世界が終わってしまうから、俺に本気を出させないでくれ

桐山じゃろ

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 家を出る前日の夜に、僕は全てを思い出した。

 家を出るのは、貴族の子女が10歳になったら通う学院へ入学するためだ。

 入学前でよかったー!
 ナイスタイミング! いやギリギリすぎるか?
 でもまぁ、食事中とか、授業中とか、剣術の稽古中とかよりはだいぶマシか。

 何を思い出したかというと、僕が異世界転生したことだ。

 前の人生は、日本でサラリーマンやってた。
 享年26歳……多分。

 小学生の時に両親が事故死して、親戚たらい回しの上、学校では猛烈ないじめに遭った。親戚は何も助けてくれず、更には面倒をみてやってるんだからと家中の家事を押し付けられて過ごした。
 それでもどうにか頑張って、更に奨学金とか使ってなんとか大学を出て会社に正社員として就職したものの、そこもブラック。
 で、人生に絶望して会社のビルの屋上で、まさに飛び降りようとした時、夜中だというのに空がぱーっと光った。

 全て思い出したって最初に言ったけど、言い過ぎた。
 憶えてないことも、色々ある。

 まずその、光ったときに誰かと何か会話したんだが、相手が誰で、どんな内容だったのかが曖昧だ。
 うっすら憶えているのは、相手から「別の世界でいいならやり直しのチャンスをあげましょう」みたいなことを言われたこと。
 僕は全部終わらせるつもりでビルの屋上のフェンスの向こうなんてところに居たわけだから、なんでもいい、って答えたと思う。
 何なら、もう自分は更に向こうへ足を踏み出していて、死の間際に幻覚を見ているのかと思ったくらいだ。

 相手が小さく「よしっ!」って言ったのだけは、はっきり憶えてる。


 それから僕は、今いる世界で一から、つまり産まれるところからやり直した。

 今の名前は、ローツェ・ガルマータ。ガルマータ家は父親が伯爵位を持っている。つまり貴族。
 僕はガルマータ伯爵の第一子、つまり爵位継承権第一位。将来が確約されている。
 もうこの時点で人生勝ち確だ。

 ほんの少し前までの僕は、転生前の僕のことなんてこれっぽっちも憶えてなかったのに、今生では両親を大事にした。言うことはなるべく聞いたし、勉強も剣術も頑張った。
 貴族学院は貴族なら誰でも入学できる学校だが、学力別でクラス分けをするために入試試験はある。
 僕は筆記も実技も一位を取った。
 両親はめちゃくちゃ喜んでくれた。
 僕も誇らしかった。

 そんで明日はいよいよ学院へ向かって出発する日。
 学院では学生寮暮らしになる。
 自分の部屋で持っていく荷物の最終チェックを終えて、一休み、とベッドへ腰を下ろした途端に、記憶がぶわわっと蘇ってきたわけだ。


野呂口のろぐち小吾郎《こごろう》、26歳、サラリーマン……。この世界、漢字とか無いし……むしろアルファベットや英単語が有ることが不思議だな。つーことは僕、実質36歳?」
 ブツブツと思い出したことを呟きながら部屋をぐるぐると、檻の中の熊みたいに歩き回っていたら、部屋の扉をノックされた。
「若様、どうなされました?」
 侍女のカンジュだ。今の僕より八つ年上で、僕を「若様」と呼び、基本的に堅苦しい喋り方をする。
 物心ついたときにはカンジュが僕専属の侍女だった。何なら両親より接する機会が多い。そのせいか、僕の異変にものすごく敏感だ。
「なんでもな……くはないな。ちょっと緊張して眠れないだけだ」
 嘘をつくのは心苦しいが、前世の記憶がぶり返したなんて、言っても信じて貰えないだろう。話す必要性も今のところ感じられない。余計な心配をかけたくない。
「寝付きが良くなるハーブティーをご用意しましょうか」
「そうだな、お願いするよ」
「御意」
 カンジュの気配が去っていった。

 部屋のソファーに座って待っていると、ほどなくしてカンジュがティートローリーでハーブティーを運んできた。
 一杯だけなのにティートローリーなんて大げさだなぁとぼんやり見ていると、カンジュはテーブルにソーサーとお茶の入ったカップを二つずつ置いて、僕の前の椅子に座った。クッキーまで持ってきてくれたのか。
「何がありましたか?」
 ああ、これバレてるやつですね。
 カンジュなら仕方ないか。
「実は……」
 僕は前世の記憶のことを、掻い摘んでカンジュに白状した。

 話し終えてしばらく、カンジュは両手で掴んだカップをじっと見つめていた。
 それから一口ハーブティーを飲むと、僕に向き直った。
「俄には信じがたい話です。しかし、若様が無駄な嘘を吐かれる方ではないこと、重々承知しております。何より、今この時に嘘をつく必要性がありませんからね」
「あー……僕も言っといて何だけど、信じなくてもいいよ。それに、思い出したからどうするわけでもないし」
「信じます。もしお記憶に関するお困りごとがございましたら、私にご相談ください。全力でご助力いたします」
 前世の記憶と今の記憶がごっちゃになって、僕が挙動不審になる可能性もある。
 そんなときに、フォローしてくれる人間がいるというのはありがたい。
 学生寮暮らしには、カンジュもついてくることになっている。従者を寮に入れられるのは伯爵位以上の特権だ。
「助かるよ、カンジュ」
「とんでもない。眠れそうですか、若様」
「うん。自分でも気づかないうちに、本当に緊張してたみたいだ。ハーブティーのおかげで眠れそうだよ」
 ハーブティーにはミルクと蜂蜜も混ぜてあった。胃に温かいものが入ると、いつの間にか強張っていた身体がほぐれた。
「それはよろしゅうございました。では、明日は早いですからね」
 カンジュはてきぱきとテーブルの上を片付けると、部屋を出ていった。

 僕はベッドへ仰向けに寝転がり、もうしばらく思い出した記憶のことを考えていた。



 ハーブティーのお陰か考えすぎて頭が睡眠を欲したのか、気がついたら眠っていて、朝になっていた。
 記憶の方は、今の僕に丁度良く馴染んだ感じがする。
 部屋にある姿見の前で、自分の身体を改めて眺める。
 前世、日本人の時は、黒髪黒目、いわゆるフツメンな見た目をしていた。
 今生ではアッシュブラウンの髪に榛色の瞳。まだ10歳の身体は小さいが、毎日剣術の稽古をしているお陰か、何なら26歳の時の僕より頑丈だ。
 顔つきは……はっきり言って美少年。もっと小さい頃はしょっちゅう女の子に間違えられて、これが今生の僕の唯一のコンプレックスだったりする。うわ、まつげ長っ。

「おはようございます、若様。朝食をお持ちしました」
 扉の向こうから声を掛けてきたのは、カンジュだ。
 たっぷり十五分は鏡を見ていた。ナルシストか。
「入っていいよ」
 いつもならすぐに扉を開けて入ってくるカンジュが、一瞬躊躇った気配がした。
 入ってきたカンジュは、いつも通りテーブルに朝食を並べていく。
「どうかした?」
 カンジュが僕の異変に敏感なのと同じくらい、僕もカンジュの事は気にかけている。
「昨日までの若様でしたら、『おう』とお返事なさっていたなと」
「あれ、そうだっけ」
 昨日の、前世を思い出す前の記憶を手繰り寄せる。確かに、もうちょっと横柄な態度を取っていたかもしれない。
「他にも変な所あるかな」
「今のところは特に感じませぬ。今日が出発の日でよかったかもしれませんね」
 僕は朝食を、こっちの世界の10年で培ったテーブルマナーを駆使して手を付けながら、カンジュと話をした。
「どうして?」
「蘇った記憶で若様に変化が現れたとしても、学院生活がそうさせたのだと思わせることができます」
「確かに」
 カンジュにはあっさりバレてしまったが、両親を含めた他の人に、自分から記憶のことを話すつもりはない。
 余計な心配をさせたくないのと……特に両親には、10歳の美少年の中身が26歳の冴えないサラリーマンだなんて現実を、突きつけたくない。
 僕が朝食を食べ終えると、カンジュがいつものように良いタイミングで食後のコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとう」
「……やはり少々、変わられましたね」
「え」
 コーヒーを口にしようとした矢先のカンジュの発言に、僕は固まった。
「そういや前は、お礼もろくに言ってなかったっけ」
 気まずさを誤魔化すために、頬をぽりぽりと掻く。
「従者に礼など不要です」
「お礼くらい言ってもいいじゃないか」
「人前、特に貴族の前では止めたほうが」
「そうだった」
 主従関係がきっちりしていないと、よからぬ関係を疑われる世界だった。
 僕がまだ10歳で、カンジュと8歳差があっても、そこは問題にならない。
「うーん、日本人の心が……」
「ニホンジン……前世の民族でしたか」
「そう。礼節を重んじる気風があってね……」
「お話には興味をそそられますが、そろそろお時間です」
 この世界にも時計はある。時間感覚は日本とだいたい同じだ。一日は24時間、一ヶ月は30日、一年は360日。
「もうそんな時間か。行こう」

 エントランスホールへ行くと、両親が待っていた。
「忘れ物はない?」
「はい、母上」
「息災でな」
「はい、父上」
 二人それぞれに言葉とハグを貰った。
 昨夜は壮行会みたいなのをやってくれて、そこで言葉はたっぷり貰ってあるから、それだけで十分に足りた。
「行ってまいります」
「うむ」
「道中気をつけてね」

 僕とカンジュは、家の外で待っていた馬車へ乗り込んだ。


 学院へは馬車で三日かかる。個人の馬車で学院へ乗り入れられるのも、伯爵位以上の特権だ。
 御者はカンジュがやっている。
 僕はというと、客車で暇を持て余していた。

 前に乗った時は試験を受けるための道だったから、客車の中で筆記試験の復習しようとして……盛大に酔った。カンジュに大変迷惑を掛けた。
 車の中で本を読んではいけない。馬車なら尚更だ。

 ぼんやりと外の景色を眺めていたら、記憶について考えていた。

 何故昨夜思い出したのか。何故異世界転生したのか。
 あの相手の「よしっ!」はどういう意味だったのか。
 意味があるとして、これから僕はどうしたらいいのか。

 と、馬車がガタンと揺れた。
 馬車というのは揺れるものだが、揺れ方がおかしい。
 馬が何かに怯えたような揺れ方だった。

「どうした?」
 御者台のカンジュに声をかける。
「賊です」
 カンジュが短く答える。
 この世界、治安が少々、いやかなり悪いんだった。僕が幼い頃から剣を習っていたのは、護身のためでもある。
 剣を取って、外へ出た。

「よしよし、大人しく止まっ……うわっ! 何しやがる」
 近づいてきた禿頭の大男に斬りかかるも、避けられてしまった。
「こっちの台詞だ。お前達にやるものは何もない」
「はっ、貴族の坊っちゃんが笑わせるっ!」

 賊は全部で20人程いた。ちょっと多いな。
 僕がカンジュに目配せすると、カンジュはその場からふっといなくなった。
 消えたのではなく、超高速で賊の背後へ移動したのだ。

 カンジュは只の侍女じゃない。かなり高度な戦闘訓練を受けている。
 日本風に言ったら忍者が近いんじゃなかろうか。

 消えたカンジュにあからさまに動揺した賊たちを、正面から無力化させていく。
 前世での僕はこんなふうに動けなかったが、今は学院の実技で一位の成績を取れるほどの腕前だ。
 賊くらい、僕でもなんとかなる。
 賊の背後からはカンジュが賊を次々に倒している。
「何やってんだ、お前ら!」
「で、でもこいつ速……ぐあっ!」
 最初に近づいてきた大男がどうやらかしららしい。
 周辺の賊は大体無力化したが、こいつだけやたらすばしっこくて、攻撃を当てられない。
「くそっ……こうなったらっ」
 最初に近づいてきた大男が、懐から何かを掴んで地面に叩きつけた。
 途端に紫色の煙があたりに立ち込める。
「息を止めろ!」
 毒煙だ。カンジュに注意を促すために叫び、少し吸ってしまっただけで、喉と肺が焼け付くように痛い。
「若様っ!」
 カンジュがなりふり構わずこちらへ突進してくるのが見えた。

 そのカンジュの頭上から、賊の蛮刀が振り下ろされるのが、スローモーションのように見えた。


「やめろぉお!!」



 突然、目の前が真っ白になって、記憶が蘇る。

「貴方には神にも成りうる力を与えましょう。どうかその力で、世界を……守ってください」


 光の中の相手は、そんなことを言っていた。



 カンジュを助けたい一心で思い切り踏み込んだ足から、地面に大きな亀裂が入った。

 賊の蛮刀を、同じ鉄製の剣で真っ二つに断ち切ることができた。

 剣を振り下ろした余波で、僕の前方に広がっていた長閑な草原は、魔術使いが強烈な火炎魔術で焼き払ったような状態になった。

 逆に、焼け付くように痛かった喉と肺は、何故か治っていた。


 カンジュの無事を確認して振り返ると、賊の頭が腰を抜かしてその場に崩折れていた。
「何だ今の」
「何だ今の」
 賊の頭とハモってしまった。つらい。
「若様、今のは?」
 カンジュは冷静に残りの賊を無力化してから、僕に問いかけてきた。
「わからない。例の記憶と関係がありそうだ」
 カンジュにしか聞こえないほどの小さな声で答えて、僕とカンジュは賊の頭に向き直った。
「ひっ」
 賊の頭は尻を地面につけたまま、腕の力だけでじりじりと後退る。
「人数が多すぎますから、ひとまずこいつだけ次の町の警備兵に突き出しましょう」
「うん。縄あったかな」
「私の手荷物に入っています」
 カンジュは時々、よくわからないものが手荷物に入っている。縄はまだ想定内な方だ。

 賊たちをちゃっちゃと縛り上げ、頭だけを馬車の客車へ詰め込み、僕たちは馬車旅を再開した。

 賊の頭には猿轡も噛ませている上、僕に対して何やら怯えているらしく、町へ着くまで一言も話そうとしなかった。

 僕はまた、記憶のことと、さっきのことを思い出していた。


 あの力、一体何なんだ。

 賊とはいえ、人殺しに手を染めたくはないから、とにかくカンジュに振り下ろされる剣だけを防ごうと動いた。
 つまり、僕はかなり手加減していた。

 もし僕が本気を出していたら……。


 あれくらいじゃ済まなかったんじゃないか?
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