上 下
36 / 44

第36話 アイドル事務所は極道よりも大変

しおりを挟む
「ほな、殺ろ――かッ!」

 夜奈が踏み込んだ。十五歩あった間合いが十に詰まる。京史郎は再度トリガーを引いた。二回。これもあてるつもりはなかった。だが、それもやはり余裕綽々と斬られてしまう。

「殺すんが怖いんか! いつからそんな臆病になったんや! 見損なったで!」

「極道じゃねえから、務所入ってくれる替え玉がいないんだよ!」

 ――くそっ。和奏の奴が、代わりに入ってくれさえすれば! けど、あいつには完璧なアリバイがあるッ!

 刀の間合いに突入する。剣閃。京史郎は拳銃で防ぐが、一刀両断されてしまう。地面を蹴って距離を取る。

「鈍いで、京史郎! 身体、鈍っとるんちゃうか!」

「ちっ!」

 京史郎はポケットからお手製のボールを取り出し、全力で投げつける。ひとつめはひょいと避けられた。ふたつめは両断される。だが、その時、中から赤い粉が一気に舞い散る。

「な。なんや、これはッ! がっ、ゲホッ、はッ――」

「熊も卒倒する、お手製の目潰しだよ」

 ハバネロのパウダー。風に舞いやすいように乾燥させ、粒子化してある。吸い込めば器官をやられるし、目に入れば激痛でしばらく開けることはできないだろう。

「おかわりいるかぁッ?」

 夜奈の足元めがけて、叩きつけるように目潰しを投げつける。今度は火薬も混ぜてある。破裂したそれは派手に赤煙をまき散らし、夜奈を包み込んだ。

 ――奴の視界はゼロ。やるならここだ。精密な夜奈の剣術も、この状況では使えまい。

 京史郎は大きく一歩踏み込んだ。刀の間合いから拳の間合いへと突入する。いかに夜奈がバケモノとはいえ、肉体は所詮女子大生レベル。顔面に強烈なのをお見舞いすれば、それで仕舞いだ。そう、京史郎は思ったのだが――。

 バギィンッ! 夜奈の一閃が、京史郎の左肩から右横腹にかけて迸る。身体が、沸騰しそうなほど熱くなった。

 ――斬られたという感触があった。

「ぐ……あッ……!」

「ちぃ! この音ッ、鎖帷子くさりかたびらかッ!」

 夜奈との戦いは避ける予定だったが、どこで鉢合わせるかはわからない。ゆえに、京史郎は服の中に鎖帷子を仕込んでいた。ハバネロ球も同じ理由だ。

 彼女は、ジェイソンと同じである。遭遇即ち死。ならばと、万全の体制を整えていた――ハズだったのだが――。

 夜奈の剣術は鋼鉄の鎖すらも切り裂き、京史郎の肉体にまで刃を届かせる。

「浅いッ? けど、これで仕舞いや、京史郎ォッ!」

 彼女は両の眼を開いていた。兎のような紅い瞳になりながらも、彼女のベクトルは完全に京史郎抹殺へと向けられていた。

 柄乃夜奈は、正確無比な突きを繰り出す。京史郎の眉間めがけて。

「本当にッ――殺す気かよッ!」

 もう、極道からは足を洗った。もう、命の張り合いなんてないものだと思っていた。普通の経営者として、真っ当な商売をやるつもりだった。

 京史郎の人生は金から始まった。金が欲しいから、強くなった。金が欲しいから、極道になった。極道をやるには、他人の力が必要だった。他人の力を借りるには、信頼が必要だった。信頼を得るためには、義理人情を大切にする必要があった。義理人情を貫くためには、命を懸ける必要があった。金が欲しいだけの人生だったのに。

 ――それを手に入れるために、必要な物がどんどん増えやがる! 守らなければならない人やプライドが、不必要なほど増えやがるッ!

「嗚呼ぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁらぁッ!」

 京史郎は動いた。というよりも身体が勝手に動いていた。

 夜奈の一撃と同時だろうか。京史郎の脳と身体に染みついた生への執着心が、彼を無意識に動かしたのだろう。気がつけば行動は終わっていた。

 神速で突き出される白刃の閃光。それを、京史郎は両の掌で受け止めていた。

「し……白刃取りやと……」

 夜奈の真っ赤な瞳が丸くなっていた。

「はあ、はあ……案外……見えるもんだな」

 嘘だ。見えてなどいなかった。身体が勝手に動いた。運の要素も含めた、不確かな一動。

 夜奈は刀身を引き抜こうとする。だが、京史郎は離さない。最初で最後の勝機だ。死んでもこの刃を渡すつもりはなかった。しかし、京史郎の方も深刻だ。斬られた傷口から、じくじくと血が排出されていく。

「はあ、はあ……おるぁッ!」

「ごはッ!」

 夜奈の腹部に蹴りを食らわせる。だが、それでも彼女は刀を放さない。そして、当然京史郎もだ。刀を離せば、敗北が決まるのだから。

「ケケッ、てめえの負けだ。ここからは地獄だぜ……」

 京史郎は、矢継ぎ早に蹴りを入れていく。だが、それでもお互い刀を離さない。

「う……ぐッ! このっ、ドチクショウがッ!」

 夜奈も蹴りで反撃する。だが、華奢な彼女の身体では、京史郎を怯ませることはできなかった。京史郎は、容赦なく靴底を叩き込む。普通の奴ならば、一撃で戦意を喪失するレベルの蹴りである。

「へっ……強がるなよ。このままじゃ死ぬぜ?」

「は……ぐ……や、やってみいや」

 すでに夜奈は満身創痍。どう足掻いても彼女に勝ち目はない。

「刀を放したら仕舞いや。けど、うちが握っとるうちは、負けや……ない、ぐばッ!」

 さらに一撃。下腹に蹴りを入れる。

「バカか。ライブハウスの一件なんざ、おまえらの組からしたら、気まぐれで始めたサイドビジネス――遊びみたいなモノじゃねえか。そんなのに命懸けやがって」

「おどれこそ、やッ! アイドルなんてガキの遊び。それに命かけとるなんて、滑稽やでッ!」

 ググッと、刀身を引き抜こうとする夜奈。だが、絶対にこの状況は覆らない。これが生命線である。死ぬまで離さない。

「もうやめろ。死ぬぞ、夜奈ッ!」

「殺す度胸もないやろうがッ!」

「けど、殺さなきゃ殺されるってんなら――!」

「やってみろや! 京ぉッ!」

 京史郎は全力で蹴ることにした。夜奈の顔面めがけて、ライフルの如きシャープな一撃。刀を放さなければ、確実に首の骨が折れるだろう。生を分かつ最後の一手だった。

「うおおおらぁぁッ!」

 バギャリと、靴底が夜奈の顔面を通過する。派手に仰け反った。お互いが理解する死の予感。だから、手を離してしまったのだろう。

 ――榊原京史郎は。

「くばッ! ……はぐッ……グッ」

 玉砂利の上を滑って、そのまま横たわる柄乃夜奈。彼女とて、意固地になれば死ぬとわかっていたはずだ。けど、それでも彼女は得物を離さなかった。

「く、くく……はは……」

 笑いながら、刀を杖代わりによろよろと立ち上がる夜奈。目は紅く、顔は血に彩られ、まるで夜叉のようであった。

「あ、甘いな……京しろ……これで、うちの勝ちや。もう、二度と刀を掴まれるような……真似は、せんで……」

 勝敗を分けたのは『殺しの覚悟』であった。どちらかが死ぬまで終わらない。殺らなきゃ殺られる。なのに、京史郎は殺さずに済めばいいと思ってしまった。いや、最後の一撃ならば、例え刀を放したとしても、立ち上がれないと踏んでいた。

「クソが……。ゾンビか、おまえは」

 白刃取りなど、奇跡に等しい。狙ってできるモノではない。死の淵に追いやられた人間の、走馬燈に近い感覚による偶然の産物に過ぎない。

「……企業の社長ってのは……大変なんだな。極道やってた時の方がマシだ」

 京史郎は構える。もはや策はない。あとは、この肉体だけが頼りである。

「は……ぐ……こ、殺したるで……京」

 ふらふらと、ふらふらと、刀をぶら下げながら、夜奈は玉砂利を踏みしめ、一歩。また一歩と、京史郎との間合いを詰める。

「こいよ。楽にしてやる、柄乃の姫夜叉」

「ああ。ああ。……くくっ。あの日と同じや……おまえと初めて会った……あ…………」

 言葉を連ねながら、進んだ。――だが、そこで夜奈はゆらりと倒れてしまう。静かな屋敷の庭園。玉砂利が彼女を優しく受け止めた。

「京……しろ……」

 わずかにも動かなくなる夜奈。ただ、それでも刀だけは離さなかった。安堵の溜息をひとつ。彼女を見下ろしながら、京史郎はただ一言を落とす。

「……あの日とは違えよ。俺ぁ堅気だからな」

 息を切らせながら、京史郎は夜奈の刀を掌から剥ぎ取る。そして、気を失った彼女の背中を踏みしめるように歩いた。

 悪辣な見物人と、己の間に刀を突き刺し、どっかりと地面に腰掛ける。縁側に座る柄乃達義を見上げるように、京史郎は告げた。

「残るは、あんただけだ」

 興奮しているのか、敬語すらも忘れている京史郎。柄乃達義は、仏頂面で口を開く。

「見事な喧嘩だった。よくもまあ親の前で、かわいい娘をボコボコにしてくれたもんだ」

「喧嘩? 冗談じゃねえ。こいつは殺しあいだ。どういう教育をすれば、こんな凶悪な女に育つんだよ。親の顔が見てえ」

 皮肉を聞いて、柄乃達義は、ほんのわずかに笑みを浮かべる。まったくといっていいほど余裕を崩さないところは、さすがといったところか。

「……城島の緑。俺を殺すのか? それとも人質にするか?」

「殺したところでなんの解決にもならねえよ」

「なんだ? 俺ぁてっきり、ライブハウスの件にかこつけて、城島の無念を晴らしにきたモノと思ったんだがな」

「あのジジイにそこまでする義理はねえ。俺はビジネスの話をしにきただけだ」

「くくっ、電話で済ますわけにはいかんのか?」

「親父に教わったんだよ。人に頼み事をするときは、実際に会えってな。もっとも、暴れろとまでは言われてねえが」

 京史郎は『覚悟』と『誠意』を見せつけるためにここへきた。ビジネスのためなら、ここまでできるという覚悟。中途半端な覚悟で仕事をしていないという誠意。恨んでいるわけではない。ただ、ひた走っているひとりの男であることを、命懸けで証明しに来たのである。

 生憎と、京史郎はビジネスマンでありながら、話術はない。不器用な人間だからこそ、こういう交渉の仕方しかできなかったのである。

 そして、そんな未熟な京史郎を理解できぬほど、柄乃達義の器も小さくないだろう。

「緑、望みはなんだ?」

「ライブハウスにいる組員を引き上げさせろ」

「他には?」

「あんたのシマで自由に仕事がしたい。暴れる気もねえし、迷惑をかける気もねえ。俺はただこの麻思馬市で芸能事務所を経営したいだけだ」

 京史郎は立ち上がると、刀を抜いて柄乃達義に差し出した。

「――お願いします――」

 京史郎は深々と頭を下げた。

「生殺与奪の権利を渡すか……。芸能事務所は、そんなに魅力のあるビジネスなのか?」

「はい」

 柄乃達義は刀を受け取って、血に染まったそれを眺める。

「なあ、緑。聞かせてくれ。……なんで夜奈を殺さなかった? 殺らなきゃ殺られるってのはわかってたろ」

「殺したら、俺は生きて屋敷を出られません。それに、俺は堅気です。死んでも殺しはしません」

 柄乃達義は、再び刀を地面に突き刺した。

「……なぜ、この町に固執する」

「親父に、退職金として、高道屋商店街のビルをいただいたんです」

「商店街の…………そうか、おまえがあのビルをもらったか」

 柄乃達義は、ほんのわずかに口の端を吊り上げる。あの場所は、彼にとっても思い出の場所らしい。親父から聞いたことがある。若い頃、何度も達義がカチコミにきたと。

「ま、こっちは夜奈がやられちまったんだ。……いいだろう。ライブハウスの件は手打ちだ」

「ありがとうございます」

 柄乃達義は、懐からスマホを取り出した。操作しながら、さらに質問を飛ばす。

「ライブやってる連中は、見込みがあるのか?」

「今頃、極道相手に殴り合ってると思います」

「そりゃ、見込みがあるな――っと、もしもし。俺だ。ああ、ライブハウスの件だが、手出し無用だ。そこに伊南村はいるか? 替わってくれ。………………あ? おい」

 スマホを降ろし、画面を見やる柄乃。

「……電話、切れちまったよ――」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

薔薇と少年

白亜凛
キャラ文芸
 路地裏のレストランバー『執事のシャルール』に、非日常の夜が訪れた。  夕べ、店の近くで男が刺されたという。  警察官が示すふたつのキーワードは、薔薇と少年。  常連客のなかにはその条件にマッチする少年も、夕べ薔薇を手にしていた女性もいる。  ふたりの常連客は事件と関係があるのだろうか。  アルバイトのアキラとバーのマスターの亮一のふたりは、心を揺らしながら店を開ける。  事件の全容が見えた時、日付が変わり、別の秘密が顔を出した。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...