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松山座5月22日生野公演 めいんいべんと
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プロレスラーになる夢を挫折した僕の長く短い曲がりくねった商店街(みち)
↑副題。
ご覧いただきありがとうございます。たぶん書き上がった時には色んな人に見て頂きたくて、色んなタグとか付けていると思います。ご迷惑をお掛けします。
遅ればせながら、2022年5月22日に行われた大衆プロレス松山座5月公演の、観戦記の締めくくりのような、私小説の真似事のような。プロレスが好きで、ルチャドールに憧れた男のお話です。お暇でしたら暫しお付き合いくださいませ。試合の話もちゃんとします。でも余計なこともいっぱい書いてます。
桃谷駅前商店街(生野区民センターの最寄り駅すぐ)の美味しいピザ屋さんの情報もあります。
松山座5月22日生野公演 めいんいべんと
松山勘十郎座長、ヴァンヴェール・ジャック選手、ヴァンヴェール・ネグロ選手
VS
アグー選手、ユーセー☆エストレージャ選手、CHANGO選手
初登場、初飛来のMY WAY勢と、メキシコ・ルチャリブレ経験者ばかりが集ったメインイベント。ここまでルチャ色の出た演目は意外とこれまで無かったのではないかなあ。
この注目の試合が行われるまでの長いようで短く、目まぐるしく、特急ひのとりに乗りっぱなしで過ぎ去ってゆくかのような時間の果てが生野区民センターだった。ついに辿り着いた。
僕は文章を書くのが好きで良かった。
あの時こうだった、この時こう思ってた、ということを、いま、克明に、使える言葉をアレコレ選び、余計なことも言いながら、書き出しては直している。
プロレスラーという夢を諦めた僕が、プロレスリングという夢の世界にまだ触れ続けていられることの、葛藤と幸福を。
生野区民センターも久しぶりだ。何度も通った。桃谷駅から商店街のアーケードを抜けて、出た先の交差点を右。まーっすぐ勝山通に向かって歩いて行って、和食さとの交差点を左に折れてすぐ。が、生野区民センター。もーねー、生野「クミン」センターってぐらいだから。凄いんだろうね。多分クミンがいっぱいあって、粉末タイプから種粒のものから色々あるんだろうな。インドから中東が原産ってもインドだけでも広いしさ、ケララ州のクミンもあるしパンジャブ州のもあるだろうし…たぶん他にも大正シナモンセンターとか、住吉ターメリックセンターもあるだろうし、時々「オイそれは違うぞアニスじゃねえか。アニスはお前、東成アニスセンターだろ、ココは生野クミンセンターだからな!」なんてこともあって……お前そんなことウン百文字も使って全然余計な事まで書くことねえじゃんか。もう。
何が葛藤と幸福だよ。
この公演を見に行くまで長かった。
19の夏に闘龍門を辞めて、その後プロレスを諦めてからだって2年も3年もプロレスを見に行かなかったことなんて無かったから、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。
これは本当に本当の心の動きだったのだけれど、自分の中でプロレスというものが一旦、邪魔にすらなってしまっていた。プロレスが見れない、見に行けないから他の事しよう、というのもあったし、実際に興味や交流の広がりもあって、プロレスと行きたいイベントが近かったりして。しまったなあ、と思ったこともある。ちょっと前なら迷わずにプロレスのほうを選んでいただろうに。
ずっと身近にあった「自分にとってのプロレス」というものが、なんだか遠くで起こっている他人事になっていた。昔の映像や現在進行形の新しい話題など、もともと線が引いてあるものであれば構わないのだけれど。自分が関わり、追いかけて来た松山勘十郎さんというプロレスラー、そしてそのプロレスというものに、どう接していたか、いま僕はスッカリわからなくなっているんじゃないか。それはまるで自分で自分がわからなくなる感触みたいで、三十路も半ばになってまだ、自分の心に穴が開くのが怖くて仕方がない。
そんな状態ではあったものの、色んな人に会いに行ったり話をしたりして、また久しぶりに大阪の人混みや繁華街の地べたなんかを見て、それはそれで楽しくて、有難くって。嬉しいことや心地よい時間が沢山あった。だけどやっぱり、何処かでそれが、心の隙間に詰めたり埋めたりしたものが入るそばからこぼれてゆく。そんな心持を抱えたまま過ごした二日昼夜でもあった。
長堀橋駅近くのアパホテルを昼過ぎにチェックアウトして往来に出ると、まあ暑い!この日の大阪は天気もいいし、陽射しもギラギラ。初夏というには暑すぎるが、夏だというには暦の上での計算が合わない。世界八番目の不思議とばかりの真夏日。
昼まで寝てられたのは良かったが、陽射しがもうホントに夏。
長堀橋から森ノ宮、そっから環状線で桃谷へ。
長堀橋じゃなく日本橋まで堺筋を下って、なんばウォークで大阪難波で近鉄。
環状線に乗れば鶴橋から近鉄でもいい、JRなら梅田から新大阪駅で新幹線。
大阪と愛知なんて地続きだし、どうとでもなる。帰っちゃおうか。
この期に及んでまだそんなことをボンヤリ考えているうちに、列車はすっかり明るく綺麗に広々とした桃谷駅に滑り込んだ。
桃谷駅ってちょっと前まではザ・オーサカの駅と言った感じで、利便性やしゃれっ気も考えてるけどどっか武骨で垢抜けない感じの建物だった。それが今や明るいブラウンで見通しも良く、通勤通学逃避行のついでにお買い物も楽しめるステキなステーションになっている。
僕はそのステキステーションで列車を下りて改札を出た。あの商店街のアーケード、道のりが、こんなに長く果てしなく感じたことはなかった。自転車は降りて通りましょう、と5分に1回ぐらい流れている中を、相変わらず歩行者の方がジャマだとばかりに突っ走って来るチャリが、この日ほど憎たらしく邪魔くさいなと感じたことも。
俯いて歩いているのはいいが、まだ着くには早い。でもわざと早めに来ていた。ギリギリで動くのが性に合わないし、待つのは苦にならない性分でもある。でもそれ以上に、桃谷の商店街にある
カサディエッロさん
ってピザ屋さんでお昼を食べようと思っていたから。カサディエッロさんも久しぶりだ。
人気のお店で、実際この日も二階の席は結構いっぱい。二人掛けの、若くて可愛い今どきの女の子が向かい合って何か話している横を
スミマセンスマセンッス……
とか言いながら、汗かいた身体を縮めて着席する。
ランチセットはクアトロフォルマッジっていうチーズがたっぷり乗ったうえに別添えの蜂蜜をかけて頂くピザ。あっつあつの。
サラダやスープも美味しいし、ピクルスも可愛く盛りつけられてて、汗をかいた身体に嬉しい酸味。
カサディエッロさんのピザは窯で焼いてすぐ出て来るので、生地は香ばしくフワフワ、チーズはトロトロ、蜂蜜との相性が最高。凄いよコレは。みんなも食べた方がいい。
JR桃谷駅から商店街を通って来ると中ほどにあります。入り口に大きなピザの顔ハメ看板があるのでわかりやすいです。
チーズの熱さより美味しさが勝り、あっという間に平らげてしまった。ピザの他にもパスタや焼き立てのパンなんかもあるし、ピザは種類によっては組み合わせて注文も出来ます。
以前はマルゲリータを頂いた(写真が残ってた)し、今回のクアトロフォルマッジも2回目かな?これはもう本当にハズレなし、次からもこれを頼まない自信がないくらい美味しい。
アレだな、世界で最初に蜂蜜とチーズの組み合わせを思いついてピザやナンに応用した人にはノーベルハニーチーズ賞をイヤだと言っても授与するべきだ。いや背中にでっかく
Honey Cheese Never Dies!
と透かし彫りを入れるべきだ。イヤだと言っても(なんでそんな仕打ちをするんだ)。
お腹いっぱいでまた歩き出す。カサディエッロさんを出たら、もうすぐ商店街の出口だ。
このアーケードの中も変わらないお店、古いシャッターと看板、屋号。そして新しいお店や看板。ああ、このお店まだある。あれ、こんなお店出来たんだ。短いようで長い月日がリアルに流れている。消える生活、始まる生活が軒を連ねて、ひとつひとつがそのテナントの奥で息を潜めて暮らしている。質実剛健な昔ながらの店構えから、華やかで派手で明るくともすれば軽薄ですらある外面まで、千差万別ずらっと並びながら。
交差点を渡る。知らないオムライス屋さんが出来てる。往来の向かいには、おじいちゃんが一人でやってた、安くて沢山入ってて美味しいタコ焼きのお店の骸がまだ残ってる。破れたアーケードと、さびれたシャッター。明るく眩しい陽射しに照らされた姿を久しぶりに見た。おじいちゃんは元気だろうか。
和食さと、のカドを曲がって生野区民センターに着く。香辛料なんかカケラもない。
カバンの中からチケットを用意しようとガサゴソしてたら「佐野君!」と声をかけてくれる人がいて。
松山座を見に行くうちに、いつも見に来ている人と仲良くしてもらえることもあって。この時に声をかけてくれたのはハマグチさん。ハマグチさんが弟さんで、そのお兄さんも一緒にいて、お兄さんとお呼びしている……そういえばお名前を聞いたことが無いや。そんな感じの温度で付き合ってくれる人たち。覚えててくれたんだなあ、良かったなあ。
いつも通りバッチリ松山座のシャツを着たハマグチさんと、ちょっと大人しくて控えめなお兄さん。
久しぶりだけど、それを感じさせず再会を喜びつつ同じトーンで話してもらえる。
お店、人、仲間のもとを離れて、プロレスを離れた佐野君として俯いてた顔をパッと上げさせてくれたのがハマグチさんご兄弟でした。
区民センターのリゲッタIKUNOホール(要するに区民ホールだ。クミンの香りはしていない)にかけられた幕をくぐると、そこが大衆プロレス松山座の世界。
「これから数時間、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入って行くのです」
というやつだ。勿論いまのフレーズは石坂浩二さんの声だ。
手指を消毒して、マスクを直して。ホールの中央には祭壇の様にリングが鎮座してて、そこに客席と物販のテーブルが儀式の様に並べられて、司祭のように選手が立っている。
まず座席を確認してみる。ド真ん中だ。プロレス会場のド真ん中、目ん玉飛び出るぐらいのイイ席だ。
リングサイド最前列真正面ド真ん中の極上席、というところにまでにぎやかな声が飛んでくる。物販にいるあやらさん(美人)ともお久しぶり。才色兼備に行動力と技術と器量を足して理性を取っ払ったクレイジーお姉さん。松山座旗揚げ以来だから、数年来ということになる。でもずっと今が一番キレイを更新し続けている人だ。実はちょいとブツを頼んでいた(オマケもありがとうございます)ので、その受け渡しもして頂いて。
物販コーナーのお手伝いの花房なゆたさんとは、まさかのコスプレなさってる状態で初対面だった。思ってた以上に華奢で可愛い人だった。そして奥には本日出演の選手たちと、これはもう独立するずっと前から誰よりも声を張り上げて明るく賑やかに応対している松山勘十郎座長。
約3年ぶり、それも勝手に離れた心をどう揺り戻そうか、算段するよりも先に足が長机に向かって歩いていた。
パンフレットとか、暑いんでタオルも買って列の後ろで突っ立っている。
買ったものを小骨トモさんのトートバッグにも仕舞わずに。なんとなく、パンフレットを出したまま。
早めに会場入りする熱心なファンと話し終えた勘十郎さんが僕を見つけて
「サノぉ!元気だったか、久しぶりだなあ!」
と声をかけてくれた。いつもこういう時には、先手を取ってくれるんだ。
パンフレットにサインを入れて頂きながら再会を喜ぶ。ワタワタしているうちに記念撮影をしよう!ということでスマホをお渡ししてパシャリ。後でその写真を見ると、僕の顔がホントに楽しそうというか、元々の垂れ目以上に目じりが下がっている。時節柄、まだ握手は控えようと言うことで超人バロム1の変身よろしく腕をクロスさせた写真。
これで緊張の糸が解けて、やっとこ松山座という空間に迎え入れてもらえた気がした。
プロレスを見に行くだけなら別に大袈裟なことを書くようなもんじゃない。でも、自分にとってどうしても、松山勘十郎さんというプロレスラーが表現する松山座というプロレスリングにだけは特別な感情というか、そういうものを抱えたままいつも見ています。
これで気持ちが軽くなって、MY WAYのジャック選手とユーセー選手のところへ行ってタオルを買い、パンフレットにサインを頂いたことは以前の記事にも書きました。
元気の塊みたいで、胸を張ってルチャドールとして生きている彼らが頼もしいやら眩しいやら。
試合が始まってみれば、初見の愛媛勢もお馴染みの選手も、デビューしたばかりのみゆ選手や久しぶりに見たポンポン選手も、みんなみんな素晴らしくって。
十代の若い力、新しい力と、昭和から平成にかけてプロレスラーになって今現在の舞台を支える選手とが入り混じり組み合わさった、世代も生まれも育ちも越えたパズル、いや一枚の扉絵みたいな公演だった。
どの演目にも必ず若い選手が入っていて、色んなタイプの先達と試合をするように仕向けられていた気がする。どの演目も追うものと追われるもの、両面性のドラマと闘争があったというか。
その掉尾を飾るメインイベントには、よくルチャ・リブレの色合いが強い試合で言われるような
メキシコの風
が吹くマッチアップがなされていた。前の記事でも書いたけど(本当に沢山の、特にMY
WAYのファンの皆様にご覧いただき、あたたかいご感想も頂戴いたしまして有難う御座います)ユーセー☆エストレージャ選手とヴァンヴェール・ジャック選手を対角線上に配置して、座長自身を含め腕っこきの「ルチャドール(プロレスラーとは似て非なる者)」で固めた盤石にして最高の布陣。これこそが、若き力を最大限に引き出し、競わせ、試すための魔方陣に描かれた六芒星と式神の名だった。
ヴァンヴェール・ネグロ選手との親子タッグという一つの役がついて、そのうえで座長のような妖しげな男が居て、CHANGO選手みたいな狡猾な悪役も居て、さらにアグー選手ほどの体格を誇っていてもスピードとスタミナ、そしてテクニックを持つルチャドールが居る。あの試合はジャック選手とユーセー選手にとっては教科書かカタログみたいなものだったのかも知れない。特にアグー選手は一見ユーモラスで親しみやすい、恐らくブラソ・デ・ブラタ以来の「ぶたさん」と呼ばれて悪口にならないルチャドールであると言えるし、その一見さんにもわかりやすいキャラクターと立ち振る舞いから、要所で素早い動きを見せたり、豪快に回転して見せたりする。
若い今は動きっぱなし、飛びまくりだけれど、きっともっと個性が出て来る時期がくるはずなので……故・冬木弘道さんも若い頃は痩せてたけど、その時に色んなプロレスを経験してメキシコにも渡った経験から太ってからも身軽な動きが出来たということもあるし。
試合はその若きエストレージャを惜しみなく戦わせ、各人の持ち味も発揮させるお楽しみ満載の激しい試合に。松山座のコンセプトは妖しく楽しく激しいプロレスであるけれど、この試合には全部それが含まれていた。
熱心なファン以外は私も含め初体験のMY WAY勢の戦いも、我々の想像より1メートルも2メートルも高いところをすっ飛んでいくように超越し、度肝を抜いて見せた。
座長もそれに応えるかのように普段あまり見せない複合関節技を繰り出し、CHANGO選手がリング外で(やるじゃん)みたいな顔をしていた。しかしすぐに切り替わって、アグー選手と二人掛かりでユーセー選手のエスケープを手助けする。この辺りのズルさは、後々になってきっと役立つと思う。今は真っすぐ、あの矢のようなトペみたいに戦っているけれど、たぶん二人して同じように頑張ってても頭打ちになってしまう。そういう時に、今日のCHANGO選手がやってたみたいなやり方もアリなんじゃないかな、と……。
アグー選手の史上もっとも遅い黒豚大行進にもCHANGO選手がガヤを入れてジャック選手の動きを止める。あそこまで囃されたら避けたり逃げたりなんか出来ない。もしそんなことをしたら生野区民センターがドッチラケである。恐るべし密林の毒猿(こないだ思いついた)(みんなも使って)。
何しろCHANGO選手はアレナ・メヒコでデビューしたという世界中を見渡したって何人も居ないルチャドール。どんな有名選手でも、闘龍門の歴史の中でも数少ないアレナ・メヒコデビューという経歴は永遠の勲章だと僕は思っています。その輝かしさを裏付ける、そして裏切るかのような狡猾で残忍で(愛知の方言で言えば)「イヤったい」攻めを見せる仕事人。
フツーそんな凄いデビューして今でも現役を続けてれば、もっと分かりやすくて明るい善玉になってそうなものだけれど、その真逆をいって恐れられている。自分が万が一デビューして選手になってたら絶対に敵に回したくない。試合中に何をされるか、そして何を言われるか、わかったもんじゃないからだ。
この日もCHANGO選手は絶好調。ジャック選手が技を失敗すればすかさずしゃしゃり出てきて罵詈雑言の雨あられ。年端も行かない若者にそこまで言う事ないだろ!というぐらいに責め立てる。さらに寝技を仕掛けつつ覆面にも手をかけ揺さぶる。この容赦のなさ、そして守りに転じた時の硬さも含めて、CHANGO選手が津々浦々の団体で呼ばれて試合している凄さがわかる一幕でした。
……こんなこと言うと営業妨害だと言われちゃうかもしれないけど、私がお世話になった(当時もうちょっとお名前が長かった)CHANGOさんは真面目で大人しくて物静かな、面倒見がよくて優しい人だった。それがリングに上がると豹変、一転して憎たらしい毒猿になってしまうのだから凄い。
ただ、あれだけ罵倒しつつ容赦なく責め立てるということは、そのCHANGOさんもジャック選手を単なるお子様レスラーではなく一人前の、一人の「敵」として認めたということだと思う。ジャック選手の、そして今回は味方に付いたユーセー選手に眠る可能性とポテンシャルに感じるところがあったのかもしれない。
というか座長のハリセンを奪ってのシバキ合いもにも順応して見せ、マグロフォールも喰らい、ある意味もっとも松山座の洗礼を受けたのはユーセー選手の方だったのではないか。
瑞々しい、生命力に満ち満ちた戦いのなかで驚異的なバネと度胸を見せつけたジャック選手とユーセー選手。この若さは本当に貴重で大切な、今この一瞬、一瞬だけのもの。無茶も無理もどうせ止めてもするだろうから、折角するなら無駄にしないで欲しい。ケガや病気、悩み、そういったものが足かせにならないことを祈るばかりです。
だけども、これで度肝を抜かれたお客さんこそが次なる強敵にもなるわけで、最初のインパクトを超えて行かなくちゃならないプレッシャーや、そのための努力も半端ないと思う。そういうところも含めて、彼らの生き様が眩しかったし、カッコ良かったです。
改めて、自分が出来なかったこと、半端で終わらせたものの素晴らしさや勿体なさを感じると共に、かないっこねえやこんなもん!と、ある意味で諦めがつくような心持でもありました。たぶんアンドレ・ザ・ジャイアントを見るよりも、あの二人の試合を見た方が諦めがつく。
自分に夢があって、それでヒトサマを楽しませて、自分も高みに上ってゆく。自分で決めたその道を突っ走ってゆく覆面をした少年たちの足跡を、僕は俯きながらまたポクポクと辿ってゆく。いつかあの街に置いてきた忘れ物が、そのうち不意に落っこちているんじゃないかと思って。
いま僕は、その忘れ物をしたせいでぽっかり空いた心の穴っぽこに、自分でこさえた文章を詰め込んでいる。穴埋め、なんて言葉じゃカッコ付かないけれど、結局それ以上では無いのかも知れない。
試合は高々と飛び上がったジャック選手がアグー選手から殊勲のピンフォール勝ち。
あの勢いと若さで、座長とネグロ選手の後押しも追い風にして押し切ってしまった。
最後の最後まで試合の主役であり続けた。あの輝きを、もっともっと見たい。あの日あの時に生野区民センターで行われたあの試合は当日を締め括るメインイベントでありながら、目撃したみんなが思ったことが8月に続くという最高にして壮大なプロローグでもあった。
この先も楽しみなら、この日も物凄い貴重なものを見たという喜びもあり。
気が付くと背中に乗っていた冷たい石のようなものがすっかり消えていた。
涙の代わりに汗が出た。と思っていたけど、座長の前で帰ろうと挨拶したらやっぱりちょっと泣いてしまった。良いものを見た、身に来て良かった、プロレスを好きでよかった。
心の底から自然とそう思った。この2泊3日の間ずっと(勝手に)わだかまってたものが消え失せて、その心の隙間にガッチリとまたプロレスが元通りに戻っていた。
夕暮れのバス停でボンヤリそんなことを感じていた。新大阪駅から新幹線に乗って、その日のうちに豊橋に帰った。
心斎橋も長堀橋も四ツ橋も鶴橋もすぐ近くなのに、豊橋は遠いな。
次の日と、その翌日までに書けるだけのことを書いた。MY WAYの試合については真っ先に書いた。凄い人たちがいた、その人たちがメキシコやルチャリブレの方を向いて生きている人たちで、かつての自分のことや、今の自分の煮え切らず死にきれず生きている姿と重ねて何かを書きたかった。
結局、その感想なのか何なのかわからない文字の連なりを沢山の人が読んでくださった。愛されているんだな、こんなに沢山の人たちが応援してくれているなんて幸せだな。だけどその何倍も、この人たちは僕がこれまでに噛みしめた奥歯の何倍も何万回も噛みしめて生きているんだな。かっこいいな。
身体は細くてまだまだ軽いけど、物凄いデカい男たちだった。
その彼らを信じて共に戦っている仲間たちも居る、その中には実の父親も居る。こんな戦う家庭内ドラマは中々ない。九州から全国へ、そして世界へ。今後ますます広がっていくその物語の行く末を、僕も遠くで時々、顔を上げて追いかけていたいと思う。
お日様と一緒で、あんな眩しいとこずっと見てたら目が灼けてしまうから。
長くなってしまったこの文章を最後までご覧いただきありがとうございます。
メインイベントのことは、話の続きで改めてちゃんと書こう。その時に、自分の心のことやプロレスとのこともちゃんと書き出して整理しよう。
そう思っていましたが、実際に書き始めて、書き終わるまでに1週間ぐらいかかってしまいました。どうにも書くのに踏ん切りがつかず、誤魔化したり飛ばしたり書き忘れたり変換ミスってたりで、今やっとこ形になりました。
僕は時々、不意に消えてしまいたくなる時があって。どんなに楽しくても、急に色んなことがどうしようもなく感じられて、ああもうそれならいいや、と思って。だけどこうして実際に何年も会えない人、行けない場所、お店があって、久しぶりに尋ねてお邪魔してみると、快く迎えて下さる方ばかりで。
自分も、せめていいお客でありたいと思うし、迷惑をかけたくないと思うあまりに引っ込んで俯いて生きているけれど。それでもいいのかな、会場もお店も同じことだしな、と。
もともとレスラー志望であった、というだけの話で、特別何かがわかるとか知っているとかではないのだけれど、縁あって今でも応援したいと思ったり、実際に観戦に出かけたり出来るのは幸せなことだし、恵まれていると改めて思います。
ずっとプロレスと生きてていいんだ、と思えて幸せでした。
↑副題。
ご覧いただきありがとうございます。たぶん書き上がった時には色んな人に見て頂きたくて、色んなタグとか付けていると思います。ご迷惑をお掛けします。
遅ればせながら、2022年5月22日に行われた大衆プロレス松山座5月公演の、観戦記の締めくくりのような、私小説の真似事のような。プロレスが好きで、ルチャドールに憧れた男のお話です。お暇でしたら暫しお付き合いくださいませ。試合の話もちゃんとします。でも余計なこともいっぱい書いてます。
桃谷駅前商店街(生野区民センターの最寄り駅すぐ)の美味しいピザ屋さんの情報もあります。
松山座5月22日生野公演 めいんいべんと
松山勘十郎座長、ヴァンヴェール・ジャック選手、ヴァンヴェール・ネグロ選手
VS
アグー選手、ユーセー☆エストレージャ選手、CHANGO選手
初登場、初飛来のMY WAY勢と、メキシコ・ルチャリブレ経験者ばかりが集ったメインイベント。ここまでルチャ色の出た演目は意外とこれまで無かったのではないかなあ。
この注目の試合が行われるまでの長いようで短く、目まぐるしく、特急ひのとりに乗りっぱなしで過ぎ去ってゆくかのような時間の果てが生野区民センターだった。ついに辿り着いた。
僕は文章を書くのが好きで良かった。
あの時こうだった、この時こう思ってた、ということを、いま、克明に、使える言葉をアレコレ選び、余計なことも言いながら、書き出しては直している。
プロレスラーという夢を諦めた僕が、プロレスリングという夢の世界にまだ触れ続けていられることの、葛藤と幸福を。
生野区民センターも久しぶりだ。何度も通った。桃谷駅から商店街のアーケードを抜けて、出た先の交差点を右。まーっすぐ勝山通に向かって歩いて行って、和食さとの交差点を左に折れてすぐ。が、生野区民センター。もーねー、生野「クミン」センターってぐらいだから。凄いんだろうね。多分クミンがいっぱいあって、粉末タイプから種粒のものから色々あるんだろうな。インドから中東が原産ってもインドだけでも広いしさ、ケララ州のクミンもあるしパンジャブ州のもあるだろうし…たぶん他にも大正シナモンセンターとか、住吉ターメリックセンターもあるだろうし、時々「オイそれは違うぞアニスじゃねえか。アニスはお前、東成アニスセンターだろ、ココは生野クミンセンターだからな!」なんてこともあって……お前そんなことウン百文字も使って全然余計な事まで書くことねえじゃんか。もう。
何が葛藤と幸福だよ。
この公演を見に行くまで長かった。
19の夏に闘龍門を辞めて、その後プロレスを諦めてからだって2年も3年もプロレスを見に行かなかったことなんて無かったから、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。
これは本当に本当の心の動きだったのだけれど、自分の中でプロレスというものが一旦、邪魔にすらなってしまっていた。プロレスが見れない、見に行けないから他の事しよう、というのもあったし、実際に興味や交流の広がりもあって、プロレスと行きたいイベントが近かったりして。しまったなあ、と思ったこともある。ちょっと前なら迷わずにプロレスのほうを選んでいただろうに。
ずっと身近にあった「自分にとってのプロレス」というものが、なんだか遠くで起こっている他人事になっていた。昔の映像や現在進行形の新しい話題など、もともと線が引いてあるものであれば構わないのだけれど。自分が関わり、追いかけて来た松山勘十郎さんというプロレスラー、そしてそのプロレスというものに、どう接していたか、いま僕はスッカリわからなくなっているんじゃないか。それはまるで自分で自分がわからなくなる感触みたいで、三十路も半ばになってまだ、自分の心に穴が開くのが怖くて仕方がない。
そんな状態ではあったものの、色んな人に会いに行ったり話をしたりして、また久しぶりに大阪の人混みや繁華街の地べたなんかを見て、それはそれで楽しくて、有難くって。嬉しいことや心地よい時間が沢山あった。だけどやっぱり、何処かでそれが、心の隙間に詰めたり埋めたりしたものが入るそばからこぼれてゆく。そんな心持を抱えたまま過ごした二日昼夜でもあった。
長堀橋駅近くのアパホテルを昼過ぎにチェックアウトして往来に出ると、まあ暑い!この日の大阪は天気もいいし、陽射しもギラギラ。初夏というには暑すぎるが、夏だというには暦の上での計算が合わない。世界八番目の不思議とばかりの真夏日。
昼まで寝てられたのは良かったが、陽射しがもうホントに夏。
長堀橋から森ノ宮、そっから環状線で桃谷へ。
長堀橋じゃなく日本橋まで堺筋を下って、なんばウォークで大阪難波で近鉄。
環状線に乗れば鶴橋から近鉄でもいい、JRなら梅田から新大阪駅で新幹線。
大阪と愛知なんて地続きだし、どうとでもなる。帰っちゃおうか。
この期に及んでまだそんなことをボンヤリ考えているうちに、列車はすっかり明るく綺麗に広々とした桃谷駅に滑り込んだ。
桃谷駅ってちょっと前まではザ・オーサカの駅と言った感じで、利便性やしゃれっ気も考えてるけどどっか武骨で垢抜けない感じの建物だった。それが今や明るいブラウンで見通しも良く、通勤通学逃避行のついでにお買い物も楽しめるステキなステーションになっている。
僕はそのステキステーションで列車を下りて改札を出た。あの商店街のアーケード、道のりが、こんなに長く果てしなく感じたことはなかった。自転車は降りて通りましょう、と5分に1回ぐらい流れている中を、相変わらず歩行者の方がジャマだとばかりに突っ走って来るチャリが、この日ほど憎たらしく邪魔くさいなと感じたことも。
俯いて歩いているのはいいが、まだ着くには早い。でもわざと早めに来ていた。ギリギリで動くのが性に合わないし、待つのは苦にならない性分でもある。でもそれ以上に、桃谷の商店街にある
カサディエッロさん
ってピザ屋さんでお昼を食べようと思っていたから。カサディエッロさんも久しぶりだ。
人気のお店で、実際この日も二階の席は結構いっぱい。二人掛けの、若くて可愛い今どきの女の子が向かい合って何か話している横を
スミマセンスマセンッス……
とか言いながら、汗かいた身体を縮めて着席する。
ランチセットはクアトロフォルマッジっていうチーズがたっぷり乗ったうえに別添えの蜂蜜をかけて頂くピザ。あっつあつの。
サラダやスープも美味しいし、ピクルスも可愛く盛りつけられてて、汗をかいた身体に嬉しい酸味。
カサディエッロさんのピザは窯で焼いてすぐ出て来るので、生地は香ばしくフワフワ、チーズはトロトロ、蜂蜜との相性が最高。凄いよコレは。みんなも食べた方がいい。
JR桃谷駅から商店街を通って来ると中ほどにあります。入り口に大きなピザの顔ハメ看板があるのでわかりやすいです。
チーズの熱さより美味しさが勝り、あっという間に平らげてしまった。ピザの他にもパスタや焼き立てのパンなんかもあるし、ピザは種類によっては組み合わせて注文も出来ます。
以前はマルゲリータを頂いた(写真が残ってた)し、今回のクアトロフォルマッジも2回目かな?これはもう本当にハズレなし、次からもこれを頼まない自信がないくらい美味しい。
アレだな、世界で最初に蜂蜜とチーズの組み合わせを思いついてピザやナンに応用した人にはノーベルハニーチーズ賞をイヤだと言っても授与するべきだ。いや背中にでっかく
Honey Cheese Never Dies!
と透かし彫りを入れるべきだ。イヤだと言っても(なんでそんな仕打ちをするんだ)。
お腹いっぱいでまた歩き出す。カサディエッロさんを出たら、もうすぐ商店街の出口だ。
このアーケードの中も変わらないお店、古いシャッターと看板、屋号。そして新しいお店や看板。ああ、このお店まだある。あれ、こんなお店出来たんだ。短いようで長い月日がリアルに流れている。消える生活、始まる生活が軒を連ねて、ひとつひとつがそのテナントの奥で息を潜めて暮らしている。質実剛健な昔ながらの店構えから、華やかで派手で明るくともすれば軽薄ですらある外面まで、千差万別ずらっと並びながら。
交差点を渡る。知らないオムライス屋さんが出来てる。往来の向かいには、おじいちゃんが一人でやってた、安くて沢山入ってて美味しいタコ焼きのお店の骸がまだ残ってる。破れたアーケードと、さびれたシャッター。明るく眩しい陽射しに照らされた姿を久しぶりに見た。おじいちゃんは元気だろうか。
和食さと、のカドを曲がって生野区民センターに着く。香辛料なんかカケラもない。
カバンの中からチケットを用意しようとガサゴソしてたら「佐野君!」と声をかけてくれる人がいて。
松山座を見に行くうちに、いつも見に来ている人と仲良くしてもらえることもあって。この時に声をかけてくれたのはハマグチさん。ハマグチさんが弟さんで、そのお兄さんも一緒にいて、お兄さんとお呼びしている……そういえばお名前を聞いたことが無いや。そんな感じの温度で付き合ってくれる人たち。覚えててくれたんだなあ、良かったなあ。
いつも通りバッチリ松山座のシャツを着たハマグチさんと、ちょっと大人しくて控えめなお兄さん。
久しぶりだけど、それを感じさせず再会を喜びつつ同じトーンで話してもらえる。
お店、人、仲間のもとを離れて、プロレスを離れた佐野君として俯いてた顔をパッと上げさせてくれたのがハマグチさんご兄弟でした。
区民センターのリゲッタIKUNOホール(要するに区民ホールだ。クミンの香りはしていない)にかけられた幕をくぐると、そこが大衆プロレス松山座の世界。
「これから数時間、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入って行くのです」
というやつだ。勿論いまのフレーズは石坂浩二さんの声だ。
手指を消毒して、マスクを直して。ホールの中央には祭壇の様にリングが鎮座してて、そこに客席と物販のテーブルが儀式の様に並べられて、司祭のように選手が立っている。
まず座席を確認してみる。ド真ん中だ。プロレス会場のド真ん中、目ん玉飛び出るぐらいのイイ席だ。
リングサイド最前列真正面ド真ん中の極上席、というところにまでにぎやかな声が飛んでくる。物販にいるあやらさん(美人)ともお久しぶり。才色兼備に行動力と技術と器量を足して理性を取っ払ったクレイジーお姉さん。松山座旗揚げ以来だから、数年来ということになる。でもずっと今が一番キレイを更新し続けている人だ。実はちょいとブツを頼んでいた(オマケもありがとうございます)ので、その受け渡しもして頂いて。
物販コーナーのお手伝いの花房なゆたさんとは、まさかのコスプレなさってる状態で初対面だった。思ってた以上に華奢で可愛い人だった。そして奥には本日出演の選手たちと、これはもう独立するずっと前から誰よりも声を張り上げて明るく賑やかに応対している松山勘十郎座長。
約3年ぶり、それも勝手に離れた心をどう揺り戻そうか、算段するよりも先に足が長机に向かって歩いていた。
パンフレットとか、暑いんでタオルも買って列の後ろで突っ立っている。
買ったものを小骨トモさんのトートバッグにも仕舞わずに。なんとなく、パンフレットを出したまま。
早めに会場入りする熱心なファンと話し終えた勘十郎さんが僕を見つけて
「サノぉ!元気だったか、久しぶりだなあ!」
と声をかけてくれた。いつもこういう時には、先手を取ってくれるんだ。
パンフレットにサインを入れて頂きながら再会を喜ぶ。ワタワタしているうちに記念撮影をしよう!ということでスマホをお渡ししてパシャリ。後でその写真を見ると、僕の顔がホントに楽しそうというか、元々の垂れ目以上に目じりが下がっている。時節柄、まだ握手は控えようと言うことで超人バロム1の変身よろしく腕をクロスさせた写真。
これで緊張の糸が解けて、やっとこ松山座という空間に迎え入れてもらえた気がした。
プロレスを見に行くだけなら別に大袈裟なことを書くようなもんじゃない。でも、自分にとってどうしても、松山勘十郎さんというプロレスラーが表現する松山座というプロレスリングにだけは特別な感情というか、そういうものを抱えたままいつも見ています。
これで気持ちが軽くなって、MY WAYのジャック選手とユーセー選手のところへ行ってタオルを買い、パンフレットにサインを頂いたことは以前の記事にも書きました。
元気の塊みたいで、胸を張ってルチャドールとして生きている彼らが頼もしいやら眩しいやら。
試合が始まってみれば、初見の愛媛勢もお馴染みの選手も、デビューしたばかりのみゆ選手や久しぶりに見たポンポン選手も、みんなみんな素晴らしくって。
十代の若い力、新しい力と、昭和から平成にかけてプロレスラーになって今現在の舞台を支える選手とが入り混じり組み合わさった、世代も生まれも育ちも越えたパズル、いや一枚の扉絵みたいな公演だった。
どの演目にも必ず若い選手が入っていて、色んなタイプの先達と試合をするように仕向けられていた気がする。どの演目も追うものと追われるもの、両面性のドラマと闘争があったというか。
その掉尾を飾るメインイベントには、よくルチャ・リブレの色合いが強い試合で言われるような
メキシコの風
が吹くマッチアップがなされていた。前の記事でも書いたけど(本当に沢山の、特にMY
WAYのファンの皆様にご覧いただき、あたたかいご感想も頂戴いたしまして有難う御座います)ユーセー☆エストレージャ選手とヴァンヴェール・ジャック選手を対角線上に配置して、座長自身を含め腕っこきの「ルチャドール(プロレスラーとは似て非なる者)」で固めた盤石にして最高の布陣。これこそが、若き力を最大限に引き出し、競わせ、試すための魔方陣に描かれた六芒星と式神の名だった。
ヴァンヴェール・ネグロ選手との親子タッグという一つの役がついて、そのうえで座長のような妖しげな男が居て、CHANGO選手みたいな狡猾な悪役も居て、さらにアグー選手ほどの体格を誇っていてもスピードとスタミナ、そしてテクニックを持つルチャドールが居る。あの試合はジャック選手とユーセー選手にとっては教科書かカタログみたいなものだったのかも知れない。特にアグー選手は一見ユーモラスで親しみやすい、恐らくブラソ・デ・ブラタ以来の「ぶたさん」と呼ばれて悪口にならないルチャドールであると言えるし、その一見さんにもわかりやすいキャラクターと立ち振る舞いから、要所で素早い動きを見せたり、豪快に回転して見せたりする。
若い今は動きっぱなし、飛びまくりだけれど、きっともっと個性が出て来る時期がくるはずなので……故・冬木弘道さんも若い頃は痩せてたけど、その時に色んなプロレスを経験してメキシコにも渡った経験から太ってからも身軽な動きが出来たということもあるし。
試合はその若きエストレージャを惜しみなく戦わせ、各人の持ち味も発揮させるお楽しみ満載の激しい試合に。松山座のコンセプトは妖しく楽しく激しいプロレスであるけれど、この試合には全部それが含まれていた。
熱心なファン以外は私も含め初体験のMY WAY勢の戦いも、我々の想像より1メートルも2メートルも高いところをすっ飛んでいくように超越し、度肝を抜いて見せた。
座長もそれに応えるかのように普段あまり見せない複合関節技を繰り出し、CHANGO選手がリング外で(やるじゃん)みたいな顔をしていた。しかしすぐに切り替わって、アグー選手と二人掛かりでユーセー選手のエスケープを手助けする。この辺りのズルさは、後々になってきっと役立つと思う。今は真っすぐ、あの矢のようなトペみたいに戦っているけれど、たぶん二人して同じように頑張ってても頭打ちになってしまう。そういう時に、今日のCHANGO選手がやってたみたいなやり方もアリなんじゃないかな、と……。
アグー選手の史上もっとも遅い黒豚大行進にもCHANGO選手がガヤを入れてジャック選手の動きを止める。あそこまで囃されたら避けたり逃げたりなんか出来ない。もしそんなことをしたら生野区民センターがドッチラケである。恐るべし密林の毒猿(こないだ思いついた)(みんなも使って)。
何しろCHANGO選手はアレナ・メヒコでデビューしたという世界中を見渡したって何人も居ないルチャドール。どんな有名選手でも、闘龍門の歴史の中でも数少ないアレナ・メヒコデビューという経歴は永遠の勲章だと僕は思っています。その輝かしさを裏付ける、そして裏切るかのような狡猾で残忍で(愛知の方言で言えば)「イヤったい」攻めを見せる仕事人。
フツーそんな凄いデビューして今でも現役を続けてれば、もっと分かりやすくて明るい善玉になってそうなものだけれど、その真逆をいって恐れられている。自分が万が一デビューして選手になってたら絶対に敵に回したくない。試合中に何をされるか、そして何を言われるか、わかったもんじゃないからだ。
この日もCHANGO選手は絶好調。ジャック選手が技を失敗すればすかさずしゃしゃり出てきて罵詈雑言の雨あられ。年端も行かない若者にそこまで言う事ないだろ!というぐらいに責め立てる。さらに寝技を仕掛けつつ覆面にも手をかけ揺さぶる。この容赦のなさ、そして守りに転じた時の硬さも含めて、CHANGO選手が津々浦々の団体で呼ばれて試合している凄さがわかる一幕でした。
……こんなこと言うと営業妨害だと言われちゃうかもしれないけど、私がお世話になった(当時もうちょっとお名前が長かった)CHANGOさんは真面目で大人しくて物静かな、面倒見がよくて優しい人だった。それがリングに上がると豹変、一転して憎たらしい毒猿になってしまうのだから凄い。
ただ、あれだけ罵倒しつつ容赦なく責め立てるということは、そのCHANGOさんもジャック選手を単なるお子様レスラーではなく一人前の、一人の「敵」として認めたということだと思う。ジャック選手の、そして今回は味方に付いたユーセー選手に眠る可能性とポテンシャルに感じるところがあったのかもしれない。
というか座長のハリセンを奪ってのシバキ合いもにも順応して見せ、マグロフォールも喰らい、ある意味もっとも松山座の洗礼を受けたのはユーセー選手の方だったのではないか。
瑞々しい、生命力に満ち満ちた戦いのなかで驚異的なバネと度胸を見せつけたジャック選手とユーセー選手。この若さは本当に貴重で大切な、今この一瞬、一瞬だけのもの。無茶も無理もどうせ止めてもするだろうから、折角するなら無駄にしないで欲しい。ケガや病気、悩み、そういったものが足かせにならないことを祈るばかりです。
だけども、これで度肝を抜かれたお客さんこそが次なる強敵にもなるわけで、最初のインパクトを超えて行かなくちゃならないプレッシャーや、そのための努力も半端ないと思う。そういうところも含めて、彼らの生き様が眩しかったし、カッコ良かったです。
改めて、自分が出来なかったこと、半端で終わらせたものの素晴らしさや勿体なさを感じると共に、かないっこねえやこんなもん!と、ある意味で諦めがつくような心持でもありました。たぶんアンドレ・ザ・ジャイアントを見るよりも、あの二人の試合を見た方が諦めがつく。
自分に夢があって、それでヒトサマを楽しませて、自分も高みに上ってゆく。自分で決めたその道を突っ走ってゆく覆面をした少年たちの足跡を、僕は俯きながらまたポクポクと辿ってゆく。いつかあの街に置いてきた忘れ物が、そのうち不意に落っこちているんじゃないかと思って。
いま僕は、その忘れ物をしたせいでぽっかり空いた心の穴っぽこに、自分でこさえた文章を詰め込んでいる。穴埋め、なんて言葉じゃカッコ付かないけれど、結局それ以上では無いのかも知れない。
試合は高々と飛び上がったジャック選手がアグー選手から殊勲のピンフォール勝ち。
あの勢いと若さで、座長とネグロ選手の後押しも追い風にして押し切ってしまった。
最後の最後まで試合の主役であり続けた。あの輝きを、もっともっと見たい。あの日あの時に生野区民センターで行われたあの試合は当日を締め括るメインイベントでありながら、目撃したみんなが思ったことが8月に続くという最高にして壮大なプロローグでもあった。
この先も楽しみなら、この日も物凄い貴重なものを見たという喜びもあり。
気が付くと背中に乗っていた冷たい石のようなものがすっかり消えていた。
涙の代わりに汗が出た。と思っていたけど、座長の前で帰ろうと挨拶したらやっぱりちょっと泣いてしまった。良いものを見た、身に来て良かった、プロレスを好きでよかった。
心の底から自然とそう思った。この2泊3日の間ずっと(勝手に)わだかまってたものが消え失せて、その心の隙間にガッチリとまたプロレスが元通りに戻っていた。
夕暮れのバス停でボンヤリそんなことを感じていた。新大阪駅から新幹線に乗って、その日のうちに豊橋に帰った。
心斎橋も長堀橋も四ツ橋も鶴橋もすぐ近くなのに、豊橋は遠いな。
次の日と、その翌日までに書けるだけのことを書いた。MY WAYの試合については真っ先に書いた。凄い人たちがいた、その人たちがメキシコやルチャリブレの方を向いて生きている人たちで、かつての自分のことや、今の自分の煮え切らず死にきれず生きている姿と重ねて何かを書きたかった。
結局、その感想なのか何なのかわからない文字の連なりを沢山の人が読んでくださった。愛されているんだな、こんなに沢山の人たちが応援してくれているなんて幸せだな。だけどその何倍も、この人たちは僕がこれまでに噛みしめた奥歯の何倍も何万回も噛みしめて生きているんだな。かっこいいな。
身体は細くてまだまだ軽いけど、物凄いデカい男たちだった。
その彼らを信じて共に戦っている仲間たちも居る、その中には実の父親も居る。こんな戦う家庭内ドラマは中々ない。九州から全国へ、そして世界へ。今後ますます広がっていくその物語の行く末を、僕も遠くで時々、顔を上げて追いかけていたいと思う。
お日様と一緒で、あんな眩しいとこずっと見てたら目が灼けてしまうから。
長くなってしまったこの文章を最後までご覧いただきありがとうございます。
メインイベントのことは、話の続きで改めてちゃんと書こう。その時に、自分の心のことやプロレスとのこともちゃんと書き出して整理しよう。
そう思っていましたが、実際に書き始めて、書き終わるまでに1週間ぐらいかかってしまいました。どうにも書くのに踏ん切りがつかず、誤魔化したり飛ばしたり書き忘れたり変換ミスってたりで、今やっとこ形になりました。
僕は時々、不意に消えてしまいたくなる時があって。どんなに楽しくても、急に色んなことがどうしようもなく感じられて、ああもうそれならいいや、と思って。だけどこうして実際に何年も会えない人、行けない場所、お店があって、久しぶりに尋ねてお邪魔してみると、快く迎えて下さる方ばかりで。
自分も、せめていいお客でありたいと思うし、迷惑をかけたくないと思うあまりに引っ込んで俯いて生きているけれど。それでもいいのかな、会場もお店も同じことだしな、と。
もともとレスラー志望であった、というだけの話で、特別何かがわかるとか知っているとかではないのだけれど、縁あって今でも応援したいと思ったり、実際に観戦に出かけたり出来るのは幸せなことだし、恵まれていると改めて思います。
ずっとプロレスと生きてていいんだ、と思えて幸せでした。
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