上 下
1,275 / 1,299

ぶどう園物語

しおりを挟む

漫画雑誌アックスで連載されていた、ツージーQさんの作品
ぶどう園物語
が無事、完結し単行本化した。

全く別の人が目当てでアックスを読み始め、パラパラとめくった中に「ぶどう園物語」があった。朴訥な絵柄で空白の広い画面に描かれた、私の知らない昭和の東京。
コピー機も携帯電話もインターネットも無かった頃から始まって、現代まで続く余白、空白、独白。
怠惰な生活と刺激的なバンド活動の表裏一体は今も変わらないけど、生活の常識が違っているから今では考えられないようなことが、おとぎ話みたいに思えて来る。
全然まったく別の話なのに、どこか「たま」という船に乗っていた、とダブって見えるのは、昭和の東京の片隅で唯一無二の集団が出来上がる瞬間というのが、似たような要素を抱えているものだから。なのかもしれない。

何しろ世の中は景気がいいから、それだけハミでてこぼれて来るものにも豊かさが残っている。音楽、仲間、行き交う人々と過ぎてゆく日々が淡々と描かれるが、その中にコクのある人間ドラマが詰まっている。未完のままそれらが置き去りにされ、ツージーQさんの物語が進んでゆく。この物語そのものが、そういう
(そういえば、あの人あれからどうなったんだろう?)
と思うタイプの、誰かのストーリーだからなのかもしれない。

前書きや、途中に差し込まれる虚空のつぶやきがとても素晴らしくて、どれも胸を打つ。
眼で見ると同時に脳に沁み込んで来るようなフレーズたち。
作中の余白に浮かぶ言葉や、ナレーションがわりに物語に添えられるフレーズたちも独特で、それはツージーQさんやザ・スターリンの楽曲を知らない私でも、詩的表現の文章としてスンナリと刺さった。細く鋭い注射針のように。

葛藤や後悔を抱えつつも、躍進していく様子を横目に生活の為バンドで演奏する日々。
私が子供の頃はギリギリ、温泉旅館の大広間で晩飯の時に歌う人達が居た。最後にそういう人を見たのは19の時、祖父母と最後の旅行になった三重県の浜島だった。
よりによってメキシコ人が夫婦で歌っていた。メキシコで挫折をして帰国するも、あの国や人々には愛着のあった私は、それを話したくてCDを買いに行った。が、売店に彼らの姿は無く、CDも何処かへ失くしてしまった。
今でも温泉旅館には歌手やバンドの人が居るのだろうか。

私が「ぶどう園物語」に触れたのは、この温泉旅館バンド紀行のお話あたりだった気がする。
余白に浮かぶ色んな言葉が印象的で、中でも登場人物がドラムを叩くときのオノマトペが、まさに狭いスタジオや小さなステージで演奏しているときのそれで。そこが最初に凄く気に入ったところだった。
だからもう、既に遠藤ミチロウさんとは別れてしまったあとだった。

どうして旅に出なかったのか、というあの4つのコマに添えられたフレーズが、自分の挫折にも重なって、まさに「どうにもならないエピソード」のひとつ。ここも大好きな部分です。
どうにもならないエピソードが作品になる、読み物になって人目に触れることを許されることは稀で、お笑いの人の失敗談みたいなもので誰にでも出来そうで出来ることではない。

私はアックスを読むまでツージーQさんのことも知らなかったし、ザ・スターリンと遠藤ミチロウさんのことも名前くらいしか知らなかった。だからこそ素直に、昭和のはみ出し御伽噺として咀嚼することが出来たし、ツージーQさんの作風や描かれた情景と添えられた文章を味わうことが出来たのかも知れない。

静かに東京を後にし、ぶどう園のあった場所を訪れると、ただひとつ残った過去から伸びるヒマラヤスギ。
いまツージーQさんは九州にいらして、この本にも可愛いサインを入れてくださった。アックスストアで予約注文をした特典だ。読者として、同じ人の同じ指で書かれた自分の名前はとても感慨深い。うれしいです。ありがとうございます。

碧いレインコートも、しみじみ拝読いたしました。
寒くて、暗くて、いつもひもじい感覚は、きっと昭和も終わりごろにそれなりにオカネのあった家に産まれた私には先天的に欠けている感覚なのかもしれない。その分、まあ他にちゃんとしんどい思いをしたので世の中へんなところだけはつり合いが取れている。
オモテの平等は心の不平等で、そこを埋めるのは否応なく始まる自分の物語なのだと思う。それが、最後に救いがあろうとなかろうと。誰の目に触れようと触れまいと。
巻末の湯浅学さんの言葉にあるように、意図は自分の思いがけないところで成果を生む。音楽は一度鳴ってしまったら終わりが無く、ずっと響き続ける。
この本も、一度あの頃の匂い、世界、時代を描いたことで、ずっとここで、その時を描き続けるのだろう。

自分もそうなりたいと思って、おこがましいことは重々承知でそっと申し上げるならば、なんだか自分にも似たようなところがあるなあと感じて。ぶどう園物語を読み終わりました。素敵な本でした。ありがとうございました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

50歳の独り言

たくやす
エッセイ・ノンフィクション
自己啓発とか自分への言い聞かせ自分の感想思った事を書いてる。 専門家や医学的な事でなく経験と思った事を書いてみる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

6年生になっても

ryo
大衆娯楽
おもらしが治らない女の子が集団生活に苦戦するお話です。

天涯孤独のアーティスト

あまゆり
エッセイ・ノンフィクション
はじめに… 自分自身の波瀾万丈の人生を書いてます。 こんな生き方も参考にしてください。 学もない私が書いていきますので読みづらい、伝わりづらい表現などあるかもしれませんが広い心でお付き合い頂ければと思います。 平成や令和の方などには逆に新鮮に思えるような昭和な出来事などもありますので不適切な表現があるかもせれませんが楽しんでもらえたらと思います。 両親が幼い頃にいなくなった私 施設に行ったり、非行に走ったり 鑑別所や、少年院に入ったり 音楽を始めたり、住む家がなくフラフラして生きて、いつの間にか会社を経営して結婚して子どもが生まれたり、女装を始めたり こんな生き方でも今生きている自分がいるってことを伝えたいと思います。 過去を振り返ることで今の自分が怠けずに生きられているのか、自分を見つめ直すことができるので頑張って書いていこうと思います。 この物語に出てくる登場人物は本人を除いて一部の人は仮名で表現しております。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

処理中です...