ドールの菫の物語

大切な存在だという事実

「菫（すみれ）、ちょっとおいで」
「どうしたですかマスター？」
「……どうか菫がこの先、私の家族のままで居てくれますように」
「ん、マスター……どうしたの？」
「少しだけ、菫に言ってもいいかな……。昨日はね私の大事な人が居なくなった日なんだよ」
「居なくなった？　それはマスターを置いていったって事？」
「そうだね、言葉にしたらそうなるんだけれど、それは仕方ない事でもあったんだよ。人間には……いつかは訪れる事だから」
「どういうこと？　マスター、僕はマスターを置いて行かないよ？」
「うん……、菫はきっとその時が来る時まで傍に居てくれるだろうと信じている。でも、人間はいつかは迎えなきゃいけない事実なんだ」

　マスターはそう言って僕の身体を震えながら抱き締める。
　マスター泣いている……？
　そんなにマスターを置いていった人が大事だったの？
　僕より大事な人？　僕じゃ代わりになれないの？
　そんな不安を持ち始めた僕にマスターは涙を浮かべた微笑みを浮かべて質問する。

「菫、もし私が動かなくなったら……一緒に来てくれる？」
「マスターとなら何処でも行くよ！　マスターを1人にはしない！」
「っ、ありがとう……ズルいね、こんな質問……菫は優しいいい子だって言うのに、こう答えるのを知ってて質問する私を許して……」
「マスター、僕じゃその大事な人の代わりにはなれないの？」
「なって……くれるの？」
「僕はマスターのドールだよ？　マスターが望めばずっと一緒にいる。マスターが僕を求めてくれるなら永遠に家族として傍にいるよ？」
「菫っ」

　マスターが大粒の涙を落としながら僕を優しく包み込んだ。
　昨日がマスターにとってどんな意味を持つ日だったかは分からない。
　でもマスターはきっと辛かったんだと今は分かる。
　心が泣いているのが伝わってくるから。
　ねぇマスター、僕はマスターの一番の家族として傍にいるよ。
　だから1人で抱え込まないで。

「マスター、僕はマスターと出逢えた事、嬉しいよ。これ以上の幸せがあるとは思えない位に」
「うん……菫は私の大切な存在だって言うのは事実だ。これ以上の事実はないよ」
「辛くなったら僕が傍にいる。だから1人じゃないよ」
「……ありがとう菫」

　そう言って笑ったマスターの微笑みは僕の心に刻まれる。
　2度とマスターを1人にはしない。
　そう誓ったある日の僕の1日。