上 下
157 / 273

粘膜サンシャイン21.

しおりを挟む
干潟のあぶく

 ニッポンバシオタロード。
 狂乱の大勝利都市・トライアンフオーサカの持つ西の経済本拠地、物流大本営、革新的育脳教育ネットワークとしての顔の、そのまたウラの顔とも言える、雑多な文化が繁殖する混沌地域。昔ながらの中小零細電機店や印刷屋、工具器具備品店、家族経営の町工場。
 その労働者向けの安い飲食店に酒場。そして慰安をもたらす健康サロンや宅配的派遣業。
 それらが隆盛を誇っていたのは戦争直前まで。荒廃したトライアンフオーサカの都市再生計画では、それらは殆ど残されなかった──

 もっとも、資材も原料も限りなく入手困難となったことで、戦争で焼けたり行政に潰されたりしなくても存続は難しかっただろうと思うが……。そして代わりに隆盛を極めているのが、イニシエのコミックやコンピューターゲームソフト、音楽や映画のレコードなどをはじめとするレトロメディアに特化したニューレトロ電機街文化だった。

 初めは焼け残った喫茶店の店主が営業を再開するにあたって、戦前のようなネット回線を用いた有線音楽配信サービスが途絶えたことで、実質的なみかじめ料に等しい加入義務や選り好みも出来ず押しつけがましい選曲と軽薄なヒットチャートからの解放を喜ぶと共に趣味であるアナログレコード盤に刻まれた名曲の数々をBGMとして流し始めたことにあった。

 やがて音楽を求め文化に飢えた人々はその店で憩い、一人また一人と集まって来ては各々がレコードを持ち寄って共に過ごすようになった。さらに或るものは自らも店を開き、またそこに集い、さらに数年を経て賑わいを取り戻すと往来の至る所が蛍光色の液体照明で満たされたフレキシブルチューブや、敢えてショーワと呼ばれた年代を意識したネオンサインで飾られるようになった。
 そんな往来に旧時代のメディアに刻まれたレコードを並べたり鳴らしたりする店がひしめき合う様相を呈するようになったことで、誰が呼んだか音楽オタク、ゲームオタク、読書、映画、アニメ、漫画に小説あらゆるオタク。それも戦前のオールドメディアを好むオタクが集う、オタクの道を究めたい人たちの場所。
 それが通称として定着したのがニッポンバシオタロード。

 だ、そうだ。
 ぶらりと降り立った白昼のニッポンバシオタロードには真夏の強烈な陽射しが悪意を持って降り注ぎ、ぎらつくアスファルトから湿った空気が立ち昇ってゆらりと揺れる。

「お兄さん、かっこいいね!」

 そんな干潟のような往来で不意に声を掛けられて、振り向くとそこにはオールドスクールなメイドさんがチラシの束を小脇に抱えて微笑んでいた。
 みんなが思い描くメイドさんの、もっと古めかしくて、ちょっと上品に感じるタイプのメイドさん。

 黒いショートボブに透き通るような白い肌、明るいルージュを引いた可愛らしく丸っこい唇から発せられる、まるでアニメのヒロインみたいに高く澄んだ声。クリっとして黒目の大きな瞳。ツンとしたオトガイ。
 真夏だというのにしっかり着込んだ衣服の上からでもわかるほど豊かな胸のふくらみと、長いスカートを揺らす小股の切れ上がった脚。

「ねえ、お暇ですか? 良かったら一服してってよ」
 敬語とタメ口の混じりあった不思議なしゃべり方が、いかにもメイドさんな感じがしなくて、そこも良かった。つまり
「か、かん……完璧だ」
「???」
 瞳をクリっとさせたまま首をかしげるメイドさん。暑いし、チラシも減らしたいだろうし、早く空調の効いた控室に帰りたいだろうし、立ち話なんかメンドクサイだろうし、蒸れた腋の下や下着の中もクサイだろう。どうしよう、どうしてもそれが確かめたい。
 嗅ぎたい。

「君、な、名前は……?」
「あぶくちゃん!」
 顔をぎゅっとほころばせて、あぶくちゃんと名乗った彼女が微笑む。そのオトガイに垂れた汗がぎらつく陽射しを浴びて輝きながら、舗装された干潟にこぼれて乾く。
「あぶくちゃんか……可愛いなあ」
「ありがと、お店きてね!」
 じゃね、はいこれ! とB4サイズの紙きれを僕に握らせると、あぶくちゃんは陽炎の踊る干潟のような往来をひらひらと去って行った。きっとまた次の疲れた物欲しげな男に、この手書きのイラストと地図の入ったチラシを配りに行くのだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性転換ウイルス

廣瀬純一
SF
感染すると性転換するウイルスの話

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

古代日本文学ゼミナール  

morituna
SF
 与謝郡伊根町の宇良島神社に着くと、筒川嶼子(つつかわのしまこ)が、海中の嶋の高殿から帰る際に、 龜比賣(かめひめ)からもらったとされる玉手箱を、住職が見せてくれた。  住職は、『玉手箱に触るのは、駄目ですが、写真や動画は、自由に撮って下さい』 と言った。  俺は、1眼レフカメラのレンズをマクロレンズに取り替え、フラッシュを作動させて、玉手箱の外側および内部を、至近距離で撮影した。   すると、突然、玉手箱の内部から白い煙が立ち上り、俺の顔に掛かった。  白い煙を吸って、俺は、気を失った。

性転換タイムマシーン

廣瀬純一
SF
バグで性転換してしまうタイムマシーンの話

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

処理中です...