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第四章
1 平々凡々とは
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僕ことラウト・ヨービワは男爵家の三男である前に、一介の冒険者だ。
冒険者を辞めたとしても、領土も領民も持たない田舎の男爵の三男なんて、平民も同然の身分である。
というわけで、自分は平々凡々な人間であると常日頃から思いこんでいた。
今現在ちょっと、いやかなり、だいぶ困ったことになっている。
原因は『勇者』の称号だ。
こいつのせいで、僕は一生を添い遂げたいと自覚し、求婚して結婚指輪まで渡した相手との婚姻を、やんわりと阻まれている。
三ヶ月ほど前、サラミヤに測ってもらったアイリの指のサイズを元に、指輪を特注で作ってもらった。
自分の色を相手に贈るのが結婚指輪というものらしく、王室御用達の宝飾店の店長さんは僕の瞳をちらっと見ただけで「紫水晶一択ですね」と断言した。まあ紫だからね。僕は宝石に詳しくないから、店長さんに素直に従った。
小指の先ほどのサイズの紫水晶は、クエスト中に着けていても邪魔にならない、なるべくシンプルな装飾の台座に嵌められ、僕の手元にやってきた。それが三日前のことだ。
指輪を手にした僕は、夕食の後で「大事な話がしたい」と言ってアイリの部屋を訪れ、正式に求婚した。
「いつから好きだったかは正直覚えていない。僕は、この先の人生をアイリと共にありたいと願っている。どうか、僕と結婚してもらえないだろうか」
片膝をついて、指輪の入った小箱を捧げ持つ。
長いような短いような沈黙の後、アイリから「うぐぎゅ」と妙な音がした。
僕の手から、小箱の重さが消える。
顔をあげると、開いた小箱を手に両目を潤ませ、顔を真っ赤にしたアイリがいた。
「……いっつも、反則なんだから……こんな、いつの間に……」
僕は慌てて立ち上がり、アイリの両目からこぼれ落ちそうな涙を指で拭う。
「ごめん、嫌だった?」
アイリは首を横にぶんぶんと振った。
「嫌だったら受け取らないわよ! ……ありがとう、ラウト。う、嬉しい……う、うう」
僕の胸元に縋り付いてきたアイリを抱きしめて、泣き止むまで背中をさすった。
僕からしたら指輪の完成を待つじれったい三ヶ月間だったが、アイリからしたら青天の霹靂だったらしい。
アイリも僕のことがずっと好きで、一体目の魔王を倒しに行く前の僕の言動は求婚だと思っていたのに、先日僕の書斎で僕が「アイリとはそういう関係じゃない」と断言したのを立ち聞きしてしまったから、いつか僕と離れ離れになる日が来ると覚悟まで決めていたそうだ。
「アイリはいつから僕のこと好きだったの?」
アイリが落ち着いてから、アイリの部屋のソファーに二人並んで座り、色んな話をした。
そこで僕がふと疑問に思ったことを口にすると、アイリはまた顔を真っ赤にした。
「またそういうことをっ! ……ストリング村にいたとき、あいつが『村の外の魔物を退治してやろうぜ!』って、私達を大人に黙って村の外に連れ出したことあったじゃない」
アイリの言う「あいつ」とは、話の流れからしてセルパンのことだ。というか、子供だけで村の外に出ようなんて無茶を言い出す、僕とアイリの共通の知り合いと言えばセルパンくらいしか思いつかない。
「あったね」
言われるまですっかり忘れていたが、確かにそういう出来事が起きた。
*****
僕たちはセルパンに言われて各々武器を持った。僕は練習用の木剣、アイリとクレイドは老木の枝を杖代わりに、ツインクはお手製の玩具みたいな弓だ。セルパン自身はそこら辺に落ちていた大きな枝を持って「おれはこれで十分だ」なんて言ってたっけ。
セルパンは村の外を大冒険すると言った割に、村と外を区切る柵が視界に入る距離から離れなかった。
それでも魔物に出会ってしまったのは不運だったが、出会った魔物が、最弱と名高い針スライムだったのは、今思えば幸運だった。
蜂の胴体のような姿の針スライムの攻撃方法は、体当たりと胴体下部に生えている毒針攻撃だ。
体当たりに殺傷能力はほぼ皆無で、毒針も刺されたところで虫刺されより少し酷くなる程度。回復魔法修行中だったアイリでも治せるような怪我しか想定されていない。
見つけたのは一匹だけだったし、子供の力でも散々殴れば倒せるような相手だ。
「針スライムか! おれの剣を受けてみろ!!」
茂みの向こうの針スライムを最初に見つけたのはツインクで、ツインクは即座にセルパンに報告した。
この時点で、針スライムは僕たちに気付いていなかった。
なのに、セルパンが枝を振りかざして叫ぶものだから、針スライムに気づかれてしまった。
「たあっ! うわっ!?」
針スライムはセルパンが勢いだけで振り下ろした枝をぽよよんと弾き、セルパンに体当たりを仕掛けた。
針部分とは逆方向の、柔らかい部位による体当たりだから、ダメージなんて入らなかったはずだ。
「痛いっ! 刺された! こいつ手強いぞ、逃げろ!」
しかし驚いたセルパンは剣を放り投げて一目散に逃げ出したのだ。
「待ちなさいよ、セルパン!」
アイリが止めたが、クレイドとツインクもセルパンの後を追って逃げ出していた。
残ったのは僕とアイリだけだ。
「もう! あいつ、責任も取らないで……」
アイリがぷりぷりと怒っている。
針スライムは魔物の中でも最弱の部類に入るが、魔物だ。
刺激するだけしておいて逃げるなんて、以ての外だ。
「僕が倒しておくよ。アイリは下がってて」
木剣ではなく刃の付いた剣を持ってきていたらもっと楽に倒せるのになぁ、なんて考えながら、僕が針スライムを倒した。
*****
「あの時のラウトがとても頼もしく見えて。たぶん、切掛はそれだと思うの」
思えばその針スライムが、僕が初めて倒した魔物だった。
「当時の僕の剣なんて大したことなかったでしょ」
一撃で倒せなかった。なかなか当たらない剣を何度も振って、ようやく針スライムは消滅したのだ。
「剣の腕とかじゃないわ。ちゃんと見つけた魔物を責任持って倒したこととか……とにかく、信頼できる人だなって」
アイリが僕の肩に頭を預けてくる。
求婚を受けてもらえたとはいえ、急に狭まった距離にまだ慣れないが、悪い気はしない。
「それでその、婚姻届はいつ出すの? 書類って私も書くのよね?」
夫婦になるには、教会と国の許可が必要だ。といっても形骸的なもので、書類に必要事項さえ記入して最寄りの教会に提出してしまえば、一応国へ送られて審査された後、書類の写しが返送されれば結婚が認められたことになる。
僕たちもそうした。
ところが、許可が降りなかったのだ。
僕たちのもとに送り返されてきたのは、「不許可」の文字が書かれた短い文書と、ミューズ国王直々の呼び出しの通達だった。
僕とアイリは指定された日にミューズ城へ赴いた。
本来オルガノの町からミューズ城へ行くには馬や馬車で何日かかかるものだが、謁見の日程は書状を手にした翌日に指定されていた。僕の転移魔法が完全に当てにされている。
王城へ到着すると、既に顔なじみの門番さんたちが僕とアイリをすんなり通してくれて、丞相のアムザドさんが貴賓室へ案内してくれた。
「この度は大変申し訳ありません。例の件について、少々困ったことが起きておりまして」
お茶とお菓子を出されて一息つくと、アムザドさんが僕たちに向かって頭を下げた。
「すみません、状況が分かりませんので、ご説明願えますか」
アムザドさんはいつも僕に良くしてくれているので、頭を下げられると困る。
しかしアムザドさんは頭を下げたまま、説明を始めた。
「勇者様の情報がどこからか漏れておりまして……勇者様と縁を結びたいという一部の公爵をはじめとした有力貴族が、結婚届を認めないと……」
結婚が認められなかったのは、勇者のせいだった。
僕とアイリが絶句していると、アムザドさんが話を続けた。
「王は『勇者には選ぶ権利がある』『政治の道具に使うなど以ての外』と窘めたのですが、それでも大きな権限を持つ家や、王家から離れられると困るところからも話が出ておりまして、全てを抑えきれなかったのです」
アムザドさんは僕に合わせる顔がないらしく、頭を下げたままだ。
「とにかく顔を上げてください。僕がアイリと結婚するには、まずどうしたらいいですか?」
夜会に出て僕とアイリの仲を知らしめるという案は、真っ先に却下させてもらった。
顔を知られたくないのに、夜会に出るなんて本末転倒もいいところだ。
「では、いっそ条件をつけて公募しましょう」
この日はつける条件の内容を詰めていった。
冒険者を辞めたとしても、領土も領民も持たない田舎の男爵の三男なんて、平民も同然の身分である。
というわけで、自分は平々凡々な人間であると常日頃から思いこんでいた。
今現在ちょっと、いやかなり、だいぶ困ったことになっている。
原因は『勇者』の称号だ。
こいつのせいで、僕は一生を添い遂げたいと自覚し、求婚して結婚指輪まで渡した相手との婚姻を、やんわりと阻まれている。
三ヶ月ほど前、サラミヤに測ってもらったアイリの指のサイズを元に、指輪を特注で作ってもらった。
自分の色を相手に贈るのが結婚指輪というものらしく、王室御用達の宝飾店の店長さんは僕の瞳をちらっと見ただけで「紫水晶一択ですね」と断言した。まあ紫だからね。僕は宝石に詳しくないから、店長さんに素直に従った。
小指の先ほどのサイズの紫水晶は、クエスト中に着けていても邪魔にならない、なるべくシンプルな装飾の台座に嵌められ、僕の手元にやってきた。それが三日前のことだ。
指輪を手にした僕は、夕食の後で「大事な話がしたい」と言ってアイリの部屋を訪れ、正式に求婚した。
「いつから好きだったかは正直覚えていない。僕は、この先の人生をアイリと共にありたいと願っている。どうか、僕と結婚してもらえないだろうか」
片膝をついて、指輪の入った小箱を捧げ持つ。
長いような短いような沈黙の後、アイリから「うぐぎゅ」と妙な音がした。
僕の手から、小箱の重さが消える。
顔をあげると、開いた小箱を手に両目を潤ませ、顔を真っ赤にしたアイリがいた。
「……いっつも、反則なんだから……こんな、いつの間に……」
僕は慌てて立ち上がり、アイリの両目からこぼれ落ちそうな涙を指で拭う。
「ごめん、嫌だった?」
アイリは首を横にぶんぶんと振った。
「嫌だったら受け取らないわよ! ……ありがとう、ラウト。う、嬉しい……う、うう」
僕の胸元に縋り付いてきたアイリを抱きしめて、泣き止むまで背中をさすった。
僕からしたら指輪の完成を待つじれったい三ヶ月間だったが、アイリからしたら青天の霹靂だったらしい。
アイリも僕のことがずっと好きで、一体目の魔王を倒しに行く前の僕の言動は求婚だと思っていたのに、先日僕の書斎で僕が「アイリとはそういう関係じゃない」と断言したのを立ち聞きしてしまったから、いつか僕と離れ離れになる日が来ると覚悟まで決めていたそうだ。
「アイリはいつから僕のこと好きだったの?」
アイリが落ち着いてから、アイリの部屋のソファーに二人並んで座り、色んな話をした。
そこで僕がふと疑問に思ったことを口にすると、アイリはまた顔を真っ赤にした。
「またそういうことをっ! ……ストリング村にいたとき、あいつが『村の外の魔物を退治してやろうぜ!』って、私達を大人に黙って村の外に連れ出したことあったじゃない」
アイリの言う「あいつ」とは、話の流れからしてセルパンのことだ。というか、子供だけで村の外に出ようなんて無茶を言い出す、僕とアイリの共通の知り合いと言えばセルパンくらいしか思いつかない。
「あったね」
言われるまですっかり忘れていたが、確かにそういう出来事が起きた。
*****
僕たちはセルパンに言われて各々武器を持った。僕は練習用の木剣、アイリとクレイドは老木の枝を杖代わりに、ツインクはお手製の玩具みたいな弓だ。セルパン自身はそこら辺に落ちていた大きな枝を持って「おれはこれで十分だ」なんて言ってたっけ。
セルパンは村の外を大冒険すると言った割に、村と外を区切る柵が視界に入る距離から離れなかった。
それでも魔物に出会ってしまったのは不運だったが、出会った魔物が、最弱と名高い針スライムだったのは、今思えば幸運だった。
蜂の胴体のような姿の針スライムの攻撃方法は、体当たりと胴体下部に生えている毒針攻撃だ。
体当たりに殺傷能力はほぼ皆無で、毒針も刺されたところで虫刺されより少し酷くなる程度。回復魔法修行中だったアイリでも治せるような怪我しか想定されていない。
見つけたのは一匹だけだったし、子供の力でも散々殴れば倒せるような相手だ。
「針スライムか! おれの剣を受けてみろ!!」
茂みの向こうの針スライムを最初に見つけたのはツインクで、ツインクは即座にセルパンに報告した。
この時点で、針スライムは僕たちに気付いていなかった。
なのに、セルパンが枝を振りかざして叫ぶものだから、針スライムに気づかれてしまった。
「たあっ! うわっ!?」
針スライムはセルパンが勢いだけで振り下ろした枝をぽよよんと弾き、セルパンに体当たりを仕掛けた。
針部分とは逆方向の、柔らかい部位による体当たりだから、ダメージなんて入らなかったはずだ。
「痛いっ! 刺された! こいつ手強いぞ、逃げろ!」
しかし驚いたセルパンは剣を放り投げて一目散に逃げ出したのだ。
「待ちなさいよ、セルパン!」
アイリが止めたが、クレイドとツインクもセルパンの後を追って逃げ出していた。
残ったのは僕とアイリだけだ。
「もう! あいつ、責任も取らないで……」
アイリがぷりぷりと怒っている。
針スライムは魔物の中でも最弱の部類に入るが、魔物だ。
刺激するだけしておいて逃げるなんて、以ての外だ。
「僕が倒しておくよ。アイリは下がってて」
木剣ではなく刃の付いた剣を持ってきていたらもっと楽に倒せるのになぁ、なんて考えながら、僕が針スライムを倒した。
*****
「あの時のラウトがとても頼もしく見えて。たぶん、切掛はそれだと思うの」
思えばその針スライムが、僕が初めて倒した魔物だった。
「当時の僕の剣なんて大したことなかったでしょ」
一撃で倒せなかった。なかなか当たらない剣を何度も振って、ようやく針スライムは消滅したのだ。
「剣の腕とかじゃないわ。ちゃんと見つけた魔物を責任持って倒したこととか……とにかく、信頼できる人だなって」
アイリが僕の肩に頭を預けてくる。
求婚を受けてもらえたとはいえ、急に狭まった距離にまだ慣れないが、悪い気はしない。
「それでその、婚姻届はいつ出すの? 書類って私も書くのよね?」
夫婦になるには、教会と国の許可が必要だ。といっても形骸的なもので、書類に必要事項さえ記入して最寄りの教会に提出してしまえば、一応国へ送られて審査された後、書類の写しが返送されれば結婚が認められたことになる。
僕たちもそうした。
ところが、許可が降りなかったのだ。
僕たちのもとに送り返されてきたのは、「不許可」の文字が書かれた短い文書と、ミューズ国王直々の呼び出しの通達だった。
僕とアイリは指定された日にミューズ城へ赴いた。
本来オルガノの町からミューズ城へ行くには馬や馬車で何日かかかるものだが、謁見の日程は書状を手にした翌日に指定されていた。僕の転移魔法が完全に当てにされている。
王城へ到着すると、既に顔なじみの門番さんたちが僕とアイリをすんなり通してくれて、丞相のアムザドさんが貴賓室へ案内してくれた。
「この度は大変申し訳ありません。例の件について、少々困ったことが起きておりまして」
お茶とお菓子を出されて一息つくと、アムザドさんが僕たちに向かって頭を下げた。
「すみません、状況が分かりませんので、ご説明願えますか」
アムザドさんはいつも僕に良くしてくれているので、頭を下げられると困る。
しかしアムザドさんは頭を下げたまま、説明を始めた。
「勇者様の情報がどこからか漏れておりまして……勇者様と縁を結びたいという一部の公爵をはじめとした有力貴族が、結婚届を認めないと……」
結婚が認められなかったのは、勇者のせいだった。
僕とアイリが絶句していると、アムザドさんが話を続けた。
「王は『勇者には選ぶ権利がある』『政治の道具に使うなど以ての外』と窘めたのですが、それでも大きな権限を持つ家や、王家から離れられると困るところからも話が出ておりまして、全てを抑えきれなかったのです」
アムザドさんは僕に合わせる顔がないらしく、頭を下げたままだ。
「とにかく顔を上げてください。僕がアイリと結婚するには、まずどうしたらいいですか?」
夜会に出て僕とアイリの仲を知らしめるという案は、真っ先に却下させてもらった。
顔を知られたくないのに、夜会に出るなんて本末転倒もいいところだ。
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