撮り残した幸せ

海棠 楓

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 史郎の怒りは、恋い焦がれていた想いの強さの裏返しだった。
 この日をどんなに待ち望んでいたか。いつものように、会うためだけのやり取りを二、三回行って、すぐ会って、やって、終わり。ではなくて、何度も交わした雑談めいた他愛のないやり取りがとても心地よかった。もっと話したい、でもこんなに送っちゃ迷惑かな、だなんて、若い頃の恋愛みたいに、メッセージを送るときは年甲斐もなくどきどきはらはらとしたものだ。
 そのうちに会いたくて会いたくて、日に日にジュンのことばかり考えるようになって。四十二歳と聞かされていたから、それなりの容姿をあれこれと想像して、ジュンに抱かれることを想像して自らを慰めてみた夜もあった。
 今度こそ、本当の恋到来だと思ったのに。
 そう、史郎はこんな爛れた暮らしをしているけれど、単に性欲を解消できさえすればそれで良い、と思っているわけではないのだ。恋がしたかった。生涯最後の恋を。ただ出会う手段が手段なものだから、その望みが叶うことはこれまでになかったのだが。

「史郎さんは、そんなに年齢気になりますか? ずっとやりとりしてた俺は本物ですよ?」
「親子ほど離れてる相手と何をする気も起こりゃしないよ。それ以前に、騙され続けてたんだからね。今更何を言われても信じられない」
「本当に、そのことは謝ります。どうしたら許して、信じてもらえますか……?」
 どうせジジイを騙して陰で嘲笑っていたのだろう、史郎は自制が利かないほどどんどん腹が立ってきた。だがジュンの表情からはそんな悪の要素は感じられない。
「……ここで土下座して、そこの噴水の中からもう一回謝ったら……」
 言い終わらないうちにジュンは土下座した。そしてすぐさま噴水へ向かおうとするので、あわてて追いかけていって止めた。若さの持つ滅茶苦茶な行動力やパワーを忘れていた。こんなこと、同年代なら絶対やらないはずだ。絶対やるわけないと思ったから、言ったのに。

「美味そうですね! ここよく来るんですか?」
 ジュンはにこにこしてサバの味噌煮定食を眺めている。
「……初めてだよ」
 うんざりした様子でわかめうどんをさほど食べたくもなさげにつつく史郎。
 駅の裏手の飲み屋街、セルフサービスで古ぼけた薄暗い、長居は無用という空気の食堂に、二人はいた。
 食事だけでも済ませて、とっとと帰ろう、そして二度と連絡するまい、史郎はそう思っていた。この日食べたわかめうどんは、これまでの生涯で最も不味かった。

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