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第1章『始まりの村と魔法の薬』編
第4話 寄合/Assembly
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先導するミサに続いて、エレリアも教会の中へ足を踏み入れた。
教会の中はすでに寄合に呼ばれた村人たちで騒然としていた。
働き盛りの男や若い女性が数人うかがえるものの、今回の寄合に参加している衆のほとんどが農夫の老人ばかりだった。自分と同い年のような少年少女の姿はどこにも見当たらない。
村人たちの人数はざっと見たところ20人あたりだろうか。
そんな人だかりに落ち着いていられなくなったエレリアは、気分を紛らわすためにも教会の内部に視線を巡らせてみた。
厳かな木造建築のコックル村の教会は、確かに人が集まって簡単な話し合いするにはちょうどよい広さだった。いたるところに教会らしい装飾が施されており、奥の正面には黒いピアノと巨大なステンドグラスを背に手を重ねて祈る女神像がたたずんでいた。村人たちの喧騒の中、ただひたむきに祈り続けているその姿は、どんな誘惑にも流されない強い意思と全世界の平和を願う静かなる熱情に満ち溢れていて、とても美しかった。
「じゃあ、ここに座ろっか」
縮こまったエレリアの手を引いて、ミサは誰も座っていない後ろ側の長椅子の端っこへ移動し、そのまま腰をおろした。
エレリアも続けて腰をおろす。
すると、ミサとエレリアの二人の存在に気づいた村人の視線が連鎖するように一斉にエレリアに注がれた。
突然の村人たちの凝視に、エレリアは驚いて思わず顔を伏せる。
まじまじとエレリアを見つめている彼らの目には、彼女に対する尽きない興味と底知れぬ不信感の両方をはらんでいるようで、値踏みをする商人のように鋭く尖っていた。
そして、先ほどまで騒然としていた会場は気づけばひっそりと静まり返っており、みな新参者のエレリアの姿に完全に意識が向かっているようだった。
一斉に自分に向かれる視線。
多かれ少なかれ、エレリアにはその無数の目に自分への歓迎の色は宿っていないように見えた。伝わってくるのは、彼らの冷たい感情だけ。
そのような村人たちの見えない圧力に耐えられなくなったエレリアは、首もとについていた白いフードを目深にかぶり、目の前の現実から逃げるように力強く目をつむった。
「…えー、では、約束の時間が来たようなので、これから緊急の村寄合を始めようと思う」
ミサとエレリアが教会へ到着して数分も経たないうちに、村の寄合は群衆を統べる彼の一声と共に突然始まった。
その声は会場の散乱していた意識を一点に注目させ、村人たちもみな長椅子にそれぞれ腰をおろす。
被っていたフードの隙間から、エレリアは声のする方へゆっくり目を向けてみた。
すると聖書台の正面に、一人の老人が立っていた。
声を聞く限りだとそこらの老いた農夫たちと何も変わっていないように感じられるが、他の村人たちと違ったのはその存在感だった。
その彼の立ち振舞いと容姿からは権威と気迫が感じられ、群衆を統治するような雰囲気をほこっていた。
「今回も前回と引き続き、コックル村村長でもある、私ウィリアムが司会を担わせていただこう」
彼の声に合わせて、承認の意味も込めて村人たちが軽く拍手を送る。
今の言及でもあった通り、やはり彼はこの村の村長だったようだ。
前置きの挨拶をしたウィリアムは、そのままゆっくり聖書台の後ろへ移動し、続けて口を開いた。
「今回みなに集まってもらったのは他でもない、北の浜辺で保護された少女の件についてだ」
彼の口から出た言葉に、エレリアは顔色を変えた。きっと『保護された少女』とは自分のことだろう。
「まだ詳しく事実を把握していない者のために、再度今の状況を述べておこうと思う」
そう言ってウィリアムは軽く咳払いをすると、再び口を開いた。
「先日、我が村の村民でもあるミサ殿が、同じく我が村の唯一の漁港でもあった北の浜辺にて身元不明の少女を保護。そして今日の朝、例の少女の意識が完全に戻ったという報告と、ミサ殿のその少女との共住申請を受け、こうして臨時の寄合を開く流れとなったのだ」
ウィリアムは参加する村人を見回しながら、落ち着いた口調で言葉を言い放った。
今彼が言った話も、ミサが今朝自分に話してくれたものと変わりなかった。
自分が浜辺で倒れていたところをミサに拾われ、そして今日目覚めたという事実は本当のことのようだ。
しかし、自分が記憶喪失だという事実は果たして村人に知れ渡っているのだろうか。そこはまだ不明瞭なようだった。
エレリアは後ろの席から会場を見回してみた。
もしかしたら気を荒くしてしまう過激な村人も中にはいるのではないかと少し気がかりだったのだが、実際に今のところは声を荒げたり流れを乱したりするような者は見当たらず、みな大人しく話を聴いている楊子だ。
「よって今回の寄合の議題はまさしく、保護された少女の我が村における定住の是非だ。突然の呼び出しで申し訳ないが、今夜はこれをみなに決めてほしいと思っている」
ウィリアムは一人一人の村人に寄り添うように語りかける。
そしてその謙遜気味な態度からも、彼の素性が垣間見えた気がした。
すると突然、エレリアはウィリアムと目があった。
そのままウィリアムは話し続ける。
「それでは早速、今回の議題の中心でもあるミサ殿と例の少女に登場願おう。お二人とも、前へ」
そう言うと、ウィリアムは聖書台の前へミサとエレリアを促した。
「よし、行こうか、リアちゃん」
ミサは小声でエレリアの背中に触れ、腰を上げた。
続けてエレリアも長椅子からゆっくり立ち上がり、聖書台の前へ進むミサを追う形で歩を進めた。
寄合に参加する村人たちと向かい合うような形で、エレリアはミサと共に聖書台の前へ移動した。
さきほど教会へ入った時と違い、ここに来ると村人たちの表情が一人一人よく見える。
しかし、その村人たちのほとんどが腕を組み、怪訝そうに眉をしかめていた。
なぜこの村の住民は、ここまで外部からの移住に否定的な態度をとるのだろうか。
エレリアにはただ、この村のそうした風習がなかなか理解できなかった。
「それでは、ミサ殿」
ウィリアムがミサに背後から言葉をかける。
「まず、そなたが保護したこの者について、ここで直接そなたから村の者へ報告せよ」
「は、はい!」
ウィリアムに指名され、ミサは慌てて姿勢を正した。
そしてゆっくり息を吸って、口を開いた。
「えー…、まずは、この子の名前から言いたい思います。この子の名前はリアちゃ…、じゃなくて、エレリアと言います」
エレリアに代わって、ミサが村人たちに彼女についての基本情報を伝える。
しかし、その声は明らかに緊張で震えていた。
「私も最初は信じられませんでしたが、実はエレリアは記憶喪失なんです。自分の名前だけは覚えていたようなのですが、それ以外は全部忘れてしまったようで…」
ミサは緊張で少しはにかみながらも、しっかりと自分の伝えたい意思を保って言葉を紡いでいった。
「だからエレリアは、自分が何者で、自分がどこから来たのかも、何も分からない状態なんです」
実際にミサが口にした言葉は全部信実だ。
エレリアは自分の名前以外、すべてを忘れ去ってしまった。
だから、嘘偽りなく本当のことを話してくれているミサが、エレリアにとってはとてもありがたかった。もし自分から直接村人たちに話せと言われたら、きっとエレリアは怯えてしまって何も話せなくなってしまっていただろう。
ミサが一通りのことを言い切り、エレリアは村人たちを見回した。
しかし、彼らの顔から疑いの色は消えていなかった。消えていないばかりか、ますます怪訝そうな目付きでこちらをにらんでいる。
やはり、この村の者たちはすぐに物事を受け入れることのできる性分ではないのだということを、この時エレリアは悟った。
そして、村人の中には、記憶喪失なんて本当なのか、とお互い耳打ちをし合っている者もいた。
「では、次にエレリア本人に問おう」
背後からウィリアムの自分を呼ぶ声が聞こえ、エレリアはフードで隠していた顔を少しのぞかせた。
「さきほどミサ殿が、そなたは記憶喪失だと述べていたが、それは真実か?」
「…」
ウィリアムの質問に、エレリアは黙ってコクリとうなずく。
「では、そのことについてそなたの口から詳しく聞かせもらおう」
今度はウィリアムが会話の所有権をエレリアにゆずった。
突然説明をするよう迫られ、エレリアは自身の両手を胸の前で強く握って、ゆっくりしゃべり出した。
「えっと…、その…。ほんとに、何も思い出せないんです…」
話す前は伝えたいことは山ほどあったのに、いざ自分が話す時が来ると完全に気持ちが張り詰めてしまい、なかなか言葉が口から出てこなかった。
「思い出せない、とは具体的にどういうことなのだ?」
エレリアの消え入りそうな声とは対照的に、ウィリアムが再び質問をかけてきた。
「うーん…、なんというか、その…、頭の中が真っ黒になってしまったというか。見えない靄のようなものがかかっているというか…」
エレリアは半分パニックになりながらも、それでも必死に言葉を絞り出した。
しかし、エレリアが言った説明はどれも曖昧な表現ばかりで、村人たちはあまり納得していない様子だった。
それもそのはず、実際にエレリア自身も自分の記憶喪失の正体を詳しく把握していないのだから、彼らが眉をひそめるのは当然のことだろう。
それどころか、エレリアの不透明で決然としない態度に、黙っていた村人たちも次々に不満を口にし始めていた。
そして、気付くと会場はざわつき始めていた。
このままでは自分の立場が取り返しのつかないことになると危うく思ったエレリアは、ついに意を決して自分の心中をうったえかけた。
「みんな、信じて!私は本当に何も思い出せないの!!」
今までの細々とした声とは違う、心の底から出したエレリアの懸命の叫びだった。
しかし、状況は何も変わらず、罵声に似た村人たちのざわめきはますます巨大化していく一方だった。
「みなさん、お静かに!」
大きく手を叩いてウィリアムが場の乱れを鎮めようとする。
彼のおかげで、一時会場の騒ぎは収束した。
そして、その一瞬の静寂にミサが便乗して、前へ飛び出す。
そして、 腰を折り深く頭を下げて、ミサは必死に心の底からの懇願の意を叫んだ。
「お願いします、みなさん。どうかリアちゃんを、エレリアをこの村の一員として認めてあげてください!!」
ミサは自分が出せる誠心誠意の気持ちを示したつもりだった。
しかし、それでもやはり、村人たちの感情は動かせなかったようだった。
すると、会場の中のある男が静かに口を開いた。
「…ダメだな。おまえがどんなに頭を下げようとも、少なくとも俺は認めることはできない」
不明瞭なざわめきとは違い、はっきりとした意思をはらんだその言葉は群衆の中から聞こえてきた。
声のする方を見ると、そこには屈強な肉体をほこった若い男がいた。白髪混じりの長髪を頭の後ろで結び、固く腕を組んでいる。
その強面で迫力の溢れた瞳は、ただまっすぐこちらを見つめていた。
「俺はだな、ガキの頃に身を持って経験してるんだ。あの悪夢のような悲劇を。だから、なおさら俺は、部外者をこの村に入れるのは納得できないんだよ…」
冷静に淡々と語ったその男の声は地鳴りのように低く、しかしその言葉の芯には確かな信頼と納得のできる固い責任感のようなものが秘められていた。
エレリアはその男の存在感に圧倒され、思わず固唾を飲んでしまった。
それと同時に、彼のある言葉が頭の中で引っ掛かった。
『悪夢のような悲劇』?
もちろんエレリアには何のことか微塵も分からないが、何かこの言葉の中に村人の素性がうかがえるヒントが潜んでいるのだろうか。
すると再び、今度はまた別のとある村人が男の発言に乗っかって、ミサに指を向け叫んだ。
「そうだ、ダンテの親分の言うとおりだ!!ミサ、おまえはフェイルメアの悲劇を知らないのか!?」
しかし、指名されたミサも負けじと対応する。
「し、知ってますよ、それくらい!!その話は、おばあちゃんから何回も聴きました!!」
「なら、何ゆえおまえはあの娘をかくまったりしたんだ!?」
「かくまう、なんて人聞きの悪いこと言わないでください!私はただ人として当然のことをしただけです!それに、私はリアちゃんが悪い人だなんて絶対思えません!」
「では、その根拠はなんなのだ?あの娘が善良な人間だという確固たる証拠はどこにもないのだぞ」
会場はすでにミサと一人の村人の口論の戦場と化してしまっていた。それも、エレリアも入り込む余地もないほどに。
そして、ミサは高揚している村人に引き寄せられ、完全に気を荒くしてしまっていた。
「私はあなたたちのことが不思議でならないんです!どうして、あなたたちは新しく村に来た人を快く向かい入れることができないのですか?あの悪夢の事件だって…、それももう昔のことでなんでしょ?そんな昔からの古くて悪い仕来たりは忘れて、一から新しく村を作っていけばいいじゃないですか!」
ミサは目を赤くしながら、心中のすべてを思いきって村人たちに吐き出した。
するとそのミサの叫びに、さきほど彼女と口論をしていた同じ村人が冷たい口調で口を開いた。
「元・部外者の君が何をたわけたこと言っているんだ。君がここにいられるのも、すべてアンバーさんのおかげなんだぞ」
「…っ!」
この禁句混じりの村人の発言はミサの盲点を突いたようだった。きっと彼はミサがサラボニーアからやってきたという事実を言及したのだろう。
実際にミサも返す言葉が見つかっていないようで、目は敵意に塗られたまま唇を噛んでいた。
「お二人ともお静かに。見苦しいですぞ」
すると、ミサと村人との口論を見かねたウィリアムがわざとらしく咳き込み、そして静かに仲介の言葉を放った。
その言葉に、激情していたミサもふと我に返り「す、すみません…」
と申し訳なさそうに頭を下げた。
そして、その村人も
「ふんっ…!」
と鼻息を荒く吐き、不満げに長椅子に腰を下ろした。
この時すでに、エレリアはこの村の住民たちには失望していた。ミサがあれほど懸命に村人に訴えかけたのにも関わらず、村人たちの表情は最初の時と何も変わってなかった。
むしろ彼らは自分を歓迎どころか、追放しようとさえしている。
ふとミサを横目で見ると、彼女はうつむいて目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ウィリアムさん、どうですか?」
今回の寄合の準司会進行役らしい者が、村長であるウィリアムに声をかける。
「…」
しかし、ウィリアムはずっと目を閉じたまま、脳内の思考の海へ意識を巡らせていた。
どうやら他の村人とは違い、彼は葛藤しているようだった。
腕を組んだまま、深く考えこんでいる。
すると、群衆の中からまたまた別の村人が村長へ言葉を投げた。
「ウィリアムさん!何を迷っていらっしゃるのですか!この村の部外者定住の件については、あなたが一番お分かりのはずでしょう!?」
「…」
しかし、村長ウィリアムは依然として口を固く閉ざしたままだった。
村人は、なぜ村長が悩んでいるのか分からないといった表情をしている。それはここにいるほとんどの者が同じだった。
そしてこの時点で、エレリアはもう自分がここで暮らすという未来と希望は諦めかけていた。
今からいくら村人たちを納得させようとしたところで結果は何も変わらないだろう。
「…リア、ちゃん」
するとミサはすすり泣きながら、その嗚咽と共にエレミアの名前を吐いた。
よほど悔しかったのだろうか。
ついにミサの瞳から、こらえきれなかった一筋の涙が伝った。
それは押さえきることのできなかった彼女の悲しみの涙だった。
「…ミサ」
そんなミサの流した涙を前に、エレリアは思わず視線を落としてしまう。これ以上、ミサの泣いている姿は見たくなかった。
今、こうして彼女を泣かせている理由は何なのか。
そんなどうでもいい疑問が、ふとエレリアの頭の中に浮かんだ。
ミサを泣かせているのは、無情な運命か、目の前の村人たちか、残酷な現実か。
あるいは、この自分か。
答えはもしかたら全てかもしれない。
だから、ここまで尽力してくれたミサには申し訳ないのだが、エレリアは彼女と別れることも覚悟し始めた。
もし自分がいなくなれば、ミサはもう自分のために悩まなくてすむだろう。自分のために悲しまなくてすむだろう。
だから、ちゃんとミサに別れの挨拶を告げようとエレリアは決心しかけた。
すると、その時だった。
「わたしは、あの娘を迎えいれてもいいと思うわ」
エレリアがミサに最後の別れの言葉を告げようと決意した瞬間、会場のどこかから突然声が聞こえた。
それは、老いてしわがれた女性の声だった。
耳を疑うようなその発言に、会場全体が時が止まったように静まり返る。
そして、同じ声を聴いたミサも涙で濡れた顔をゆっくり上げて、声のする方を見つめた。
すると、そこには一人の老婆の姿があった。
開ききっていない細い瞳が特徴的なその人物は、杖をついたまま腰を長椅子に腰をおろして、ぼんやりとした表情でこちらを眺めていた。
「い、今なんて…?」
ミサはおばあさんの予想外の発言に、それから数秒経った今もまだ思考が追い付いつかなかった。
それはエレリアを含め、村人全員も同じだった。
そして、再びおばあさんが口を開いた。
「あら、聞こえなかったかしら?わたしはあの白い娘をこの村に迎えいれてもいいと言っているのだよ」
おばあさんはさっきと変わらぬ口調で、雄弁と語る。
その瞳には、他の村人からの批判や怒号など少しも恐れていないような固い意思で満ち溢れているようにも見えた。
「わたしは、あることに気づいたんじゃ。それは『雨』」
「雨…?」
彼女の言葉から出てきた思いがけない単語に、再び会場がざわめき始めた。
しかし、そんなことになりふり構わず彼女はしゃべりだす。
「雨。それは、おまえらさんたちもうすうす気づいておったんじゃろ?」
おばあさんは周囲の村人たちを見渡しながら、そう告げた。
聞かれた村人は何か心当たりがあるのか、口をつむいで視線をそらした。
『雨』がどうかしたのだろうか、とエレリアが心の中で呟いた時、
「確か『エレリア』と申したな、おまえさん」
といきなり彼女がこちらを見つめて話しかけてきた。
「は、はい…」
エレリアは完全に不意をつかれてしまい、間抜けな返事をしてしまった。
「あんたは知らんと思うが、実はこの村はここ数ヶ月雨が全然降らなかったんじゃ。雨が降らなきゃ、当然作物は育たない。だから、ここにいる村人たちはみんな困っておっての」
おばあさんはエレリアのために、この村の最近の状況を丁寧に説明してくれた。
どこか共感したところでもあったのか、意外にも口出しする村人はおらず、ミサを含め全員が黙って話を聞いていた。
「しかし、そんな時におまえさんが現れたんじゃ」
おばあさんは目を見開いて、そこだけ強調するように語る。
「おまえさんがこの村にやってきたという噂が広がる少し前、なんと突然この村に雨が振りだしたんじゃ。それも一瞬だけじゃない。しばらく降り続いた」
エレリアは予想外の事実に目を丸くしていた。
まさか自分がこの村にやって来た時にそんなことがあったなんて、知らなかった。
「…と、まぁそんな感じじゃ。あとは言いたいことはみんな分かっておるだろう?」
おばあさんは少し意地悪な笑みを浮かべて、それ以上何も言うことなく静かに目を閉じた。
しばらくエレリアは自分が意図せず起こした不思議な奇跡に、思考が追い付いていなかった。
自分が本当にこの村に雨を降らせたのだろうか。
真実はもちろん、エレリアにも分からない。
「あ、あの…。僕からも一言いいでしょうか?」
すると、今度は前の方から気弱な声と共に誰かが席を立った。
その人物は、黒を基調とした祭服を身にまとった若い男性だった。その身なりからして、この教会の神父らしかった。
「ソフィアさんに便乗するような形で恐縮なんですが、僕も偶然同じようなことをずっと考えていて…」
『ソフィアさん』とは、おそらく先ほどのおばあさんのことだろう。その当の本人は細い瞳をさらに細めて、何やら微笑みを漏らしている。
「もちろん、エレリアさんと雨との明確な関係性は分からないのですが、彼女が現れたその日からこの村に草木を潤す恵みの雨が注いだ。これは紛れもない事実です」
神父は言葉を的確に選びながらしゃべり続ける。
「そして司祭をやらせていただいている立場から言いますと、僕は彼女から大いなる神の意思を感じるのです」
「か、神の意思?」
エレリアは実感の湧かない話に、困惑の意を漏らした。
「そうです。神様のおぼしめしです」
神父は眉を寄せるエレリアの方を向いて、自信をはらんだ口調で語りかける。
「みなさん思い出してください、我らの伝説の英雄『ヴェルダネス』の勇姿を。彼は僕たちにとってよそものという存在でありながらも、命を削ってあの悪夢の男を滅ぼしてくれたのではありませんか」
神父は身振り手振りを使って、ミサと同じように必死に村人たちに説得している。
その時、エレリアは二度目の聞き慣れない言葉に首をかしげた。
伝説の英雄ヴェルダネス?
先の屈強な男性が語っていた『悪夢のような悲劇』といい、この村には過去に何かあったのだろうか。
しかし、真実を確かめる隙は今のところなく、話はさらに進んで行っていた。
「司祭の身分であるからこそ、僕は彼女から溢れる何かしらの救世主の素質を感じるのです。これは嘘ではありません。そして、彼女もきっとヴェルダネスと同じように、この村にとって必要な存在だと思うのです」
さすが神父の身分だけあって、彼が語る一言一言には揺らがない信頼感が宿っていた。
そして、少し笑顔を取り戻したミサも、神父の語る言葉を肯定するように黙って何度もうなずいていた。
「なので、僕は彼女の定住を強く賛成したいと思います。以上が僕の意見です」
一通り話し終えると、神父は丁寧にお辞儀をして腰を下ろした。
何か反論の声が飛び出てくるのかと思ったが、意外にも他の村人は口を閉じて黙ったままだった。
先の二人の意見に気持ちが動かされたのだろうか。
「他に何か意見のある者はいるか?」
村長のウィリアムは会場を見回して、村人たちに問いかける。
しかし、見たところこれ以上何か意見を述べる村人は現れそうになかった。
「ではウィリアムさん、そろそろご決断をお願いしたいと思います」
「うむ、そうだな」
側近の村人に促されて、ウィリアムは軽く咳払いした。
ここまでの討議を振り替えってみると、エレリアの定住を反対する者も多数の中、賛成意見の村人も少なからずは存在した。
そして今、村人たちの顔を見るとどこか葛藤しているようにも見える。どうやらここまでの時間を通して気持ちが揺らいでいるようだった。
「長い時間、賛成派も反対派もお互い偽りなく明確な意思を表明してくれたことに、今私から感謝の意を伝える。これで、エレリア殿の定住の是非に対する私の中での決断が決まった」
とうとうこの時が来た。
エレリアの額に冷や汗がにじむ。
「私の決断はみなの意見を村長である私なりに咀嚼し解釈し、そして深く考えあぐねた結果、平等に代弁したものだ。よって、表明後の異論は一切認めない。これで、よろしいかな?」
村長が言い終えると、村人たちが了解と賛成の意味を込めて拍手を送った。
これで、すべてが決まる。
エレリアは村長の表情を伺ったが、ここからでは彼の意思は分からなかった。
ミサを見てみると、彼女は手を胸の前で握って深く目をつむり、ひたすら天に祈っていた。あの女神像のように。
「それでは、発表する」
村長がその言葉を口にした瞬間、会場の空気が緊急の色に染まるのが分かった。
誰もがその結果を固唾を飲んで見守っている。
そしてエレリアも神にすがるように強く目を閉じた。
「我々コックル村民は、風来の旅人エレリアの定住を…」
こうしてエレリアの運命は、すべて村長の最後の一言に託された。
教会の中はすでに寄合に呼ばれた村人たちで騒然としていた。
働き盛りの男や若い女性が数人うかがえるものの、今回の寄合に参加している衆のほとんどが農夫の老人ばかりだった。自分と同い年のような少年少女の姿はどこにも見当たらない。
村人たちの人数はざっと見たところ20人あたりだろうか。
そんな人だかりに落ち着いていられなくなったエレリアは、気分を紛らわすためにも教会の内部に視線を巡らせてみた。
厳かな木造建築のコックル村の教会は、確かに人が集まって簡単な話し合いするにはちょうどよい広さだった。いたるところに教会らしい装飾が施されており、奥の正面には黒いピアノと巨大なステンドグラスを背に手を重ねて祈る女神像がたたずんでいた。村人たちの喧騒の中、ただひたむきに祈り続けているその姿は、どんな誘惑にも流されない強い意思と全世界の平和を願う静かなる熱情に満ち溢れていて、とても美しかった。
「じゃあ、ここに座ろっか」
縮こまったエレリアの手を引いて、ミサは誰も座っていない後ろ側の長椅子の端っこへ移動し、そのまま腰をおろした。
エレリアも続けて腰をおろす。
すると、ミサとエレリアの二人の存在に気づいた村人の視線が連鎖するように一斉にエレリアに注がれた。
突然の村人たちの凝視に、エレリアは驚いて思わず顔を伏せる。
まじまじとエレリアを見つめている彼らの目には、彼女に対する尽きない興味と底知れぬ不信感の両方をはらんでいるようで、値踏みをする商人のように鋭く尖っていた。
そして、先ほどまで騒然としていた会場は気づけばひっそりと静まり返っており、みな新参者のエレリアの姿に完全に意識が向かっているようだった。
一斉に自分に向かれる視線。
多かれ少なかれ、エレリアにはその無数の目に自分への歓迎の色は宿っていないように見えた。伝わってくるのは、彼らの冷たい感情だけ。
そのような村人たちの見えない圧力に耐えられなくなったエレリアは、首もとについていた白いフードを目深にかぶり、目の前の現実から逃げるように力強く目をつむった。
「…えー、では、約束の時間が来たようなので、これから緊急の村寄合を始めようと思う」
ミサとエレリアが教会へ到着して数分も経たないうちに、村の寄合は群衆を統べる彼の一声と共に突然始まった。
その声は会場の散乱していた意識を一点に注目させ、村人たちもみな長椅子にそれぞれ腰をおろす。
被っていたフードの隙間から、エレリアは声のする方へゆっくり目を向けてみた。
すると聖書台の正面に、一人の老人が立っていた。
声を聞く限りだとそこらの老いた農夫たちと何も変わっていないように感じられるが、他の村人たちと違ったのはその存在感だった。
その彼の立ち振舞いと容姿からは権威と気迫が感じられ、群衆を統治するような雰囲気をほこっていた。
「今回も前回と引き続き、コックル村村長でもある、私ウィリアムが司会を担わせていただこう」
彼の声に合わせて、承認の意味も込めて村人たちが軽く拍手を送る。
今の言及でもあった通り、やはり彼はこの村の村長だったようだ。
前置きの挨拶をしたウィリアムは、そのままゆっくり聖書台の後ろへ移動し、続けて口を開いた。
「今回みなに集まってもらったのは他でもない、北の浜辺で保護された少女の件についてだ」
彼の口から出た言葉に、エレリアは顔色を変えた。きっと『保護された少女』とは自分のことだろう。
「まだ詳しく事実を把握していない者のために、再度今の状況を述べておこうと思う」
そう言ってウィリアムは軽く咳払いをすると、再び口を開いた。
「先日、我が村の村民でもあるミサ殿が、同じく我が村の唯一の漁港でもあった北の浜辺にて身元不明の少女を保護。そして今日の朝、例の少女の意識が完全に戻ったという報告と、ミサ殿のその少女との共住申請を受け、こうして臨時の寄合を開く流れとなったのだ」
ウィリアムは参加する村人を見回しながら、落ち着いた口調で言葉を言い放った。
今彼が言った話も、ミサが今朝自分に話してくれたものと変わりなかった。
自分が浜辺で倒れていたところをミサに拾われ、そして今日目覚めたという事実は本当のことのようだ。
しかし、自分が記憶喪失だという事実は果たして村人に知れ渡っているのだろうか。そこはまだ不明瞭なようだった。
エレリアは後ろの席から会場を見回してみた。
もしかしたら気を荒くしてしまう過激な村人も中にはいるのではないかと少し気がかりだったのだが、実際に今のところは声を荒げたり流れを乱したりするような者は見当たらず、みな大人しく話を聴いている楊子だ。
「よって今回の寄合の議題はまさしく、保護された少女の我が村における定住の是非だ。突然の呼び出しで申し訳ないが、今夜はこれをみなに決めてほしいと思っている」
ウィリアムは一人一人の村人に寄り添うように語りかける。
そしてその謙遜気味な態度からも、彼の素性が垣間見えた気がした。
すると突然、エレリアはウィリアムと目があった。
そのままウィリアムは話し続ける。
「それでは早速、今回の議題の中心でもあるミサ殿と例の少女に登場願おう。お二人とも、前へ」
そう言うと、ウィリアムは聖書台の前へミサとエレリアを促した。
「よし、行こうか、リアちゃん」
ミサは小声でエレリアの背中に触れ、腰を上げた。
続けてエレリアも長椅子からゆっくり立ち上がり、聖書台の前へ進むミサを追う形で歩を進めた。
寄合に参加する村人たちと向かい合うような形で、エレリアはミサと共に聖書台の前へ移動した。
さきほど教会へ入った時と違い、ここに来ると村人たちの表情が一人一人よく見える。
しかし、その村人たちのほとんどが腕を組み、怪訝そうに眉をしかめていた。
なぜこの村の住民は、ここまで外部からの移住に否定的な態度をとるのだろうか。
エレリアにはただ、この村のそうした風習がなかなか理解できなかった。
「それでは、ミサ殿」
ウィリアムがミサに背後から言葉をかける。
「まず、そなたが保護したこの者について、ここで直接そなたから村の者へ報告せよ」
「は、はい!」
ウィリアムに指名され、ミサは慌てて姿勢を正した。
そしてゆっくり息を吸って、口を開いた。
「えー…、まずは、この子の名前から言いたい思います。この子の名前はリアちゃ…、じゃなくて、エレリアと言います」
エレリアに代わって、ミサが村人たちに彼女についての基本情報を伝える。
しかし、その声は明らかに緊張で震えていた。
「私も最初は信じられませんでしたが、実はエレリアは記憶喪失なんです。自分の名前だけは覚えていたようなのですが、それ以外は全部忘れてしまったようで…」
ミサは緊張で少しはにかみながらも、しっかりと自分の伝えたい意思を保って言葉を紡いでいった。
「だからエレリアは、自分が何者で、自分がどこから来たのかも、何も分からない状態なんです」
実際にミサが口にした言葉は全部信実だ。
エレリアは自分の名前以外、すべてを忘れ去ってしまった。
だから、嘘偽りなく本当のことを話してくれているミサが、エレリアにとってはとてもありがたかった。もし自分から直接村人たちに話せと言われたら、きっとエレリアは怯えてしまって何も話せなくなってしまっていただろう。
ミサが一通りのことを言い切り、エレリアは村人たちを見回した。
しかし、彼らの顔から疑いの色は消えていなかった。消えていないばかりか、ますます怪訝そうな目付きでこちらをにらんでいる。
やはり、この村の者たちはすぐに物事を受け入れることのできる性分ではないのだということを、この時エレリアは悟った。
そして、村人の中には、記憶喪失なんて本当なのか、とお互い耳打ちをし合っている者もいた。
「では、次にエレリア本人に問おう」
背後からウィリアムの自分を呼ぶ声が聞こえ、エレリアはフードで隠していた顔を少しのぞかせた。
「さきほどミサ殿が、そなたは記憶喪失だと述べていたが、それは真実か?」
「…」
ウィリアムの質問に、エレリアは黙ってコクリとうなずく。
「では、そのことについてそなたの口から詳しく聞かせもらおう」
今度はウィリアムが会話の所有権をエレリアにゆずった。
突然説明をするよう迫られ、エレリアは自身の両手を胸の前で強く握って、ゆっくりしゃべり出した。
「えっと…、その…。ほんとに、何も思い出せないんです…」
話す前は伝えたいことは山ほどあったのに、いざ自分が話す時が来ると完全に気持ちが張り詰めてしまい、なかなか言葉が口から出てこなかった。
「思い出せない、とは具体的にどういうことなのだ?」
エレリアの消え入りそうな声とは対照的に、ウィリアムが再び質問をかけてきた。
「うーん…、なんというか、その…、頭の中が真っ黒になってしまったというか。見えない靄のようなものがかかっているというか…」
エレリアは半分パニックになりながらも、それでも必死に言葉を絞り出した。
しかし、エレリアが言った説明はどれも曖昧な表現ばかりで、村人たちはあまり納得していない様子だった。
それもそのはず、実際にエレリア自身も自分の記憶喪失の正体を詳しく把握していないのだから、彼らが眉をひそめるのは当然のことだろう。
それどころか、エレリアの不透明で決然としない態度に、黙っていた村人たちも次々に不満を口にし始めていた。
そして、気付くと会場はざわつき始めていた。
このままでは自分の立場が取り返しのつかないことになると危うく思ったエレリアは、ついに意を決して自分の心中をうったえかけた。
「みんな、信じて!私は本当に何も思い出せないの!!」
今までの細々とした声とは違う、心の底から出したエレリアの懸命の叫びだった。
しかし、状況は何も変わらず、罵声に似た村人たちのざわめきはますます巨大化していく一方だった。
「みなさん、お静かに!」
大きく手を叩いてウィリアムが場の乱れを鎮めようとする。
彼のおかげで、一時会場の騒ぎは収束した。
そして、その一瞬の静寂にミサが便乗して、前へ飛び出す。
そして、 腰を折り深く頭を下げて、ミサは必死に心の底からの懇願の意を叫んだ。
「お願いします、みなさん。どうかリアちゃんを、エレリアをこの村の一員として認めてあげてください!!」
ミサは自分が出せる誠心誠意の気持ちを示したつもりだった。
しかし、それでもやはり、村人たちの感情は動かせなかったようだった。
すると、会場の中のある男が静かに口を開いた。
「…ダメだな。おまえがどんなに頭を下げようとも、少なくとも俺は認めることはできない」
不明瞭なざわめきとは違い、はっきりとした意思をはらんだその言葉は群衆の中から聞こえてきた。
声のする方を見ると、そこには屈強な肉体をほこった若い男がいた。白髪混じりの長髪を頭の後ろで結び、固く腕を組んでいる。
その強面で迫力の溢れた瞳は、ただまっすぐこちらを見つめていた。
「俺はだな、ガキの頃に身を持って経験してるんだ。あの悪夢のような悲劇を。だから、なおさら俺は、部外者をこの村に入れるのは納得できないんだよ…」
冷静に淡々と語ったその男の声は地鳴りのように低く、しかしその言葉の芯には確かな信頼と納得のできる固い責任感のようなものが秘められていた。
エレリアはその男の存在感に圧倒され、思わず固唾を飲んでしまった。
それと同時に、彼のある言葉が頭の中で引っ掛かった。
『悪夢のような悲劇』?
もちろんエレリアには何のことか微塵も分からないが、何かこの言葉の中に村人の素性がうかがえるヒントが潜んでいるのだろうか。
すると再び、今度はまた別のとある村人が男の発言に乗っかって、ミサに指を向け叫んだ。
「そうだ、ダンテの親分の言うとおりだ!!ミサ、おまえはフェイルメアの悲劇を知らないのか!?」
しかし、指名されたミサも負けじと対応する。
「し、知ってますよ、それくらい!!その話は、おばあちゃんから何回も聴きました!!」
「なら、何ゆえおまえはあの娘をかくまったりしたんだ!?」
「かくまう、なんて人聞きの悪いこと言わないでください!私はただ人として当然のことをしただけです!それに、私はリアちゃんが悪い人だなんて絶対思えません!」
「では、その根拠はなんなのだ?あの娘が善良な人間だという確固たる証拠はどこにもないのだぞ」
会場はすでにミサと一人の村人の口論の戦場と化してしまっていた。それも、エレリアも入り込む余地もないほどに。
そして、ミサは高揚している村人に引き寄せられ、完全に気を荒くしてしまっていた。
「私はあなたたちのことが不思議でならないんです!どうして、あなたたちは新しく村に来た人を快く向かい入れることができないのですか?あの悪夢の事件だって…、それももう昔のことでなんでしょ?そんな昔からの古くて悪い仕来たりは忘れて、一から新しく村を作っていけばいいじゃないですか!」
ミサは目を赤くしながら、心中のすべてを思いきって村人たちに吐き出した。
するとそのミサの叫びに、さきほど彼女と口論をしていた同じ村人が冷たい口調で口を開いた。
「元・部外者の君が何をたわけたこと言っているんだ。君がここにいられるのも、すべてアンバーさんのおかげなんだぞ」
「…っ!」
この禁句混じりの村人の発言はミサの盲点を突いたようだった。きっと彼はミサがサラボニーアからやってきたという事実を言及したのだろう。
実際にミサも返す言葉が見つかっていないようで、目は敵意に塗られたまま唇を噛んでいた。
「お二人ともお静かに。見苦しいですぞ」
すると、ミサと村人との口論を見かねたウィリアムがわざとらしく咳き込み、そして静かに仲介の言葉を放った。
その言葉に、激情していたミサもふと我に返り「す、すみません…」
と申し訳なさそうに頭を下げた。
そして、その村人も
「ふんっ…!」
と鼻息を荒く吐き、不満げに長椅子に腰を下ろした。
この時すでに、エレリアはこの村の住民たちには失望していた。ミサがあれほど懸命に村人に訴えかけたのにも関わらず、村人たちの表情は最初の時と何も変わってなかった。
むしろ彼らは自分を歓迎どころか、追放しようとさえしている。
ふとミサを横目で見ると、彼女はうつむいて目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ウィリアムさん、どうですか?」
今回の寄合の準司会進行役らしい者が、村長であるウィリアムに声をかける。
「…」
しかし、ウィリアムはずっと目を閉じたまま、脳内の思考の海へ意識を巡らせていた。
どうやら他の村人とは違い、彼は葛藤しているようだった。
腕を組んだまま、深く考えこんでいる。
すると、群衆の中からまたまた別の村人が村長へ言葉を投げた。
「ウィリアムさん!何を迷っていらっしゃるのですか!この村の部外者定住の件については、あなたが一番お分かりのはずでしょう!?」
「…」
しかし、村長ウィリアムは依然として口を固く閉ざしたままだった。
村人は、なぜ村長が悩んでいるのか分からないといった表情をしている。それはここにいるほとんどの者が同じだった。
そしてこの時点で、エレリアはもう自分がここで暮らすという未来と希望は諦めかけていた。
今からいくら村人たちを納得させようとしたところで結果は何も変わらないだろう。
「…リア、ちゃん」
するとミサはすすり泣きながら、その嗚咽と共にエレミアの名前を吐いた。
よほど悔しかったのだろうか。
ついにミサの瞳から、こらえきれなかった一筋の涙が伝った。
それは押さえきることのできなかった彼女の悲しみの涙だった。
「…ミサ」
そんなミサの流した涙を前に、エレリアは思わず視線を落としてしまう。これ以上、ミサの泣いている姿は見たくなかった。
今、こうして彼女を泣かせている理由は何なのか。
そんなどうでもいい疑問が、ふとエレリアの頭の中に浮かんだ。
ミサを泣かせているのは、無情な運命か、目の前の村人たちか、残酷な現実か。
あるいは、この自分か。
答えはもしかたら全てかもしれない。
だから、ここまで尽力してくれたミサには申し訳ないのだが、エレリアは彼女と別れることも覚悟し始めた。
もし自分がいなくなれば、ミサはもう自分のために悩まなくてすむだろう。自分のために悲しまなくてすむだろう。
だから、ちゃんとミサに別れの挨拶を告げようとエレリアは決心しかけた。
すると、その時だった。
「わたしは、あの娘を迎えいれてもいいと思うわ」
エレリアがミサに最後の別れの言葉を告げようと決意した瞬間、会場のどこかから突然声が聞こえた。
それは、老いてしわがれた女性の声だった。
耳を疑うようなその発言に、会場全体が時が止まったように静まり返る。
そして、同じ声を聴いたミサも涙で濡れた顔をゆっくり上げて、声のする方を見つめた。
すると、そこには一人の老婆の姿があった。
開ききっていない細い瞳が特徴的なその人物は、杖をついたまま腰を長椅子に腰をおろして、ぼんやりとした表情でこちらを眺めていた。
「い、今なんて…?」
ミサはおばあさんの予想外の発言に、それから数秒経った今もまだ思考が追い付いつかなかった。
それはエレリアを含め、村人全員も同じだった。
そして、再びおばあさんが口を開いた。
「あら、聞こえなかったかしら?わたしはあの白い娘をこの村に迎えいれてもいいと言っているのだよ」
おばあさんはさっきと変わらぬ口調で、雄弁と語る。
その瞳には、他の村人からの批判や怒号など少しも恐れていないような固い意思で満ち溢れているようにも見えた。
「わたしは、あることに気づいたんじゃ。それは『雨』」
「雨…?」
彼女の言葉から出てきた思いがけない単語に、再び会場がざわめき始めた。
しかし、そんなことになりふり構わず彼女はしゃべりだす。
「雨。それは、おまえらさんたちもうすうす気づいておったんじゃろ?」
おばあさんは周囲の村人たちを見渡しながら、そう告げた。
聞かれた村人は何か心当たりがあるのか、口をつむいで視線をそらした。
『雨』がどうかしたのだろうか、とエレリアが心の中で呟いた時、
「確か『エレリア』と申したな、おまえさん」
といきなり彼女がこちらを見つめて話しかけてきた。
「は、はい…」
エレリアは完全に不意をつかれてしまい、間抜けな返事をしてしまった。
「あんたは知らんと思うが、実はこの村はここ数ヶ月雨が全然降らなかったんじゃ。雨が降らなきゃ、当然作物は育たない。だから、ここにいる村人たちはみんな困っておっての」
おばあさんはエレリアのために、この村の最近の状況を丁寧に説明してくれた。
どこか共感したところでもあったのか、意外にも口出しする村人はおらず、ミサを含め全員が黙って話を聞いていた。
「しかし、そんな時におまえさんが現れたんじゃ」
おばあさんは目を見開いて、そこだけ強調するように語る。
「おまえさんがこの村にやってきたという噂が広がる少し前、なんと突然この村に雨が振りだしたんじゃ。それも一瞬だけじゃない。しばらく降り続いた」
エレリアは予想外の事実に目を丸くしていた。
まさか自分がこの村にやって来た時にそんなことがあったなんて、知らなかった。
「…と、まぁそんな感じじゃ。あとは言いたいことはみんな分かっておるだろう?」
おばあさんは少し意地悪な笑みを浮かべて、それ以上何も言うことなく静かに目を閉じた。
しばらくエレリアは自分が意図せず起こした不思議な奇跡に、思考が追い付いていなかった。
自分が本当にこの村に雨を降らせたのだろうか。
真実はもちろん、エレリアにも分からない。
「あ、あの…。僕からも一言いいでしょうか?」
すると、今度は前の方から気弱な声と共に誰かが席を立った。
その人物は、黒を基調とした祭服を身にまとった若い男性だった。その身なりからして、この教会の神父らしかった。
「ソフィアさんに便乗するような形で恐縮なんですが、僕も偶然同じようなことをずっと考えていて…」
『ソフィアさん』とは、おそらく先ほどのおばあさんのことだろう。その当の本人は細い瞳をさらに細めて、何やら微笑みを漏らしている。
「もちろん、エレリアさんと雨との明確な関係性は分からないのですが、彼女が現れたその日からこの村に草木を潤す恵みの雨が注いだ。これは紛れもない事実です」
神父は言葉を的確に選びながらしゃべり続ける。
「そして司祭をやらせていただいている立場から言いますと、僕は彼女から大いなる神の意思を感じるのです」
「か、神の意思?」
エレリアは実感の湧かない話に、困惑の意を漏らした。
「そうです。神様のおぼしめしです」
神父は眉を寄せるエレリアの方を向いて、自信をはらんだ口調で語りかける。
「みなさん思い出してください、我らの伝説の英雄『ヴェルダネス』の勇姿を。彼は僕たちにとってよそものという存在でありながらも、命を削ってあの悪夢の男を滅ぼしてくれたのではありませんか」
神父は身振り手振りを使って、ミサと同じように必死に村人たちに説得している。
その時、エレリアは二度目の聞き慣れない言葉に首をかしげた。
伝説の英雄ヴェルダネス?
先の屈強な男性が語っていた『悪夢のような悲劇』といい、この村には過去に何かあったのだろうか。
しかし、真実を確かめる隙は今のところなく、話はさらに進んで行っていた。
「司祭の身分であるからこそ、僕は彼女から溢れる何かしらの救世主の素質を感じるのです。これは嘘ではありません。そして、彼女もきっとヴェルダネスと同じように、この村にとって必要な存在だと思うのです」
さすが神父の身分だけあって、彼が語る一言一言には揺らがない信頼感が宿っていた。
そして、少し笑顔を取り戻したミサも、神父の語る言葉を肯定するように黙って何度もうなずいていた。
「なので、僕は彼女の定住を強く賛成したいと思います。以上が僕の意見です」
一通り話し終えると、神父は丁寧にお辞儀をして腰を下ろした。
何か反論の声が飛び出てくるのかと思ったが、意外にも他の村人は口を閉じて黙ったままだった。
先の二人の意見に気持ちが動かされたのだろうか。
「他に何か意見のある者はいるか?」
村長のウィリアムは会場を見回して、村人たちに問いかける。
しかし、見たところこれ以上何か意見を述べる村人は現れそうになかった。
「ではウィリアムさん、そろそろご決断をお願いしたいと思います」
「うむ、そうだな」
側近の村人に促されて、ウィリアムは軽く咳払いした。
ここまでの討議を振り替えってみると、エレリアの定住を反対する者も多数の中、賛成意見の村人も少なからずは存在した。
そして今、村人たちの顔を見るとどこか葛藤しているようにも見える。どうやらここまでの時間を通して気持ちが揺らいでいるようだった。
「長い時間、賛成派も反対派もお互い偽りなく明確な意思を表明してくれたことに、今私から感謝の意を伝える。これで、エレリア殿の定住の是非に対する私の中での決断が決まった」
とうとうこの時が来た。
エレリアの額に冷や汗がにじむ。
「私の決断はみなの意見を村長である私なりに咀嚼し解釈し、そして深く考えあぐねた結果、平等に代弁したものだ。よって、表明後の異論は一切認めない。これで、よろしいかな?」
村長が言い終えると、村人たちが了解と賛成の意味を込めて拍手を送った。
これで、すべてが決まる。
エレリアは村長の表情を伺ったが、ここからでは彼の意思は分からなかった。
ミサを見てみると、彼女は手を胸の前で握って深く目をつむり、ひたすら天に祈っていた。あの女神像のように。
「それでは、発表する」
村長がその言葉を口にした瞬間、会場の空気が緊急の色に染まるのが分かった。
誰もがその結果を固唾を飲んで見守っている。
そしてエレリアも神にすがるように強く目を閉じた。
「我々コックル村民は、風来の旅人エレリアの定住を…」
こうしてエレリアの運命は、すべて村長の最後の一言に託された。
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