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8 (最終話)
しおりを挟む「おようちゃん。お祭りの時間だよ。そろそろ出かけようよ」
私の幼なじみの新吉さんが迎えにやってきました。
「うん、でも今良いところなの。少しだけ待ってくれる? ね、新吉さんもお入りよ」
私は新吉さんの右手をつかんで、家の中へと引っ張り込みます。
「なんだい。また、おふくさんのお話を聞いていたの?」
下駄を脱ぎながら、見透かしたように、新吉さんは言いました。
「そうよ。いくら聞いても飽きないんだもの。まだ聞いてないことがあるかもしれないし。おばあちゃんが元気なうちに、全部、何回でも聞いておきたいのよ」
私は新吉さんと一緒に、おばあちゃんのお部屋へと入って行きました。
「いらっしゃい、新吉さん。今日はおようと龍神祭へ行くのだね」
おばあちゃんは新吉さんの顔を見ると、にっこり微笑んで言いました。
「はい。今日は秋の収穫を祝う満月の日ですから」
新吉さんが答えると、私はすかさず口を挟みます。
「そう! そして、龍神さまとお嬢さまがめでたく祝言なさった日ですから!」
「ふふふ。おようちゃんは、いつもお嬢さま、お嬢さまって。本当にお嬢さまのお話が好きだねぇ」
「うん! 私もお嬢さまにお会いしてみたかったよ。美しくて、優しくて、汚れがなくて、清らかなお嬢さま。まるで愛を体現なされたお方だったと聞いた時から、私の憧れなの! 私もお嬢さまのようになりたいわ!」
私はおばあちゃんが大好き。 そして、おばあちゃんから聞く、おばあちゃんの主人だったお嬢さまが大好き。
だから、興奮気味にそう答えたのに、新吉さんたら私にこんなことを言ったのよ。
「おようちゃんは、お嬢さまって感じじゃないだろ? おてんば娘なんだから」
「もうっ! 新吉さんてば、またそんな悪口言って! もう、一緒に龍神祭に行ってあげないわよ?」
「ごめんごめん」
私たちのいつものじゃれあいのようなやりとりを、おばあちゃんは笑いながら見ていました。
「ふふふ。本当に仲がいいねぇ。これはあなたたちも、祝言をあげる日が近そうだねぇ」
そこで私たちははたと立ち止まり、顔を見合わせました。そして互いに目を逸らし、コホンと咳払いしてしまいました。
おばあちゃんったら、そんな恥ずかしいこと言わないでよ。だって私まだ、新吉さんから求婚されてもいないんだもの……。
私は話題を逸らすように、おばあちゃんに言いました。
「ねぇねぇ、おばあちゃん。さっきの続きを教えて? お嬢さまが祠のそばの家に一人でお泊まりになられるようになってからのことを。本当に、クロ殿は龍神さまだったのかしら? お嬢さまはクロ殿に会えたのかしら? そして本当に、夫婦になれたのかしら」
色々確かめもしないで、無謀としか思えない暮らしを決断したお嬢さまのお心が、私にはやっぱり理解できなくて。だからこそ、もっともっと知りたいって思ってしまうのね、きっと。
「さぁ、どうだろうねぇ。お嬢さまの旦那さまは、私ら人間には見えないお方だから。本当のところは何もわからないんだよ。でもねぇ、これだけはわかるんだよ。あれからのお嬢さまはさらに美しくおなりで、幸せそうにいつも微笑んでおられた。だからきっと、お嬢さまは大好きなクロ殿と添い遂げられたのだろうと思うねぇ」
私の問いかけに、おばあちゃんは遠い過去を見るような眼差しで、そのように答えてくれました。そしてその後のお嬢さまのことを教えてくれました。
お嬢さまは一年ほど祠の隣の小屋で、お一人で過ごされたそうです。
その間、下の家で暮らしていたおばあちゃんたちが入れ替わり立ち替わりで、お供えと称して日々の食事を届けたり、必要なものを届けられたりしたそうです。お掃除などをさせて欲しいと家来たちが願い出ても、お嬢さまはただ頬笑まれ、静かに首を横に振られただけだったそうです。
その頃のお嬢さまは、月のように光り輝き、透き通るような美しさだったそうです。もともと美しかったお嬢様が、さらに神聖な魅力を纏われて……。あぁ、私も。私も見てみたかった。お嬢さま……。
私はここの部分のお話を、小さな頃から何度もおばあちゃんにせがんで聞いてきました。それでも飽きることなく、聞くたびに感動し、遠い過去に想いを馳せてしまうのです。
そして一年後、突然お嬢さまは下山すると言い出され、この家に戻って来られたそうです。
その後のお嬢さまは、まだお若かったのに、決して誰とも再婚しようとはなさらず、貧しかったこの村の人々のために尽力して生きられたそうです。
そしてお嬢さまのことをたいそう心配していたご両親ですが、タイミング良く、お嬢さまがお屋敷をお立ちになられてから一年ほどして、新しい御子さまを授かったそうなのです。しかも男の子でした。お屋敷の家来たちは、ここの後継ぎができたとご主人たちと一緒になって喜んだということです。
おばあちゃんが言うには、きっと龍神さまがお嫁さまとしてお嬢さまをいただいたお礼をなさったのだろうとのことでした。それを裏付けるように、お嬢さまのご実家は、その後ますます繁栄されたそうです。
お嬢様が亡き後も、おばあちゃんはこの家に残りました。大好きだったお嬢さまのお墓を守りたかったからだそうです。そしてお嬢様が愛した龍神さまの祠は、ご実家の財によって大きく立派なお社に建て替えられ、ご実家の守り神として今も私のお父さんが神主として管理し守っています。もちろん、お嬢様が暮された小屋はそのままありますよ。
私はおばあちゃんの話を聞き終えると、やっぱり聞いてしまうのです。
「ねぇ、おばあちゃん。ここに降りて来てからのお嬢さまは、旦那さまがいなくて寂しくはなかったのかしら?」
するとおばあちゃんは、やっぱり微笑んでこう答えてくれるんだ。
「お嬢さまはいつもおっしゃっておられたよ。私はすでに、一生分の幸せをもらったと。そしてここにいる困った人や病気の人たちの中に旦那さまは生きていらっしゃると。だから寂しくはないのだと」
若くして亡くなられたお嬢さまだったけれど、その死顔はとても穏やかな微笑みを称えていらっしゃったそうです。なのできっと、お嬢さまの一生は幸せだったに違いないとおばあちゃんは答えるのです。
それを聞いて私はいつも思うのです。お嬢さまは寂しくなかったけれど、きっとクロ殿が寂しがっていたんじゃないかしら。だからあんなにも早くに、お嬢さまがお亡くなりになったのでは。
16歳で初めてクロ殿に会われたお嬢様が、38歳という若さでお亡くなりになるまで、お嬢さまはそれまでの生き方と全く違った生き方をなされました。清貧で、まるで尼さんのようなお暮らしです。その分、過疎で貧しかったこの村は、ご実家の援助もあって豊かになっていきました。
ひたむきに、感じるままに、思うように生き切ったお嬢さま。
格式が高く裕福な家にお生まれになったのに、決して下の者たちに命令しなかったお嬢さま。何もかも不足がない生活なのに、寂しがって元気をなくされたお嬢さま。しなくて良かった苦難とも思える道を、自ら選んで生きられたお嬢さま。
本当に、私には理解できないことばかり。
きっといつまでも、いつまでも、お嬢さまのお心を知りたいと、これからも思いを馳せていくのだろう。
私がお話の余韻に浸っていると、おばあちゃんがにこにこしながら言いました。
「ふふふ。今は娘のおしず夫婦が龍神さまとお嬢さまのお墓を守ってくれてるけど、その後はおようちゃんと新吉さんが継いでくれそうだから安心だねぇ」
おばあちゃんのこんな爆弾発言に、新吉さんは真顔で答えたのです。
「はい。おようちゃんと二人で。きっと守ってみせます。だからおふくさん、どうか安心してくださいね」
えっ。新吉さん! それってどういう……。
「ふふふ。これで私はいつでも安心してお嬢さまの元に行けるねぇ。……おようちゃん、早くお祭りに行っておいで。おちかちゃんたち、きっともう着いて待っているわよ」
真っ赤になって震えてる私に、おばあちゃんは微笑んで言いました。
自分で言っておいて、同じく真っ赤になってる新吉さんが、私にぼそぼそと言いました。
「ほら。おふくさんもそう言ってるし。早く行こう。龍神さまのところへ」
「う、うん」
私はおばあちゃんに、「まだまだお嬢さまの元へ行ってはダメだよ。もっと話を聞きたいんだから」と念押しするように言ってから、二人で逃げるように家を出ました。
しばらく歩いて家から離れると、私と新吉さんどちらからともなく手を握りました。そして龍神さまが待つ山の階段を登っていくのでした。
山の上からは、笛の音や太鼓の賑やかな音が聞こえてきます。
空に溶けた龍神さまとお嬢さま。
祭りの音を聞いていますか?
聞こえてますかーーー?
ー完ー
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