世界が終わってしまうから、俺に本気を出させないでくれ

桐山じゃろ

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 二度目の魔物襲撃から半年ほどの間に、僕の周辺の事情がだいぶ変わった。

 まず、僕は毎朝、学院の屋上から学院とその周辺全体に、結界魔術を掛けるようになった。

 魔物が襲ってきてから対応するのでは遅い。ならばはじめから魔物が近づけないようにしてはどうかと、僕から提案したのだ。
 院長先生ははじめ、僕を心配してかなり渋ったが、他の生徒のことと天秤にかけて、ようやく僕の提案を受け入れてくれた。

 魔物はおよそひと月に一体から数体、律儀にやってくる。
 その全てを、学院に入り込む前に討伐した。

 魔物撃退を二回続けたあたりから、自宅学習を選択していた生徒が、徐々に学院へ戻ってきた。
 フォートを含む二割は結局戻ってこなかったが、最終的に八割は復帰した。
 もうじき、入学してから一年が経つ。
 学院と寮は、入学当時の賑やかさを取り戻しつつあった。



「やっと調べ上げたよ。犯人はアンナ・プルナだ」
 魔術練習室に防音結界――僕はどうやら結界魔術が得意らしい――を頼まれて、張り終えると同時にシャールが吐き捨てた。
「犯人て、何の?」
 毒クッキー事件のことは半ば有耶無耶になっていた。実質的な被害は出なかったし、誰が誰にどうしたまでわかりきっているのだから、これ以上調べる必要もないという判断だ。
「魔物だよ。アンナが特殊な能力を持っていてな。魔物を使役できるようなんだよ」
「何だって!?」
 魔物の使役はことごとく失敗したと、歴史の教科書にも載っているほどなのに。
 それを、まだ十歳かそこらのアンナがやり遂げたと、シャールは言っている。
「プルナ家を調べ上げた。まずアンナは、プルナ家の人間じゃない。病気のことは本当のようだが、アンナはプルナ家の人間のフリをしていただけだ」
「ええ、じゃあ、貴族ですらないってこと?」
「そこがよくわからないというか、不思議なんだが……俺や俺の護衛みたいに、疑ってかかってはじめて、アンナがどこから来たのか、何故プルナ家の人間として扱われているのかが、謎に思えるんだよ。念のためにプルナ家の親戚や過去も総当りしたが、やはりアンナという人間はいない。まるで、この世界に突然現れたような存在なんだ」
 ちなみにアンナは、二度目の魔物の襲撃のあとも、学院に残った数少ない生徒のうちの一人だ。
 自分で魔物を使役しているのなら、怖いものはないということだったのだろう。
「じゃあ、僕にクッキーを渡してきたり、学院に家から忍び込んでいたっていうのは?」
「クッキーの意図は掴めなかった。学院には、プルナ家からアンナを入学させるという届けと、病気でしばらく自宅にいるという連絡がちゃんと出ている。偽造の疑いも無い」
「不気味だね」
「ああ、こんな不気味なやつ、初めてだ」
 シャールは王位継承問題に首を突っ込んでから、僕にはあまり話さないが、色々と大変な目に遭っている。
 そのシャールが不気味と言い切るのだから、相当だ。
「アンナに直接、話は」
「しようと思ってな。明日、ここへ来るよう伝えてある。伝えた直後は渋っていたが、ローツェも来ると言ったら何故か大喜びしていたぞ」
 シャールはやれやれ、と肩をすくめた。



 はたしてアンナは時間通りにやってきた。
「ガルマータ君!」
 呼びつけて、用があると言ったのはシャールのはずだが、彼女は練習室に入ってくるなり、僕に駆け寄った。
「思い出してくれた?」
「なんのこと? あと、話があるのはシャールからだよ。僕じゃない」
「どうでもいいじゃない、そんなの」
「本気で言っているのか?」
 アンナは僕の顔を見て、ニコニコしっぱなしだ。
 シャールのことなど頭から綺麗さっぱり消えている。
 僕が視線でシャールに助けを求めると、シャールが右手を挙げた。

 即座に、シャールの護衛さんたちが現れて、アンナを拘束した。
「ちょっと、何なのよ! 私が……」
「この学院と俺の家に魔物をけしかけたのは、お前だな。何故そんなことをした」
 シャールが冷たい声で問い詰めると、まずアンナは泣き落としに掛かった。
 しかし、誰にも効かない。
「ふえっ、ぐすっ、私みたいな美少女が、こんなに泣いてるのに、どうして誰も、何も助けてくれないのよっ」
 その場に居たアンナ以外の全員が「はぁ?」と呆れた。
「お前の顔の美醜なんて関係ない。俺は魔物をけしかけた件について訊いている。ここで答えないなら、牢へぶち込むぞ」
「シャール様、もうぶち込んでもいいのでは」
 護衛さんの一人が思わず喋ると、アンナはキッとそっちを向いた。
「モブが何言ってんのよ! あんたに発言権は無いわっ!」
「モブ?」
 シャールや護衛さんたちは首をひねったが、僕は心がざわついた。

 前世の記憶が掘り起こされる。
 前世ではラノベや漫画もろくに読めない環境だったが、そんな中でも何作品かは読むことができた。
 モブというのは、その他大勢という意味だったはずだ。
 主人公や準レギュラーキャラと違い、名前すら与えられない、有象無象。
 人がよく死ぬ作品では、本当に虫けらのように死んでいくひとたち。

 アンナは、シャールの護衛のことを、そんな存在であるとした。

 僕は無言で拘束されているアンナに近づき、目線を合わせた。
 アンナは驚きながらも、頬を染めた。
「が、ガルマータ君……」
「僕はお前が嫌いだ。彼らはモブなんかじゃない。これ以上、お前と会話なんてしたくない」
 言うだけ言うと、僕はシャールの後ろに下がり、窓の外を見た。
 快晴だ。部屋の中に、人のことをモブ呼ばわりする醜悪な存在がいるなんて、想像もできないほどの。

 後ろから叫び声が聞こえる。
「なんで、なんでよ! これは―――――でしょう!? ガルマータ君、どうして私を見てくれないの、覚えてないのっ!」
「シャール、悪いんだけど、自分の周りに遮音の結界張るから、後で結果だけ教えてくれる? あいつの顔すら見たくない」
「わ、わかった」
 僕がこんなに怒ることなんて滅多にないから、シャールを戸惑わせてしまっている。
 でもこれ以上あの女と関わっていたら、僕は怒りで何かしでかしてしまいそうだ。

 シャールが女を尋問している間、僕はずっと窓の外を眺めていた。



 シャールが僕の正面に回り込み、手を振って「終わった」と合図してきたのは、十数分後だった。
 意外に早く終わったと思ったが、結局女は支離滅裂なことしか言わなかったため、学院のある街の地下牢へ連行されたそうだ。
「つまり何も聞き出せなかった。ひたすらローツェのことを……うん」
「そっか。全部押し付けて……」
「お前は悪くないよ。あの女が悪い。ところで結局、モブって何のことだ?」
 僕は『モブ』について説明した。
「ああ、それでか。お前が珍しく激怒してた理由がようやく分かったよ。っつーか何なんだあの女は、俺の護衛をそんな風に呼びやがって……。いや、でもちょっと納得したぞ」
「何が?」
「あの女の言動だよ。なんていうか、この世界は演劇みたいなところで、あの女は主役を演じてるつもりなんだろうな。で、主役の恋人役が……」
「僕? 無い無い。前世のことを含めても、あんな奴の記憶なん……」
 不意に、きつい耳鳴りがした。同時に激しい頭痛で立っていることも難しくなり、僕はその場に膝をついた。
「ローツェ!? おい、どうしたんだ!」
 シャールが心配して声を掛けてくれるが、その声すらも喧しい。

 目を開けていると、眩しい。閉じると、暗くなるはずの景色は真っ白だった。



「何人か転生させましたが、前世を思い出し与えた力を目覚めさせたのは、わずかにひとり」
「更に別のひとりは、自分に都合の良い世界だと信じ切り、力を別の方向へ向かわせてしまった」
「ひとりでは、世界を救うなど無理かもしれない」
「しかし、やってもらわねば……」



 あの時の、前世で人生を終わらせようとしたときの声のようにも聞こえたし、全く知らない別の声だったようにも思う。


 気がつけば、寮の自室の見慣れた天井を見つめていた。

 窓の外は薄暗くなっており、部屋には魔力照明が灯っている。
 身体を起こすと、額から水で湿らせた布が落ちてきた。まだひんやりしている。
 何があったんだっけ、と考えを巡らせていたら、扉が開いた。
「若様、お目覚めですかっ!」
 カンジュだ。手には桶と、果物や飲み物が乗ったトレイを持っている。
「うん。僕、どうしたんだっけ」
 なんか前にもこんなことあったな。そうだ、二度目の魔物の襲撃の後だ。
 今回は魔物を倒したり、襲われた覚えはないのだが。
 カンジュはサイドテーブルに手に持っていたものを置くと、部屋の扉の向こうに声を掛けた。
「シャール様、若様がお目覚めになりました」
 ぱたぱたと足音がして、扉からシャールが顔を出した。
「ローツェ! 大丈夫か? 一応、ピスカ先生にも診てもらったんだが身体に異常はないって」
「大丈夫。どこも痛くないし、不調もない」
「そうか、よかった」
「若様、あちらの方々が若様をここまで運んでくださいました」
 カンジュに言われて開きっぱなしの扉の向こうを見ると、シャールの護衛さんたちが横一列にきっちり並んでいた。
「ありがとうございます」
 僕が礼を言うと、護衛さんたちは一様に軽く会釈を返してくれた。

「で、一体どうしちまったんだ」
 扉を閉めて部屋に僕、カンジュ、シャールの三人になると、シャールに問われた。
「自分でもよくわからなくて」
「あいつの記憶なんてない、って言いかけてぶっ倒れてたな。あいつに関わることか」
「そうだ。僕、あいつの事、どこかで……でも、本当に憶えてないんだ」
 あの女のことを思い出そうとすると、また耳鳴りと頭痛が起きる気がして、僕は曖昧に答えた。
「あいつはローツェのことを知ってるような口ぶりだったもんな。それと、―――――ってなんだ?」
「なんだって?」
「―――――」
「ごめん、聞き取れない。紙に書いてくれないか。カンジュ」
「こちらに」
 テーブルの上に、ペンとインクと紙が置かれる。シャールは訝しがりながらも、僕が聞き取れない言葉を文字にしてくれた。

 ところが、読めなかった。
 シャールは字を丁寧に書いてくれたのに、そこだけ霞がかったようになって、全く見えないのだ。
「なんだよ、これ……。カンジュは読める?」
「はい。―――――と書いてあります」
「駄目だ。聞き取れないし、読めない」
「そんな妙なことがあるのか」
「どういう意味の言葉か、解る?」
「聞いたことのない単語でな。意味はさっぱりわからん」
「私も存じ上げませぬ」
 別のアプローチで解読を試みたが、駄目だった。
「わからないことをいつまでも考えていても駄目だな。全てはあの女から聞き出そう」
「例の契約と全く関係ない事だけど、いいの?」
 アンナ・プルナは王位継承問題とは全く別のベクトルの話だ。
 むしろ、僕だけの問題でもある。
 関わりたくはないが、シャールに任せっぱなしでいいのだろうか。
「構わないさ。どうせあの女は魔物を学院にけしかけた重罪人だ。俺が動いたり頼んだりしなくても、学院や国が動いてくれている」
「それもそうか」



 アンナ・プルナが魔物を使役したという話は、学院内外に瞬く間に広がった。
 犯人が捕まったということは、もう学院や生徒のところに魔物は出ない。
 自宅学習を選択していた生徒たちも全員学院へ戻ってくることになったが、学年末間近だったこともあり、全員が揃うのは進級してから、ということになった。

 僕の日課になっていた早朝の結界魔術張りは終了になった。
 魔特兵の特例免許も返上しようとしたのだが、魔特兵ギルドや騎士団から「持っておきなさい」と押し付けられてしまい、僕の手元に残っている。
 ついでにカンジュも特例免許所持のままだ。



 僕たちは無事に、とは少々言い難いが、二年生になった。
 他のクラスは多少入れ替えがあったらしいが、1組はそのまま2年1組として、顔ぶれは変わらない。
 アンナ・プルナは退学になったが、何故かフォートは学年最下位の成績のまま、1組に居座っている。

 僕が貴族でありながら魔特兵免許を持っていることに、最初に突っかかってきたのは、魔物が怖いからとずっと実家に引きこもっていた、フォートだった。
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