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第四十二話〜六年越しの想い〜

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 ほっしーのアパートに着き、ドアを開けて靴を脱いだ途端、彼は背後から私をきつく抱きしめた。

「さっき元カレに絡まれてる絃ちゃんを見た時……俺心臓が止まるかと思ったくらい苦しかった」

「心配かけて本当にごめんなさい」

「いや、それもだけど……。ごめん、ただの独占欲って言うか、しょーもないヤキモチって言うか。こんなに可愛い絃ちゃんを他の男に見せたくない」

「……苦しいよ。ちょっと離して?」

 耳元で「嫌だ」と駄々っ子のような事を言う彼の声は、少し震えていた。

 もう仕方ないなぁ。
 本当はこんな廊下じゃなくて、一旦落ち着いてソファに座ってから伝えようと思ってたんだけど。

「ほっしー、あの、とにかく一回離して?」

「やだ」

「違くて。ちゃんと顔見て伝えたいの」

 少しだけ腕の力が緩む。
 その隙に身体を反転させて、彼と正面から向き合った。

 私を見下ろす彼の瞳は、未だに不安そうな色を映し出している。
 気持ちを伝えたら、何て言ってくれるかな?
 喜んでくれるといいな。
 私の好きな、いつもの人懐っこい笑顔を見せて欲しい。

「私は星野千輝君の事が好きです。私と付き合ってください」

 真っ直ぐ彼を見つめて。
 思いの丈が伝わるように、心を込めて。

 一瞬表情が固まって見えたほっしーは、ハッと息を呑んだ後安堵の息を漏らし、瞳を閉じて再度私を腕の中に閉じ込めた。
 ドクドクドクドク。
 心臓が激しく波打っているのは、私かそれとも――

「……ヤバい、嬉しい。これ現実?」

「ふふ。現実だよ」

「ガチで? 俺の夢じゃない?」

「夢じゃなくてガチですよ。じゃあ、ついでにもう一つ言ってもいい?」

「何? 何でも言って」

「私ね、高校の時もほっしーの事好きだったの。それなのに、強がって本当の事がずっと言えなかった。あの時も優しくしてくれてありがとう。『付き合う?』って聞いてくれた時、本当はすごく嬉しかったです」

「……やっと言ってくれた。やっと聞かせてくれた。あの時の本当の気持ち」

「知ってたの?」

「後になってちゃんと気づいたっつうか。まぁ、何となくあの時もそんな気はしてたんだけど……。俺が色々と情けなさ過ぎてごめん」

「なんだ……そっか、バレてたか……。でも、ほっしーが情けないなんて今も昔も思ってないよ!」

「いや、今考えても情けないよ。本当にごめんね。あとさ、あの時はお互いに受験でバタバタしてて言えなかったけど、失恋した事引きずらずに受験に専念出来たのも、兄貴達とも気まずくならずに済んだのも、全部絃ちゃんのおかげだったんだよ」

「そっかぁ。少しでも役に立てたなら良かった。お兄さんは元気?」

「元気だよ。今美容師してる」

「そうなんだ! イケメンだしお洒落な感じだし似合いそう。よろしく伝えてね」

「今度良かったら兄貴とも会って。絃ちゃんの事『俺の彼女』って、ちゃんと紹介したい」

「ありがとう」

 仲良し兄弟は、好きな人まで同じだったんだよね。
 今もお兄さんは〝ほっしーの好きだった人〟と付き合っているのだろうか。
 本当は少しだけ気になったけど、今は余計な事は考えたくないから後回しにしよう。

「俺……絃ちゃんの事が大切だって、気づくのが本当に遅くて。きょうちゃんに連絡した時に、絃ちゃんには彼氏がいるからって言われて……あの時は心底後悔した」

「え……そんなの知らない」

 初耳だった。
 きょうちゃんは、今まで一度もそんな事話してくれなかったし、むしろ高校卒業後は、ほっしーの話題すら私の前で出す事は無くなっていた。
 何できょうちゃんは、その時に教えてくれなかったのだろう。
 
「うん。きょうちゃんは何も言わなかったけど、多分俺達に何かあったのは分かってたんだろうね。それで、あれ以来ずっとだから……俺、絃ちゃんに対しては相当拗らせてる自信あるよ」

「え、待って! あれからずっとって……もしかして大学の時からって事?」

「うん」

 頭上で響く優しい声に、鼻の奥がツンとなる。
 一気に視界はぼやけて、まばたきと共に滑り落ちた雫が頬を濡らしていく。

「絃ちゃん? 泣いてるの?」

「ひっ……う、うっうっ……な、泣いてなぁい……」

「あーもう! だからいちいち可愛過ぎるんだって!」

 泣き過ぎて上手く呼吸が出来ない。
 鼻をひくひく鳴らして子供のように泣きじゃくる私を、ほっしーは手を繋いでソファへと連れて行った。

「絃ちゃんの好きな抱っこしてあげるからおいで?」

 長いスカートを捲り、言われるがまま彼の膝の上に跨って、広い背中に腕を回して抱きついた。

 やっぱりこの匂い安心する。
 温かくて、ふんわり香る、彼の優しい匂い。
 トクトクトクトク――
 規則正しく刻む心音は、まるで子守唄のように心地が良くて。
 愛しいものに頬ずりをするように、彼の肩口に顔を寄せた。

「ほっしー好き」

「俺もだよ。ねぇ顔見せて?」

「いや。今酷い顔してるもん」

「どんな顔でも可愛いから見せて」

 私って単純だなぁ。
 ちょっと可愛いって言われただけで、こんな鼻水でぐしゃぐしゃの顔好きな人に見せちゃうんだもの。

 躊躇いながら顔を上げると、今まで見た中で一番優しく微笑む彼と目が合う。

「あはは。トナカイみたいに真っ赤な鼻して。ほら、チーン?」

 肘掛けに置いてあるティッシュを取ったほっしーが、私の好きな笑顔を見せながら、真っ赤に染まった鼻に手を添える。
 好きな人に鼻をかんでもらうなんて。
 恥ずかしいやら情けないやら。
 でも決して悪い気はしないのよね。
 
「好きだよ。本当に好き。多分、絃ちゃんより俺の気持ちのがかなり大きいからね」

「それは嘘だ……」

 こんなに鼻水でドロドロな女を?
 鼻の周りの化粧も取れてるよ?
 それでも私を見つめる瞳は、深い慈愛に満ちた優しい色を秘めている。

「嘘じゃないって事、今から証明してもいい? 抱きたい。今すぐ」

 彼の放つ色香にすぐさま酔う。
 切なく疼く身体を鎮める事が出来るのは、他の誰でもないこの世でただ一人彼だけ。

 隣のベッドに移動する時間さえも惜しむように、そのまま視界は反転した。
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