを感じているのはきっとミサだろう。
 元はと言えば、エレリアがこの村で暮らせるのはすべてミサのおかけだった。ミサが村長に頼んでいなければ、このような現実には至っていなかったかもしれない。
 湧いていた拍手が徐々に止み、村長が再び口を開いた。
「これにより、エレリアは正式に我が村の一員となることが決定した。これでよろしいな?」
 村長が最後の確認をエレリアに向け、エレリアも黙ってうなずいて返答した。
「皆のもの、彼女はまだこの村に来て日が浅い。彼女が早くこの村に馴染めるためにも、一人一人が彼女をこの村の一員として認めること」
 村長は声を大にして、村人たちに説得させた。
「そして、ミサ」
「は、はい!」
 村長がミサの名を指名し、ミサが慌ててわざとらしく背筋を伸ばす。
「そなたはエレリアの身柄を保護した第一責任者でもある。よって、これからも責任を持って彼女の介助に努めるように」
 村長から念押しの意味を込めた確認の言葉を受け、ミサはそれに応じて「はい!」と元気よく返事をした。その時のミサの笑顔は、これ以上ないほどの幸せと喜びに満ち溢れていたものだった。
 そんな彼女の様子を見て、エレリアも口の端を緩めた。そして本当に彼女と出会えて良かったとその幸福を噛み締めた。
「みな長い時間ご苦労だった。これにてエレリアの定住を決める臨時の寄合を終了したいと思う。今日は早く帰って、ゆっくり休んでほしい。では、解散」
 村長が締めの言葉を述べ、この寄合の終了を告げる。
 こうして、エレリアは正式にこの村の住民となったのであった。

 長かった寄合が終わり、再び教会内は意味のないざわめきに包まれる。
 その会話のほとんどがさっきの寄合の感想ばかりで「俺はまだ腑に落ちてないな」や「村長が認めるなら自分も認めてあげてもいい」など、それは様々だった。これらの会話を聞く限り、まだ村人全員が完全にエレリアを認めたという訳ではなさそうだった。
 そしてエレリアとミサは二人その場に残り、教会の外へ消えていく村人たちの背中を眺めていた。
 実はこの時、エレリアはある疑問を呈していた。
 それは、さっきの討議中に村人たちが発した意味深長な発言の数々だ。
 エレリアはもう一度彼らの言葉を回想する。

『俺はな、ガキの頃に身を持って経験してるんだ。あの悪夢のような悲劇を…』

『みなさん思い出してください、我らの伝説の英雄ヴェルダネスの勇姿を…』

 これらはダンテと呼ばれていたある男と神父が言った発言だ。
 悪夢のような悲劇と、ヴェルダネス。
 聞き慣れない不穏な匂いのする言葉の数々にエレリアはずっともどかしい気分になっていた。しかし、討議中に質問などすることはできない。
 だから、自由になった今の時間がチャンスだった。
「ねぇミサ、ちょっと聞いてもいい?」
「ん?どうしたの」
 エレリアは隣に並ぶミサに声をかけ、あれらの発言の真意について尋ねてみた。
「さっき村のみんなが言ってた、『悪夢のような悲劇』と『ヴェルダネス』って何のことか知ってる?」
 エレリアからの質問に、ミサは少し表情を曇らせる。
「悪夢とヴェルダネスか。やっぱりリアちゃんも気になるよね」
 ミサは顎に手を添え、考えるポーズをとる。
「なんて説明したらいいのかな。うーん…。実はね、私もあまり詳しいことは知らないんだよね」
 ミサは乾いた笑いをこぼし、手を頭の後ろへまわす。
「ほら、私もリアちゃんと同じようにここに引っ越してきた人間だからさ、この村の歴史とかあまり把握してないんだよね」
「そっか…」
 ミサの期待はずれな返答にエレリアは肩を少し落とした。
 しかしミサが答えられないのもしょうがないことだった。ミサもエレリアと同じように移民の身である以上、村の歴史背景を詳しくおぼえていないのは当然のことだろう。
 エレリアはそうして自分に区切りをつけようとした。
 するとその時、エレリアの視界の隅に、談合している村長と神父の姿が映った。二人は何やら雑談を交わし合っているようだ。
 あの人たちなら何か知っているに違いない。
 ふとエレリアにそんな発想が思い浮かんだ。
 今しかない。
 そう思った瞬間、エレリアは衝動的に村長と神父のもとへ駆け出していた。
「リアちゃん!」
 急に走り出したエレリアを追い、ミサも慌てて駆け出す。
「あっ、エレリアさん」
 先にエレリアの存在に気づいたのは神父の方だった。近寄ってきたエレリアに声をかける。
「あの…、二人に聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
 エレリアは少し緊張気味に神父に話しかけた。
「何か質問かい?答えられる範囲だったら、答えてあげるよ」
 村長との会話を中断し、神父はエレリアの発言に耳を傾けてくれた。
「神父さん。あなたはさっきの寄合の時に、私のことを『村の救世主』だとか何とかって言ってたけど、それはどういう意味なんですか?」
 悪夢の悲劇とヴェルダネスの質問の前に、エレリアはまず神父の例の発言について聞いてみた。
「あぁ、あれですか」
 神父はうなずき、質問の意図を理解したそぶりを見せる。
「その件については、あまり本気にしないでほしいな。あれは単に司祭目線から述べた一個人としての主張だよ。だから、べつに何か確信があるわけでもないからね」
 神父は少し頬を赤らめ、照れ笑いを見せる。
 するとそこにミサが合流した。
「神父さん、今回は本当にありがとうございました。リアちゃんがここで暮らせれるようになったのも、全部あの神父さんの主張のおかげです!」
 ミサは軽く肩を息をしながら、興奮した口調で語る。
 「おぉ照れるなぁ、そんなに言われたら。別に僕は思ったことをそのまま言っただけだよ」
 ミサに目を輝かせながら言い詰められ、神父はまたしても照れ笑いをした。
「ねぇ、あなたなら私の過去が見えたりするの?」
 ミサとの会話に脇目も振らず、エレリアは神父に強引に問い詰めた。
「おいおい、よしてくれよ。僕は占い師でもなければ名高い祈祷師でもないから、君に何があったのかは残念だけど分からないな。僕は神様のお告げを聞くだけの、どこにでもいる普通の神父さ」
 神父は困った笑いをこぼしながら、エレリアに返答した。
 またしてもエレリアは落胆する。
 もしかしたら彼から自分の過去について何かヒントを得られるかもしれないとかすかな希望を胸に抱いたのだが、それは甘い願いだったようだ。
「ははは。さすがのエルマーでも、そこまでは分からないか」
 となりにいる村長が困り果てた神父の隣で、愉快そうに笑みをこぼしている。
 討議中は気が付かなかったが、近くで見る村長の顔はとても威厳に溢れた顔つきをしていた。そして無数に刻まれたそのシワの数は彼の生きてきた長い時間を物語っていると同時に、彼の人間としての権威も象徴していた。
 それに対して、村長の横に並ぶ神父は若さに溢れた肌ツヤをしており、穏やかな雰囲気の中に若さゆえの熱い情熱を灯していように見えた。
「君なら、不思議な力か何かで彼女の過去でも見透せれることくらいできるのではないかと思ったんじゃがな」
「やめてくたさいよ、村長さんまで。さすがに人の過去まで、僕は分からないですよ」
 村長の戯れ言に神父は完全に目を回している。
 そんな気がゆるむことも許されるこの時間に、ミサはふと思いついた様子で質問した。
「あの、村長さん。私からも質問いいですか」
「うむ。なんだね?」
 村長が顎に伸びた白い髭を手でいじり、ミサの質問に応じる。
「その、詳しく悪夢の悲劇とヴェルダネスについて知りたいんです」
 それは最初エレリアが呈していた疑問だった。
 エレリアも村長をじっと見据える。
「なるほど、悪夢の悲劇か…」
 村長は腕を組み、深く考え込む。その様子は、すぐに言い出すことのできない迷いをはらんでいるように見えた。
「ダメですか…?」
「…そうだな。ミサ殿はまだしも、エレリア殿はこの村に何も知らないだろうからな」
 村長のぼやきにエレリアは軽く首を縦に振る。
 そして、村長はしばし思考した後
「よし、分かった」
 と決意の意を表した。
「エルマー。教会の書斎から例の書物を持ってきてないか」
「は、はい、分かりました!」
 村長に促され、神父は足早に部屋の奥へ消えていった。

 そして、しばらくして再び神父が部屋の奥から姿を現した。両手には何か分厚い本が乗せられている。
「これでいいでしょうか」
「うむ。ご苦労だった」
 少し息を切らしている神父に村長が労いの言葉をかける。
「何ですか、これ?」
「これは古くから伝えられている、この村の古文書だよ。ここら一帯の歴史がすべて記されておる」
 そう言われ、ミサとエレリアはその古文書と呼ばれる書物に視線を落とした。
 その本は経年劣化でだいぶ朽ち果てていて、本を動かす度に埃と塵が舞い散っている。そしてよく見ると虫食いの痕も何ヵ所かあり、それがいかに古代の産物であるかを知らしめていた。
 そして、村長が古文書のページをめくり始める。
「君たちはきっと知らないだろうが…」
 そうして、村長は静かに語り始めた。
 気づけば教会内に人は見当たらず、いるのはミサとエレリアと村長と神父の四人だけになっていた。
「このコックル村ができる前、ここから北西にある辺境の島に、『カロポタス村』という小さな村があった。わしや、この村の老人たちの多くは幼少期にここで過ごした者が多いはずだ」
「カロポタス村。そんな村があったんですか…」
 思わずミサがこぼした言葉に、村長は黙ってうなずく。
「その村では今のこのコックル村以上に自給自足の生活を続けておっての。おまけに海にも囲まれておるから、食べる物にも困らなかった」
 村長は本のページから視線を外し、昔を懐かしむように語った。
「何にも縛られるものもなかったから、本当に幸せな村じゃったよ…」
「ちなみに、今もカロポタス村には人が…」
 遠い目をしている村長に、ミサが疑問の言葉を投げ掛ける。
「いや、今はもういないと思いますよ」
 すると今度は、村長を横で見ていた神父が口を開いた。
「ある事件がそこで起こったんだ。そのせいで、その村にもう人は住んでいない」
 村長に代わり、神父がミサの質問に応じる。
「あっ、神父さんもカロポタス村出身の人なんですか?」
「いやいや、僕はカロポタス出身じゃない。これは僕のおじいさんから聞いた話さ」
 誤解を生まないためにも、神父は慌てて訂正した。
「エルマーの言うとおり、とある事件のせいでカロポタス村民は移住せざるを得なくなったのだ」
 そして、再び村長が語り出した。
 しかし、その顔はどこか険しい表情をしている。
「住む所が無くなったカロポタス村民は安全に暮らせる土地を探し、その結果今のコックル村ができたということなのだ」
「そういうことだったんですね…」
 ミサは何度も小さくうなずき、納得の表情を見せている。
「村長。そのある事件っていうのは、何のことなんですか?」
 エレリアはすかさず話の隙を狙って、気になっていた真実を問いただす。
 正直エレリアにとって、この村の移住背景などどうでもよかった。
 そしてその質問に、ついに村長が口を開いた。
「そうだな。では本題に入るとしようか」
 エレリアの質問に、やっと村長が答えてくれることとなった。
「今思い出しても、まったく嫌な話だが…」
 そして村長以外の三人は固唾を飲んで村長を見守る。
「あれはわしがまだ若かった時のある日、カロポタス村にフェイルメアという旅人の男がやってきた。そいつはどうやら世界を旅する大賢者のようで、たまたま旅の途中でカロポタスにやって来たらしいのだ」
 村長はまるで物語を語るような口調で、淡々と語り続ける。
「特に何にもない村だったからすぐに別の町へ行けばいいものの、なんと彼はそこで旅を止めることにした。そう、あいつは一生をカロポタスで過ごすと言い出したのだ」
 すると、村長の最後の一言に神父が手を口にあてた。
「でも、なんで彼はわざわざ旅を止めて、カロポタス村で一生を過ごすことを決めたんでしょうね。何か特別な事情か何かあったのですか?」
 ここから先の話は、神父も知らないらしかった。
「恋、だよ」
「こ、恋…!?」
 村長の意外な発言に、ミサは頬を赤らめて驚嘆の意を漏らした。
「そう。フェイルメアは村の娘に対し恋に落ちたのだ。まったく…、哀れな話だ」
 村長は呆れたような顔で、短く鼻で息をした。
 そこで話の腰を折るように、何気なくミサが村長に尋ねた。
「ちなみに、なんですけど、その相手というのは…?」
「わしの妹だ」
「ええええっ!?」
 村長の冷静な発言とは対照的に、ミサは目を丸くして興奮している。
 さらに神父からも一つ疑問の言葉が出た。
「僕からも失礼なことをお尋ねするのですが、村長さんに妹さんなどいらっしゃいましたっけ?」
「そなたたちがわしの妹を知らないのも無理もないだろう。なにせ、わしの妹はある男の手によって殺されたのだからな」
 さきほどから村長は突拍子もない発言をしている。おかげで、ミサも神父も完全に村長の話にのめり込んでいるようだった。
「誰が、村長さんの妹を…」
 ミサは震える声で言葉を吐く。
 その時、エレリアは村長の視線が少し揺らぐのを見逃さなかった。それは一瞬の隙に生まれたわずかな感情の変化だった。
 そして一息置いた後、村長は静かに、
「あの旅人、フェイルメアだ…」
 と呟いた。
「そんな…」
 耳を疑うような村長の発言に、ミサは驚愕の息を漏らした。
 そして、誰も口を開けずしばしの静寂が訪れる。
 ふとエレリアは村長を見ると、彼の身体が細かくふるえていた。きっと忘れていた怒りが再び込み上げたのだろう、とエレリアは解釈する。
「あいつが、わしの愛する妹を殺したのだ…」
 そしてエレリアは今度はミサを見ると、彼女は瞳に悲しみの涙を潤していた。
 しかし村長は遠い昔に腹を据えたのか、少しも涙は流してはいなかった。
「なんで、そんな酷いことを…」
「理由など無い。あいつは…、フェイルメアは、カロポタスに招かれた残虐な悪魔だ。そうだ、そうに違いない!」
 すると村長は激昂するあまり激しく咳き込んでしまった。
 そんな村長の容態に、まっさきに神父が駆け寄る。
「大丈夫ですか、村長さん!?」
「す、すまない…。村長であろう私が、取り乱してしまった」
 村長は最後に軽く咳き込み、自らの醜態を謝罪した。
 そして、村長の容態が良くなったのを見計らって、ミサが再び質問を口にした。
「あの一つ気になったんですけど、村長さんの妹さんが殺された後、フェイルメアはどうなったんですか。そのままどこかに逃げた、とか?」
 ミサの質問に、村長はそっと目をつむる。
「あいつも、殺された」
「えっ…」
 村長が冷淡に語った思いがけない事実に、ミサは絶句する。
「殺された、って…」
「当然の報いだ。わしの妹ニーナを殺したフェイルメアは、怒った村人たちの手によって徹底的に息の根を止められたよ」
 そう語る村長の言葉は、またしても震えていた。やはり、まだ怒りは治まっていないのだろう。
 ミサはさきほどから残酷な話を耳にして、ずっと口に手をあてたままでいる。
 対してエレリアはずっと考え込んでいた。
 そしてこの時やっとエレリアは、ある事実の真相を悟ることができた。
「そうか。この村の人たちが私みたいな外部の人を簡単に迎え入れない理由は、あの時カロポタス村で起きた悲劇を二度と繰り返さないため。特にその悲劇を経験した年配の人たちは、特に外部の人を嫌う傾向がある。そういうことですね?」
「そういうことだ、エレリア殿。理解が早くて助かるよ」
 エレリアの呟きに、村長が首を縦に振る。
「もう何十年も前の話とはいえ、やはり村人たちの心の中にはまだ癒えない傷があるのだろうな。それも仕方のないことじゃが」
 村長の独り言に、エレリアは黙って村長を見つめる。
 すると、ふいに神父が口を開いた。
「でも、なんで今回は村人の皆さんはエレリアさんの定住を認めたんでしょうね。エレリアさんは知らないと思いますが、エレリアさんが村に来る前、実はあなたと同じようにここに住みたいという人たちが数人いたんです。もちろん、その人たちは認められなかったのですが。なので僕にとって、エレリアさんが村人の皆さんに認められたのが不思議なんです」
 そうして神父は腕を組んで考え始めた。
 確かに今の話を聞いて考えてみたら、おかしな話だった。なぜ自分だけ、認められたのだろう。エレリアも神父と同じく考え込む。
 すると、その神父の疑問にミサが答えた。
「それはきっと、神父さんの主張が村の人たちの心に刺さったからですよ。あれには私も納得しましたもん」
「いやいや、そんなわけありませんよ!何度も言うけど、僕はただ思ったことを言っただけですから」
 神父はまた顔を赤らめて手を横に振る。
 思えばさっきから、神父は褒められる度に顔を赤くしている。だから、彼が照れ屋なのだということは彼の表情を見ればすぐ分かった。
 そこで、ミサが村長の様子を伺ってしゃべり出した。
「とにかく、フェイルメアがいなくなって良かったですね。もし恋人を殺すようなそんな怖い人がまだこの村で生きているとしたら、私きっと散歩すらもできないと思います」
 ミサは苦笑いをし、フェイルメアがこの世にいないという事実に安堵の意をこぼしている。
 しかし、村長はまた深刻な眼差しを浮かべたままだった。その顔に気づいたミサは、そこから何か不穏な雰囲気を感じ取る。
 そして、再び村長が静かに口を開く。

「いや実は、まだこの話には続きがある。むしろ本当の悲劇はここからだよ」

 その温度の低くなった村長の呟きに、ミサとエレリアは背筋が冷たくなるのを感じた。
 対して神父は話の結末を知っているのか、瞳を閉じて何度もうなずいている。
「確かに彼は死んだ。それはわしも確認したから間違いないの事実だ。…だがな、なんと数日後、フェイルメアは再び蘇ったのだよ」
 村長が発した容易に信じがたい言葉に、ミサとエレリアは同時に息を飲んだ。
「一度死んだ人が息を吹き返すなんて…。そんなことがありえるんですか?」
 ミサは少しも信じられないような目付きで村長と神父を見つめる。
 すると、代わって神父が説明した。
「うん、ごく稀にではあるけど、死んだ人が生き返るという事例は少なからずあるよ。ただし、それにはある条件が必要なんだけどね」
 神父の説明に、村長も静かに首を縦に振る。
「ここで厄介だったことはだな、彼が夢魔となってしまったことだ」
「『むま』?」
 村長が発した聞き慣れない単語に、ミサは首をかしげる。
 すると、再び神父が説明の言葉を出す。
「夢魔というのは、僕たちが夜に寝ている時に見る『夢』を利用して自身を複製していく魔物のことさ。君たちも一度くらい嫌な夢を見たことはあるだろう?それは全部この夢魔という魔物の仕業なんだ。夢魔は人の夢に取りついて、そこから魔力を吸い取って成長し、数を増やしていくんだ」
「でも、なんでそんなものに…」
 神父の言葉を聞いて、ミサは疑問の意を漏らす。
「これは、さっき僕が言った『ある条件』というのが関係してくるんだ」
 やはり神父というだけあって、彼は超常現象に詳しいのだろう。事実を説明する村長に対して、神父は丁寧にミサの疑問に応じてくれた。
「本当に稀な話なんだけど、人は生前に何か強い憎悪を持ったまま死ぬと、その歪んだ感情が同じ死んだ者の魔力と融合して『魔物』として生き返ることがあるんだよ。彼の場合は、彼自身が絶大な魔力の持ち主で、さらに自分を殺したカロポタス村の住民に計りしれないほどの憎悪を持っていたわけだから、結果として常人より魔力が暴走して、より上位の夢魔になってしまったというわけだ。簡単に説明するとこんな感じ。分かったかな?」
「は、はい。だいたいは、分かりました…」
 神父の説明に、ミサは凍りついたような表情で弱々しく首を縦に振った。
 そして、黙っていた村長が口を開く。
「夢魔となって蘇ったフェイルメアは放置されていた彼自身の死体に再び憑依して、カロポタス村へ無差別に殺戮を始めた。文字通り人の域を越えた絶大な力の前に、微弱な村人たちは手も足も出ず、無惨にも多くの村人の命がそこで消えていったよ」
「そ、そんな…」
 村長の語る事実は、どれもミサを震え上がらせるほどの恐ろしいものだった。
 もちろんミサは絵本やおとぎ話に出てくる怖い話は何度も聞いたことはあった。
 しかし今、実際に起こった凄惨な歴史を耳にして、ミサは終始心臓が凍りついてしまったような気分だった。それぐらい、ミサにとっては鮮烈で聞くに耐えないものだった。
「でも、村長さんはどうして助かったの?」
 ふと、エレリアが口を開いた。
「わ、わしか…?」
 意表を突いたようなエレリアの質問に、村長が驚いて眉を上げる。それは突然目を向けられ、困惑しているようにも見えた。
 そしてそのままエレリアに鋭く見つめられたまま、村長は説明した。
「そ、それは、だな、当時わしは運良くその場を留守にしておったのだよ。そうそう、確か王都に何か用事があって、ちょうどその時は村にはいなかったんじゃ」
 村長は身振り手振りを用いて、慌てて状況を説明した。
 そんな村長に向かって、ミサが話しかける。
「でも村長は本当に運が良かったですね。もしその時に村にいたら、今ごろはどうなっていたか」
「そうじゃな。本当によかったよ…」
 ミサの安堵の笑みに、村長もつられて苦笑いを漏らした。そして暑くなったのか、村長は額についた汗を手で拭った。
 そして、今の話題から振り切るようにしゃべり始めた。
「とにかく、フェイルメアは夢魔となり、カロポタス村を壊滅させようとした。しかし、この時、信じられないことが起こったのだ」
 村長は手に持っている古い書物を持ち直し、興奮気味に声をあげた。
「信じられないこと、ですか?」
 ミサが震える声で反復する。
「そうだ。我々の前に救いの勇者が現れたんじゃよ。その名は、ヴェルダネス」
「…ヴェルダネス」
 村長の吐いた説明に、何か気にかかる単語がエレリアの耳に残った。
 そして、それは頭の中で次第に明確になってくる。
『ヴェルダネス』。
 それは寄合の最中、村人が口走り、ずっとエレリアの心の中に気に留めていた不可解の単語。
 それが、やっと村長の口から飛び出してきた。
「彼もフェイルメアと同じさすらいの旅人で、しかも職業は名高い実力のある戦士だった。たまたまカロポタスへ漂着したヴェルダネスは、事態と我々の懇願を承諾し、夢魔となったフェイルメアを倒してくれることを決意したのだ」
 村長は声高らかに話を続ける。
「その時、すでにフェイルメアと戦えるのはヴェルダネスしかいなかった。事実、ヴェルダネスはフェイルメアとなんと互角に戦うことができたのだ」
「すごい、ヴェルダネスさん…」
 村長の口から出る勇者の功績に、ミサは図らずも感嘆の意を漏らしていた。
「そして、長い激闘の末、とうとうヴェルダネスはフェイルメアを打ち負かした」
 村長はゆっくり古文書のページをめくる。
「ヴェルダネスによって倒されたフェイルメアはもう二度と甦らぬよう、王都からの有名な魔導師たちの手も借りて、ここから南東にある深い森の遺跡に強力な拘束魔法で封印された」
「それじゃあ、今度こそカロポタス村の悪夢の悲劇は幕を閉じたということになるのですね」
「そういうことだ」
 村長の最後の言葉に、ミサは胸に詰まっていた恐怖と共に安堵の息を漏らした。凍りついていたミサの表情に笑顔が戻る。

「話はここまでだ。改めてだが、この村の者が旅人を拒む理由分かっていただけたかな?」
「はい。私もこの村のことをたくさん知れて、とても勉強になりました。ありがとうございます、村長さん」
 ミサは言葉と共に深く腰をまげて感謝の意を示した。
 そして村長は開いてた古文書のページを閉じて、エレリアに向き直る。
「エレリア殿。会議中の村人の無礼な態度はここでわしが謝罪する。しかし、彼らは本当は悪気があるわけではないのだ。そこだけは分かってほしい」
 村長はまっすぐの視線でエレリアを見据える。
「実はだな、ここで初めて喋るのじゃが。わしがそなたを認めたのには一つ理由があってだな…」
 語りだした村長の胸の内に、他の三人は黙ったまま耳を傾ける。
「そなたが村にやって来る数日前、わしは山中へ一人で趣味の山菜狩りをしておってな。最初は順調に目的のものも採れたのじゃが、帰るときにそこで図らずも足を挫いてしまったんじゃ」
 自らの醜態に頭を掻きながら、村長は話を続ける。
「その時は本当に自分の身体を呪ったよ。昔だったらこんなもの若気の至りか何やらで乗り越えれたかもしれんが、なにせもう歳じゃからな。身動きもとれずにどうしようかと途方に暮れていたとき、なんと目の前に人が立っていたんじゃ」
「人がいたんですか!?」
 あまりの偶然に対し神父が驚嘆の声をあげる。
「あぁ、わしも初めは驚いたよ。まさか、そこで人と出くわすなんて思ってもいなかったからな」
 村長は不思議な運の巡り合わせを語り、笑みをこぼしている。
「そんなことってあるんですね」
「どうやら、その人物は旅人のようで、ちょうどエレリア殿と同じ純白のローブに身を包んだ少女じゃった」
 村長の語るその旅人の容姿を聞いて、ミサはエレリアを一瞥する。
「えっ、それってまさか、リアちゃんのことじゃないですよね…?」
 ミサが何かを悟ったような表情で、村長に問いただす。
 純白のローブに少女というキーワード。
 その説明だけ聞いて、ミサの頭の中で思い浮かんでくるのはエレリアしかいなかった。こんな特徴的な容姿をしているのは、ここら一帯で彼女しかいないだろう。
 エレリアは思わぬタイミングで村長の口から自身にまつわる情報を得ることができ、期待で胸が高鳴っているのが自分でも分かった。
「エレリア殿を初めて見たときは、わしも一瞬あの旅人が頭をよぎった。じゃがな、一つ彼女とエレリア殿と違う点が一個ある。それはな、目の色じゃ」
「目の色?」
 村長が指摘したフレーズに、ミサが首をかしげる。
「確かにあの旅人とエレリア殿の見た目は瓜二つじゃった。しかし、あの旅人は蒼い瞳をしていた」
 村長がそう語った後、エレリアを除く三人が彼女の瞳を同時に見つめる。
 まじまじと三人から見つめられ、エレリアは気まずくなって視線をそらした。
「リアちゃんの目は赤色だから、その村長さんを助けた旅人とはまったく関係ないってことか」
 覗き込むようにミサがエレリアの瞳を観察した後、感嘆するような吐息で呟いた。
「彼女は偶然にもエレリア殿と同じようなフードを被っていたから顔つきまでは詳しく覚えていないのじゃが、蒼い目をしていたのは間違いない」
「では、エレリアさんじゃないと分かったとして、一体その方は誰なんでしょうね」
 神父が腕を組み、考え込む。
「彼女はわしの足を魔法を使って治癒すると、名前も語らずに颯爽とわしの前から消えていたのだよ。本当に気づくといなくなっていた」
「えっ、怖い…」
 ミサが村長の発言に対し眉を寄せる。
「しかし彼女がいなくなった後、不思議なことにわしの挫いていた足はすっかり元通りになっていたんじゃ」
 村長は感心させられたそぶりで、表情を和ませる。
「では、その方は魔法使いか何かだったのでしょうか」
「彼女が何者だったのかは、今は分からない。しかし、わしはエレリア殿を初め見たとき、何か彼女と通じるものを感じたのじゃよ」
 そう一通り言い終えると、村長がエレリアに向き直る。
「このような経緯で、今回は思いきってそなたを村に迎え入れたのじゃよ。このタイミングででそなたが現れたこと、これにわしは感謝しておる」
  村長の暴露した心中に対して、エレリアもそっと彼に向かって心中を呟いた。
「こちらこそ私を村に入れてくれて、その…、ありがとう…」
 エレリアも少しの恥じらいを胸に、不器用ながらも村長に感謝の意を伝えた。
「きっと初めのうちは馴れない生活を送るかもしれない。しかし、村人たちも次第に心を開き、いずれ信頼されるようになるだろう。彼らも根は優しいからな」
 最後に村長がエレリアに助言の言葉を投げ掛ける。
「また、何か困ったことがあったらわしの家へ来ると良い。できることなら、なんでもしてやろう」
 すると、村長の言葉に便乗して今度は神父がしゃべり出す。
「そうですね。困ったことがあるという点であれば、ぜひ私の教会にも訪れてみてください。いつでも教会は、そんな迷える子羊たちをお迎えしています」
 二人からの親身に寄り添う言葉に、エレリアは少し気持ちが温まる。数時間前までは心のどこかで敵視していた相手が、今となってはお互い親しく接し合っている。この不思議な距離の縮まりに、エレリアは感慨を覚えていた。
「お二人ともありがとうございます!」
 エレリアに代わって、ミサが村長と神父に頭を垂らした。そんな彼女の姿にならって、エレリアも軽く頭を下げた。
「もう、夜も深まった。ここで、話し合いを終わりにしよう」
「ありがとうございました」
 村長の言葉に、他の三人が声を揃える。
 こうして、四人だけの秘密の寄合は終了を告げた。

 エレリアとミサの二人は教会を背に向けて、暗闇に包まれた家路を歩いている。
 どの民家の窓も暗く閉ざされており、道の脇に続いている魔光石の街灯だけがチカチカと暗い夜道を照らしていた。
 空を見上げると、青白く輝く月が薄いモヤのような雲を纏っており、とても幻想的に見えた。
「ねぇ、ミサ…」
「何?リアちゃん」
 ミサが吹き付ける夜風を感じている時、ふとエレリアが口を開いた。
「ミサってさ、自分に恋人がいたとして、その人を殺すことってできる?」
「えっ、どうしたの急に…。怖いよ」
 口を開いたエレリアの物々しい発言に、ミサは思わず渇いた笑いを漏らした。夜の闇に塗られたエレリアの顔からは、彼女の意図は掴めない。
「私ね、どうしても気になるんだ。あのフェイルメアっていう男…」
 エレリアは少しうつむき、己の心中を吐いた。
「それって、どういうこと?何か村長さんに聞き忘れたこととかあった?」
 ミサがエレリアの漏らした言葉に首をかしげる。
「いや、別にそういうわけでもないんだけど。本当に彼がニーナさんを殺したのかなって思っちゃって」
 そのまま続けて、エレリアは語る。
「だって、自分の愛する恋人を殺すことってできるの?」
 そうしてエレリアの漏らした疑問に、ミサが応答を示す。
「そりゃ、二人が喧嘩しちゃったり、仲が悪くなったりしたら、理性を押さえきれずにそのまま恋人を殺しちゃったりすることも中にはあるんじゃない?男女の心のすれ違いはよくあるものだし…」
「でも、だったらなんでニーナさんは魔物として現れなかったんだろう。フェイルメアに殺されたんだったら、同じ条件で彼女も魔物になってるはずだよね」
「うーん…」
 エレリアの的確な返答に、ミサは声を詰まらせる。
 二人の沈黙の間、草むらの中から聞こえる鈴虫の音色が寝静まった夜に彩りを添えている。
「難しいことは分かんないけど、あの二人の真実は永遠に謎だろうね。証拠がない限り、過去のことは誰にも分からない」
 しばらく考え込んだ後、ミサが結論を示した。
「そうだよね…」
 ミサの言う真っ当な発言に、エレリアも納得の意を示す。
「だけど、私が唯一言えるのは…」
 そうして、ミサは闇の向こうに浮かぶエレリアの赤い瞳を見つめ
「私はリアちゃんのことが大好きだし、殺したりなんかもしないからね」
 と言葉をかけた。
 それは、誠心誠意を込めた友としての告白だった。
 そして、こうしてお互いはっきり見えない状況だからこそ、言えた言葉だった。
「…私も」
 エレリアもミサからの愛を余すことなく体に染み込ますように優しく呟いた。
 そして、エレリアはそっとミサの手を握り返した。

 夜風が吹き抜ける暗い帰り道。
 二人は仲良く手を繋いで、誰もいない家路を静かに歩いて行った。
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