血が苦手な吸血鬼が化け物扱いから英雄扱いされるまで

桐山じゃろ

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第2話

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「吸血鬼……? いや、ないない。だって僕、血を見るの苦手だもん」
 僕は両手を前に出してぶんぶんと振った。
 見るのも苦手なものを飲む生き物だなんて、ありえない。
 そもそも吸血鬼ってのは創作の中の存在であって……。
「血を見るのが……ああそれで魚を捌くのも。でも、お食事でお腹が満たされないのでしたら、原因は……」
「絶対無理! それだけは無いっ!」
 血を飲む、見るくらいなら、このまま空腹でいたほうが……。
「! レイヤ様!」
「はへ?」
 突然、驚いた様子のリリィが僕の手をとる。
 リリィの手は白くて小さくて、指が細い。
 対して僕の手は、リリィよりは大きいが、青白くてガリガリで……え?
「あ、あれ……」
 なんだか全身に力が入らない。
 リリィに取られていない方の手も、干からびているような。
 ちょうどいいサイズだったはずの服が、ゆるく思える。
「な……にが……」
 何が起きているんだ。
 立ち上がってどこかへ行ったリリィを見送ったところで、一旦意識が途絶えた。







 僕の家族は両親と僕と妹の四人。ごく普通の家庭だったと思う。
 ところが、四年前から妹が学校でいじめを受けるようになった。
 原因は、妹が可愛いから。
 僕と妹は昔からよく容姿を褒められた。
 でも、両親の教育方針が「人にとって容姿は二の次、内面こそ磨け」だったので、自分たちの容姿には全く頓着しなかった。
 褒められても「ありがとう」と返すだけで、それ以上なにもしない。
 それを「生意気」と言われたら、妹はどうしたらよかったのか。

 妹がいじめられていることに気づいた僕と両親は、いじめっ子や学校を相手取って様々な対策を施してきたが、事なかれ主義の教師たちや隠蔽体質の学校、そして全く悪びれないいじめっ子に手を焼いていた。

 その結果、妹は、僕の前で、学校の屋上から飛び降りた。

 視界を覆う赤い血は、妹の死だ。
 だから見たくない。







 真っ暗闇の中で、とてもいい香りを嗅いだ。
 僕が一番欲しかったのはこの香りだったんだと、すぐに分かった。
 香りが口元にやってきたので、僕は待ちきれずにかぶりつくように吸い込んだ。

「あっ! ……ああ、よかった。お加減いかがですか?」
「リリィ? いま、何を?」
「別の兎を狩ってまいりました」
 まさか……。
 口元に手をやろうとして、リリィに止められた。
「見るのもお嫌でしたら、レイヤ様の視界に入らないようにします。ご安心を」
 まだあの香りがする。リリィが後ろ手に持っている。
「もっとほしい」
 口から欲求が溢れ出た。
「眼を閉じて、口を少しだけ開けてください。はい、それくらいで。どうぞ」
 僕は口に一番欲しい香りのする液体を流し込まれながら、涙が止まらなかった。
 あれほど嫌悪していたものが、こんなに美味だなんて。
 嫌なのに、美味しい。止められない。
 泣き続ける僕に、リリィは手持ちのそれがなくなるまで与えてくれた。

「やっぱり吸血鬼なのかな、僕は」
 いつまでも泣いていては男としてどうかと思う。
 川で顔を洗ってきた僕は、改めてリリィに確認した。
「例のものを口にされた途端、レイヤ様のお体が元通りになりましたので……」
 どうやらアレを飲まずにいると、身体がカラカラに干からびてしまう。
 それでも死なないのだから、現在の僕が化け物なのは確定だ。
 どうせ化け物になるなら、別のが良かった。どうしてよりによって吸血鬼なんだ。
「これからどうしよう……」
 僕がぽつりとつぶやくと、リリィが僕の前に立った。
「私も、これからどうしようかと思っていたのです」
 そういえばリリィは、生贄になるためにここへ来たと言っていたっけ。
 帰る場所がないのだろうか。
「どうしてこの家の主に生贄を差し出すことになったの?」
 根本的な理由を聞いていないことに思い至り、リリィに尋ねた。
「私が生まれるよりもっと前は、年に一人、生娘を生贄に差し出していました。その頃には間違いなく、このお屋敷に吸血鬼の主様がおられて、村を魔物から守る代わりに生贄を要求していたようです」
「うわ……って、魔物とかもいるんだ……」
 空腹とリリィと吸血鬼で頭がパンパンになっていたからすっぽ抜けてたけど、ここは明らかに日本じゃない。僕が住んでいた世界ですらない。
 元の世界の僕はやはり死んでしまって、この世界に転生でもしたのだろう。今はそう考えることにした。
「ん? 生まれるよりもっと前? じゃあ最近は?」
「ある年に、生贄に差し出した娘が生きたまま戻ってきて『主様はもういない』と証言し、村の男衆で主様の不在を確認してからは、生贄の風習はなくなりました」
「じゃあどうして、リリィは生贄なんかに」
 僕が問うと、リリィは目を伏せてうつむいた。
「……最近、また村で魔物の被害が出るようになって、村の年寄りたちが生贄の話を持ち出したのです。それを聞いた母が……継母なのですが、『ならばうちの娘を差し出す代わりに、借金の肩代わりをしてほしい』と」
 酷い話だ。思わず拳に力が入り、みしりと音を立てた。
「吸血鬼は本当に魔物から村を守ってたの? 魔物を倒す手段は、他にないの?」
 思わず前のめり気味に訊くと、リリィは眼をぱちくりとさせた。
「どうしてそのようなことをお尋ねに?」
「あ、いや……なんでだろう。聞いたところで僕に何ができるわけでもないのに、変だよね」
 僕が身を引くと、リリィは首を横に振った。
「いえ、ご質問に質問で返すなど、失礼しました。以前の主様は確かに魔物を駆除しておられたようです。その、例のものを飲むために。しかし魔物のものはとても『不味い』と。人の娘のものは美味だそうです」
 なるほど、魔物の血なら……いや、やっぱり無理だ。
「魔物は、大きな町なら冒険者という職業の方が魔物退治を請け負っておられます。ただ、報酬が高くて、小さな村では出せないのです」
「そっか……」
 血を見るのが苦手な僕に、何かを殺す仕事は無理だ。
 かといって、吸血鬼になってしまった以上、血を飲まずにはいられない。
 それと、初対面の僕の面倒をみてくれたリリィに恩返しがしたい。
 これらを満たす方法は……。

「これは僕の一方的な提案だから、やるかどうかはリリィに決めて欲しいんだけど」
 僕は思いついたことをリリィに伝えた。

「一緒にこの森を出て、別の村か町へ行こう。そこで僕が働いてリリィの面倒をみるから、リリィは時々、僕に例のものをさっきみたいに飲ませてくれると助かる」

 一気に言い切ってから気づいた。
 これプロポーズだ。
 ほんの数時間前に会ったばかりの推定未成年美少女に、なんて提案してるんだ!

「ごめんやっぱ今の……」
 僕が撤回する前に、リリィが。
「はい、よろしくお願いします!」
 決断早いよ……。



 二人で屋敷をもう一通り見て回ることにした。
 この世界には放置家屋をどうこうしても罰せられる法律とか無いらしいので、これから他の人里へ向かうにあたって、使えそうなものがあれば持ち出そうという魂胆だ。

「鞄がありました。少し直せば使えそうです」
 屋敷は二階建てで、二階の一番奥の部屋が一番広い。そこでリリィが早速黒くて大きな革の塊を引っ張り出した。
 僕はというと、部屋にあった罅の入った姿見に視線が釘付けになっていた。
 鞄らしき物体をあちこち引っ張るリリィの姿は映っているのに、すぐ隣にいる僕の姿は全く映っていない。
 創作の中の吸血鬼って、確か鏡に映らない設定とかあったもんなぁ。

 本当の本当に、僕は吸血鬼なのか。

 心の何処かにあった「まだ信じたくない」という気持ちが、砕け散った瞬間だった。

 僕はリリィが手にしている黒い塊に指を向け、頭の中で「元に戻れ」と念じた。
 身体の中を、感じたことのないはずなのに懐かしい感覚が駆け巡る。
「え、わあっ!?」
 リリィが歓声を上げる。
 黒い塊は、使い込まれた立派な革の鞄に変貌していた。
「ああ、そうか。吸血鬼だから魔法使えるもんな、うん」
 自分で自分に納得して、僕は右手を頭上に掲げ、指をパチンと鳴らす。

 それだけで、あの屋内か外か判別がつかないほど荒れていた屋敷が、貴族の住むような立派な屋敷になった。

「凄いです! でも、どうして突然……」
「なんか自分のことを吸血鬼だってはっきり認めたら、急にできる気がして」
 自分の両手を見つめる。転生前よりも手のひらが大きくて指は長く、ゴツゴツしている気がする。
 そんなことよりも、自分に何ができるのかを確認したい。
「あとは……飛べるかな。リリィくらいなら余裕で運べそうだ」
 僕はリリィをひょいと横抱きにして、そのまま宙に浮いてみせた。
「ひゃっ!? わ、わ、う、浮いてるぅ!?」
 リリィが悲鳴みたいな声を出しながら、僕の首にしがみついた。
 小さく軽いリリィの体温が身体に密着する。温かくて細くて柔らかい。ていうかまた僕は推定未成年美少女をなんの了承もなく抱き上げたりして!
「ごめん、高いところ苦手だったりする?」
 内心慌てつつも、リリィを気遣ってみる。
「初めてなので、吃驚して……平気です」
 驚いただけならよかった。僕は浮くのをやめて、リリィをそっと地面におろした。
「お屋敷、せっかく綺麗にされたのに、ちょっと勿体無いですね」
「それなら心配ご無用。一旦外に出ようか」
 本当になんでもできる気がする。
 外へ出て、右掌を屋敷に向け、身体を巡る感覚――これは魔力だ――を解き放つ。
 巨大な屋敷は塵一つ残さずに消え去った。
「消してしまったのですか?」
「違うよ。ほら」
 僕の手のひらには、ミニチュアサイズになった屋敷がふわふわと浮いている。
「好きな場所で元に戻せるよ。大きさや内装を変えることもできる」
「こんなことまで……」
「町でどんな仕事ができるか不安だったけど、これならやり方次第でどうにでもなるかな」
 この世界の事をまだよく知らない僕の、薄っぺらい発言だった。

「あの……言いづらいのですが、これだけの魔力を持ち、このような魔法を使える『人間』は存在しません」
「えっ」

 リリィも魔法は使える。ただしそれは、小さな怪我を治したり、弓矢代わりの攻撃魔法だったりと、ささやかな効果しか出せない。
「大国のお抱え魔法使いは巨大なドラゴンを倒せるほどの攻撃魔法を操るそうですが、屋敷を一瞬で綺麗にしたり、持ち運んだりというのは、聞いたことがありません」
「そっかぁ……。人間が使えない魔法を使っちゃうってなると問題が発生するか」
「私はレイヤ様のことを言いふらしたりしませんし、一緒に暮らしていただけることも光栄です。でも、一部の人間はどうしても……」
 リリィが言い淀んだ部分には恐らく、僕が前の世界で見てきた『いじめ』よりも酷い事実が含まれている。
「普通の人間のふりしてできる仕事を探しつつ、魔法の方は見せないようにしながら便利に使う方法を考える。っていうのはどうだろう?」
 今度は決めつけずに、この世界の先輩であるリリィに意見を伺う。
「はい。ものすごい魔法さえ見せなければ、問題ないかと」
「手間を増やして申し訳ないんだけど、『ものすごい』のさじ加減がわからないから、慣れるまではリリィにお伺い立ててもいい?」
「そのくらい、お安い御用ですよ」
 今度こそ大まかな方針が決まった。
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