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本編

37:欲しい ※大剣使い視点

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 この笛の音は、町を出る前にあいつに渡した笛のものだ。あいつが俺を呼んでいる。

 魔物共も音に反応して、音のした方向に顔を向ける。すると、新たに飛び込んで来た方の魔物がその方向へと走り出した。


 ────あいつが呼んでいるのはお前じゃない!


「ガウッ!?」

 反射的にダガーナイフを抜くと、走り出した魔物とすれ違う刹那、首元にダガーナイフを突き立てる。そのまま引っ張られる力を利用して、その背に飛び乗る。 

 しかし、そうまでされても魔物は足を止めず、笛の音がする方へ一直線に向かって行く。俺を標的にしていた片方も、俺を追って走り出していた。

 乗り心地なんてあったものじゃない魔物の背にしがみつきつつ、並走しながら俺を食らおうとする魔物を剣でいなしていると、そう時間がかかることもなく遺跡の外壁と、そこにいる人影が見えた。


 ────あいつだ。 


 向こうも魔物を見て一瞬強張ったものの、魔物の背にいる俺に気づき、何か身振りで伝えようとしてきた。

 あいつが指し示す場所をよく見ると、壁の下の方に、屈めば入れそうなほどの隙間が開いているようだ。

 俺達なら姿勢を低くすれば入れるが、こいつらの顎の大きさでは絶対に入れない程度の隙間……意図を汲み取ったので頷く。

 それを見たあいつは一足先に壁の向こうへ潜っていく。壁の先も安全な保障など無いが、このまま障害物も無いままこの魔物共を相手にするよりはマシだろう。

「ギャンッ!」

 俺はまず、並走する魔物の体勢を崩す目的で前足付近を攻撃し、一瞬の硬直を狙う。

「ギャインッ!?」

 次に、乗っている方の魔物の頭部に思い切り大剣をぶち当て、その勢いをそのままに俺は体ごと前に飛び出す。

「グガアアアアアッ!!」

 硬直から復帰した方が俺に追い縋るのを背中で感じながら壁の隙間に飛び込む。
 直後に閉まった壁に、魔物共が体当たりをしてくる。しばらく警戒していたが、破られる気配が無いのを確認した後、警戒を解いた。


 その後少し揉めたが、まずはこの空間の安全を確認することが先決と見て、灯りの無い暗闇を探索していく。
 ここはギルドの記録にも残っていない空間らしい。確かに、長いこと人が立ち入った気配が無い。それよりも……ここはあの“匂い”が薄い気がする。

 あいつは壁のデカい彫り物の下に石碑を見つけたようで、俺が許可を出すと嬉々として手帳を広げ始めた。何がそんなに嬉しいのかさっぱり分からん。


 それから半日ほど、こいつは休まず作業をし続けた。読めるならまだしも、読めもしない文字にすらここまで固執する奴は今まで見たことが無い。

 そろそろ休ませるべきだなと、声をかけて引きずっていくと、己の活動時間のギリギリでもあったようだ。こいつは本当にこんなんでこれからも生きていけるのだろうか。

 そうして1日半ほど寝ると言って、食事をとり終わるとさっさと“異人の眠り”とやらについた。


 ────魂が抜けたようだ。


 それが、寝ているこいつを観察した印象だった。関所で寝ていた時と何かが根本的に違う感じがする。
 聞こえてくる話では、この状態の異人は何をしても起きないそうだ。……例え、何者かに襲われて死んだとしても。

 なぜなら異人はこの時、“元の世界”に帰っているのだとか。では、元の世界とやらに帰ったままだとどうなるのか。既に、何日もこの状態で目が覚めない異人も何人か確認されているらしい。

 こいつも、このまま目を覚まさなければ……と想像して、胴体に手を当てる。息もしているし、生きている者の温かさもある。それでも、あいつの存在を感じない。

 こいつの……トウノの寝ている体を抱え上げて、首筋に顔を寄せる。変わらず匂いがしない。それが、どうしようも無く落ち着く。


 ────このまま目覚めなければ……この体だけでも俺のものに。


 ……何を考えているんだ、俺は。仄かに灯った暗い何かを誤魔化すように抱えた体に回した腕に少し力を込める。

 そうしていると、抱えている温もりに、“匂い”を全く感じない心地良さに、瞼が降りてくる。もしかしたら生まれて初めてかもしれない、安らかな微睡みに抗うことなく、俺は眠りに落ちた。


 *


 腕の中のものが僅かに動く感覚に意識が浮上する。どうやらトウノが起きたらしい。そのことに小さく安堵する。

 覚醒し切らない頭で安堵して気が緩んだのか、今まで婆さんにしか話したことの無い己の体質を口走っていた。

 それを聞いてもこいつはそういう質なのか、嫌悪も過度な同情もなく、事実を確認する為の質問をするだけだった。これ以上分かることも無いとみると、解読作業に戻りたいとか吐かしやがった。

 少しイラッときたので、解読作業を邪魔しなきゃいいんだろうと、抱えて移動してやった。流石に迷惑そうな顔をしていたが、とくに抵抗は無かった。


 また作業に没頭してしばらくの後、こいつの技能が成長し、職業が昇格したらしい。その影響か、作業風景やスピードが本格的に理解不能になった頃、唐突に目の前に光を放つ何かが現れた。反射で得物に手をかける。

 そこには、砂の民の民族衣装に似ていないこともないが、見たことも無い形の古ぼけた服が独りでに浮いていた。強力な魔物を倒した後や特別な宝箱を開けると稀にこういう形で装備を得られるというが……と考えている間にまた装備が光り出し、光が収まると服の装飾や色が少し変わっていた。流石にこんな現象は聞いたことがない。

 トウノに説明を促しても、言っていることは分かったが、内容は理解の範疇を超えていた。

「装備してみるか」
「正気か?」

 と言うと、止める間もなくどうやってか一瞬でその装備を身に纏った。相変わらず表情は乏しいが、少し嬉しそうな気がする。こういうところはこいつも異人だなと頭が痛くなる。


 その後、解読が完了したという碑文を読むと、トウノの言う通り、気味の悪いほど婆さんから聞かされてきた寓話などに似ていた。

 その他、魔物大襲撃の時期の予測も立ち、ここからどう生きて関所まで戻るかと思案していると、突然トウノが苦しみ出してうずくまる。

 声をかけても肩を掴んで揺さぶっても反応がなく、ただ固く目をつぶり、息を荒くして何かに耐えている様子に、何者かの攻撃かと気配を探るも、何も分からない。焦りが募る。

 次第にトウノの呼吸が落ち着き出し、未だ苦しげな顔を上げた瞬間────。


 ────俺の世界が、一変した。


 今まで絡みつくようだった不快な匂いは、認識は出来るが無視出来るほど些末なものへと変わった。

そして“匂いの無かった”トウノからは、深い夜の森を幻視するような……とんでもなく抗い難い、心地良く、それでいて蠱惑的な匂いがした。

 今まで何故この匂いを感じ取れなかったのか分からないほどに。


 いや、もしかしたら最初から感じ取っていたのかもしれない。


 腕が自然と動き、トウノの顎を捉えて上を向かせる。先ほどまでの苦しみからか上気した頬が潤んだ目が、初めて会った日の光景を思い起こさせる。


 ────もっと、その表情(かお)を俺に見せろ。


 ────もっと、お前が欲しい。


 体のどこか奥底から湧き上がる衝動に従って、己の唇をトウノのそれに重ねた。


 *


 トウノが我に返ったところで唇を解放すると、とくに照れることもなく理由を聞いてきた。……俺が言うのもなんだが、お前は突然男にキスされてその反応でいいのか……と思いつつ「礼」ということで押し切った。

 今までトウノを観察してきて、こいつが人肌の温かさや熱に弱いのは間違いない。じっくり行けばいい。

 個人情報がどうのとやけに気にしながら《解析》結果とやらを見せてもらうと、どうやら《夜狗の血族》という称号が増え、いくつかの技能がこの“夜狗”の名を冠していたり、名称が変化しているようだ。

 事実、匂いのことだけでなく、体全体が今までに無いほどの気力で満ちているのを感じる。増した、というよりは今まで抑え込まれていた力が自由になったという感覚だ。

 今なら外の狂った魔物も2体と言わず5体でも6体でも相手に出来そうだ。


 ……と、思っていたら本当にあっさり倒すことが出来た。今までが何だったのかと思う程に。

 狂った魔物共に関しては、トウノに由来するらしい特殊効果の聖属性がかなり有効だった。
 トウノのことを意識すると、僅かながら聖属性を扱える感覚がある。そのことにえも言われぬ満足感があった。


 ああ、そうだな。


 ────あいつの全てを手に入れる。決して逃がしはしない。


 俺は酷く静かな、凪いだ心で、それとは裏腹な決意を固めた。
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