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第四章 引き離されるもの
18 意に沿わぬ転職
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俺が断りの言葉を探していると、後ろから店主にぽんと肩を叩かれた。
振り返ると、下がってろというジェスチャーをされたので、素直に従った。
店主の背後に隠れるように身を引く俺に女性客が駆け寄ろうとしたが、ガタイのいい店主が身体で女性客の行く手を塞いだ。
「私はそちらの方に用が……」
「お嬢さん。貴女がどこのどなたか存じませんがねぇ、うちの重要戦力を引き抜くのは止めてくれねぇか。こんなことをするなら、もう即刻出ていってくれ。今後、この店の敷居をまたぐことは許さん」
酒場で日々酔っ払いを相手にしている店主は、肝が座っている。
眼の前の女性客が何者であろうと関係ない、という気概を感じた。
しかし今回ばかりは、相手が悪かった。
「それは承知しておりますわ。私達が日頃からこのお店に心付けを送っていたのを、知らないとは言わせませんわよ。彼の代わりに文字が読めて腕の立つ人間を何人か紹介しますし、彼はここの十倍の金額で雇いますわ」
「なっ……そ、それは……」
店主はいつも、俺たち従業員のことを第一に考えてくれる。
女性客が提示した破格の条件に、一番心揺らいだのは店主だ。
「親父さん、俺は一般庶民だ。お嬢さんみたいな人のところで上手くやれる自信はない。俺はここがいい」
後ろからそう言ってみたが、店主は俺と女性客を交互に見て、最終的に俺の方へ向き直った。
「お前さんならどこでも上手くやれるだろう。何、合わなかったら戻ってこればいい。こんだけ良い条件はなかなか見つからねぇ」
店主が俺にこう告げるのを聞いた女性客は、満面の笑みを浮かべた。
「お決まりですね」
「決まってない。俺が嫌だと言っている」
「でしたら……このお店ごと買い取りますわ」
女性客は間違いなく貴族で、しかも侯爵とかいう位の高い家のご令嬢だった。
町中の小さな酒場を買い取るくらいは、はした金程度の感覚らしい。
店ごと買われてしまったら、俺は当然配置換え……つまり、女性客の騎士とやらにされてしまう。それよりも、店主が大事に営んできた酒場を、こんな小娘のものにさせたくない。
「そうですわね、まずはお酒の提供をやめて、スイーツの専門店にしましょう。あの方とあちらの方は見目がよろしくないので首ですわ。店主も……」
「わかったよ。俺がそっち行きゃいいんだろう?」
これ以上小娘の戯言など聞きたくなかった俺は、諦めて従うことにした。
拠点にしていた安宿を引き払い、小娘のあとに従うと、町外れに停めてあった装飾の派手な馬車に乗せられた。
馬車は対面で六人が座れるのだが、進行方向へ向かって真ん中に座った小娘を避けるように反対側の端へ座ると、小娘はわざわざ俺の真正面に移動してきた。
馬車なんて初めて乗るが、意外と揺れが少なかった。
「ふふ、揺れないでしょう。魔導具技術で揺れ防止を実現した最新式なのですわ」
小娘が得意気に宣ったが、他の馬車を知らんので比較のしようがない。
俺が無視を決め込んでいると、小娘が俺の顔に触れようとしてきた。
狭い馬車の中でどうにか身を捩って躱した。
「つれないですわね。これからは私の騎士なのですから、私の言うことを……」
小娘は馬車に乗っている間中何かぐちゃぐちゃ言っていたが、全部無視した。
ほどなくして、馬車は巨大な邸宅の門の中へと入っていった。
安宿の数倍は大きい、ヨーロッパの城みたいな建物だ。
俺がさっさと降りて周囲を見回していると、執事っぽいスーツを着た背の低い男がやってきて俺に耳打ちをした。
「シーキィお嬢様のエスコートを」
「エスコート?」
小娘はどうやらシーキィという名前らしい。
単語の意味は何となく分かるが、この場で何をどうしろと言うんだ。
俺が首を傾げて突っ立っていると、男はチッと舌打ちして、馬車に近づいた。
「お嬢様、後で仕込んでおきますゆえ、今は私めでご勘弁を」
「仕方ないわ。庶民だったのだもの」
シーキィは男が差し出した手に手を預け、馬車からふわりと降りてきた。
なかなか降りてこないと思ったら、アレを待っていたのか。
そして男やシーキィの口ぶりから、どうやらアレが俺の仕事の一つになるようだ。
自力で降りれないなら、乗るなよ。
「では、後はお願いね」
「畏まりました」
馬車から降りた小娘は男と会話し、自分は城の中へとっとと入っていった。
「お前はこっちだ」
今度は男に従うと、巨大な城の外を回って、勝手口のような場所に着いた。
そこから城の中へ入る。入ってすぐは土間のような場所で、更に進むと厨房に出た。
規模はこちらの方がはるかにデカいが、酒場で馴染みのある場所だ。ここで働くならまだマシなのにな。
そんな俺の希望はさらっとスルーされ、厨房を出て更に歩く。
途中で階段を見かけたが、一切使わなかった。
一階の、おそらく一番奥まった場所で、男はようやく立ち止まった。
「今日からここがお前……そういやお前、名は?」
ようやく名前を聞かれた。
「ヨシヒデだ」
この世界、貴族以外は名字を持たないものらしい。サニばあさんに名乗った時に、サニばあさんが教えてくれた。以来、この世界の人間に名乗る時は、名前だけを告げることにしている。
「変な名だな。まあいい、ヨシヒデ。今日からここがお前の部屋だ。まずは湯浴みして、用意してある服に着替えろ」
男はそれだけ言うと、どこかへ行ってしまった。
ここで突っ立っていても仕方がない。渋々だが、男の言葉に従うことにした。
部屋は安宿の一番安い部屋と比べるのが失礼なほど、広かった。
俺が日本で家族と暮らしていた家より広いかもしれない。
個室に風呂トイレ、更には簡単なキッチンがついてる部屋なんて、旅館やホテル以外でみたことないぞ。
部屋の中を少し探索し、どこが何かを把握してから、風呂へ入り体を洗った。湯浴みってそういうことだよな。
それから、脱衣所に用意してあった服を手に取る。服のサイズは若干小さいかったが、なんとか入った。
最後にネクタイを締めるべく苦戦していると、扉がガチャリと無遠慮に開き、あの男が入ってきた。
「まだ終わってなかったか。ふむ、服はもう少し大きいものが良さそうだな。なんだ、タイの締め方も知らんのか。そこに座れ」
俺が大人しく示された椅子に腰掛けると、男は俺の首に手際よくネクタイを締めてくれた。
「覚えたか」
「ああ、まぁ」
締め方は知っていたが、こんなに手際よくはできない。
「ならば練習しておけ。ではこれからヨシヒデに、執事の仕事について教えてやるからな」
ゴンデン、と名乗った男は、口と態度は悪かったが、面倒見が良かった。
俺は五日に渡ってゴンデンから執事講習を受けた。ゴンデンは教え方そのものは厳しかったが、俺が貴族どころかこの世界の一般常識に関しても無知であると知ると、そのあたりも丁寧に教えてくれたのだ。
「こんなことも知らぬとは……妙な響きの名前といい、色といい、異国の出身か?」
色、というのは髪と目の色を指す。この世界では髪と目の色が多種多様で、王族や貴族の血を引いている目印にもなっている。
日本人の一般的な色である黒髪黒目は、あまりいないらしい。
「そんなところだ」
面倒見のいいゴンデンだが、シーキィの従者であることは間違いない。俺はあの小娘の騎士とやらになるのは御免だから、ゴンデンの質問には毎回適当に返事しておいた。
「ふん、まあいい」
ゴンデンもしつこく食い下がらない。俺に執事について教えるほうが大事なのだろう。
城へ来て六日目の朝、メイドが運んできた朝食を食べ終えると、ゴンデンが扉をノックもせず開けて部屋へ入ってきた。いつもの流れだ。
ただし、その顔には殴られたような跡がついている。
「どうした?」
ここへ来て初めて、俺は他の人間に対して自分から声をかけた。
「お前の教育がまだ終わってないからな」
「どういう意味だ」
「教育が不完全な状態でお嬢様に差し出すわけにいかんだろう」
ゴンデンはふんっ、と鼻を鳴らすと、なんでもない様子でテーブルを挟んで俺の向かいに座った。
「始めるぞ。まずは……何だ、そんなに気になるか」
「そりゃあ……。俺に治癒魔法も使えたらよかったんだがな」
「なんだ、他の魔法なら使えるような言い方だな」
迂闊だった。俺は、俺の情報をなるべく喋らないように過ごしてきたのに、魔法が使えるとバレた。
俺が黙り込むと、ゴンデンは再び鼻を鳴らした。
「魔法が使えるなら結構だ。シーキィお嬢様のために使ってくれ」
俺は心のなかで「嫌だ」と叫んでおいた。
振り返ると、下がってろというジェスチャーをされたので、素直に従った。
店主の背後に隠れるように身を引く俺に女性客が駆け寄ろうとしたが、ガタイのいい店主が身体で女性客の行く手を塞いだ。
「私はそちらの方に用が……」
「お嬢さん。貴女がどこのどなたか存じませんがねぇ、うちの重要戦力を引き抜くのは止めてくれねぇか。こんなことをするなら、もう即刻出ていってくれ。今後、この店の敷居をまたぐことは許さん」
酒場で日々酔っ払いを相手にしている店主は、肝が座っている。
眼の前の女性客が何者であろうと関係ない、という気概を感じた。
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「なっ……そ、それは……」
店主はいつも、俺たち従業員のことを第一に考えてくれる。
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「親父さん、俺は一般庶民だ。お嬢さんみたいな人のところで上手くやれる自信はない。俺はここがいい」
後ろからそう言ってみたが、店主は俺と女性客を交互に見て、最終的に俺の方へ向き直った。
「お前さんならどこでも上手くやれるだろう。何、合わなかったら戻ってこればいい。こんだけ良い条件はなかなか見つからねぇ」
店主が俺にこう告げるのを聞いた女性客は、満面の笑みを浮かべた。
「お決まりですね」
「決まってない。俺が嫌だと言っている」
「でしたら……このお店ごと買い取りますわ」
女性客は間違いなく貴族で、しかも侯爵とかいう位の高い家のご令嬢だった。
町中の小さな酒場を買い取るくらいは、はした金程度の感覚らしい。
店ごと買われてしまったら、俺は当然配置換え……つまり、女性客の騎士とやらにされてしまう。それよりも、店主が大事に営んできた酒場を、こんな小娘のものにさせたくない。
「そうですわね、まずはお酒の提供をやめて、スイーツの専門店にしましょう。あの方とあちらの方は見目がよろしくないので首ですわ。店主も……」
「わかったよ。俺がそっち行きゃいいんだろう?」
これ以上小娘の戯言など聞きたくなかった俺は、諦めて従うことにした。
拠点にしていた安宿を引き払い、小娘のあとに従うと、町外れに停めてあった装飾の派手な馬車に乗せられた。
馬車は対面で六人が座れるのだが、進行方向へ向かって真ん中に座った小娘を避けるように反対側の端へ座ると、小娘はわざわざ俺の真正面に移動してきた。
馬車なんて初めて乗るが、意外と揺れが少なかった。
「ふふ、揺れないでしょう。魔導具技術で揺れ防止を実現した最新式なのですわ」
小娘が得意気に宣ったが、他の馬車を知らんので比較のしようがない。
俺が無視を決め込んでいると、小娘が俺の顔に触れようとしてきた。
狭い馬車の中でどうにか身を捩って躱した。
「つれないですわね。これからは私の騎士なのですから、私の言うことを……」
小娘は馬車に乗っている間中何かぐちゃぐちゃ言っていたが、全部無視した。
ほどなくして、馬車は巨大な邸宅の門の中へと入っていった。
安宿の数倍は大きい、ヨーロッパの城みたいな建物だ。
俺がさっさと降りて周囲を見回していると、執事っぽいスーツを着た背の低い男がやってきて俺に耳打ちをした。
「シーキィお嬢様のエスコートを」
「エスコート?」
小娘はどうやらシーキィという名前らしい。
単語の意味は何となく分かるが、この場で何をどうしろと言うんだ。
俺が首を傾げて突っ立っていると、男はチッと舌打ちして、馬車に近づいた。
「お嬢様、後で仕込んでおきますゆえ、今は私めでご勘弁を」
「仕方ないわ。庶民だったのだもの」
シーキィは男が差し出した手に手を預け、馬車からふわりと降りてきた。
なかなか降りてこないと思ったら、アレを待っていたのか。
そして男やシーキィの口ぶりから、どうやらアレが俺の仕事の一つになるようだ。
自力で降りれないなら、乗るなよ。
「では、後はお願いね」
「畏まりました」
馬車から降りた小娘は男と会話し、自分は城の中へとっとと入っていった。
「お前はこっちだ」
今度は男に従うと、巨大な城の外を回って、勝手口のような場所に着いた。
そこから城の中へ入る。入ってすぐは土間のような場所で、更に進むと厨房に出た。
規模はこちらの方がはるかにデカいが、酒場で馴染みのある場所だ。ここで働くならまだマシなのにな。
そんな俺の希望はさらっとスルーされ、厨房を出て更に歩く。
途中で階段を見かけたが、一切使わなかった。
一階の、おそらく一番奥まった場所で、男はようやく立ち止まった。
「今日からここがお前……そういやお前、名は?」
ようやく名前を聞かれた。
「ヨシヒデだ」
この世界、貴族以外は名字を持たないものらしい。サニばあさんに名乗った時に、サニばあさんが教えてくれた。以来、この世界の人間に名乗る時は、名前だけを告げることにしている。
「変な名だな。まあいい、ヨシヒデ。今日からここがお前の部屋だ。まずは湯浴みして、用意してある服に着替えろ」
男はそれだけ言うと、どこかへ行ってしまった。
ここで突っ立っていても仕方がない。渋々だが、男の言葉に従うことにした。
部屋は安宿の一番安い部屋と比べるのが失礼なほど、広かった。
俺が日本で家族と暮らしていた家より広いかもしれない。
個室に風呂トイレ、更には簡単なキッチンがついてる部屋なんて、旅館やホテル以外でみたことないぞ。
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それから、脱衣所に用意してあった服を手に取る。服のサイズは若干小さいかったが、なんとか入った。
最後にネクタイを締めるべく苦戦していると、扉がガチャリと無遠慮に開き、あの男が入ってきた。
「まだ終わってなかったか。ふむ、服はもう少し大きいものが良さそうだな。なんだ、タイの締め方も知らんのか。そこに座れ」
俺が大人しく示された椅子に腰掛けると、男は俺の首に手際よくネクタイを締めてくれた。
「覚えたか」
「ああ、まぁ」
締め方は知っていたが、こんなに手際よくはできない。
「ならば練習しておけ。ではこれからヨシヒデに、執事の仕事について教えてやるからな」
ゴンデン、と名乗った男は、口と態度は悪かったが、面倒見が良かった。
俺は五日に渡ってゴンデンから執事講習を受けた。ゴンデンは教え方そのものは厳しかったが、俺が貴族どころかこの世界の一般常識に関しても無知であると知ると、そのあたりも丁寧に教えてくれたのだ。
「こんなことも知らぬとは……妙な響きの名前といい、色といい、異国の出身か?」
色、というのは髪と目の色を指す。この世界では髪と目の色が多種多様で、王族や貴族の血を引いている目印にもなっている。
日本人の一般的な色である黒髪黒目は、あまりいないらしい。
「そんなところだ」
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「ふん、まあいい」
ゴンデンもしつこく食い下がらない。俺に執事について教えるほうが大事なのだろう。
城へ来て六日目の朝、メイドが運んできた朝食を食べ終えると、ゴンデンが扉をノックもせず開けて部屋へ入ってきた。いつもの流れだ。
ただし、その顔には殴られたような跡がついている。
「どうした?」
ここへ来て初めて、俺は他の人間に対して自分から声をかけた。
「お前の教育がまだ終わってないからな」
「どういう意味だ」
「教育が不完全な状態でお嬢様に差し出すわけにいかんだろう」
ゴンデンはふんっ、と鼻を鳴らすと、なんでもない様子でテーブルを挟んで俺の向かいに座った。
「始めるぞ。まずは……何だ、そんなに気になるか」
「そりゃあ……。俺に治癒魔法も使えたらよかったんだがな」
「なんだ、他の魔法なら使えるような言い方だな」
迂闊だった。俺は、俺の情報をなるべく喋らないように過ごしてきたのに、魔法が使えるとバレた。
俺が黙り込むと、ゴンデンは再び鼻を鳴らした。
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俺は心のなかで「嫌だ」と叫んでおいた。
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