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第四章
6 セーニョの日々
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クエストを請けない休息日に、ギロから相談があった。
「厨房を改築したいのですが」
「いいよ」
「ありがとうございます。……って、どう改築するかとか、理由はお聞きにならないのですか?」
「厨房に関してはギロが自由にしていいよ……と、それだけじゃなさそうだね」
ギロの顔が曇っているのを見て、僕はギロから厨房改築の理由をちゃんと聞いた。
元子爵令嬢であるセーニョは、実父の後妻である継母とその実子から虐待を受けていた。
虐待の内容について詳しく聞くのは敢えて避けていたが、どうやらその虐待の中で、セーニョは石窯オーブンに詰め込まれて焼かれかけたというのだ。
セーニョが厨房に入りたがらないのは、厨房にあるオーブンが視界に入ると過呼吸を起こしてしまうためだった。
「は? なんだそれ……」
継母とその実子は既に実刑判決を受けて投獄され、その後修道院に入っている。セーニョの耳には入れていないが、ふたりとも修道院の暮らしに馴染めず、脱走したところを山賊に襲われて亡くなっている。
だから、ふたりに改めて何か罰を与えたくても、もう何も出来ない。
「ですから、オーブンのある場所を壁と扉で仕切り、厨房の流しや竈を使うだけならオーブンが視界に入らないように……ラウト様、剥がれてます」
「ああ、ごめん。酷い話だったから、つい」
力を抑える膜は、三体目の魔王を倒してすぐの頃、十枚に増やしてある。
そのうちの二枚ほどが勝手に割れていた。急いで張り直しておく。
「でもオーブン使うときって両手塞がるよね。壁に窓をつけてカウンター風にするのはどうかな」
「いいですね。念のために引き戸も取り付ければ……」
僕とギロで話し合った「厨房改築計画」はアイリとサラミヤにも通達された後、早速大工さんを呼び、工事が始まった。
大工さんはオルガノの町の人をこっそり呼んだのに、何故かミューズ国に伝わっていて、改築費用は国が持ってくれた。
工事は三日ほどで完了したが、セーニョには厨房を改築し、少し厨房に立ち入るだけではオーブンが見えなくなるようにしたことはあえて伝えなかった。
厨房自体が精神的苦痛を呼び起こすかもしれないし、何より「セーニョのために改築しました」なんて恩着せがましいことは言いたくないのだ。
ただ、どうしても厨房に入らざるを得ない状況はこれからいくらでもあるだろうから、その時にセーニョの負担が少しでも減ればいいと思っている。
*****
ラウトの屋敷にいる者たちは皆、よく食べる。
冒険者のラウトとアイリに身体の大きなギロは当然としても、身体の小さなサラミヤまで育ち盛りなためか食欲旺盛だ。
つい最近ラウトの屋敷に住み始めたセーニョも、最初のうちは遠慮とこれまでの粗食生活から少食だったが、ラウト達と共に鍛錬やクエストを繰り返すうちに食事による積極的な栄養補給が必要になった。
よって、一般的な五人暮らし家庭の二倍から三倍は食材が必要になる。
大量の食材は主に配達に頼り、少量の買い出しはこれまでサラミヤの役目だったが、町に慣れるためにとセーニョがお使いをすることが多くなった。
「やあセーニョちゃん、元気かい」
「こんにちは。はい、お陰様で元気です。これとこれを五個ずつください」
ギロとサラミヤが交互にお使いに付き合い、あちこちの店でセーニョを紹介したため、セーニョはあっと言う間に商店街に馴染むことが出来た。
今ではひとりでスムーズに買い物をするのも容易だ。
「これはオマケ。冷めちゃうから食べちゃいな」
「ありがとうございます、いただきます」
串に刺さった唐揚げは、青果店の商品にはないものだ。やせ細っていた頃のセーニョを知る店主のおかみが、何かにつけてセーニョにオマケと称して食べ物を渡してくる。セーニョはありがたく、言われたとおりその場で頂くことにしている。
揚げたての唐揚げは熱々で、口の中を少し焼いたが、香ばしい肉汁と脂が口中に広がった。
「ごちそうさまでした」
おかみはセーニョからゴミになる串を取ると「はいよ、毎度あり」と応えた。
――皆いい人たちで、住みやすい所です。
セーニョは他の買い物も終え、大きな手提げ袋を両手に一つずつぶら下げて、帰路に着いていた。
他のお店でもオマケを貰ってしまったので、腹ごなしのために少し遠回りをして歩く距離を伸ばした。
大きな手提げ袋の中身も、ラウトが与えてくれた大容量マジックバッグに入れれば済む話なので、本来なら手に持たなくてもよい重量だったりする。
セーニョの最近の楽しみは、ギロの料理だ。
ギロの料理は、母が健在だった頃の子爵家でも食べたことがないほど美味しい。
たとえ満腹状態でもギロの料理ならば美味しく頂ける自信はあるが、やはり少しでもお腹を空かせた状態で迎え入れるのが、あの素晴らしい料理に対する礼儀だと、セーニョは思っている。
――白身魚はソテーかな、ムニエルかな。フライも美味しそう。ギロ様の特製ソースはパンに付けても最高なのよね。
手に入れた食材から生み出されるであろう料理を想像してひとりニマニマしていたセーニョだったが、気がついたら人気のない裏通りにいた。ラウト達から「物騒なのであまり近づかないように」と言われていた場所だ。
つい美味しい晩餐のことを妄想するあまりに、どこかで道を間違えたらしい。
まずは大通りにでよう、と踵を返したところで、女性の悲鳴が聞こえた。
「――! ……たしのバッグ!」
セーニョはすぐさま手荷物をマジックバッグに仕舞い込み、声のする方へ駆け出した。
悲鳴の主はすぐに見つかり、悲鳴の原因の背中もまだ見えた。
倒れているのは自分の母親が生きていたらこのくらいだろうと思われる年齢の御婦人で、逃げ去る男の背中が抱えているのは、女物の小さなバッグだ。
セーニョは逃げる男の少し前を右手の人差し指で狙い、攻撃魔法を放った。
「う、おっ!?」
セーニョの指から放たれた細く青い閃光は男の行く先の地面を少しだけ抉り、男はその凹みに躓いた。
「盗人です! 捕まえてください!」
セーニョは御婦人を助け起こしながら叫んだ。自分で追いかけても良かったが、御婦人を放っておけなかったのだ。
通行人が数人がかりで男を取り押さえ、他の誰かが呼んできた警備兵によって男は拘束された。
奪われたバッグは無事に御婦人の元へ戻ってきた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
品のいい御婦人は男を取り押さえた通行人たちや警備兵に何度も頭を下げている間中、助け起こされた時に握ったセーニョの手をそのまま離さなかった。
「お嬢さん、貴女の魔法のお陰だわ。何かお礼がしたいのだけど……」
「お気になさらず。当然のことをしたまでです」
急いでいるを理由にどうにか御婦人の「お礼がしたい」攻勢をかわしたセーニョは、さっとその場を立ち去った。
後ろで御婦人が他の人から「彼女は町の中心部にある屋敷に住んでいて――」等と個人情報を漏らされているとは知らずに。
それから三日後。アイリ専用とは最早名ばかりの、陽当りの良いサロンでラウトとアイリ、そしてサラミヤとセーニョがお茶を楽しんでいると、ギロが来客を告げた。
「私に、ですか?」
セーニョは訝しみつつも、同じく困惑顔のギロについていくと、応接間に通されていた客人は、あの時の御婦人であった。
「……そんなことが。彼女からは何も聞いておりませんでしたので」
「まあ、なんて慎ましい」
御婦人はギロに、三日前のセーニョの話をした。褒められているはずのセーニョは顔を真っ赤にして俯いていた。
「突然来てしまってごめんなさいね、どうしてもちゃんとお礼がしたくて」
セーニョの前に置かれたのは、細工の見事な宝石箱だ。セーニョの瞳と同じ翠玉色の宝石が煌めいている。
「こんな大層なもの、いただけません」
「いいえ。貴女が取り返してくれたバッグは、亡き母の形見なの。素敵なバッグだからつい持ち歩いてしまっていたのだけれど……私にとっては何にも代えがたい宝物なのよ」
「セーニョ、受け取っておきなさい」
ギロに促されても尚迷ったセーニョだったが、意を決して宝石箱を両手でそっと持ち上げた。
「頂戴します」
*****
「なんだこれ」
屋敷を持ってからというもの、何故か貴族たちが、しょっちゅう夜会の招待状を送ってくる。この前冒険者ギルドで「勇者のことはちょっと調べれば分かる」なんて指摘されたから、貴族はもう僕のことを知っているのかな。
招待状を「不参加返答」と書いた箱に入れる作業をしていると、一通だけ毛色の違う書状が混じっていた。
ミューズ国の侯爵家のうち一つから、「勇者を直接的に支援したい」という内容だった。
「厨房を改築したいのですが」
「いいよ」
「ありがとうございます。……って、どう改築するかとか、理由はお聞きにならないのですか?」
「厨房に関してはギロが自由にしていいよ……と、それだけじゃなさそうだね」
ギロの顔が曇っているのを見て、僕はギロから厨房改築の理由をちゃんと聞いた。
元子爵令嬢であるセーニョは、実父の後妻である継母とその実子から虐待を受けていた。
虐待の内容について詳しく聞くのは敢えて避けていたが、どうやらその虐待の中で、セーニョは石窯オーブンに詰め込まれて焼かれかけたというのだ。
セーニョが厨房に入りたがらないのは、厨房にあるオーブンが視界に入ると過呼吸を起こしてしまうためだった。
「は? なんだそれ……」
継母とその実子は既に実刑判決を受けて投獄され、その後修道院に入っている。セーニョの耳には入れていないが、ふたりとも修道院の暮らしに馴染めず、脱走したところを山賊に襲われて亡くなっている。
だから、ふたりに改めて何か罰を与えたくても、もう何も出来ない。
「ですから、オーブンのある場所を壁と扉で仕切り、厨房の流しや竈を使うだけならオーブンが視界に入らないように……ラウト様、剥がれてます」
「ああ、ごめん。酷い話だったから、つい」
力を抑える膜は、三体目の魔王を倒してすぐの頃、十枚に増やしてある。
そのうちの二枚ほどが勝手に割れていた。急いで張り直しておく。
「でもオーブン使うときって両手塞がるよね。壁に窓をつけてカウンター風にするのはどうかな」
「いいですね。念のために引き戸も取り付ければ……」
僕とギロで話し合った「厨房改築計画」はアイリとサラミヤにも通達された後、早速大工さんを呼び、工事が始まった。
大工さんはオルガノの町の人をこっそり呼んだのに、何故かミューズ国に伝わっていて、改築費用は国が持ってくれた。
工事は三日ほどで完了したが、セーニョには厨房を改築し、少し厨房に立ち入るだけではオーブンが見えなくなるようにしたことはあえて伝えなかった。
厨房自体が精神的苦痛を呼び起こすかもしれないし、何より「セーニョのために改築しました」なんて恩着せがましいことは言いたくないのだ。
ただ、どうしても厨房に入らざるを得ない状況はこれからいくらでもあるだろうから、その時にセーニョの負担が少しでも減ればいいと思っている。
*****
ラウトの屋敷にいる者たちは皆、よく食べる。
冒険者のラウトとアイリに身体の大きなギロは当然としても、身体の小さなサラミヤまで育ち盛りなためか食欲旺盛だ。
つい最近ラウトの屋敷に住み始めたセーニョも、最初のうちは遠慮とこれまでの粗食生活から少食だったが、ラウト達と共に鍛錬やクエストを繰り返すうちに食事による積極的な栄養補給が必要になった。
よって、一般的な五人暮らし家庭の二倍から三倍は食材が必要になる。
大量の食材は主に配達に頼り、少量の買い出しはこれまでサラミヤの役目だったが、町に慣れるためにとセーニョがお使いをすることが多くなった。
「やあセーニョちゃん、元気かい」
「こんにちは。はい、お陰様で元気です。これとこれを五個ずつください」
ギロとサラミヤが交互にお使いに付き合い、あちこちの店でセーニョを紹介したため、セーニョはあっと言う間に商店街に馴染むことが出来た。
今ではひとりでスムーズに買い物をするのも容易だ。
「これはオマケ。冷めちゃうから食べちゃいな」
「ありがとうございます、いただきます」
串に刺さった唐揚げは、青果店の商品にはないものだ。やせ細っていた頃のセーニョを知る店主のおかみが、何かにつけてセーニョにオマケと称して食べ物を渡してくる。セーニョはありがたく、言われたとおりその場で頂くことにしている。
揚げたての唐揚げは熱々で、口の中を少し焼いたが、香ばしい肉汁と脂が口中に広がった。
「ごちそうさまでした」
おかみはセーニョからゴミになる串を取ると「はいよ、毎度あり」と応えた。
――皆いい人たちで、住みやすい所です。
セーニョは他の買い物も終え、大きな手提げ袋を両手に一つずつぶら下げて、帰路に着いていた。
他のお店でもオマケを貰ってしまったので、腹ごなしのために少し遠回りをして歩く距離を伸ばした。
大きな手提げ袋の中身も、ラウトが与えてくれた大容量マジックバッグに入れれば済む話なので、本来なら手に持たなくてもよい重量だったりする。
セーニョの最近の楽しみは、ギロの料理だ。
ギロの料理は、母が健在だった頃の子爵家でも食べたことがないほど美味しい。
たとえ満腹状態でもギロの料理ならば美味しく頂ける自信はあるが、やはり少しでもお腹を空かせた状態で迎え入れるのが、あの素晴らしい料理に対する礼儀だと、セーニョは思っている。
――白身魚はソテーかな、ムニエルかな。フライも美味しそう。ギロ様の特製ソースはパンに付けても最高なのよね。
手に入れた食材から生み出されるであろう料理を想像してひとりニマニマしていたセーニョだったが、気がついたら人気のない裏通りにいた。ラウト達から「物騒なのであまり近づかないように」と言われていた場所だ。
つい美味しい晩餐のことを妄想するあまりに、どこかで道を間違えたらしい。
まずは大通りにでよう、と踵を返したところで、女性の悲鳴が聞こえた。
「――! ……たしのバッグ!」
セーニョはすぐさま手荷物をマジックバッグに仕舞い込み、声のする方へ駆け出した。
悲鳴の主はすぐに見つかり、悲鳴の原因の背中もまだ見えた。
倒れているのは自分の母親が生きていたらこのくらいだろうと思われる年齢の御婦人で、逃げ去る男の背中が抱えているのは、女物の小さなバッグだ。
セーニョは逃げる男の少し前を右手の人差し指で狙い、攻撃魔法を放った。
「う、おっ!?」
セーニョの指から放たれた細く青い閃光は男の行く先の地面を少しだけ抉り、男はその凹みに躓いた。
「盗人です! 捕まえてください!」
セーニョは御婦人を助け起こしながら叫んだ。自分で追いかけても良かったが、御婦人を放っておけなかったのだ。
通行人が数人がかりで男を取り押さえ、他の誰かが呼んできた警備兵によって男は拘束された。
奪われたバッグは無事に御婦人の元へ戻ってきた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
品のいい御婦人は男を取り押さえた通行人たちや警備兵に何度も頭を下げている間中、助け起こされた時に握ったセーニョの手をそのまま離さなかった。
「お嬢さん、貴女の魔法のお陰だわ。何かお礼がしたいのだけど……」
「お気になさらず。当然のことをしたまでです」
急いでいるを理由にどうにか御婦人の「お礼がしたい」攻勢をかわしたセーニョは、さっとその場を立ち去った。
後ろで御婦人が他の人から「彼女は町の中心部にある屋敷に住んでいて――」等と個人情報を漏らされているとは知らずに。
それから三日後。アイリ専用とは最早名ばかりの、陽当りの良いサロンでラウトとアイリ、そしてサラミヤとセーニョがお茶を楽しんでいると、ギロが来客を告げた。
「私に、ですか?」
セーニョは訝しみつつも、同じく困惑顔のギロについていくと、応接間に通されていた客人は、あの時の御婦人であった。
「……そんなことが。彼女からは何も聞いておりませんでしたので」
「まあ、なんて慎ましい」
御婦人はギロに、三日前のセーニョの話をした。褒められているはずのセーニョは顔を真っ赤にして俯いていた。
「突然来てしまってごめんなさいね、どうしてもちゃんとお礼がしたくて」
セーニョの前に置かれたのは、細工の見事な宝石箱だ。セーニョの瞳と同じ翠玉色の宝石が煌めいている。
「こんな大層なもの、いただけません」
「いいえ。貴女が取り返してくれたバッグは、亡き母の形見なの。素敵なバッグだからつい持ち歩いてしまっていたのだけれど……私にとっては何にも代えがたい宝物なのよ」
「セーニョ、受け取っておきなさい」
ギロに促されても尚迷ったセーニョだったが、意を決して宝石箱を両手でそっと持ち上げた。
「頂戴します」
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「なんだこれ」
屋敷を持ってからというもの、何故か貴族たちが、しょっちゅう夜会の招待状を送ってくる。この前冒険者ギルドで「勇者のことはちょっと調べれば分かる」なんて指摘されたから、貴族はもう僕のことを知っているのかな。
招待状を「不参加返答」と書いた箱に入れる作業をしていると、一通だけ毛色の違う書状が混じっていた。
ミューズ国の侯爵家のうち一つから、「勇者を直接的に支援したい」という内容だった。
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