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2話
しおりを挟む「嘆かわしい……クラヴェル公爵夫人ともあろうものがこんな些細なことも出来ないとは」
目の前で嫌味たらしくため息をつく嫌味な侍女長に、私は顔を引き攣らせた。
ここは厨房の片隅。私は今、この公爵家で30年働いているという侍女長ロラに、旦那様好みの珈琲の淹れ方を教わっている。
しかしこの侍女長、なかなか厳しい上に威厳がすごい。
「違います!ああもうどうしてそんなに大雑把なのですか!それでは細かすぎです!やりなおし!」
「ええ!!!」
嘘でしょー!豆の形状と味がどう関係するのよ!!腕痛いし疲れたよー!!
クラヴェル公爵家当主、シルヴェストル様と結婚してから早2日。
ついに一度として旦那様と顔を合わせていない私は、静かな邸で侍女長に扱かれながらそれなりに忙しい日々を送っていた。
教会への慰問やお茶会の参加、マナーレッスンに刺繍にお手紙……。
これらは結婚する前もやっていたけど、今日教わっている珈琲の淹れ方は本当にわからない。私は珈琲を飲まないのだ。
半泣きになっていると、どこからともなく現れた料理長のセザールが苦笑した。
「ロラさん、説明するだけじゃわからないよ。試飲してもらったら、違いがわかるんじゃないかな」
「……料理長がそういうなら」
飲食に関しては料理長が一枚うわてらしい。内心料理長にハグした。
そういうわけで私たちは、急遽珈琲の試飲会を行うことにした。
「う、苦い……それにちょっと渋い」
「それは細かく挽いたやつだね。極細挽きは短時間で抽出できるから効率的だけど、ドリップのように時間をかけて抽出するものには向いていないんだ」
「これは中挽きのものですね。少し粗めに挽くことでお湯との接触を抑え、雑味がも抑えられています」
「シルヴェストル様が好きなのは粗挽きでしたよね……?」
「そう。中挽きよりもさらにあっさりしていて、雑味も少ないんだ。その分うまみも出にくいのが難しいところだけどね」
なるほど、豆の種類だけでなく淹れ方でもこんなに味が変わるのか。
旦那様はいつも同じ豆の珈琲しか飲まないと聞いたので、そこは安心である。
ちなみに侍女長を恐れて気配を消していたリナは、こっそり珈琲を試飲してあまりの苦さに突っ伏していた。
今はセザールに牛乳と砂糖をたくさん淹れてもらって美味しそうに飲んでいる。あ、それ私も飲みたい。
「う……うまくいかない……」
「しょうがないよ。一朝一夕でそんな美味しい珈琲が淹れられたらプロいらないもん」
特訓すること2時間。
全く成長の兆しを見せない珈琲のできに私は絶望した。試飲したから多少良くなると思ったけど、全然わからない……。
ちなみに侍女長ロラには結構前に見捨てられた。忙しいらしい。なかなかメンタルにくることをしてくるお方だ。
「すみませんセザール、夕飯の準備がありますよね。また出直します」
「いいよいいよ、いつでも来な」
どうしてここの料理長はこんなにイケメンなんだ?うちの実家の料理長はもっといかつかったわよ。
侍女長と料理長の温度差に風邪をひきそうになりながら、私は厨房を撤収した。
「………眠れない……!」
相も変わらずぼっちのベットの上で、やけにうるさい時計の針の音に眉を顰めた。
眠れないのは恐らく時計のせいじゃない。日中がぶがぶ飲んだ珈琲のせいだろう。
じっちゃんが珈琲飲むと眠れなくなるってよく言ってたけど、本当だったんだ。覚えてたらあんなに飲まなかったのに……。
こういう眠れない日は考えなくて良いことばかり考えてしまって、余計眠れなくなるのが常である。
「………シルヴェストル様、無理してないかな……」
今頃遠くの地で頑張っているであろう想い人……いや夫……(えへえへ)の無事を願う。
シルヴェストル様が突然他国に仕事に行ってしまったのは5日前のこと。1週間後には帰ってくるらしいが、正直期待していない。
「帰ってきた瞬間に離縁を告げられたらどうしよう……」
忙しい方とはいえ、新婚の彼をここまで振り回す人がいるとは思えない。きっと祖父が有名人だから断れなかっただけで、私のことが嫌いなんだぁ……
2人は余裕で寝そべることのできるベットの上でゴロンゴロン寝返りを打った、その時だった。
部屋の扉がキィ、と小さく音を立てて、ゆっくりと開いた。
!!!???シルヴェストル様!??
「ビビさまぁ……」
……と思ったら、リナだった。
「びっっくりしたぁ!驚かせないでよ!」
「よかったぁ、やっぱりビビ様も眠れないんですね!私も珈琲のせいで全然眠れなくて!」
「貴方少ししか飲んでないじゃない……」
侍女が女主人の部屋に眠れないからという理由で来るなど前代未聞だが、まんざらでもないので入れてやる。
……もうこうなれば今夜は眠れないだろうし、いっそ今日の復習でもしようかな。実験台ものこのこやって来たことだし。
「……リナ、お腹空いてる?」
そう尋ねた私に、リナは顔を輝かせた。
***
「先生!今日はなにをつくりますか?」
「今日は珈琲に合うおやつを作っていきたいと思います」
「わーーー!」
深夜の厨房に集う女子2人。その正体はカフェイン中毒。夜食と聞いた瞬間うっきうきで私についてきたこの子が侍女としてどうなのかわからないが、可愛いので許そう。
「リナは食パンを一口大に切ってください」
「はい!」
リナに食パンを切ってもらう間に、私は冷蔵庫の中身を物色する。えーと、あったあった牛乳と卵。砂糖は棚にあったからそれをとって……ん?オレンジピール?これ使えるかも。確かオレンジリキュールも酒蔵にあったな。とってこよう。
「リナ、なんか良い感じにテンション上がる……こう……えもい耐熱皿を4枚持ってきてくれない?」
「えもい耐熱皿ですね!御意です!」
うち2枚はもちろんおかわり用だ。ボウルに卵を割り入れ、砂糖と牛乳と泡立て器で混ぜ合わせる。さらにオレンジピールとオレンジリキュールを入れた頃に、リナが戻ってきた。
「どうですか先生!」
「えもい!ありがとう!」
空色のココット4つにリナが切った食パンを耳を上にして盛り付け、さっきつくったオレンジ入り卵液を流し込む。
よし、オーブンの予熱もオーケー。卵液がパンに染み込むまでの間に、珈琲の器具の準備をする。
「ビビ様、そろそろじゃないですか!」
「はいはい、そうね。そろそろ入れようか」
リナが待ちきれないとばかりにパンを見張っているのに苦笑し、すっかり卵液に浸ったパンの入ったココットをオーブンの中に入れた。
珈琲は淹れたてを飲みたいし、その間に洗い物でもしようか。……え?今飲んだらもっと寝れなくなるって?(こんなにたくさん残ってるんだから)飲まなきゃやってらんないわよ(※珈琲の話です)。
鼻歌混じりに振り返ったその時だった。
「──何をしているのですか、奥様」
「ひえっ」
「あっはははは!ひえっ!ひえって!」
私が腰を抜かしていると、セザールが爆笑しながらどこからともなく登場する。
び、びっくりした……霊の類かと思った……こんな愉快な幽霊いるわけないよね。はは、つまりこれは、本物の侍女長……
「ビビ様ー!かふぇらてのあわあわできましt……ひぃっ侍女長!」
牛乳と砂糖の入ったボトルを楽しそうに振っていたリナが侍女長を見て面白いほど勢いよく飛び上がる。
「リナ」
「はいぃっ」
「今の状況を説明なさい」
「お、おおおおくさまと夜あそびを少々……」
怪しい言い方やめて。
「侍女長、私が付き合わせたの。昼間に珈琲を飲みすぎて眠れなかったから、練習をかねてお茶でもと思って」
「こんな時間に」
「ハイ」
「公爵夫人ともあろう方が」
「ハイ」
太りますね。
有罪ですね。
わかってるんですそんなことは。
「え!俺パーティー大好き!酒も持ってきて良い!?」
そしてしれっと参加しようとしているセザール、マイペースだ。
「料理長、貴方は空気を読んでください」
「えー?なにそれめんどくさいなぁ。ロラも飲むよね?」
「……セザール」
この場で唯一楽しそうなセザールに、イラッとした顔の侍女長が低い声で呼びかける。
ん?あれ?
なんかこの2人怪しくないか?
侍女長の意識がセザールに向いているうちに、一歩後ずさった時だった。
カスタードの甘い香りが、厨房中に広がった。
「………あの、パンプディングが焼けたんですけど………食べます?」
「うん!美味しい!罪悪感の味だ!」
「セザールに罪悪感とかあったの?」
「え?ひどくない?」
「んんん……!さくふわとろぉ……!」
なんでもバクバク口に運ぶリナはいいとして、公爵家の料理長に褒められたことにひとまず安堵する。
私もうきうきとフォークを入れると、オレンジリキュールを少し入れたことでオレンジの香りがふわりと鼻を抜けた。プディングの優しい甘さの中でオレンジピールのほのかな酸味と苦味が良いアクセントを生み出している。
続いて珈琲を口に運べば、雑味のないあっさりとした苦味が口の中の甘味を流した。
「あの……侍女長。どう?」
「……」
見ないようにしていた目の前に恐る恐る視線をやれば、彼女は空っぽのココットを前に口をふきんで拭いていた。よく見たら珈琲も空っぽだ。
え、もう食べたの?早くない?
「ふっふっふ、俺は見たよ?ロラが一口食べた瞬間、神がかった速さで珈琲とパンプディングを交互に口に運ぶのをね」
「黙りなさいセザール。……まあ、前よりは前進したのではないですか」
もしかして侍女長はツンデレであらせられるのだろうか。
「あ、ありがとう……」
「……しかし、です。この珈琲、私が昼間に教えたものとまるで違う。何故ですか」
まるで責めるような視線にドキリと心臓が跳ね、取り繕うように苦笑する。やっぱりそう思うよなぁ。緊張を極力隠し、恐る恐る答えた。
「あー……すみません。私も最初は教えてもらった旦那様好みのものを淹れようと思ったのですけど……どうせならリナが飲みやすい珈琲を淹れたい思って」
「は?」
「リナが珈琲にある独特の酸味が嫌だって言うから、酸味を主張する浅煎りのものは向いていないと思って……どうせなら美味しいものを飲んでほしいでしょう?だから……」
侍女長が虚をつかれたように目を見開いたまま固まる。え、なにか変なこと言ったかな。
内心おどおどしていると、いつのまにかパンプディングも珈琲も完食したセザールがどこからか持ってきたワインを開けていた。
「ロラ、だから言ったでしょ」
「……わかりました。わかりましたよ」
……なんだかよくわからないけど、雷は回避したようだ。
この時のんきに安堵のため息をついた私は、まもなく始まる地獄みたいな宴会に限界突破迎えるのだった。
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