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本編

35:匂い ※大剣使い視点

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 俺は常に不快な匂いを感じている。物心ついた時からだ。

 ガキの頃は不快感からくるイラつきを抑えきれずに、ところ構わず周囲へ当たり散らして孤立していた。最後まで見捨てずに俺の側にいてくれたのは、何かと世話を焼いてくれた婆さんだけだった。

 それから何年かして分かったのは、この不快な匂いはどうやら“本当の匂いでは無い”らしいということだ。本当の匂いで無いなら、慣れて感じなくなることも無い。

 絶望感がより増しただけだった。

 イラつきを何とか抑えられるようになってからは、婆さん以外の他人とも最低限の交流をすることが出来るようになった。

 そうして俺の感じている“匂い”について、ある共通点があることに気づく。
 それは、この世界の唯一の神とやらと関わりが深そうな場所、物、人ほど匂いを強く感じるようだ。それに、神の力が弱まるという夜は匂いが薄まって多少過ごしやすい。

 町の修道士の言う“試練”なのか何なのか知らないが、俺にこんな体質を課したくそったれの神とやらが大嫌いだったが、どうやら向こうも俺のことが嫌いだったらしい。


 婆さんが逝った後は、傭兵ギルドに出入りするようになった。1人で生きていく糧と術を得られるように。
 
 それからしばらく、何故か信心深い奴ほど俺の名前に眉を顰めたり、しまいにはフィールドでの仕事中にまで因縁をつけてきやがるので、面倒くさいから本名を名乗るのを辞めた。
 幸いにも、飛び込んだ傭兵の世界は本名を名乗ってる奴、覚えている奴の方が珍しいから都合が良かった。

 町の外は危険だが、不快な匂いが少し薄れる。それだけのことでも、俺には充分な安らぎとなった。
 必然、町の外でもやっていけるだけの力をつけることにがむしゃらになった。

 傭兵稼業は余程俺に向いていたのか、そう間を置かずにひとり立ちすることが出来た。飯が満足に食えるようになってからは強く頑丈な体になっていき、さらに力をつけることが出来た。


 それからは、少しでも匂いの薄いところへと町から町へと移動し続けた。

 そうして辿り着いたのが、西の果ての町『ユヌ』だった。


 “匂い”は変わらずあるものの、これ以上の居場所は無いだろうと俺はユヌを拠点にすることにした。
 ほとんどは依頼をこなすだけの日々だが、飯が美味い宿屋を見つけたり、たまに組む傭兵仲間が出来たりした。

 ユヌに居着いてから欠け月が何回か昇った頃、初めてこの町の傭兵ギルドのギルドマスターを見かけた。

 実力の差を感じるよりも俺の意識が向かったのは、今まで会った誰よりも臭いような、だが誰よりも匂いが無いような、異様な匂いに対してだった。得体の知れない感覚に警戒していると、一瞬だけそのギルドマスターと目が合い……すぐに逸らされた。


 *


 それからユヌで過ごすこと数年、突如この町に異人マレビトという存在が大量に現れるという情報が飛び込んできた。

 最初は混乱したが、町の老人連中やギルド幹部からすると『昔からたまに現れていた』らしい。しかも、前々から秘密裏に知らせを受けていたとかなんとか。


 ────そして、欠け月が昇る日、異人達はユヌの町に現れた。


 しばらくは、警戒しながら観察していた。現れる異人は似たり寄ったりな粗末な装備をしているのに反して、風貌や種族にまとまりが無い。あと、見た目が良い奴がやたらと多い。違和感しかなくて気味が悪い。

 ただ、そこらのガキの方がまだ強いんじゃないかというくらい、現れた異人達は弱かった。連盟からのユヌにはあまり居付くことはないだろうという話で、大通り以外には俺達が案内しないと入って来れないようになっているらしい。

 そこまで気にするほどの存在ではないと判断し、普段の生活に戻った。

 1日外で仕事をしてきた後、大通りから宿へ向かう道に入ろうとしたところで、宿屋の主人達の娘に引き止められた。
 《不眠》と《空腹》で今にも倒れそうな異人に実家の宿を紹介したからちゃんと辿り着いているか確認して欲しい、と。

 何だその間抜け。

 しかも、紹介したということはあの宿に異人が来るのか……面倒だな。

 舌打ちしたい気分になりながら宿屋に向かうと、すぐにその異人だろう男がフラフラと歩いているのが見えた。異人達の中でもひときわ弱そうだ。

 一定の距離を保ちながら見張っていると、じきに宿の前に到着した。

 …………非力過ぎて扉が開けられないらしい。あのままでは俺が入れない。仕方がないので異人に近づき、後ろから扉を開ける。

「何やってんだ、お前」

 驚いたのか一瞬固まった後、緩慢にこちらを振り返り、血の気が引いた青白い顔でぼんやりとこちらを見つめてきた。異人にしては見た目が普通……より少し人相が悪いな、と思った瞬間────気づく。


 “匂い”がしない。


 そのことに愕然として、確かめるように顔を寄せようとした時、扉の開く音に気づいた宿の女将に声をかけられ、拐ってきたの何だの人聞きの悪いことを言われイラついたので異人の脇を通ってさっさと中に入った。

 その後、フラフラと入って来たそいつを観察していると、向こうもこっちを観察しているようだった。鬱陶しかったので軽く威圧してやると、不思議そうな顔をして身じろいだだけだった。

 ……なんというか、コイツは見た目も普通で観察してきた異人の中では違和感の少ない方だと思う、が、何故か他の異人達より存在感というか……何かが薄い、と感じる。匂いがしないことと関係があるのか?などと考えていると、異人は女将が持って来た食事を口に運び始めた。


 ────その瞬間。


 突然体を縮こませて、しばらくの間何かを耐えるようにした後、そいつは顔を上げた。
 その表情は……先程までの死にそうな顔が嘘のように頬に赤みがさし、目の端からは溜まった水滴が一筋溢れ落ちていた。

 その様に、何故か目を離せないままでいると、そいつはここではない何処かを見つめるようにして口を微かに動かしたのが分かった。


 それを見た俺は、無意識に舌で唇を濡らしていた。


 *


 それから、傭兵ギルドへ来る異人に接触してみると、たまにあの異人のように匂いの無い、もしくは薄い奴がいることが分かった。……少し興味が湧いた。
 俺はそいつらの依頼を手伝ってやることにした。手伝い自体はギルドからも推奨されていて報酬的にも美味い仕事だ。

 そこで分かったのは、2、3日ほとんど寝ずに動き回ったかと思うと、その後は2日以上何をしても起きなかったり、よく分からんところから持ち物を出し入れしたりする能力があるということだった。

 そして、こいつらは戦いたがる割には戦い方をまるで知らない。こんなことでは近い内に必ず死ぬ。しかも、血や肉を見て倒れそうになる奴が多い。ケツの青いガキでももう少しマシだろう。しかし、前者のそれは、こいつらには問題でないことがすぐに分かった。


 異人達は死んでもすぐに復活する。


 ある異人が、俺の指示を無視して無鉄砲に魔物に突っ込んで死んだ。すぐに体が光になって消えたのにも驚いたが、町に戻ったら死んだはずのそいつが何食わぬ顔をしてこちらに近づいてきた時には、そういう魔物の類かと剣を抜きそうになった。

 しかもそいつは、嗅ぎ慣れた……あの不快な匂いを強く纏っていた。

 異人は自分達のそれを“死に戻り”と言っているらしい。死んだらそれで終わりの俺達からしたらふざけた能力だ。

 さらに“死に戻り”ほどでは無いが、力をつければつけるほど、徐々にあの匂いを纏い出すことも分かってきた。その頃にはもう手伝いもいらないくらいにはなっていたのもあり、手伝うのを辞めた。


 その日、夜明け頃に町へ戻ると、宿の扉の前でモタモタしている男がいた。…………あの間抜けで弱い異人だった。体当たりをして開けようとしているが、開く前にあいつの肩がイカれそうだ。

 “またかよ”という気持ちを叩きつけるように、後ろから開けてやる。今回も驚いてこちらを見上げてきたその顔は、前よりは多少顔色が良く、視線もしっかりしている。目つきが少し悪い割には穏やかな落ち着いた目で静かに礼を言って、中に入っていった。
 

 そして────まだ、匂いが無い。


 一瞬、何故だという疑問が渦巻くが、答えは簡単だ。こいつは死に戻りもしてなければ、力もつけていないのだろうと結論づけて、俺も宿に入る。


 前回と同じ席にいる異人に何となく視線を向けてしまう。手帳を広げて何やら書き込んでは考え込んでいた。何をしてるのかさっぱり分からん。


 その内食事が運ばれて来ると、表情の乏しい顔を微かに綻ばせながら食事を口に運んでいく。

 食べ終わってからも、何か手帳を広げて少しの間眺めていた。しばらくして異人は部屋に引っ込んでいった。


 次に会うことがあれば、今度こそあいつも“匂い”を纏っているのだろうか。


 …………そうなって欲しくないと思っている自分がいた。
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