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それでも天使のままで
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ネタバレするので言い方や書き方を変えているところがあります。
読んだ人なら分かると思うし、まだの人は是非まず小骨トモさんのアカウントやWebアクションを御覧ください。
小骨トモさん二冊目の単行本が発売された。
ここまで数年、早かったようで長く曲がりくねった道をゆく小骨さんの、魂と精神の根っこで渦巻くものを作品としてしっかり出して見せるようになった。気がする。
最初の「リカ先輩の夢を見る」は順番をちゃんと踏んでるのがわかりやすくって、好きなバンドマンを一瞬だけ名前で呼ぶ、映画マニアの男子をこっぴどく振る、自分には色々オススメしてくれて見に行く、ガッツリ退屈するも好きなバンドマンが知ってて機嫌を直している…という感情の筋道に色んなイヤーな色と模様の花が咲きビルが建ってコッチ向いて嗤っている。
なんかそんなマンガだった。だから、あの
「お前が好きなのはお前の好きな人の好きなもので、お前はオレと同士じゃない」
っていう絶叫が芯を食う。
お前なんかオレの好きなもんが好きなんじゃねえ!
って思うこと、あるもんな。
自分が好きでかじりついて生きているものを、ライトにフラっといいとこだけつまんで楽しそうにされてさ。別にそれが悪いとかなにかの罪じゃないんだから全然文句言う筋合いなんかないんだけど、なんかそういう気持ち。
私みたいなめんどくさいプロレスマニアがアメトーークのプロレスの回みてはしゃいでる奴に向ける眼差しと一緒で。でも当の新日本プロレスの人は、そういうマニアがジャンルを潰すと公言して憚らない。
自分の居場所がスクリーンの正面にしかないんだ彼は。
それが一瞬、スクリーンの向こうじゃなく、コッチ側にヒロインを作ってしまったのが不幸の始まりだった。寝れないぐらい、土砂降りの雨でも福音になるぐらい好きになれた人なのに。
それでもやっぱり許せなかったんだなあ。
コレを描いたからって小骨さんがそういうスピリットで生きているとは限らないけど、少なくとも似たような地平から死んだ目で世の中を見つめたことはあるんじゃないかと思わせてくれる。
デカい声が怖い、って矢印コメントが不意に可愛い。こういうとこの細かいセンスも好きだな。
あの嫌いバンドはネットのおもちゃ、と、先生のクモのイト、は表裏一体。
アッチとコッチで張られた蜘蛛の巣でもがく蝶と、イモムシが糸を吐いてサナギになって脱皮しようともがくところと、新しいクモのイトとが絡み合っている。
ざわめきのなかでピキッとなにかが割れる所、前から描いているあのびっしり書かれた騒音、雑音の渦を新しい使い方してて、やっぱりうまくなったし、見られてきれいになる人みたいだなと。踊り子さんや、あの天使の子みたいに。
特にクモのイトのほうの母親の、色んな情報が蠱毒みたいに煮詰まって出来上がったクソババアっぷりはこれまでの小骨トモ作品とまた違った味で、このキャラが私には白眉だった。
絶妙のバランスで、外面や過去まで想像させる奥行きのある嫌な奴。
こんなの描くどころか考えるだけで嫌になる。
それを味わうだけでも価値があるし、ここから抜け出したい、と、か細い糸を掴む気分になれる。
欲なんかなければよかったと、いつも思うし、でもそれがあるから前に進んでいることも確かで。見られて褒められたいし楽しんでほしいから描くんであって。
だけども、見せなきゃ良かった明かさなきゃ良かったと思うこともあって。
せっかく思い切って話したことで、まんまと不快な道を歩くことになり、あーあと思うこともあるだろうし、まんまと舌なめずりをされたりもする。
自分の欲望と他人の劣情は利害や目的が一致したときだけ調和できるのであって、そうじゃなければ基本的に別の山のマグマみたいなもので。
温度も成分も量も違う。それをすり合わせ、早いうちから協調し悩んできた人が、たぶん健全なニンゲンになってくんだと思う。
そんなやつが世の中にどれほど存在するのか皆目見当もつかないけど。
一度、思ってしまったこと、思わせてしまったことは、どれだけ年月が経ち、そして言葉や心を交わしたとしても消えないし消せない。自分の中にも残るし、相手も目を背けフタをしてあるだけで、いつでもそのティファールのフタに手をかけている。
この単行本に出てくる男の子たちは、みんな「やりたい」とか「好き」なんだけど、反面そんな自分が他者評価と合致していて。自分だけは違う、とか、オレなら大丈夫、と思えるようなら、多分あんな曲も映画も好きにならないしマンガも描かない。
どこかで何かが暗渠のように繋がって流れている、暗い地下水脈の水門を辿って共通点を結んだ線にしていく。そんな本だった。
コレを買って読む人の選別は、最初のハナシで済んでいる。
ポップや帯コメントでもある程度は興味を持つ人が狙い撃ちになっている。
ああ自分にもこんなとこあるな
オレならこんな奴イヤだな
そう思いながら読んでいって、最後は天使が去ってゆく。
一人ぼっちのノートの上に、今日もその天使を描いている。
単なる怒り、不安、ボヤキ、理不尽、育ちの列挙と露悪趣味じゃなくて、全部ちゃんとハナシにまとまって読みやすくもなっている。
そして私は言わなくてもいいことを思うのだ。
コレ読んで感想書いてるやつにも、それ好きな自分が好きなんであってそれは好きじゃねえんだろ、と思うのだ、と。
売り物の文章を書いていると、向こうの売り場が眩しく見える。
自分の嫌いな、認めたくない、けど好きな人は多く取っつきやすく、それ書いてるといえばもっと世間に認められそうなもんが、平積みになってそびえ立ち、そのタワーが日々、目減りしていく。タワーが低くなればなるほど世の中と自分の言葉が通じなくなる気がしてならない、逆バベルの塔。
それがインターチェンジのラブホテルぐらいある。
(お前のとこのインターチェンジどうなってるんだ)
自分の嫌いなものや認めたくないものを、そのまま放言してもいいことなんか一つもない。
そんなことで名前が知れても本は売れないし、なんとなく悪いイメージが残るだけですよ。
と37歳にもなって優しくて聡明でシャレの分かる担当編集さんに滾々とお説教される始末。
だから、全部それをエネルギーにかえて書くことにした。
今までもそうだった。自分の過去、暴力と屈辱、嫌な奴、全部殺して書いてきた。
ものすごく効率の悪い燃料でガタピシ動く巨大なカラクリ人形のようなもので、結局そうするしか自分にはもう手立てがない。
そうじゃなきゃ、ネットで好き放題書き散らかし、今まで付き合ってくれてた人たちから静かに愛想を尽かされ、やがて孤独にも蝕まれためんどくさくて面白くない太ったおっさんの出来上がりだ。
そうなりたくはない。
そうならないようにしたい。
そう思って足掻いているところに、小骨トモさんセカンド単行本の知らせが来て、やがて手元に届いた。
二度も済んだらあとはどれだけ回数を重ねても同じ。どんどん上手く、そして深くなっていくだけだ。
ちょっと前からは考えられないほど、小骨トモという名前の認知が進んだ気がする。
7月15日には18時から大阪で劇画狼さんとトークショーまであるし、東京でも折に触れて行われている。
もう、あの人は追われる側なんだ。みんなのもとに降り立ったあとで、ノートから飛び立った天使なんだ。
私はメキシコで校長に挫折を宣言するときに言われた
「お前まだ、スタートラインにも立ってないんだぞ?」
という言葉が20年近く背中に刻まれて脳裏に響いている。ようやくその線を、違う土俵で踏めそうだというときに、小骨さんは2つ目を踏んだ。
はるか先を七転八倒して羽ばたく小骨さんを虎視眈々と応援しているし、私も頑張れている。
そこは何も「自分と同じものやジャンルや連中がイケ好かないでくれている、それをそういうふうに描いてくれている」からではなく。
そういうものをやがて作品に昇華し、自分の世界と絵柄を作っているところがかっこいいから。
これから乗ってもいない調子に乗っているとか、担がれてもいない神輿に乗せられてるとか、読みもしない奴に限ってよく通るでかい声でそういうことを言うだろう。
でも安心して欲しい、小骨トモの神輿の担ぎ手はあまた居るし、松方弘樹さんみたく
神輿は神輿らしく…
なんてなことはみんなきっと言わない。
私らの担ぐ神輿の上に立って、天使のままでジタバタ羽ばたいていてほしい。
読んだ人なら分かると思うし、まだの人は是非まず小骨トモさんのアカウントやWebアクションを御覧ください。
小骨トモさん二冊目の単行本が発売された。
ここまで数年、早かったようで長く曲がりくねった道をゆく小骨さんの、魂と精神の根っこで渦巻くものを作品としてしっかり出して見せるようになった。気がする。
最初の「リカ先輩の夢を見る」は順番をちゃんと踏んでるのがわかりやすくって、好きなバンドマンを一瞬だけ名前で呼ぶ、映画マニアの男子をこっぴどく振る、自分には色々オススメしてくれて見に行く、ガッツリ退屈するも好きなバンドマンが知ってて機嫌を直している…という感情の筋道に色んなイヤーな色と模様の花が咲きビルが建ってコッチ向いて嗤っている。
なんかそんなマンガだった。だから、あの
「お前が好きなのはお前の好きな人の好きなもので、お前はオレと同士じゃない」
っていう絶叫が芯を食う。
お前なんかオレの好きなもんが好きなんじゃねえ!
って思うこと、あるもんな。
自分が好きでかじりついて生きているものを、ライトにフラっといいとこだけつまんで楽しそうにされてさ。別にそれが悪いとかなにかの罪じゃないんだから全然文句言う筋合いなんかないんだけど、なんかそういう気持ち。
私みたいなめんどくさいプロレスマニアがアメトーークのプロレスの回みてはしゃいでる奴に向ける眼差しと一緒で。でも当の新日本プロレスの人は、そういうマニアがジャンルを潰すと公言して憚らない。
自分の居場所がスクリーンの正面にしかないんだ彼は。
それが一瞬、スクリーンの向こうじゃなく、コッチ側にヒロインを作ってしまったのが不幸の始まりだった。寝れないぐらい、土砂降りの雨でも福音になるぐらい好きになれた人なのに。
それでもやっぱり許せなかったんだなあ。
コレを描いたからって小骨さんがそういうスピリットで生きているとは限らないけど、少なくとも似たような地平から死んだ目で世の中を見つめたことはあるんじゃないかと思わせてくれる。
デカい声が怖い、って矢印コメントが不意に可愛い。こういうとこの細かいセンスも好きだな。
あの嫌いバンドはネットのおもちゃ、と、先生のクモのイト、は表裏一体。
アッチとコッチで張られた蜘蛛の巣でもがく蝶と、イモムシが糸を吐いてサナギになって脱皮しようともがくところと、新しいクモのイトとが絡み合っている。
ざわめきのなかでピキッとなにかが割れる所、前から描いているあのびっしり書かれた騒音、雑音の渦を新しい使い方してて、やっぱりうまくなったし、見られてきれいになる人みたいだなと。踊り子さんや、あの天使の子みたいに。
特にクモのイトのほうの母親の、色んな情報が蠱毒みたいに煮詰まって出来上がったクソババアっぷりはこれまでの小骨トモ作品とまた違った味で、このキャラが私には白眉だった。
絶妙のバランスで、外面や過去まで想像させる奥行きのある嫌な奴。
こんなの描くどころか考えるだけで嫌になる。
それを味わうだけでも価値があるし、ここから抜け出したい、と、か細い糸を掴む気分になれる。
欲なんかなければよかったと、いつも思うし、でもそれがあるから前に進んでいることも確かで。見られて褒められたいし楽しんでほしいから描くんであって。
だけども、見せなきゃ良かった明かさなきゃ良かったと思うこともあって。
せっかく思い切って話したことで、まんまと不快な道を歩くことになり、あーあと思うこともあるだろうし、まんまと舌なめずりをされたりもする。
自分の欲望と他人の劣情は利害や目的が一致したときだけ調和できるのであって、そうじゃなければ基本的に別の山のマグマみたいなもので。
温度も成分も量も違う。それをすり合わせ、早いうちから協調し悩んできた人が、たぶん健全なニンゲンになってくんだと思う。
そんなやつが世の中にどれほど存在するのか皆目見当もつかないけど。
一度、思ってしまったこと、思わせてしまったことは、どれだけ年月が経ち、そして言葉や心を交わしたとしても消えないし消せない。自分の中にも残るし、相手も目を背けフタをしてあるだけで、いつでもそのティファールのフタに手をかけている。
この単行本に出てくる男の子たちは、みんな「やりたい」とか「好き」なんだけど、反面そんな自分が他者評価と合致していて。自分だけは違う、とか、オレなら大丈夫、と思えるようなら、多分あんな曲も映画も好きにならないしマンガも描かない。
どこかで何かが暗渠のように繋がって流れている、暗い地下水脈の水門を辿って共通点を結んだ線にしていく。そんな本だった。
コレを買って読む人の選別は、最初のハナシで済んでいる。
ポップや帯コメントでもある程度は興味を持つ人が狙い撃ちになっている。
ああ自分にもこんなとこあるな
オレならこんな奴イヤだな
そう思いながら読んでいって、最後は天使が去ってゆく。
一人ぼっちのノートの上に、今日もその天使を描いている。
単なる怒り、不安、ボヤキ、理不尽、育ちの列挙と露悪趣味じゃなくて、全部ちゃんとハナシにまとまって読みやすくもなっている。
そして私は言わなくてもいいことを思うのだ。
コレ読んで感想書いてるやつにも、それ好きな自分が好きなんであってそれは好きじゃねえんだろ、と思うのだ、と。
売り物の文章を書いていると、向こうの売り場が眩しく見える。
自分の嫌いな、認めたくない、けど好きな人は多く取っつきやすく、それ書いてるといえばもっと世間に認められそうなもんが、平積みになってそびえ立ち、そのタワーが日々、目減りしていく。タワーが低くなればなるほど世の中と自分の言葉が通じなくなる気がしてならない、逆バベルの塔。
それがインターチェンジのラブホテルぐらいある。
(お前のとこのインターチェンジどうなってるんだ)
自分の嫌いなものや認めたくないものを、そのまま放言してもいいことなんか一つもない。
そんなことで名前が知れても本は売れないし、なんとなく悪いイメージが残るだけですよ。
と37歳にもなって優しくて聡明でシャレの分かる担当編集さんに滾々とお説教される始末。
だから、全部それをエネルギーにかえて書くことにした。
今までもそうだった。自分の過去、暴力と屈辱、嫌な奴、全部殺して書いてきた。
ものすごく効率の悪い燃料でガタピシ動く巨大なカラクリ人形のようなもので、結局そうするしか自分にはもう手立てがない。
そうじゃなきゃ、ネットで好き放題書き散らかし、今まで付き合ってくれてた人たちから静かに愛想を尽かされ、やがて孤独にも蝕まれためんどくさくて面白くない太ったおっさんの出来上がりだ。
そうなりたくはない。
そうならないようにしたい。
そう思って足掻いているところに、小骨トモさんセカンド単行本の知らせが来て、やがて手元に届いた。
二度も済んだらあとはどれだけ回数を重ねても同じ。どんどん上手く、そして深くなっていくだけだ。
ちょっと前からは考えられないほど、小骨トモという名前の認知が進んだ気がする。
7月15日には18時から大阪で劇画狼さんとトークショーまであるし、東京でも折に触れて行われている。
もう、あの人は追われる側なんだ。みんなのもとに降り立ったあとで、ノートから飛び立った天使なんだ。
私はメキシコで校長に挫折を宣言するときに言われた
「お前まだ、スタートラインにも立ってないんだぞ?」
という言葉が20年近く背中に刻まれて脳裏に響いている。ようやくその線を、違う土俵で踏めそうだというときに、小骨さんは2つ目を踏んだ。
はるか先を七転八倒して羽ばたく小骨さんを虎視眈々と応援しているし、私も頑張れている。
そこは何も「自分と同じものやジャンルや連中がイケ好かないでくれている、それをそういうふうに描いてくれている」からではなく。
そういうものをやがて作品に昇華し、自分の世界と絵柄を作っているところがかっこいいから。
これから乗ってもいない調子に乗っているとか、担がれてもいない神輿に乗せられてるとか、読みもしない奴に限ってよく通るでかい声でそういうことを言うだろう。
でも安心して欲しい、小骨トモの神輿の担ぎ手はあまた居るし、松方弘樹さんみたく
神輿は神輿らしく…
なんてなことはみんなきっと言わない。
私らの担ぐ神輿の上に立って、天使のままでジタバタ羽ばたいていてほしい。
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