上 下
22 / 44

第22話 渡した金は受け取らない

しおりを挟む
 一方その頃。榊原芸能事務所。

「……悪いな。呼び出したりなんかして」

 京史郎は、ふたり分の緑茶を淹れて、テーブルへと置いた。

「うちの店だと、柄乃組の方が出入りすることがありますからね。ビジネスの話なら、こちらの方がいいでしょう」

 ソファを挟んで向き合うのは、ライブハウス『バランタイナ』の店主。暮坂蒼。先日は邪魔が入ったが、京史郎は、あの店でのデビューライブをあきらめてはいない。こうして、わずかな可能性を手繰り寄せるため、交渉の場を設けたのであった。

「あのあと、伊南村さんからいろいろと聞かせてもらいましたよ。京史郎さん、この辺りで相当やんちゃされていたみたいですね」

「あのハゲに比べたらたいしたことねえよ」

「ふふ、おふたりの関係は相当悪かったみたいですね。ともすれば、今回の『ビジネスの話』とやらは、京史郎さんにとって難しいのでは?」

 そんなものは百も承知だった。けど、ようやく会場が見つかったのだ。暮坂も遊びにきたわけではないだろう。わざわざ足を運んだということは、それなりに興味があるはずだ。

「……単刀直入に言うぜ。三週間後。デビューライブをやる。店を使わせて欲しい」

「三週間……随分と早いですね。事務所を立ち上げたばかりでしょう。あの子たちにも、練習をする時間が必要では?」

「あいつらはちやほやされたいだけの、ぬるい女子高生とは違う。俺がやれと言ったら、学校をサボってでもレッスンするぐらいの根性がある。才能もある」

「そういう子、羨ましいです。お水の世界でも、楽して稼げると勘違いして入ってくる子がいますから」

「だから、おまえの二十七歳のバースデーにデビューライブをしてやりたいんだ。柄乃の親分が、おまえの誕生日にあわせてオープンさせるんだろ」

「調べたんですか?」

 京史郎の発言に、暮坂は驚いたようだ。

「知り合いから、ちょいと聞いただけだ。……その日、地元のバンドグループが集まって、ライブをやるんだろ? ブッキングライブっつーんだっけ?」

 暮坂は、慎重に問いかける。

「……目的は、なんですか?」

「目的?」

「若者の夢を叶えたいとか、楽して稼ぎたいとか、いろいろあるでしょう。極道だったあなたが、どうしてそこまで本気になるのでしょうか? ……昔のあなただったら、あの場で殴り合いを始めていたでしょう? そういう方だと窺っておりますが?」

 トゲのある会話だ。けど、興味を持っているかのような言い回しに感じた。この手の輩は、適当に取り繕うよりも、正直に話した方がよさそうだと京史郎は思った。

「……金のためだ」

「金のため……?」

「ウチの父親は、口癖のように言ってた。カネカネカネカネってな。カネって言葉を聞かない日はなかったよ。言っとくが、血の繋がった親父の話だぞ? 城島の親父のことじゃねえからな」

 自分の父親も親父だし、城島組長のことも親父と呼ぶ。この辺りは、極道としては若干ややこしい。

 京史郎の実父は、元々普通の会社員で事務員をしていた。だが、横領したとでクビになった。そこから転落人生。近所の適当な工事現場での作業員に転職。給料は安い。帰りも遅い。生活は荒れた。母親は出て行った。

「ドコに出しても恥ずかしいクズだった。盗みもやるし、カツアゲもする」

「人間味のある方ですね」

 なんとも銀座のママさんらしい言い回しだ。

「カネさえあれば、なんにもいらないって感じの親だった」

 だからこそ凄いと思った。
 金の魔力は。

 子供の頃はわからない。だが、大人になるにつれてジワジワと金の偉大さがわかる。

「カネがこの世の本質だ。すべてはカネで動いている。企業も、社会も、世界でさえもな。カネがありゃ、愛だって買える。人だって殺せる」

 ――父親は『身体が資本』と、言っていたことがある。

 稼ぐには身体が強くならなければならない。奪うにも強くなければならない。守るにも強くなければならない。身体だけは、常に鍛えているように言われた。

 普通の子供ならば、スポーツなどのために鍛練を積むが、京史郎の場合はサバイバルだ。強くなるためのベクトルが違う。生きるため、カネのために強くなっていく。

 高校を卒業したら働く。それが京史郎のプランだった。身体もできていたし、肉体労働系の仕事なら引っ張りだこだろう。だが、そう思っていた矢先、城島組長との縁があった。

城島おやじが言ったんだ。稼がせてやるから、ウチの組に入れってな」

 悪事は金になる。そう思ったがゆえに極道となった。しかし、結果は散々だった。若いうちは、上納金のために金策をしなければならないのが現実。

 出世すれば、実入りも良くなるが、それまでは我慢の日々だ。そのうちに組は解散。極道になって美味しい思いをしたことはなかった。詐欺にでも遭った気分だ。

 何も残らなかった。そう思った京史郎だが、すべてを失った時――。

 ――そこに『人』が残っていた。

 金の切れ目が縁の切れ目というが、城島組にはそんな価値観から外れた人間が大勢いた。

 ある兄貴は居酒屋をやると言っていた。慕っていた舎弟は、そこで働かせてくれと言った。店が軌道に乗るまでは、給料が払えねえからヨソに行けと言われる。けど、そいつは無給でいいから働きたいと言っていた。

 普段から、兄貴分に殴られまくっていた奴がいた。ここぞとばかりに復讐するかと思いきや、泣いて別れを惜しんでいた。もう、会うこともない奴に酒を奢っている奴もいた。

 そして兄貴分たちも、これまで京史郎をこき使った駄賃だと、美味い飯を奢ってくれた。

 ――信じられない世界だった。

 この世のすべては奪うか奪われるか。あるいは少なくともギブ&テイク。そう思っていたのに、この場にはそれ以上の物がある。

 ――それ即ち『人』である。

 解散した後日、京史郎は城島元組長に呼び出される。

 屋敷に行くと、縁側に座布団が二枚。そのひとつに城島。髭を蓄えた、若干白髪交じりの老人。和服を着ていると、鑑定士のようにも見えなくない。

 もうひとつの座布団に京史郎が座った。城島組長は、自らが茶を点ててくれた。

『親父。用件はなんだ?』

『おいらは、もうおまえの親父じゃねえ』

『そうかよ。だったら好きに呼ばせてもらうぜ。――で、親父。なんだ、用件は?』

 すると城島は、京史郎のあぐらに鍵を放り投げる。

『高道屋商店街の一角に小さなビルがある。倉庫代わりに使ってたもんで、いつか片付けなきゃいけねえと思ってたんだが面倒くさくなった。くれてやる。おまえの方で処分しとけ』

 高道屋商店街の地価は高い。駅からも近いし近隣を学校に囲まれているというのも強い。近隣のショッピングモールやデパートにも負けない賑わいを見せている。若い京史郎には不相応なプレゼントだった。

『近々死ぬ予定でもあるのか?』

『死なねえよ。……おまえを極道の世界に引っ張り込んだのはおいらだ。稼がせてやるつもりだったが、その前に組が潰れちゃ世話ねえよな。おまえも貧乏くじを引いたもんだ』

『それでビルを? ……お人好しだな。そんなんだから組が潰れちまうんだ。こんなもんもらっても、明日にゃ金に変えちまうぞ』

『もらったもんは好きにすりゃいい』

 そこで、会話は終わった。気まずくはなかった。けど、苦いだけの茶を飲み終わったら、京史郎は立ち上がって、深々とお辞儀した。

『お世話になりました』と。

 城島は『おう』と、だけ返事をした。彼は、庭園だけを見つめていた。

「情に厚い親分さんだったんですね」

「いや、かなり悪質だ」

 あとから調べてみたのだが件のビル――即ちここは、城島が初めて組を立ち上げた時の事務所らしい。要するに思い出の場所。城島は何も言わなかったが、元組員からは、絶対に売るな。売ったら殺すと脅迫されている。

「ふふっ。脅しを気にする京史郎さんじゃないと思いますけど?」

「ああ、気にしてねえよ。だが、ちょうど商売するのに、事務所が欲しかったところだ」

 金がすべてとのたまう輩は大勢いる。だが、現実はそれ以上に複雑だ。0か100かの世界ではない。モラルや義理、愛すらも金になる。それが真理なのである。

「そんな京史郎さんが見初めたアイドルの子たちは、さぞかし立派なのでしょうね」

「東京の大手に入ったら、トップを取れるような奴ばかりだ」

「売れたら、そっちの事務所に乗り換えるかも」

「そうならねえように、信頼できる奴を選んだ」

 緑茶をひとすすり。そして、本題へと戻る。

「――で、ライブハウスは貸してくれるのか」

「……ブッキングライブですので、持ち時間は三十分ほどになりますが?」

 京史郎は、ニィと口の端を吊り上げた。

「問題ねえ。必ず盛り上げてやる」

 暮坂は、ほんのわずかに笑みを浮かべる。そして、こう返事をした。

「ぜひ、よろしくお願いします」

 そう言って、深々とお辞儀。だが「――ただし」と、条件を加えてくる。

「――料金として、百万頂戴いたします」

 さあどうすると言わんばかりに、笑みを崩さない暮坂。

 面白い女だが、要求自体は面白くない。暮坂がわざわざ足を運んだのは、京史郎という人間を見初めたわけでも、情に絆されたわけでもなかった。

 ビジネスマンとして、毟れると判断したのだろう。百万。それぐらいなら、この男から引き出せる、と。

「ケケッ、この女狐が。……たかが三十分に百万だと? 随分とふっかけるじゃねえか」

 だが、京史郎は躊躇しない。脇に置いてあったセカンドバッグから、裸の百万円を抜き出し、トンとテーブルに置いた。女狐の表情は変わらない。しかし、変えまいとしている努力は見て取れる。即決するとは思わなかったのだろう。

「交渉成立だな」

「これぐらいは請求されるって……わかっていた。そんな顔ですね」

「あんたは相当のやり手だ。安く済むとは思ってねえよ。そもそも、柄乃組と敵対する俺と契約するなんざ、なにかしらのメリットがなきゃありえねえ」

「……話が早くて助かります。しかし、どんな理由があろうとキャンセルはできませんよ?」

「出した金を返せとは言わねえよ」

「あなたを嫌っている人は多いのでしょう。何があったとしても、私は責任を持ちません。あくまで、ライブハウスとしての経営をするだけです」

「ああ、それでいい」

 つまり、暮坂は舞台を用意するだけ。夜奈や伊南村とは揉めるだろうが、その仲介は一切しない。あくまで、京史郎と柄乃組の問題である。そう割り切れということらしい。

「しかし、そこまでして地元でライブをしたいのですか? 才能があるとはいえ、あの子たちにこれほどの大金をかける価値があるのですか?」

「なけりゃ、やらねえよ」

 と、口にする京史郎であったが、小さな理由は他にもある。親父の思い出のビルなので、この町を拠点にするしかなかった。柄乃組への意地も、少しはあるかもしれない。

 はたまた、中途半端ができないという性格のせいかもしれない。和奏たちに格好を付けたかったのかもしれない。そんな小さな理由が重なっているのだと思う。

「だがな、暮坂。金はもう、おまえのモノだ。……返すと言っても、俺は絶対に受け取らねえからな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが集団お漏らしする話

赤髪命
大衆娯楽
※この作品は「校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話」のifバージョンとして、もっと渋滞がひどくトイレ休憩云々の前に高速道路上でバスが立ち往生していた場合を描く公式2次創作です。 前作との文体、文章量の違いはありますがその分キャラクターを濃く描いていくのでお楽しみ下さい。(評判が良ければ彼女たちの日常編もいずれ連載するかもです)

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

処理中です...