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#松山座 2023年8月公演 第5試合
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#松山座 2023年8月公演
第5試合
CHANGO選手VSスペル・シーサー選手
20年前の好青年が、今や毒舌を振りまき各団体を荒らし回る悪党稼業(ルード)の道へとどっぷり染まっていた2023年8月6日、灼熱の大阪。
メキシコより暑い生野区民センターで、師弟が相まみえることになろうとは。
CHANGO選手、いやCHANGOさんは試合後、
「オレは今も好青年だよ!」
と嘯いていたけど、実際18年前のCHANGOさん(当時は今よりも少しだけお名前が長かった)は確かに物静かでおっとりした優しい先輩だった。
メルカドやノミ市に連れてってくれたり、勘十郎さんがアメリカに行っちゃってポツンとしてる私に声をかけてくれたり、今でもそんなひと時をよく覚えている。
今まであまり言わなかったのは、営業妨害になっちゃうかなと思っていたからです。
ナウカルパンの雑然とした街にあった寮(真隣がアレナ・ナウカルパンというIWRGの常設ルチャ会場だった)の4階に私が荷を解いたとき、隣が現アミーゴ鈴木さんで、そのまた隣がCHANGOさんだった。向かいの4人部屋は堀口ひろみさんの部屋だった。
Twitter(って今はもう言わないのか?んなこと知るかイーロン・マスクめ)でCHANGOさんがその当時を振り返り、ルチャ漬けの日々を送ったと表現されていたけど、私が渡墨した時ちょうどデビュー戦の直前で。しかも会場はルチャ・リブレの大聖堂、アレナ・メヒコ。
星の数ほどいると言われているルチャドール、その一握りがリングの上空で輝くスペル・エストレージャとなり、そのまた限られた者だけが、アレナ・メヒコでデビュー戦を迎えることが出来る。
CHANGOさんは、それをやってのけたのだ。
そんな元(現?)・好青年の弟子を迎え撃つスペル・シーサー選手。
おそらく途中で闘龍門とドラゴンゲートの分裂が起こり、そこで袂を分かってしまったのだと思われる。が、きっとどこかで再会は果たしている筈だし、何ならシーサー選手がフリーランスになったあとで組んだり戦ったりしているものだと、勝手に思っていた。
そうしたら正真正銘の初顔合わせだった。
これだからプロレスは長いこと見てればいいことがある。
この試合を見逃すわけにはいかない。でも、じゃあ私は一体、どっちを応援して、どっちに勝って欲しいのか。全然わからないままゴングが鳴った。
ベルトを掲げ、厚着をして、冷却スプレーを振りまきながら入場して来たCHANGOさんが俯くように座り込んで待ち構えるリングに、真っ白なコスチュームとマスクで、まばゆい音色に包まれたシーサー選手が向かってゆく様がとても美しくて、この時間がこの試合で一番クリーンで追想に満ちたひと時だった。
試合はシーサー選手が延々とCHANGOさんの腕を掴んで離さず、文字通りあの手この手で攻めてゆく。しかしCHANGOさんもその都度、切り返し、引きずり倒したシーサー選手の土手っ腹を何度も何度も踏んづけて挑発する。
かつての師弟が、対等な、ひとりの敵同士として相まみえている。お互いの持ち味を喰らい合い、のみ込もうとしながら。試合開始からずっと、シーサー選手を熱心に応援するチビッ子ファンがいて。
シーサー選手がちょっと攻められると、不慣れなのか金切り声みたくなってもお構いなしに
シーサー!シーサー!シーサー!
と叫び出す。周りもつられて、これはシーサー選手を応援しよう、という気分になって一緒に手拍子をする。まるでそのチビッ子のことも、同じプロレスファンとして応援しているようだった。そうそう、その調子!それでいいんだよ!と……好きなものを、自信をもって好きだと言えることは、この先きっと君の心を支え続けてくれるはずだから。
で、これに熱くなったのか、CHANGOさんも珍しい(少なくとも私はあまり見たことの無かった)ブランチャ・スイシーダ、ロープを潜り抜けてのエビ固めなど日頃の毒舌に違わぬ業師ぶりを見せつける。
が、そのさらに上を行きながらCHANGOさんの腕を執拗に狙うシーサー選手。
しかして熱戦の結末は呆気なく、予想外にして、如何にもCHANGOさんらしい…そして松山座らしい形で訪れた。
これでこのまま引き下がったらウソだ。私はシーサー選手や神戸の道場には縁が無かったけれど、こうして応援するようになって、やっぱりあの流れるような技の美しさには毎回ボーっと見惚れてしまうし、あくまでそれで勝負をするところに「スペル・シーサー」というルチャドールの生きざまを見る思いでおります。
「20年前は好青年だったのに…!」
というシーサー先生の言葉が、物語の始まりを予見する時間遡行の合図だったような気がしてなりません。
で、ひとたびリングに上がれば「うるせえ、んなこと知るか!」と、もじゃもじゃの前髪をかき上げながら嘯くCHANGOさんも、まだまだリングで生きながらえてのさばって頂かないと寂しいのです。
終了後に物販でご挨拶をしたCHANGOさんは、やっぱり優しい先輩でもあり、朴訥とした好青年のままでした。
シーサー選手のレバンチャに、そしてCHANGOさんの次なる戦いにも期待しつつ、意表を突かれたことでより楔を深く打ち込まれた第5試合でした。
第5試合
CHANGO選手VSスペル・シーサー選手
20年前の好青年が、今や毒舌を振りまき各団体を荒らし回る悪党稼業(ルード)の道へとどっぷり染まっていた2023年8月6日、灼熱の大阪。
メキシコより暑い生野区民センターで、師弟が相まみえることになろうとは。
CHANGO選手、いやCHANGOさんは試合後、
「オレは今も好青年だよ!」
と嘯いていたけど、実際18年前のCHANGOさん(当時は今よりも少しだけお名前が長かった)は確かに物静かでおっとりした優しい先輩だった。
メルカドやノミ市に連れてってくれたり、勘十郎さんがアメリカに行っちゃってポツンとしてる私に声をかけてくれたり、今でもそんなひと時をよく覚えている。
今まであまり言わなかったのは、営業妨害になっちゃうかなと思っていたからです。
ナウカルパンの雑然とした街にあった寮(真隣がアレナ・ナウカルパンというIWRGの常設ルチャ会場だった)の4階に私が荷を解いたとき、隣が現アミーゴ鈴木さんで、そのまた隣がCHANGOさんだった。向かいの4人部屋は堀口ひろみさんの部屋だった。
Twitter(って今はもう言わないのか?んなこと知るかイーロン・マスクめ)でCHANGOさんがその当時を振り返り、ルチャ漬けの日々を送ったと表現されていたけど、私が渡墨した時ちょうどデビュー戦の直前で。しかも会場はルチャ・リブレの大聖堂、アレナ・メヒコ。
星の数ほどいると言われているルチャドール、その一握りがリングの上空で輝くスペル・エストレージャとなり、そのまた限られた者だけが、アレナ・メヒコでデビュー戦を迎えることが出来る。
CHANGOさんは、それをやってのけたのだ。
そんな元(現?)・好青年の弟子を迎え撃つスペル・シーサー選手。
おそらく途中で闘龍門とドラゴンゲートの分裂が起こり、そこで袂を分かってしまったのだと思われる。が、きっとどこかで再会は果たしている筈だし、何ならシーサー選手がフリーランスになったあとで組んだり戦ったりしているものだと、勝手に思っていた。
そうしたら正真正銘の初顔合わせだった。
これだからプロレスは長いこと見てればいいことがある。
この試合を見逃すわけにはいかない。でも、じゃあ私は一体、どっちを応援して、どっちに勝って欲しいのか。全然わからないままゴングが鳴った。
ベルトを掲げ、厚着をして、冷却スプレーを振りまきながら入場して来たCHANGOさんが俯くように座り込んで待ち構えるリングに、真っ白なコスチュームとマスクで、まばゆい音色に包まれたシーサー選手が向かってゆく様がとても美しくて、この時間がこの試合で一番クリーンで追想に満ちたひと時だった。
試合はシーサー選手が延々とCHANGOさんの腕を掴んで離さず、文字通りあの手この手で攻めてゆく。しかしCHANGOさんもその都度、切り返し、引きずり倒したシーサー選手の土手っ腹を何度も何度も踏んづけて挑発する。
かつての師弟が、対等な、ひとりの敵同士として相まみえている。お互いの持ち味を喰らい合い、のみ込もうとしながら。試合開始からずっと、シーサー選手を熱心に応援するチビッ子ファンがいて。
シーサー選手がちょっと攻められると、不慣れなのか金切り声みたくなってもお構いなしに
シーサー!シーサー!シーサー!
と叫び出す。周りもつられて、これはシーサー選手を応援しよう、という気分になって一緒に手拍子をする。まるでそのチビッ子のことも、同じプロレスファンとして応援しているようだった。そうそう、その調子!それでいいんだよ!と……好きなものを、自信をもって好きだと言えることは、この先きっと君の心を支え続けてくれるはずだから。
で、これに熱くなったのか、CHANGOさんも珍しい(少なくとも私はあまり見たことの無かった)ブランチャ・スイシーダ、ロープを潜り抜けてのエビ固めなど日頃の毒舌に違わぬ業師ぶりを見せつける。
が、そのさらに上を行きながらCHANGOさんの腕を執拗に狙うシーサー選手。
しかして熱戦の結末は呆気なく、予想外にして、如何にもCHANGOさんらしい…そして松山座らしい形で訪れた。
これでこのまま引き下がったらウソだ。私はシーサー選手や神戸の道場には縁が無かったけれど、こうして応援するようになって、やっぱりあの流れるような技の美しさには毎回ボーっと見惚れてしまうし、あくまでそれで勝負をするところに「スペル・シーサー」というルチャドールの生きざまを見る思いでおります。
「20年前は好青年だったのに…!」
というシーサー先生の言葉が、物語の始まりを予見する時間遡行の合図だったような気がしてなりません。
で、ひとたびリングに上がれば「うるせえ、んなこと知るか!」と、もじゃもじゃの前髪をかき上げながら嘯くCHANGOさんも、まだまだリングで生きながらえてのさばって頂かないと寂しいのです。
終了後に物販でご挨拶をしたCHANGOさんは、やっぱり優しい先輩でもあり、朴訥とした好青年のままでした。
シーサー選手のレバンチャに、そしてCHANGOさんの次なる戦いにも期待しつつ、意表を突かれたことでより楔を深く打ち込まれた第5試合でした。
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