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第四章

14 ザクロの述懐

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 おれは、また何もできないのか。

 アオミとジストはモモという人間の女にしか見えない聖獣と共に、ヨイチの自宅へ向かった。
 ヨイチの自宅には、ヨイチの大切な者たちがいる。
 彼女らのために、暗黒属性というもので結界を張るためだ。

 おれはその間、ヨイチを見ている。
 文字通り、見ることしかできない。

 おれには魔法がない。医療技術もない。柔道の経験からある程度の怪我の処置はできるが、この世界では無用の長物だ。
 高熱に魘されるヨイチの額に置く冷えた手ぬぐいを替えることしかできない。
 それすらも、不器用なおれは何度も水をこぼした。

 ヨイチに掛かった水を拭い、床は雑巾をかけた。
 全て拭き終わって立ち上がると、ヨイチがうっすらと目を開けていた。

「ここは……?」
 まだ呼吸が荒く、朦朧としている。ヨイチの吐く息だけで室温が上がっているような気がする。
 己の不調を圧してまで、状況を把握しようとしている。凄まじい精神力だ。
「ジストの家だ。アオミがお前を妙な空間から引き上げた。覚えていないか?」
 この家はジストが買ったもので、おれは金を出していない。故にジストの家であり、おれの所有物ではない。
 共に冒険者としてクエストを請ける誼で置いてもらっている身だ。
「ああ……思い出した。ありがとう、ザクロ」
「おれは何もしていないが」
「アオミのやつ、鍛えてないだろ。ザクロでなきゃ、僕みたいな重い人間、持ち上がらない」
 確かにヨイチは重たかった。全身に無駄のない筋肉が詰まっている。全体的な体格は俺より細身なくらいだが、密度が違うのだ。
 魔物を倒してレベルアップするだけでは至れない境地だ。余程の鍛錬を積んだのだろう。
 しかし、おれは礼を言われるようなことはしていない。
 ただ引き上げただけだ。
 ヨイチを助けるために重要だったのは、アオミの暗黒属性とジストの魔力、そして聖獣モモの助力だ。

 と、俺が黙り込んでいる間に、ヨイチが上半身を起こそうとしていた。
「動かないほうが良い」
「もう大丈夫。行かなきゃ」
「何処へだ。詳しい話は聞けていないが、この結界から出るのは止めたほうがいい」
「でも急がないと……」
「お前の家のことなら心配無用だ。モモというのがアオミとジストを連れて行った」
「結界のことはありがたいが、そうじゃない」
 ついにおれの制止を振り切って立ち上がってしまった。どこにこんな力を残していたのか。
 だがヨイチは立ち上がった瞬間、その場に崩れ落ちた。
「ヨイチ!」
 直後に、ぐごおおお、と獣が鳴くような音がする。
「どうした!?」
 慌ててヨイチの前に膝をつくと、ヨイチは若干顔を赤らめていた。
 熱のせいではない。羞恥に満ちた表情だ。

「……おなかすいた」
「……」

 こういう時に掛ける言葉を、おれは持っていなかった。


 スタグハッシュ城を出てから、料理をする機会が増えた。
 この家で料理をするのは主にアオミだが、ジストと二人暮らしのときは専らおれが作っていた。
 元の世界でも、三度の食事で足りなければ腹に溜まるものを自分で作っていた経験から、料理自体は苦手ではない。
 港町では魚介類が豊富で、米も船便で豊富に運び込まれる。
 家にあったありあわせの材料で白身魚の蒲焼きを作って飯と共に出すと、ヨイチは申し訳無さそうにおれを見た。
「ごめん、これじゃ足りない。たくさん作ってもらってもいい? 材料費とかは後で」
「気にするな。量だな、任せろ」
 一度に大勢に振る舞った経験はないが、腹に溜まる料理の種類には事欠かない。
 作りおきのタレで蒲焼きの追加を作りながら、思いつく限りのものを出した。
 ヨイチはそれを美味そうに、丁寧に食べていく。
 自分まで腹が減ってきたので、途中で一杯だけ食べて、また作り続けた。

 最終的に、ヨイチは男三人所帯の食料五日分を食べ尽くし、おれは追加の食料の買い出しに二度出掛けた。

「悪かったな。モモが説明する時間もなかっただろうし」
 魔力が枯渇すると、異常な量の食べ物が必要になる、とのことだった。
「全部美味しかった。ザクロが料理得意だったなんて、言っちゃ悪いが意外だ」

 似たようなことをジストにも言われた。
『何、モテたいの? 料理男子ってこの世界でもモテるの?』
 等と表現していたが、意味は掴めなかった。

「さっきも言ったが、気にするな。この程度のことで恩を返せたとは思わん」
「そこは十分に返したと思ってくれて構わないんだが……」
 ヨイチは食後の茶で一服しながら、指で頬を掻き、何事かつぶやいた。
 その茶を飲み干すと、今度はしっかりと立ち上がった。
 食事を摂ることで体調も回復したらしい。

「本当にありがとう、助かったよ。急いで行かなきゃいけないんだ」
「どこへだ?」
「……あまり気が進まないことをしに行ってくる。でないと、ここも保たなくなる」
「説明を聞く暇はなさそうか」
「終わったら話す」
「わかった。アオミとジストにはおれから言っておく」
「助かる」



 アオミとジストは、ヨイチが出ていってすぐに転移魔法で帰ってきた。
「あれ、ヨイチは?」
「急ぐと言って、飯を食べていった」
「急ぐって、何処へ?」

 二人に、ヨイチが本当に急いでいたことを説明した。
 おれは説明が苦手だから、二人に何度も聞き返され、納得してもらう頃には明け方になっていた。
「気が進まないことってのが気になるが、じゃあ、体調が悪いのを押して出ていったわけではないのだな?」
「そうだ」
「わかった」
「わかった……ふわぁ」
 ジストが欠伸をした。一晩寝ていない上に、アオミを連れて転移魔法を何度も使ってきたのだ。疲れているはずだ。
「二人とも眠ったらどうだ。結界は保つのだろう?」
「ああ、そうする……。ザクロ、まだ起きてられるか?」
「平気だ」
「じゃあ、悪いが仮眠の間だけ起きてて……いや、少しなら全員寝ても……」
「三日くらいなら寝ずにいても問題ない」
「そう? なら、お言葉に甘えて」
 二人はフラフラと各々の部屋へと向かった。
 その背中を見送りながら、おれは二人が帰ってくるまでの時間に何をしていたか聞きそびれていたことに気づいた。

 おそらく些細な問題だ。
 おれには出来ぬことを、二人がやってきたのだろう。

 台所の片付けと、次の食事の仕込み、二人の部屋以外を掃除して、一息つく。

 アオミが「起きていられるか」と確認したということは、この後何かおきてもおかしくない。
 家の中だが、おれは魔物討伐のクエストを請ける時と同じ装備を身に着けておいた。
 と言っても、軽い革でできた胸当てを頑丈な生地でできた服の上に着込むだけの軽装だ。
 城で剣の装備を強いられていたときと違い、気分も軽い。

 椅子に浅く腰掛けて、いつでも戦える体勢を整えたときだった。


「ここもなの!? まったく、余計な真似を!」

 キイキイと耳障りな声がした。
 声は家の周囲をぐるぐると、時折なにかを殴りつける音を立てながら移動している。
「理の外のさらに外なんて、想定外も想定外よ! 何よ新たな属性って!」
 口調は女だが、声の質はどちらともつかない。

 それ以前に、何なのだ、この化け物は。

 おれはアオミの[鑑定]や、ヨイチの[心眼]といった、相手の強さを知るためのスキルを持っていない。
 だが魔物との戦いの中で、相手がどれほどの強さか、勘でわかるようになってきた。
 それ以外にも気配や、おそらく魔力であろうもの・・の多寡を、感じ取ることができる。

 今、家の周囲を彷徨き、時折結界に攻撃を仕掛けている何かは、ヨイチより強い。
 ヨイチ以上の存在とは、こいつのことに違いない。

 動向を観察することはできるが、手は出せない。
 おれでは一瞬でやられてしまう。
 自惚れかもしれないが、捕らえられて、ヨイチに対する人質として扱われたら、もう自害するしかない。


 緊張で身体がこわばっていることに気づけなかった。
 どれほど時間が経ったのか、定かではない。

「糞どもが。あの野郎も糞だわ。だから全人類への干渉権限を寄越せと言ったのに」
 声はもはや、何も取り繕わずに悪態をつきはじめた。

「力ずくも無理、というかコレにも干渉できないなら、ここにいても仕方ない」
 その言葉を最後に、声の主の気配は、はじめからなかったかのように消え去った。



「おはよ……ってザクロ!? 何があったのっ」
 部屋の中央で立ち尽くすおれに、起きてきたジストが駆け寄ってきた。
「何かがいたので警戒していた……だけのはずだが」
 そこでようやく、手足が硬直してうまく動かせなくなっていることを自覚した。
「顔色めちゃくちゃ悪いじゃないか! アオミは? まだ起きてない?」
「心配いらない、少し緊張が続いていただけだ。怪我も不調もない」
 指の関節からじわじわと動かし、身体を温めて強張りをほどく。
「アオミー!!」
「起こすな、疲れているだろう? おれは大丈夫だ」
 アオミを起こしに行こうとするジストを止めることには成功した。
「お前はもういいのか」
「え? うん。ちょっと多めに魔力使ったけど、それだけだし。……アオミのほうが大変だったもんな。でも、ザクロも無理するなよ」
「おれは何もしていない。……何もできない」
 おれの言葉に、ジストは首を横に傾けた。

「何もしてなくはないよ。ヨイチを引っ張り上げたこととか……ああそうだ、ヨイチの家の人たちが言ってたんだけど、ヨイチの空腹を満たすの大変だったんじゃない? あり得ないほど食べるって聞いたよ」
「ああ。おれたち全員の七日分は食べたな」
「想像以上だ……じゃなくて、その料理誰が作ったのさ。まさかヨイチが?」
「いや、おれがやった」
「なら十分グッジョブじゃん。ザクロたまに自己評価低いよな。良くないぞ、それ」
 ジストに肩をぱしん、と叩かれる。
「当然だろう。おれは、そのくらいしかできない」
「そのくらいとか言うなよ。ボクの料理の腕、知ってるだろ? 家に残ってたのがボクだったらどうなってたか、想像してみろよ」

 思わず真顔になった。
 ジストの料理の腕は壊滅的と言って差し支えない。
 焼かせても煮させても、蒸させても黒炭と化すほど焦がす上、調味料を手に取らせると確実に容れ物ごと鍋に放り込んでしまうのだ。最早呪われている。

「最悪の事態が起きていたな」
「でしょ? ほんっと、ボクじゃなくてよかったって、アオミとも話してたんだよ。って、ボクもお腹すいたな。まだ何かある?」
「ああ。残り物の有り合わせになるが」
「頼んでいい?」
「任せろ」

 台所に立つ頃には、おれの裡にあった暗いものが晴れていた。
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