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粘膜サンシャイン16.
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干潟のあぶく
店にはカウンターの椅子が5席と、僅かな通路を挟んで小さなテーブルがひとつ。丸椅子がふたつ。それだけで、あとは店中をレコードから映画やライブのポスター、フライヤー、各々が持ち寄った書籍から打楽器、ギター、鍵盤ハーモニカにイリンデンバラライカブルトンと呼ばれる東アブセチア共和国の伝統楽器まで雑多にひしめき合い、思わず圧倒されてしまう。
「……すごいなあ。あっ、ごめんよ。ひとり、いいですか」
「ええどうぞ。今日はヒマでね」
店の中に客の姿は無く、店主は如才なく自分の前の席にオシボリを置いて僕を出迎えた。
「何にしましょう?」
「サルマンタリミンド、ある?」
「あ、いま出来るかな……お、あるある。出来ますよ」
「じゃあ、ロックで」
「はい、少々お待ち」
ベレー帽の店主が慣れた手つきで東アブセチア共和国の名物カクテルを作り始めた。さっきのイリンデンバラライカブルトンを見て、思い出したのだ。
そうだ、東(トー)アブにも兄さんと二人で行ったんだった。旅行や遊びに行ったんじゃなく、戦争のお手伝いをしに。僕たちは死神の代理人、地獄から派遣された歩合制の殺し屋だった。
「はーい、お待ちどう」
「どうも。お兄さんがここのマスター?」
「ええ。どうも」
「じゃあ、何か飲んでよ。おごるからさ」
「そうですか、じゃあ、ビールを」
「どうぞ、どうぞ」
イソイソと自分のコップを洗って、ふた昔前に普及した炭酸ガス式のビーアサーバーから器用にビールを注ぐ店主。こんな骨董品が現役稼働中だなんて。ますます面白い店だ。
「お兄さん、お名前は?」
「僕ですか、お兄さんって年でもないですけどね。僕はダイゴローです。お兄さんは?」
ダイゴローと名乗った男がビールを注いだコップを掲げ、僕の前に突き出した。
「僕? 僕は、マノ。お兄さんを探してるんだ。僕は弟だからね」
二人の間に交わされた、お兄さん、という言葉を踏まえて、僕はそんな冗談を言ってロックグラスを突き出した。
「じゃあダイゴローさん、乾杯だ」
「マノさんに、乾杯。ごちそうさま」
カチン、と心地よい音がして、二人で酒を飲み交わす。
「ああ、んまい」
サルマンタリミンドは複数のスパイスと果実のリキュール、もしくは度数の高い蒸留酒を用いることもあって複雑な味わいを持つ東アブの伝統的なお酒だ。
「ダイゴローさん、サルマンタリミンド美味しいよ。上手だねえ」
「そうですか? 常連さんがよく飲んでましたからねえ。よかったです」
「そうなの? 前に頼んだ人って、どんな人?」
「つい最近でしたよ。もう此処を出てどっか行っちゃうんで最後にって。よく来てくれた人でね。いいお客さんでした。そういえばどことなくマノさんに、ちょっと似てたなあ」
「名前は、名前はわかりませんか? 背が高くて、髪の毛長くて黒で、で女好きでスケベでカワイ子ちゃんなら性別も問わない勢いの……」
「どんな人ですか、それ。でも、よく知ってますね。そんな感じの人ですよ。……ウノさん、って言ったかな」
「兄さんだ!」
僕は思わずカウンターの椅子から飛び上がってしまった。バン、と叩いた拍子に、テーブルの片隅に立てられていた古い本がパタンと倒れる。
「あっすみません」
「いえいえ、よっこいしょ」
ダイゴローさんがカウンターから身を乗り出して本を直しつつ、ビールの残りを飲み干した。
「え、ウノさんの弟さん!? 道理で名前も似ている……」
「兄さん、もう此処には居ないんですか」
「ええ。どっかに用事があって出かけるから、もう此処も引き払うって」
(戦争に行ったんだ……)
兄さんはいつもそうだ。帰る場所をなくしちゃってから、戦いに行く人だった。そうじゃないと未練があるから、って。僕たちは母星を失って以来、本当の意味の故郷は文字通り木端微塵で、宇宙の塵になった。だから、もう何処にも戻ったり帰ったりは出来ねえんだ、って。兄さんいつも言ってた。
「なるほどね、ウノさんもマノさんも、よその星からいらしてたんですか」
「えっ!? ダイゴローさん、テレパスなの?」
「いやいや、全部、下向いてブツブツ喋ってましたよ。てっきり僕に話してくれてるのかと思って、相槌を打っちゃって」
思ったことが口に出ちゃうのは、僕の悪い癖だ。
「それで、兄さんは何処へ行くと言っていましたか」
「うーーん、確かマッドナゴヤに用があるとか」
「なんてこった、行き過ぎた」
「いつも一緒に来てた侍のおじさんと、体のデカい男の子も居たっけ」
「そっか。兄さんは此処で何か準備をしてたんだ。その二人は、きっと仲間なんでしょうね。あの人は人ったらしだから……」
「確かにそうかもしれないなあ。飲みっぷりもよくて、遊び方が綺麗で粋でしたよ」
「何の準備も下調べも無く、あんなところに乗り込むわけがない。何か手掛かりを残してないかなあ……明日にでも調べてみようっと」
「そういえば、僕の家はサカイスジに近いんですが、よくニッポンバシオタロードで見かけましたよ。ドーグヤスジの工具店とか、電子部品のお店なんかに居たので、声かけて立ち話したり、露店でイカ玉焼きをご馳走になったりしました」
「ニッポンバシオタロードね、ありがとう! じゃあ情報料だ、もうイッパイ飲んでくださいな」
「ありがとうございます、じゃあお茶割りいただきまーす」
カウンターの中でお茶割りを作るダイゴローさんの、その後ろの棚に並ぶ無数の酒瓶、店中を埋め尽くすポスター、フライヤー、絵葉書、テレホンカードにチラシ張り紙……この風景の中に、ついこの間まで兄さんが居た。思いがけず手掛かりを掴んだ僕は嬉しくて、その後もダイゴローさんと夜更けまで酒を飲みながらいろんな話をした。
店にはカウンターの椅子が5席と、僅かな通路を挟んで小さなテーブルがひとつ。丸椅子がふたつ。それだけで、あとは店中をレコードから映画やライブのポスター、フライヤー、各々が持ち寄った書籍から打楽器、ギター、鍵盤ハーモニカにイリンデンバラライカブルトンと呼ばれる東アブセチア共和国の伝統楽器まで雑多にひしめき合い、思わず圧倒されてしまう。
「……すごいなあ。あっ、ごめんよ。ひとり、いいですか」
「ええどうぞ。今日はヒマでね」
店の中に客の姿は無く、店主は如才なく自分の前の席にオシボリを置いて僕を出迎えた。
「何にしましょう?」
「サルマンタリミンド、ある?」
「あ、いま出来るかな……お、あるある。出来ますよ」
「じゃあ、ロックで」
「はい、少々お待ち」
ベレー帽の店主が慣れた手つきで東アブセチア共和国の名物カクテルを作り始めた。さっきのイリンデンバラライカブルトンを見て、思い出したのだ。
そうだ、東(トー)アブにも兄さんと二人で行ったんだった。旅行や遊びに行ったんじゃなく、戦争のお手伝いをしに。僕たちは死神の代理人、地獄から派遣された歩合制の殺し屋だった。
「はーい、お待ちどう」
「どうも。お兄さんがここのマスター?」
「ええ。どうも」
「じゃあ、何か飲んでよ。おごるからさ」
「そうですか、じゃあ、ビールを」
「どうぞ、どうぞ」
イソイソと自分のコップを洗って、ふた昔前に普及した炭酸ガス式のビーアサーバーから器用にビールを注ぐ店主。こんな骨董品が現役稼働中だなんて。ますます面白い店だ。
「お兄さん、お名前は?」
「僕ですか、お兄さんって年でもないですけどね。僕はダイゴローです。お兄さんは?」
ダイゴローと名乗った男がビールを注いだコップを掲げ、僕の前に突き出した。
「僕? 僕は、マノ。お兄さんを探してるんだ。僕は弟だからね」
二人の間に交わされた、お兄さん、という言葉を踏まえて、僕はそんな冗談を言ってロックグラスを突き出した。
「じゃあダイゴローさん、乾杯だ」
「マノさんに、乾杯。ごちそうさま」
カチン、と心地よい音がして、二人で酒を飲み交わす。
「ああ、んまい」
サルマンタリミンドは複数のスパイスと果実のリキュール、もしくは度数の高い蒸留酒を用いることもあって複雑な味わいを持つ東アブの伝統的なお酒だ。
「ダイゴローさん、サルマンタリミンド美味しいよ。上手だねえ」
「そうですか? 常連さんがよく飲んでましたからねえ。よかったです」
「そうなの? 前に頼んだ人って、どんな人?」
「つい最近でしたよ。もう此処を出てどっか行っちゃうんで最後にって。よく来てくれた人でね。いいお客さんでした。そういえばどことなくマノさんに、ちょっと似てたなあ」
「名前は、名前はわかりませんか? 背が高くて、髪の毛長くて黒で、で女好きでスケベでカワイ子ちゃんなら性別も問わない勢いの……」
「どんな人ですか、それ。でも、よく知ってますね。そんな感じの人ですよ。……ウノさん、って言ったかな」
「兄さんだ!」
僕は思わずカウンターの椅子から飛び上がってしまった。バン、と叩いた拍子に、テーブルの片隅に立てられていた古い本がパタンと倒れる。
「あっすみません」
「いえいえ、よっこいしょ」
ダイゴローさんがカウンターから身を乗り出して本を直しつつ、ビールの残りを飲み干した。
「え、ウノさんの弟さん!? 道理で名前も似ている……」
「兄さん、もう此処には居ないんですか」
「ええ。どっかに用事があって出かけるから、もう此処も引き払うって」
(戦争に行ったんだ……)
兄さんはいつもそうだ。帰る場所をなくしちゃってから、戦いに行く人だった。そうじゃないと未練があるから、って。僕たちは母星を失って以来、本当の意味の故郷は文字通り木端微塵で、宇宙の塵になった。だから、もう何処にも戻ったり帰ったりは出来ねえんだ、って。兄さんいつも言ってた。
「なるほどね、ウノさんもマノさんも、よその星からいらしてたんですか」
「えっ!? ダイゴローさん、テレパスなの?」
「いやいや、全部、下向いてブツブツ喋ってましたよ。てっきり僕に話してくれてるのかと思って、相槌を打っちゃって」
思ったことが口に出ちゃうのは、僕の悪い癖だ。
「それで、兄さんは何処へ行くと言っていましたか」
「うーーん、確かマッドナゴヤに用があるとか」
「なんてこった、行き過ぎた」
「いつも一緒に来てた侍のおじさんと、体のデカい男の子も居たっけ」
「そっか。兄さんは此処で何か準備をしてたんだ。その二人は、きっと仲間なんでしょうね。あの人は人ったらしだから……」
「確かにそうかもしれないなあ。飲みっぷりもよくて、遊び方が綺麗で粋でしたよ」
「何の準備も下調べも無く、あんなところに乗り込むわけがない。何か手掛かりを残してないかなあ……明日にでも調べてみようっと」
「そういえば、僕の家はサカイスジに近いんですが、よくニッポンバシオタロードで見かけましたよ。ドーグヤスジの工具店とか、電子部品のお店なんかに居たので、声かけて立ち話したり、露店でイカ玉焼きをご馳走になったりしました」
「ニッポンバシオタロードね、ありがとう! じゃあ情報料だ、もうイッパイ飲んでくださいな」
「ありがとうございます、じゃあお茶割りいただきまーす」
カウンターの中でお茶割りを作るダイゴローさんの、その後ろの棚に並ぶ無数の酒瓶、店中を埋め尽くすポスター、フライヤー、絵葉書、テレホンカードにチラシ張り紙……この風景の中に、ついこの間まで兄さんが居た。思いがけず手掛かりを掴んだ僕は嬉しくて、その後もダイゴローさんと夜更けまで酒を飲みながらいろんな話をした。
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