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07 勇者、逃げられる

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 凱旋から十日経ったが、メリヴィラたちはまだ城にいた。
 城で一番豪華な賓客室に、侍女を数名つけられた生活は、殊の外快適だった。
 国王は凱旋時の謁見以来会っていないし、宰相や大臣といった城の重役たちからも、特に何も言われない。
 いっそこのままここに住み着けば、エレルに出会うこともなく、何不自由なく過ごせるのでは、と考えはじめていた。

「そんなわけないでしょう。『賢者』の行方は城の兵士たちが総力を上げて探してるのよ」
「そ、そうだったな」
 生活に不自由はないが、何もすることのないメリヴィラたちは暇だった。
 今日も今日とて、メリヴィラの部屋にはルメティが入り浸っている。
 カンクスはというと、三人のなかで唯一、毎日忙しそうにしている。
 仮にも神官の称号を授かったため、城で治療師たちに教えを乞われているのだ。
 ただし、カンクスの治療魔法は、治療師ですらないエレルの足元どころか、上級治療師にも及ばない。
 教え方もいまいちな上に理論も目茶苦茶で、既に治療師達の中は、カンクスに疑念を持つものも多くいる。
 それでもカンクスの元へ集まるものがいるのは、魔王討伐隊にいたという功績があるからだ。

 カンクスですらこうなのだから、勇者メリヴィラや史上初の聖弓ルメティにも、剣士や弓士を育成してもらいたいという話はあった。
 二人は「自分は教えるのには向いていない」「自分の感覚を他人に教えるのは難しい」などと嘯いて、教師役を回避していた。

「じゃあやっぱり、逃げる算段を……」
「どこへ逃げるっていうの?」
「うーん……」
 メリヴィラの「逃げよう」はいつも「どこへ?」で止まってしまう。

 メリヴィラの故郷は、ここロージアン国である。
 一代爵の騎士爵を賜った父親と、その父親が戦の武功に与えられた女の間にできた子だ。
 女、つまりメリヴィラの母は、メリヴィラを産んですぐに失踪している。
 メリヴィラの母は子爵家の娘だった。メリヴィラの父親とは別に想いを寄せる男がいたが、戦が起き、大きな功を得たメリヴィラの父親のために、政略結婚の一貫として嫁がされたのだ。
 男児であるメリヴィラを産んだ後、「もう役目は果たしました」と置き手紙を残して何処かへ去り、そのまま行方知れずになっている。
 父親は父親で好色な性質であったため、妻が居なくなったことを表面上は嘆きつつ、別の女にせっせと手を出した。
 それ故、メリヴィラには異母兄弟が幾人かいるが、本人たちはお互いのことを把握していない。

 メリヴィラは幼い頃から剣の才能を開花させ、いずれは父親の跡を継いで、立派な剣士になると期待されていた。
 現状、勇者に選ばれたのだから、期待以上の成果を上げたと言ってもいいだろう。
 ところが、父親を超えたことで父親に嫌われ、勇者拝命後すぐに実家とは絶縁状態になっている。
 メリヴィラに、助けてくれる家族や親類、友人はいないのだ。

「いい? 何度も言っているけど、現状から逃げるってことは、勇者としての地位や名誉は捨てなくちゃならない。報酬は逃亡資金に回るから贅沢はできなくなるし、エレルに見つかることを考えたら、僻地での生活もあり得るのよ」
「今更そんな生活はできないと、何度も言っているだろう」
 これも、いつものやりとりである。
 とどのつまり、メリヴィラたちは八方塞がり状態なのであった。

 二人がいつもの不毛な会話を、いつもの結論で終えた時、扉を叩く音がした。
「勇者殿、宰相がお呼びです」
「! わ、わかった」
 ついにエレルが見つかったか。
 それとも、ようやく報酬を出してくれるのか。

 メリヴィラたちは城でもてなされてはいたが、肝心の報酬をまだ受け取っていなかった。
 メリヴィラに至っては、第三王女を娶ることになっているのに、当の本人に会えていない。

 不安と少々の期待を抱きながら、メリヴィラとルメティ、途中で合流したカンクスの三人は、宰相の部屋へ向かった。


「ご機嫌いかがですかな、勇者殿」
 宰相は裏表の無さそうな笑顔で、メリヴィラたちを迎え入れた。
「ええ、大変良くしていただいております」
 メリヴィラの方も、人当たりの良さそうな笑みを浮かべて応える。
「それは重畳。さて、お呼びしたのは報酬の件でございます」
 メリヴィラが思わず身を乗り出そうとしたのを、ルメティから脇腹に肘鉄を食らって止められた。
「実は、少々困ったことになっておりまして」
 宰相は、いかにもこちらが被害者だと言わんばかりに、眉をひそめた。

「第三王女が、逃げた?」

 宰相から告げられた真実を、メリヴィラはオウム返しにつぶやいた。
「ええ。第三王女殿下は供も付けずに単身で城を抜け出したようで。しかも、人里を通った形跡が見つかりませぬ。目下捜索中でありますが、難航しておりまして……」
 宰相はここまでひとつも嘘をついていない。

 チュアが人里を通らなかったのは本当である。
 城では仮面を付けたような従者たちに囲まれ、名前ではなく「第三王女」という肩書で呼ばれ、腹違いの兄姉たちからは疎まれていたため、他人に対して心を閉ざしていた。
 国民ですら似たようなものだ。表立っては高貴な血を引く王族に対し敬意を払うが、裏ではやれ税金が高いだの自分たちばかり贅沢しやがってだの、文句を言いたい放題なのを知っている。
 だからこそ、王族でも国民でもない、エレルに縋ったのであった。

 そんな第三王女の心の裡を知らない城の人間たちは今、せっせと人里を中心に聞き込みと捜索を続けている。
 まさか王女殿下が森の奥深くで、もうひとりの捜索対象である賢者に毎食食事を作っているなど、誰一人として想像できなかった。

「それと、報酬の方も、税の徴収が滞っておりましてな。この調子ですと、満額お渡しできるかどうか……」
「ま、待ってくれ。報酬は、民の税で賄っているのか!?」
「当然ですよ。勇者様のお陰で魔王が倒され、平和が訪れたのですから、民が負担するべきです」
 宰相は最初の、裏表の無さそうな笑顔で言い切る。
 その笑顔の奥を覗き込んだ気がして、メリヴィラは身震いした。
「満額じゃなくてもいい。王女も……お逃げになられるほどお嫌ならば、私は身を引く」
 メリヴィラが尤もらしいことを言うと、宰相は笑顔のまま頷いた。
「左様でございますか。それでしたら、報酬の件は調整が済み次第ということで」
「調整というのは?」
「減額するわけですから、理由を公表せねばなりませぬ。でないと、魔王退治が安く見られてしまいますからな。そうですな……高潔な勇者様は、民のために報酬の一部を断ったと。これでよろしいですか?」
「ああ、問題ない。それで、その調整はいつ頃済む?」
「魔王討伐が成されたことは、既に国中に知れ渡っております。勇者様の報酬一部辞退も国中に広めなければなりません。早くて、二十日ほどでしょうか」
「早くてはっだっ!」
 早くて二十日!? と大きな声を出しかけたメリヴィラの足を、ルメティが思い切り踏んだ。
「どうなさいました」
「ちょっと、咳が出て。は、はっだ! はっだ!」
 無理やりな咳き込み方をするメリヴィラに、宰相は心配そうな表情を見せた。
「お体のお加減がよろしくないので?」
「いえ、ご心配なく!」

 どうにか誤魔化しきったメリヴィラは、その後宰相がどんな話をしたのか、ろくに覚えていない。

 我に返ったときには、既にいつもの部屋にいた。
 ルメティと、今度はカンクスも一緒だ。
「動揺しすぎよ! 高潔で何もやましいことのない勇者様なら、堂々としなさい!」
「ハイ。以後気ヲツケマス」

 ルメティがメリヴィラを叱っている間に、カンクスはこっそりと部屋を出ようとした。
「カンクス? どこいくの?」
「自分の部屋に戻るだけですよ。ちょっと用事を思い出しまして」
「ふーん」
 ルメティに感づかれたが、適当にやり過ごしたカンクスは自分に与えられている貴賓室へと戻った。

 部屋に入り、後ろ手でしっかり扉を閉める。
 一度、大きく深呼吸をした。

「よし」

 カンクスは魔王討伐の道中にも見せなかった素早さで、部屋中にちらばる私物や、軽くて小さな金目の備品を自分の無限鞄に次々と放り込み始めた。

 カンクスはかなり前からメリヴィラに見切りをつけていた。
 勇者と旅ができれば、その後の名声は思いのままだ。
 現に、治癒魔法の実力も乏しいのに、ロージアン国に集う治療師の指導役という名誉ある立場にも就けた。
 勇者の権威をたてに、適当に教えていても、ほとんど問題なかった。

 しかし、勇者があれでは、先細りだ。
 メッキの剥がれかけた勇者に乗っかっていては、こちらにまで影響が出る。

 もしエレルが自分たちに復讐しに来るとしても、自分一人ならば身を隠すことも逃げることも、身軽でやりやすい。
 何なら、エレル暗殺未遂の咎をメリヴィラに押し付けて、エレルの味方のフリでもすれば、美味い汁が吸えるかもしれない。

 そんな事を考えながら荷物をまとめ終えたカンクスは、無限鞄を背負い、それから外に面した窓を開け、外へ出る。
 治療師の教師役の合間を縫って城の内外を歩き回り、逃走経路を調べておいたカンクスは、容易に城から抜け出した。

 まず目指したのは、国境だ。
 少なくともこの国から出なければいけないし、エレルも国を出ているだろうと考えた。

 路銀は城の備品を売り捌けば、余裕だろう。
 エレルに遭ったら、まず暗殺の件をメリヴィラの独断ということにして謝罪し、取り入る。
 無論、遭わない方がいい。
 別の国で一からやり直すことになるが、自分には魔力と治癒魔法がある。
 どこの国や町へ行ってもやっていける。

 カンクスは、新たな人生への一歩を、軽い足取りで踏み出した。


 考えているようで楽観が過ぎるカンクスは、城の備品の全てにロージアン国の紋章が入っていることに気づいていない。
 そもそもエレルが国外に出ておらず割りと近くの森で自給自足の生活を送っていることなど、想像すらできなかった。
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